仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧~仏教・歴史・文学など、知られざる魅力をご紹介!

スリランカ、ネパール、東南アジアの仏教

目次

仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧~仏教・歴史・文学など、知られざる魅力をご紹介!

「インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本~入門から専門書まで私がぜひおすすめしたい逸品を紹介します」の記事ではインド仏教についてのおすすめ本をピックアップしてご紹介しましたが、今回の記事ではスリランカに特化して私のおすすめ本をジャンルごとにご紹介していきます。

スリランカは近年観光国として世界中から注目を浴びている島国です。スリランカはインド南端のまさに目と鼻の先にあり、古くからインドと深い関係がありました。

「仏教を学ぶのにインドの文化や歴史を学ぶならまだしも、さすがにスリランカまでは厳しいよ」と思われる方も多いかもしれませんが、実は、このスリランカについて知ることでそれこそインドの仏教の見え方が180度変わってきます。

私はスリランカの仏教を学び、衝撃を受けっぱなしでした。まさかと思うことがどんどん出てきます。私の仏教観を根底から覆したと言ってもよいでしょう。そして同時に、「自分にとっての仏教」とは何なのかということを深く考えるきっかけともなりました。自分とは異なる他者の存在を知ることで、より自分たちの信じるものを深く知るきっかけとなったように思います。

スリランカは面白い!私はまさにこの国の仏教やその歴史、文化にすっかり夢中になってしまいました。

私は2023年の11月に実際にスリランカを訪れたのですが、ここで紹介する本達を読んでいたおかげで非常に濃厚な時間を過ごすことができました。本を読んだからこそ見えてくる世界が必ずあります。

では、早速始めていきましょう。

スリランカってどんな国?スリランカ入門のおすすめガイドブック!

石野明子『五感でたのしむ!輝きの島スリランカへ』

スリランカ

本書『五感でたのしむ!輝きの島スリランカへ』は観光地としてのスリランカを知るのにおすすめのガイドブックです。この本を読めばスリランカに行きたくなること間違いなしです。魅力あふれるスリランカの名所やグルメなどを楽しく見ていくことになります。

北海道の約八割ほどの大きさの国土に様々な気候や豊かな自然が存在し、さらには世界遺産級の遺跡がコンパクトにまとまっているという奇跡的な国土環境。しかも都会のコロンボでは現代的な文化も発達し、食事やファッション、リラクゼーションも魅力的。

これは「2019年 行くべき国」に選ばれるのも納得です。

しかも本書ではそんな魅力的なスリランカを素晴らしい写真と共に見ていくことになります。

各地の名所や宿、グルメ、アクティビティが魅力たっぷりに紹介されます。ま~とにかく写真が素晴らしい!著者の石野明子氏は日本大学芸術学部で写真を学び朝日新聞社出版写真部の嘱託としても在籍されていたそうです。なるほど、だからこそのこの写真のクオリティなのですね。

それにしてもこの写真の素晴らしさたるや!ただ単に写真が上手というだけでなくスリランカへの愛も感じます。レイアウトも綺麗で見やすく、読んでるだけでワクワクしてきます。

これはぜひぜひおすすめしたいガイドブックです。

庄野護『スリランカ学の冒険』

スリランカ学の冒険

本書は意外な切り口から語られるスリランカを知ることができます。上の目次を見て頂ければわかりますように、「カシューナッツの流通学」「漱石のカレー学」「カラスの生態学」など、パッと見ただけでは「これのどこがスリランカ?」と思ってしまうかもしれませんがこれが見事にスリランカ世界を知る手掛かりとなるのですからお見事としか言いようがありません。ものすごく面白いです。

明石書店『スリランカを知るための58章』

スリランカを知るため

本書は現代スリランカの大枠を掴むのに非常におすすめです。国レベルの政治経済、歴史の概略を知れるだけでなく、現地の人々の生活の模様も詳しく語られます。どちらか一方だけではなく、両者を見ていくことでよりスリランカの姿を知ることができます。スリランカ特有の宗教事情も生活と絡めてわかりやすく学べるのも非常にありがたいです。

現地の社会問題や今後の課題も本書では語られるのですが、それはスリランカだけの問題ではなく私達日本人のありかたについての問いかけにもなっています。スリランカという他者を通して私達自身についても考えさせられます。

現代スリランカの入門書として本書は最適です。しかも入門書でありながらかなり深い所まで私達を連れて行ってくれます。

巻末にはおすすめのスリランカ参考書のリストも掲載されているので学びの入り口としても便利な作品です。

鈴木睦子『スリランカ 紅茶のふる里』

紅茶のふる里

スリランカといえば紅茶というイメージを持たれる方も多いと思います。かく言う私もその一人でした。

ただ、正直に申しますと私は紅茶よりもコーヒー派です。しかも筋金入りのコーヒー派ときています。

そんな私ではありましたが最近インドに行く機会があり、そこでひょんなことからダージリンティーを飲むことになったのです。せっかくだし飲んでみようかという軽い気持ちで口にした紅茶が美味いのなんの!衝撃の美味しさでした。その一杯のおかげで私はすっかり紅茶に興味津々となってしまったのでした。

しかも私はこれからスリランカを実際に訪れる予定です。こうなれば本場スリランカの紅茶の歴史を知りたくなるのも当然の流れ・・・。私は早速スリランカの紅茶についての本を探し、そこで出会ったのが本書『スリランカ 紅茶のふる里~希望に向かって一歩を踏み出し始めた人々』でありました。

