M・ウィクラマシンハ『変わりゆく村』あらすじと感想~スリランカの傑作長編!ドストエフスキーやチェーホフとの関連も!

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マーティン・ウィクラマシンハ『変わりゆく村』あらすじと感想~スリランカの大作家による傑作長編!ドストエフスキーやチェーホフ『桜の園』との関連も!

今回ご紹介するのは1944年にマーティン・ウィクラマシンハによって発表された『変わりゆく村』です。私が読んだのは2010年に財団法人 大同生命国際文化基金より発行された野口忠司、縫田健一訳の『変わりゆく村』です。

早速この本について見ていきましょう。

本書は、スリランカを代表する作家マーティン・ウィクラマシンハが、20世紀前半のスリランカ南部の村を舞台として、旧家三代の栄枯盛衰を描いた大作(三部作)の第一作目です。英国植民地であった20世紀初頭のスリランカでは、西ヨーロッパ文化の摂取により、社会・経済構造に変化の波が押し寄せていました。そのような時代を背景に、地方貴族階級の崩壊と伝統文化の衰退が、若い世代の恋愛観と共に描かれています。

財団法人 大同生命国際文化基金商品紹介ページより
マーティン・ウィクラマシンハ(1890-1976)Wikipediaより

本作の著者マーティン・ウィクラマシンハは日本ではあまり知られていませんが、スリランカを代表する世界的な作家として知られています。私自身も今回スリランカを学ぶ中でその存在を知ることとなりました。

ウィクラマシンハのプロフィールを紹介します。

1890年生まれ。1900年近郊の都市ゴールのボナウィスター学校に入学。1902年ボナウィスター学校を中退。1903年小冊子『バーローパデェーシャヤ』出版。1914年『リーラー』(最初の小説)出版。1946年ディナミナ新聞の編集ポストなどを辞め、職業作家として本格的な文学活動を開始。1957年小説『ウィラーガヤ』ドン・ペードゥリック賞を受賞。1960年ウィッデョーダヤ大学より文学博士号授与。1965年インド映画祭で『変わりゆく村』黄金孔雀賞など三部門で賞を獲得。ウィッディヤーランカーラ大学より文学博士号授与。1970年セイロン大学(コロンボ・キャンパス)より文学博士号授与。1974年スリランカ大統領賞受賞。1976年7月23日、コロンボ近郊ナーワラの自宅で死歿。86歳(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

Amazon商品紹介ページより

さて、本書『変わりゆく村』は20世紀前半のスリランカを舞台にした三部作の第一作目になります。この三部作について巻末解説では次のようにまとめられています。

マーティン・ウィクラマシンハには、二十世紀前半のスリランカ南部の村を舞台とした代表作『変わりゆく村』『変革の時代』『時の終焉』という三部からなる大作がある。第一部では、村の伝統を固持しようとする中流階級の旧家を中心に、商人ら資産階級との対峙が描かれる。西ヨーロッパ文化の摂取による社会・経済構造の変化を背景に、伝統文化の衰退が若い世代の恋愛観と共に展開される。第二部では、世代が変わり、コロンボへ出て上流階級の仲間入りをした家族の悲劇が描かれる。地位や名誉を渇望する父、奢侈放逸な社交に明け暮れる、英語もろくにできない母、そして両親の虚像に愛想をつかした息子の苦悩などを通して、世代を経た家族の過去と現在が浮き彫りにされる。そして第三部では、労働者階級の誕生と共に各地で労働争議が展開されるなど、これまでの資産階級の崩壊、村社会の革新といった激動期へと入っていく。

これらの作品には人物同士の憎悪、愛の葛藤や離合という心理分析や、労働争議といった、時代の流れと社会主義的な思想の片鱗が巧妙に描かれている。かつて強い共感を受けた評論家が、この三部作をドストエフスキーの世界を彷彿すると指摘したことがあるが、それは十分頷けよう。なおこの三部作が一九六五年、ロシア語に翻訳、出版されている点も興味深い。