本書はスリランカの紅茶の歴史や現在の農園事情を知るためのおすすめの入門書です。

スリランカ仏教を知るためのおすすめ解説書

これから紹介する本も非常に刺激的なラインナップです。ぜひおすすめしたい作品たちです。

『東南アジア上座部仏教への招待』

この本は東南アジアの国々の仏教の姿を知れるおすすめの参考書です。東南アジアには私達日本の仏教とは全く違う仏教が根付いています。その違いを知ることは「日本仏教」を知ることだけにとどまらず、「日本人とは何か」を考えるきっかけにもなります。

この本では東南アジア各国の仏教の教義を細かく見ていくというよりは、その国の仏教徒の生活や信仰の実践がどのようなものなのかを見ていく形を取ります。

もちろん、本書の第一章で上座部仏教とはそもそも何なのかをわかりやすく解説してくれるので、専門知識のない方にも優しい作りになっています。日本では「大乗仏教」と呼ばれる仏教が伝わり今に続いていますが、東南アジアの仏教は全く違った系統の仏教が信仰されています。両者の違いをわかりやすく解説してくれるこの作品は非常に貴重です。しかも入門者でも親しみやすく読めるような語り口で説かれるので、仏教だけでなく文化そのものを学びたいという方にも非常におすすめです。

上座部仏教とは何か、そしてそこに生きる人々の生活レベルでの仏教を知れるこの本はとても刺激的でした。日本仏教との違いや共通点を考えながら読むのはとても興味深かったです。

杉本良男『スリランカで運命論者になる 仏教とカーストが生きる島』

この本はスリランカの宗教と現地の人々の実生活を知れる貴重な作品です。

スリランカの宗教は上座部仏教という、日本に伝わった大乗仏教とは異なる仏教です。上座部仏教そのものについてはここではお話しできませんが、インドで生まれた原始仏教の教えに近い形で信仰されているのが上座部仏教の特徴としてよく挙げられます。

そんな上座部仏教のいわゆる聖地的な存在として見られることも多いスリランカですが、現地では実際にどのようにその仏教が実践されているのか、そして現地の人々はどのように仏教教団と付き合っているのかということがこの本で語られます。

スリランカでも仏教は「生と死」の問題と深く繋がっているということをフィールドワークという視点から見れたこの本はとても興味深かったです。

また、単に宗教的な側面だけでなく、政治経済面からもスリランカの宗教と実生活を知れるのもこの本のありがたい点です。「スリランカ=敬虔な仏教国」とだけ見てしまうと見誤るものが多々あります。実際にはかなり複雑な背景がそこにはあります。そうした社会の複雑さを知れるのも本書の魅力です。

これはいい本と出会いました。スリランカにもっともっと興味が湧いてきました。実際にスリランカを訪れる方にとってもこの本は非常に大きな刺激になると思います。

ゴンブリッチ、オベーセーカラ『スリランカの仏教』

スリランカの仏教といえば厳密な戒律を守る上座部仏教というイメージがあるかもしれませんが、実は現代スリランカの仏教自体は最近構築されたものでした。スリランカ仏教は最も原始教団に近い仏教と言われることもありますが、それも実はここ数世紀で作り上げられたイメージだったのです。この本を読めば確実に驚くと思います。スリランカの仏教に対しての印象ががらっと変わると思います。

本書の帯では「発祥の地、インドで滅びた仏教が、なぜスリランカでは生き続けているのか」と書かれていますがまさに本書では現代スリランカ仏教の実態を詳しく見ていくことになります。

スリランカは1815年にイギリスの植民地になって以来、それまでの伝統的な村社会が衰退し、コロンボでは急激な都市化が進んでいきました。さらに英語を使えるエリートたちが積極的にイギリス文化を吸収。特にイギリスのプロテスタント的な宗教観をスリランカ仏教の世界に持ち込むことになりました。これが現代スリランカの仏教に決定的な影響を与えることになります。

また、スリランカ南部のカタラガマという聖地における仏教側の動きも見逃せません。ここは元々ヒンドゥー教の神スカンダ(日本では韋駄天として親しまれている神)の聖地でした。そこにスリランカ仏教徒たちが今大挙して押し寄せているのです。原始仏教に忠実であることを謳うスリランカ上座部の教えからいうとこれは矛盾です。ですがこれは明らかに大きな流れとなっています。この背景にはスリランカの政治や経済の問題も大きく絡んでいたのでありました。

本書では単にスリランカ仏教を思想面から見ていくのではなく、現地でのフィールドワークで得た知見が生かされています。現地で実際に見てきたからこそ見えてくるスリランカ仏教の実態。これは非常に興味深いです。私も大興奮でこの本を一気に読み切ってしまいました。ものすごく面白いです。

馬場紀寿『仏教の正統と異端 パーリ・コスモポリスの成立』

仏教を学んでいると「サンスクリット語原典」、「パーリ語原典」という言葉によく出くわします。サンスクリット語は聖なる言葉であると同時に古代インド思想界における共通言語でもありました。また、パーリ語も同じようにスリランカ仏教における古典言語です。普通はこれら両言語においてはこれくらいの理解で十分なのですが、このサンスクリット語とパーリ語の違いについて、実はとてつもない事実が潜んでいたのでありました。それを本書ではじっくりと見ていくことになります。

そもそもサンスクリット語とパーリ語、どちらが古いのか、その由来は何だったのか。なぜスリランカはサンスクリット語ではなくパーリ語を使用したのか。

ここにインドとスリランカの歴史的な背景が関わってくるのでありました。ここには単に仏教思想の問題だけでなく、国、王権レベルの政治的な問題も絡んでいたのです。

しかも、スリランカといえば「原始仏教に最も近い教えを継承している上座部仏教の国」というイメージがどうしても浮かんでしまいますが、実は上座部仏教と大乗仏教が同居しており、かつては東南アジアにおける大乗仏教の一大拠点ですらあったというのです。これにも政治的な問題が絡んできます。

スリランカの仏教は王権との関係性によって紡がれてきました。単に宗教、思想というレベルだけではくくれない大きな枠組みで仏教は動いてきたのです。もちろん、こうした宗教と歴史の問題はスリランカに限ったことではありません。ですがインドの周縁としてのスリランカが自らのアイデンティティ、正当性を主張するためにはやはり確固たる何かが必要です。それがスリランカにおいてはパーリ語であり、「ブッダの教えを最も忠実に受け継いだ仏教」であったのでした。こうなってくると「ブッダの教えを最も忠実に受け継いだ」というのは客観的な事実ではなく「スリランカがそう主張する」ものであるということも見えてきます。この辺りの事情も詳しく見ていくのが本書です。

正直、ものすごく面白いです。インド、スリランカの仏教を国際政治、内政の視点から見ていくというのはありそうであまりなかったのではないでしょうか。ぜひぜひおすすめしたい一冊です。

上田紀行『スリランカの悪魔祓い』

スリランカの悪魔祓い

本作は文化人類学者上田紀行氏がスリランカでのフィールドワークを通して書き上げた「悪魔祓い」についての作品です。

「悪魔祓い」と言いますと私達は非科学的な迷信のように感じてしまいがちですが、実はこの「悪魔祓い」にこそ私達が忘れてしまった大切なものが存在している!そのことを本書では知ることになります。

上田紀行先生の語りは非常に読みやすくてわかりやすいです。「悪魔祓い」という一見おどろおどろしいテーマではありますが、先生の語りは絶妙であっという間に引き込まれてしまいます。

私は本書を読み感銘を受けました。

この本では単にスリランカの「悪魔祓い」だけでなく、宗教とはそもそも何か、なぜ人は「癒される」のだろうかということが語られていきます。

コロナ禍で科学や迷信、デマ、陰謀論、同調圧力など様々なことを考えさせられることになりましたが、私達の命や健康、生命力と「心」のつながりについて改めて考えさせられる素晴らしい作品です。ぜひ多くの方に手に取って頂きたい名著中の名著です。

中島美千代『釈宗演と明治 ZEN初めて海を渡る』

釈宗演

鈴木大拙、西田幾多郎の師にして、漱石参禅の導師…明治期禅文化の中心にいた高僧の破天荒な足跡を追って。円覚寺僧堂から慶應義塾と、紅灯の巷へ、はたまた小乗仏教の地セイロンへ、シカゴ万国宗教会議へ。欧米に禅の種を撤いた、この驚くべき行動力の秘密とは。

Amazon商品紹介ページより
釈宗演(1860-1919)Wikipediaより

本書の主人公釈宗演は上の本紹介にありますように、鈴木大拙や西田幾多郎らビッグネームの師匠であり、若き日には福沢諭吉に師事していたという驚異の禅僧です。

釈宗演という巨大な人物の生涯をドラマチックに見ていける本書はとてもおすすめです。ぜひぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。

及川真介訳『蜜の味をもたらすもの 古代インド・スリランカの仏教説話集』

蜜の味をもたらすもの

本書『蜜の味をもたらすもの 古代インド・スリランカの仏教説話集』は、今なおスリランカをはじめとした上座部仏教圏で親しまれている仏教説話だそうです。

仏教説話といえばブッダの前世物語であるジャータカが有名ですが本書ではそれとは一味違った物語を目の当たりにすることになります。

この物語集ではいかにブッダの力が世界を超越しているか、そして仏教を信じることでいかに世の苦難に打ち克てるかを説いていきます。ブッダを心に念じるだけで窮地を脱することができるという話もたくさん出てきます。これは『法華経』の観音菩薩による救いとも重なってきます。

東南アジアの上座部仏教では出家者と在家信者とではその区別が厳密です。

この物語はまさに在家信者に向けた教えです。悟りを目指し一心に修行生活を送る出家者のための仏教と、一般の人々の信ずる教えには違いがあります。ですがその違いを全て包んで成立しているのが上座部仏教であります。このあたりの聖と俗の関係性については以前当ブログでも紹介した『東南アジア上座部仏教への招待』や杉本良男『スリランカで運命論者になる 仏教とカーストが生きる島』などの著作でわかりやすく解説されていますのでぜひそちらも合わせておすすめしたいです。そしてそこからさらに専門的に学ぶには馬場紀寿『仏教の正統と異端 パーリ・コスモポリスの成立』やゴンブリッチ、オベーセーカラ共著『スリランカの仏教』もおすすめです。

スリランカ仏教を知る上でも本書は非常に興味深い作品でした。ぜひぜひおすすめしたい作品です。

伊東照司『スリランカ仏教美術入門』

スリランカ

本書ではアヌラーダプラ、ポロンナルワ、キャンディなど主要な仏跡や、その他特徴的な仏教遺跡を見ていくことになります。

本書はとにかく写真が多数掲載されており、現地の状況をイメージしやすいです。さらに解説も初学者にもわかりやすく書かれており、入門書として非常にありがたい作品です。

私としてはその中でも特にシーギリアについての解説が印象に残っています。

シーギリヤ・ロック Wikipediaより
シーギリヤ・レディ Wikipediaより

スリランカで最も有名な観光地の一つとなっているこのシーギリヤですが、意外とこの地における歴史や美術について解説されたものは多くありません。そんな中この本ではこの岩山の歴史やそこに描かれたシーギリヤ・レディのこともわかりやすく解説されていますので、これは現地を訪れようとしている私にとってはとてもありがたいものがありました。

スリランカに行かれる方、スリランカ仏教に興味のある方にぜひおすすめしたい作品です。観光する際のガイドブックにもなる一冊です。ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。

スリランカ内戦について学ぶためのおすすめ参考書

私はこれまでも宗教と暴力について様々な視点から学んできました。特に2019年にボスニア・ヘルツェゴビナを訪れ民族紛争について学んだ体験は忘れられません。

また、帰国後も「親鸞とドストエフスキー」をテーマに学ぶ中で戦争や全体主義、マルクス主義と絡めながら宗教の持つ暴力性や危険性を考えてきました。

特に『ドン・キホーテ』の流れで読んだトビー・グリーン著『異端審問 大国スペインを蝕んだ恐怖支配』はまさに宗教とナショナリズムについて大きな示唆を与えてくれた作品でもあります。この時代にはまだ明確なナショナリズムはありませんが、自分たちの宗教集団と他者を区別し、それを政治利用するあり方はまさに共通するものがあると思います。

私はこれまで主に西洋の宗教や暴力の歴史を学んできました。そこで感じたのは、やはり戦争遂行のためのイデオロギーとして一神教の宗教は利用されやすいのではないかということでした。

そしてそれに対して仏教はそもそもの教義として絶対的な神、つまり正義を立てず、さらには非暴力を訴えますので戦争のイデオロギーにはなかなかなりにくいのではないかと私は考えていました。もちろん、日本の歴史においても武将が仏教を深く信仰していたとか、寺の焼き討ちがあったとか、第二次大戦で戦争に加担したなどの事実はあります。ですが争いの第一義のイデオロギーとして仏教が出てくるかというとそうではないのではないかというのが私の感じるところでした。

しかしここスリランカではそうではなかったのです。仏教がシンハラ人のアイデンティティーと結びつき聖戦の概念まで生まれていきます。ここから紹介する本ではそうした仏教とナショナリズムの結びつきの過程をじっくりと見ていくことになります。これは非常に興味深いです。「まさか」と思うことがここスリランカでは起こっていたのです。

仏教国スリランカにおける仏教とは一体何なのか。

私達が想像する仏教の世界とは全く異なる世界がここにあります。

澁谷利雄『スリランカ現代誌』

本書は書名にありますように現代スリランカと紛争について解説された作品になります。これまで当ブログではスリランカの歴史や仏教についての様々な本を紹介してきましたが、1983年から2009年にかけて続いたスリランカの内戦について特化した作品は本書が初めてになります。

スリランカの内戦は大きく見れば人口の多数を占めるシンハラ仏教徒と少数派タミルヒンドゥー教徒の内戦でした。つまり、宗教が内戦の大きな原因のひとつなのでありました。

もちろん宗教だけが主要因というわけではなくそれまでの歴史や政治経済問題が大きく絡んでいるのですが、仏教が内戦に絡むことになってしまったことに私は大きなショックを受けたのでありました。本書はそんなナショナリズムと結びついた仏教についても知ることになります。

スリランカの内戦では仏教がナショナリズムに利用されていくという形が強く出てきます。その過程を本書『スリランカ現代誌』で見ていくことになります。なぜ民族の対立が深まったのか、平和的な教えだったはずの仏教がなぜ過激な方向へと向かっていったのかなどもこの本では知ることができます。

この本はスリランカについての知識がない方でも読めるように書かれていますので、初学者の方にもぜひおすすめしたい作品です。現代スリランカを知るのにとても役立つ作品です。民族紛争や宗教対立について学びたい方にもぜひおすすめしたい名著です。

杉本良男『仏教モダニズムの遺産』

仏教モダニズムの遺産

本書ではこの内戦が起きるまでの背景を詳しく知ることになります。

この内戦の大きなきっかけとなったのはスリランカ人口の大半を占めるシンハラ仏教徒と少数派のヒンドゥー・タミル人の対立です。ですがこの対立もはじめからあったわけではありません。この対立が激化したのはスリランカ仏教とナショナリズムが結びつくというこの国独特の宗教・民族観があったからこそでした。

このシンハラ仏教徒のナショナリズムに巨大な影響を与えたのが本書の副題ともなっているダルマパーラという人物の存在でした。

アナガーリカ・ダルマパーラ(1864-1933)Wikipediaより

スリランカの研究者オベーセーカラはダルマパーラの生み出したスリランカ仏教を「プロテスタント仏教(改革仏教)」と呼びました。スリランカの仏教といえば最も古い仏教を今でもそのまま継承しているというイメージがあるかもしれませんが、実はそうではなく19世紀から活発化した運動のひとつだったのでありました。その流れで仏教とシンハラ人のナショナリズムが結びつき、内戦へと向かっていったという歴史をこの本では詳しく見ていくことになります。特にこのダルマパーラについては伝記のようにその生涯をじっくり見ていくことになります。その生涯を見ていきながらスリランカ仏教の独特な歴史を知ることができます。

川島耕司『スリランカ政治とカースト』

スリランカ政治

この本は衝撃の一冊です・・・!

これまでスリランカの政治と宗教について、杉本良男『仏教モダニズムの遺産』や、澁谷利雄『スリランカ現代誌』を紹介してきました。

これらの本を読んで明らかとなったのは現代スリランカにおいて仏教ナショナリズムが強く政治と結びついていたことでした。その中でも特にその傾向を強めた政治家としてバンダーラナーヤカという人物がよく挙げられていましたが、その人物についての衝撃の事実が本書で語られることになります。

彼はシンハラ仏教ナショナリズムを強烈に宣伝し、その勢いで1956年に選挙で大勝したことで知られていますが、そんな彼の背後に驚くべき人物が隠れていたのです。それが本書の副題にもなっているN.Q.ダヤスという人物だったのです。このN.Q.ダヤスという謎の人物を明らかにしていくのが本書の大きな主題です。このダヤスという人物に私は衝撃を受けたのでした。

また、本書タイトルにありますようにスリランカにおけるカーストについても非常に重要な指摘がなされていきます。これは驚くべき作品です。ぜひおすすめしたい名著です。

和田朋之『ハイジャック犯をたずねて—スリランカの英雄たち』

ハイジャック犯をたずねて

本作『ハイジャック犯をたずねて—スリランカの英雄たち』は1983年から2009年まで続いたスリランカ内戦について知るのに非常におすすめの作品です。

タイトルにありますように、著者自身が遭遇したハイジャックを縁に著者はスリランカへと向かうことになります。ハイジャック犯のセパラという人物とスリランカの現代史が絶妙にクロスして語られるのが本書です。

このハイジャック犯は直接的にはスリランカ内戦に大きく関わったとは言えません。むしろ受動的な存在とすら言えます。ただ、彼のことを深く知ろうとすれば当時のスリランカの時代背景も読み解かなければなりません。というわけで著者は現代スリランカの複雑な政治経済事情を追っていくことになります。

本書を読み始めてすぐにこの本の読みやすさ、面白さに私は驚くことになりました。著者の和田朋之さんは何者なのだろうか!著者プロフィールを見てみるとスリランカの専門家でも学者さんでもなく商社マンであったとのこと!このことにさらに衝撃を受けることになりました。

本書で書かれている内戦の経緯はかなり詳しいです。これまでスリランカの内戦について当ブログでも杉本良男著『仏教モダニズムの遺産』や川島耕司『スリランカと民族―シンハラ・ナショナリズムの形成とマイノリティ集団』『スリランカ政治とカースト—N.Q.ダヤスとその時代 1956~1965―』を紹介しましたが専門家が書いた著作とはまた違った読み味の作品となっています。

まさに学術書というよりノンフィクション!内戦の経緯が一般読者にもわかりやすくかつ臨場感たっぷりに語られます。ぐいぐい読ませます。私も一気に読み切ってしまいました。ものすごく面白いです。

荒井悦代『内戦終了後のスリランカ政治』

内戦終結後のスリランカ政治

本書では1983年から2009年にかけて起きたスリランカの内戦が終わってから2016年までの政治状況を知ることができます。

本書の主要人物であるラージャパクサ大統領はほとんど独裁レベルで国を支配した政治家でその一族や側近は莫大な富と権力を手にすることになりましたが、この人物についての詳しい解説を聴けるのはとてもありがたいものがありました。まさにこの人物こそ2022年のスリランカの暴動で国外逃亡することになったあの人物です。ニュースでも2022年のスリランカの暴動はよく取り上げられていたことを私も記憶しています。

そして何と言ってもスリランカと中国の関係です。スリランカが借金を返せず南部のハンバントタ港が中国の支配下になるという債務の罠はニュースでも何度も目にしました。なぜスリランカはこうした事態に陥ったのか。そしてラージャパクサ大統領と中国の蜜月関係はどのようなものだったのかも知ることになります。

ただ、本書は2016年に出版された本ですのでそれ以降の出来事については知ることができません。あくまで内戦終結から2016年までの政治状況についての解説が本書になります。

スリランカ文学のおすすめ作品~日本ではあまり知られていない名作たちをご紹介!

日本ではあまり知られていないスリランカ文学ですが、驚くべき名作がここにありました。

かく言う私も今回スリランカを学んで初めて知った本ばかりなのですが、欧米文学にも負けない素晴らしい作品です。ぜひおすすめしたい逸品です。

マーティン・ウィクラマシンハ『変わりゆく村』

変わりゆく村
マーティン・ウィクラマシンハ(1890-1976)Wikipediaより

本作の著者マーティン・ウィクラマシンハは日本ではあまり知られていませんが、スリランカを代表する世界的な作家として知られています。私自身も今回スリランカを学ぶ中でその存在を知ることとなりました。

本書『変わりゆく村』ではスリランカにおけるカースト制度の実態を知ることとなります。スリランカにおけるカースト制については以前紹介した川島耕司著『スリランカと民族―シンハラ・ナショナリズムの形成とマイノリティ集団』『スリランカ政治とカースト—N.Q.ダヤスとその時代 1956~1965―』でも詳しく説かれていますが、それを生きた物語として体感できるのが本作になります。

「スリランカはインドと違ってカースト制度がそこまでない」と言われがちですが、生活レベルでは現在でも明らかにカーストの影響が根強く残っていると上の2冊で解説されていましたが、本書でもまさにそんなシーンが多々描かれます。特に結婚を巡る問題でカーストは顔を覗かせていて、「カーストの驕り」という言葉でウィクラマシンハはそれを象徴的に描いています。

参考書だけでは感じることのできない生々しい実態を物語で知れるのが小説の素晴らしい点です。スリランカを生活レベルでより感じられるありがたい機会となりました。

日本ではあまり知られていない作品ですが、世界的にも評価されている素晴らしい小説です。私も実際に読んでみてその素晴らしさを堪能することとなりました。

スリランカでの生活が目の前に現れるかのような、没入感の強い小説です。ドストエフスキーやチェーホフが好きな方には特にフィットする作品だと思います。

マーティン・ウィクラマシンハ『変革の時代』

変革の時代

本作品は、マーティン・ウィクラマシンハの『変わりゆく村』に続く作品で、三部作のうちの第二部にあたります。第一部『変わりゆく村』では、地方の特権階級の家族の崩壊が時系列的に描かれていましたが、本書では裕福な家庭に育ちながらも、価値観の違いに苦悩し、翻弄される子や孫たちの姿が見事な筆致で描かれています。

財団法人 大同生命国際文化基金商品紹介ページより

今作では前作の主要人物、新興商人のピヤルとその妻ナンダーを軸に物語が進んでいきます。

前作においてピヤルは低いカーストながらも持ち前の才覚を生かして商売をどんどん広めていく好青年のように描かれていましたが、今作ではそんな彼が陥った苦しみを目の当たりにすることになります。

ピヤルは金と地位、名誉を求めることしか頭にない人物になってしまいました。心優しい家庭教師として働いていた頃の名残はもはやありません。この小説は20世紀前半をその舞台としていますが、この頃にはピヤルと同じように、新興商人が力をつけ一気に社会的上昇をすることも見られるようになっていました。著者のウィクラマシンハはこうした時代相を巧みにこの小説で描いています。

特にピヤルとナンダーの虚飾に満ちた家庭生活の描写はフランスの文豪エミール・ゾラを彷彿とさせるものがあります。

新興商人が勃興し、智慧才覚や財力で既存の階級社会へ殴り込みをかけていくその様はゾラの小説で見た19世紀フランスとそっくりです。しかも結局は金や権謀術数で急速に地位上昇を果たしたが故にそのつけを払うことになるところまでそっくりです。

ゾラの小説でいうならばこの『獲物の分け前』『ごった煮』がまさに『変革の時代』と重なってくるように私には思えます。

もちろん、ゾラと似ているからといってウィクラマシンハがそれを模倣したとかそういうことを言いたいのではありません。

ゾラはゾラで19世紀パリを徹底的に観察し、それを小説作品に落とし込みました。

そしてウィクラマシンハはウィクラマシンハで20世紀前半のスリランカ社会をこの小説に見事に描き出したということなのです。まさにこの小説は20世紀前半のスリランカを知るための絶好の資料となります。遠く離れた日本に住む私たちにとってこれほどありがたいスリランカ絵巻はありません。

『変革の時代』ではこうしたピヤル夫妻の金や地位に溺れる虚飾の世界や、それに反発を覚える息子世代の心情、旧社会の伝統を捨てきれない村の人々とのずれなど様々な立場からスリランカ社会を見ていくことになります。

これは見事な作品です。前作に引き続きウィクラマシンハの恐るべき描写力を本作でも感じることになりました。

マーティン・ウィクラマシンハ『時の終焉』

時の終焉

本作はこれまでも紹介してきた『変わりゆく村』『変革の時代』、『時の終焉』ウィクラマシンハ三部作の最終作になります。

本作のメインテーマは階級闘争に揺れるスリランカになります。

労働者を搾取して成り上がった大資本家サウィマンに強く反抗する息子マーリン。「あの二人はもうすでに精神的に腐敗している。今さら両親の心を改悛させる人間は周りに誰もいないからね!」と彼は親友の医者アラウィンダに打ち明けます。彼の反抗はもはや家庭内だけの問題ではなく、コロンボ市民を巻き込む政治運動へと展開していきます。

本作ではこうした資本家と労働者のせめぎ合いや暴動も描かれます。当時コロンボで何が起きていたのかをかつてジャーナリストであったウィクラマシンハが物語にして具現化したのがこの小説です。これまで彼の三部作を読んできて感じるように、この作品でも彼の繊細な心理描写は精彩を放っています。

そして社会主義思想に熱中し、労働運動にのめり込むマーリンを一歩引いた目線で見守るティッサの存在も見逃せません。単に理想を掲げ資本家を批判する暴動を起こしたところで多くの一般市民は救われないということを彼は見抜いています。「ではどうしたらよいのか?」そうした問いを抱えながらマーリンやティッサ、そして医者のアラウィンダはそれぞれ懸命に生き抜こうとします。

単に「資本家は邪悪な存在だ。奴等を倒せばすべて解決する」で終わらせないところにウィクラマシンハの深い人間洞察があるように私は感じました。

長きにわたる植民地支配とカースト問題、民族対立、格差拡大、政治混乱など、激動の時代を生きるスリランカをウィクラマシンハはこの三部作で描いています。

ウィクラマシンハの小説はスリランカの姿を知るのに最高の手引きとなることでしょう。

マーティン・ウィクラマシンハ『蓮の道』

蓮の道

上で紹介した三部作がとにかく素晴らしく、私もすっかりウィクラマシンハのファンとなってしまったのですが、ここで紹介する『蓮の道』もウィクラマシンハらしさを感じながらも、上の三部作とはまた少し違った雰囲気を味わえる作品となっています。

と言いますのも、上の三部作は20世紀前半のスリランカ社会を描き出すという、いわばジャーナリスティックな側面もある小説でした。

それに対し本作『蓮の道』はあるひとりの人間の内面に深く深く潜っていきます。この小説ではこれといった大きな事件は起きません。ですが繊細で複雑な内面を持つ主人公の心の動きが実に巧みに描かれています。

この作品を読みながら私の中に浮かんできたのは「あぁ・・・!文学だなぁ・・・!」という念です。

文学です。THE 文学です。

スリランカ文学の金字塔と呼ばれるこの作品。なるほど、これは奥深い作品です。

エディリヴィーラ・サラッチャンドラ『亡き人』

亡き人

私がこの作品を手に取ったのは以前当ブログでも紹介した庄野護『スリランカ学の冒険』で次のように紹介されていたのがきっかけでした。

テレビを媒体にして、「おしん」はスリランカでもっとも有名な日本女性の名前となった。けれども「おしん」がスリランカに登場するまで「のり子」が一番人気であった。コロンボの通りには、「NORIKO」と記した看板を掲げる女性洋品店が何軒もある。というのも、スリランカの有名な現代小説の中に「典子」という名前の日本女性が描かれているからだ。

作家エディリヴィーラ・サラッチャンドラの、日本を舞台とした小説『マラギ・アット(亡き人)』(一九五九年)、『マランゲ・アウルダ(亡き人の命日、日本語題は「お命日」)』(一九六五年)がそれである。それら二篇はこれまでもっとも読まれてきたシンハラ小説だろう。日本語版では「亡き人」「お命日」を一部、二部として一巻の小説に編んで刊行されている。訳者はシンハラ文学研究をライフワークとする野口忠司さん。野口さんはぺラデニヤ大学でシンハラ文学を専攻した。

ロンドン帰りのスリランカ人画家と、日本人女性との出会いと別れ。物語の舞台は、スリランカが日本より経済的にも豊かであった一九五〇年代の東京都世田谷区奥沢。その時代、スリランカ人と日本人は今よりもっと対等に出会えたのかもしれない。

居酒屋「ミドリ」で働く典子と出会った画家、デウェンドラはゆるやかに恋に落ちてゆく。日本に暮らす主人公のスリランカ人は、招かれて一年間を日本で過ごした作家の分身と思われる。典子とスリランカ人の画家が語り合うのは、日本の伝統芸能である歌舞伎、茶の湯、日本料理などについてだ。浮世絵にひかれる画家は日本に来て木版画を学んでいた。

「日本に着くや一番に気付いたことは、何処を向いても豊かな色彩が私の眼を刺激し、このような国をかつて見たことがなかったことだ。マッチ箱や茶碗のように日頃自分たちが用いる小間物まで見事な造形をなし、その上美しい色が塗り込められ、こうした美に取り囲まれて生きているこの姿こそ、日本人が尊ぶ究極の美意識と私には映じた。」

シンハラ人読者はこの小説を通して日本を学んだ。色彩感覚に満ちた文章表現は読者を魅了し、ベストセラーとなった。(中略)

この小説は一九六〇年代から七〇年代にかけて一部が教科書に掲載され、当時のスリランカ人青年の日本認識に大きな影響を与えた。

「のり子を知っているか」

と、スリランカ人から突然尋ねられたりするのはこの小説の影響力を示すものだ。

南船北馬舎、庄野護『スリランカ学の冒険』P171-174

あの「おしん」を超える影響力を持っていたスリランカ小説があったとは驚きでした。

著者のサラッチャンドラは実際に1955年に日本を訪れており、その時の強烈な体験が本書にも強く作用していることがうかがわれます。

特に第一部の「亡き人」では語りの主体がスリランカ人画家のデウェンドラにあります。異邦人の彼から見た当時の日本がどのようなものだったかが非常に鮮明に描かれています。その一端はすでに上の解説でも垣間見ることができますが、当時のスリランカ人はこの小説を読んで日本という国をイメージしていたわけです。

当時のスリランカ人が日本をどう見ていたのかということを知る上でもこの作品は貴重なものになるに違いない、そう思い私はこの本を手に取ったのでありました。

そして実際に読んでみて、著者のサラッチャンドラが日本人女性の心や日本特有の精神風土、職場環境をどうやってこんなにも詳しく描くことができたのかと不思議でなりません。。私がスリランカに行ったとしてここまで詳しくその社会を観察できるかというと全く自信がありません。サラッチャンドラの観察力、洞察力には脱帽するしかありません。

ウィクラマシンハと並ぶスリランカの二大巨頭の作品をこうして味わえてとても有意義な時間を過ごすことができました。

エディリヴィーラ・サラッチャンドラ『明日はそんなに暗くない』

明日はそんなに暗くない

今作『明日はそんなに暗くない』は日本を舞台にした『亡き人』と打って変わってスリランカを揺るがせた1971年の武装蜂起を題材にした作品です。

私がこの本を手に取ったのは1971年の暴動について知りたかったからではなく、サラッチャンドラの小説が『亡き人』の他にも日本語で読めるのだという好奇心からでした。

ですがこの「日本の読者のために」を読んで、「スリランカも日本と同じようにマルクス思想に刺激を受けた学生たちが武装蜂起を行っていたのか」と私は衝撃を受けました。

しかもこの1971年といえばまさに日本でも学生紛争が起きていた時期と近いです。

私はこれまで澁谷利雄『スリランカ現代誌』や杉本良男『仏教モダニズムの遺産』、などスリランカの内戦についての本を読んできましたが、スリランカにおける暴動や内戦は仏教ナショナリズムや民族対立によるものだというイメージが強く頭の中にありました。

ですがこの1971年の武装蜂起は明らかにマルクス主義思想に影響を受けた学生たちによる階級闘争の側面があったことをこの小説を通じて痛烈に知ることになりました。

やはりマルクスはここでも顔を出してきたか・・・と私は頭を抱えることになりました。

と言いますのも、私は以前「親鸞とドストエフスキー」をテーマに学ぶ中でマルクスについても学ぶことになりました。そしてその中で「マルクスは宗教的現象か」という問いを立てて記事を更新しました。

そしてその中で日本の学生紛争についても知ることになり、なぜ学生たちがあれほど闘争を繰り広げ、テロリストが多くの事件を起こしたのかを学ぶことになりました。この小説で描かれた世界はまさにそれらと重なるように感じられました。

「スリランカでも同じことが起きていたのか・・・」

「スリランカでの内戦はシンハラ仏教ナショナリズムが主要なものと考えていたが、どうもそれは単純に考えすぎていたのかもしれない・・・」

そんな思いが私の中に浮かんできました。

実は私がこの本を手に取ったのはインド・スリランカへ向けて出発するまさにその2日前だったのです。まさにぎりぎりのタイミングでこの本が私のもとに届いたのです。

さすがにもう時間もないし読めないかなと思いつつも試しにこの「日本の読者のために」を読んでみて仰天でした。「これは読むしかない!」と出発の準備やら何やらも全部放り出して私は一気にこの本を読み耽ったのでした。

出発前にこの本と出会えて本当によかったです。この本を読めたことでスリランカに対する思いがより深まったように感じます。やはりマルクスの影響力はここでも強力に若者たちの心を捉えていたのです。

そしてこの小説の見事な点はそれを単一の視点で見ていくのではなく、主人公の博士や学生達、教授陣や警察など様々な立場から1971年の武装蜂起を描いている点にあります。さらに学生達や教授陣といっても一人一人思っていることやその立場も違います。杓子定規にそれらを描くのではなく実際の生活に即してリアルに事の展開を描いているように私には感じられました。

博士は学生達に理解を示しながらも、抗いようもなく事態が悪化していく恐怖に苦しむことになります。その恐怖や戸惑いを私たち読者も共有していくことになります。

読んでいると頭を抱えたくなる言葉がどんどん出てきます。マルクス主義は憎悪を煽ります。その憎悪に基づいた破壊と殺戮の後、本当に世の中はよくなるのでしょうか。結局革命のエリート達がその権力の位置に居座り、さらに苦しい世の中になるのではないでしょうか。ソ連や旧共産圏の歴史を学ぶとその恐怖を感じざるを得ません。

この小説とこのタイミングで出会えたことに縁を感じずにはいられません。スリランカに行く前に、私はこの小説を読まねばならなかったのだと強く感じています。

日本の学生紛争について考える上でもこの作品は非常に重要な示唆を与えてくれる作品です。

小説としても非常に読みやすく、私も一気に読み切ってしまいました。さすがスリランカを代表する作家です。

竹内慶夫編訳『セレンディップの三人の王子たち』

セレンディップ

ここからは正確にはスリランカの文学ではありませんが、スリランカについてのおすすめ文学作品をご紹介します。

『セレンディップの三人の王子たち』はセレンディピティという言葉の語源となった物語として知られています。

「求めてもいないものを偶然と英知で発見してゆく」

これがセレンディピティという言葉の意味になります。

そして意外なことに、本書『セレンディップの三人の王子たち』自体はスリランカで語られたものではなく、ペルシアで語られていたスリランカのおとぎ話になります。あくまでスリランカは王子たちの出身国でその舞台になったというのにすぎません。ですが当時のペルシア人からしてもスリランカには何かそうした憧れや楽園的なものを想像させるものがあったのでしょう。

この本ではイラストも挿入され、漢字のふりがなも振られていますので子供でもすらすら読み進めていくことができます。お子さんの教育にも、もちろん学生や大人にもおすすめの一冊です。

有名なセレンディピティという言葉の大元となった作品を読めるというのはなかなかに刺激的な体験です。

私の場合はさらにスリランカについてもっと知りたいという思いもありましたのでさらに興味深い読書となりました。

アーサー・C・クラーク『スリランカから世界を眺めて』

スリランカから世界を眺めて

アーサー・C・クラークはスタンリー・キューブリックと共にあの『2001年宇宙の旅』を手掛けたSF界の巨匠です。

そのアーサー・C・クラークがなんとスリランカを愛し、スリランカへの想いを述べたエッセイを書いていた!

それを知った私は迷うことなくこの一冊を手に取ったのでありました。

本書は「セレンディピティのこと」というエッセイから始まります。このセレンディピティという言葉はまさにスリランカゆかりの言葉であります。「何かを探し求めていると、思いがけない掘り出し物が見つかる」これがセレンディピティです。この言葉は元々スリランカの呼び名であった「セレンディップ」から来ています。アーサー・C・クラークはまずこの本の冒頭でこの言葉の由来を語り、そして彼自身がスリランカという島をセレンディピティ的に発見することになったいきさつを述べていきます。

そして本書中盤ではスリランカについての紹介がおよそ20ページにわたって語られていて、これが巨匠ならではの素晴らしい解説となっています。

スリランカについて知りたい私としてはこの国に関する珠玉のエッセイを読むことができて大満足でした。

『2001年宇宙の旅』は多くの人が知る名作中の名作ですが、この作者がスリランカを愛していたというのは私も今回初めて知ることになりました。きっと皆さんの中にも驚かれた方もおられるのではないでしょうか。これをきっかけにスリランカについて興味を持って頂けましたら私としても嬉しい限りでございます。ぜひおすすめしたい一冊です。

おわりに

さて、ここまで様々なジャンルのスリランカ本をご紹介しましたがいかがだったでしょうか。

今回の記事で紹介しきれなかった本もまだまだたくさんあります。

より深くスリランカ仏教について学ぶのにもってこいの本も当ブログでは紹介していますのでぜひこちらのカテゴリーページを参照して頂けたらと思います。

スリランカは面白い!自分でもここまでのめり込むことになるとは想像していませんでした。日本という国を考える上でもこの国は非常に重要な比較対象になることでしょう。

以上、「仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧~仏教・歴史・文学など、知られざる魅力をご紹介!」でした。

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