財団法人 大同生命国際文化基金、マーティン・ウィクラマシンハ著、野口忠司、縫田健一訳『変わりゆく村』P297

本書『変わりゆく村』ではスリランカにおけるカースト制度の実態を知ることとなります。スリランカにおけるカースト制については以前紹介した川島耕司著『スリランカと民族―シンハラ・ナショナリズムの形成とマイノリティ集団』『スリランカ政治とカースト—N.Q.ダヤスとその時代 1956~1965―』でも詳しく説かれていますが、それを生きた物語として体感できるのが本作になります。

「スリランカはインドと違ってカースト制度がそこまでない」と言われがちですが、生活レベルでは現在でも明らかにカーストの影響が根強く残っていると上の2冊で解説されていましたが、本書でもまさにそんなシーンが多々描かれます。特に結婚を巡る問題でカーストは顔を覗かせていて、「カーストの驕り」という言葉でウィクラマシンハはそれを象徴的に描いています。

参考書だけでは感じることのできない生々しい実態を物語で知れるのが小説の素晴らしい点です。スリランカを生活レベルでより感じられるありがたい機会となりました。

そして上の引用の最後に書かれていた部分を読んで驚かれた方もおられるのではないでしょうか。

なんと、この小説はあのドストエフスキーとも大きなつながりがあるのです。

巻末解説に詳しく述べられているのですが、スリランカのエリート階級はイギリス統治が始まった19世紀から英語が堪能です。そのため西洋文学が盛んに読まれてきたという歴史があります。

スウィフトや、ハーディ、ディケンズ、ユゴー、アナトール・フランス、モーパッサン、プーシキン、ゴーゴリ、ツルゲーネフ、ドストエフスキー、トルストイ、チェーホフ、ゴーリキーなどは特に読まれていた作家たちだそうです。

そして訳者はこう指摘しています。

マーティン・ウィクラマシンハがロシア文学に傾倒した要因を探るには今後の精細な研究を待たねばならず、現時点では断言できないが、たとえば、社会的な弱者への同情や人間心理の矛盾と相剋を追求し、人間性回復への願望を訴えたドストエフスキーの『貧しき人々』『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』『白痴』など、作中人物の心に潜む観念の広大無辺さと強大さに、おそらく魅了されたにちがいない。

財団法人 大同生命国際文化基金、マーティン・ウィクラマシンハ著、野口忠司、縫田健一訳『変わりゆく村』P296

心理描写然り、癖のある登場人物然り、部屋の中で展開されていく会話心理劇然り、たしかに私もこの『変わりゆく村』を読んでドストエフスキー的なものを感じました。

ただ、それ以上に本作を読んで感じたのはチェーホフの『桜の園』の雰囲気です。

ウィクラマシンハはチェーホフにも造詣が深く、その演劇についてのコメントも多く残しています。

この『桜の園』では時代に取り残されていくのんきな田舎貴族と、現実的な新興商人ロパーヒンの対比が描かれていますが、まさに『変わりゆく村』でもその構図が描かれています。

時代に取り残され崩壊していく旧家と新興商人。そこにスリランカ特有のカースト制度が絡んできます。

ロシア文学の影響を受けながらもスリランカ特有の時代相を描こうという試みがうかがえます。

最後に巻末の「訳者あとがき」から本書についての言葉を紹介していきます。

今から数年前、大同生命国際文化基金が企画されている「アジアの現代文芸」翻訳者懇談会にご招待を受けた際、同シリーズにかつて登場したことのないスリランカ/シンハラ文学作品を翻訳してはいかがかと、専務理事(当時)の橋口隆氏より直にお誘いを受けた。そのときの天にも昇る心地を今なお鮮明に記憶している。どの作品を選択するかについては全く心に迷いはなかった。というのは、現代シンハラ文学史上不滅の偉業を成し遂げたマーティン・ウィクラマシンハ氏の一家三世代に亘る栄枯盛衰の歴史を描いた大作『変わりゆく村』『変革の時代』『時の終焉』の三部作以外、脳裏に浮かぶ作品はなかったからだ。そのとき、橋口氏とは初対面であったにも拘わらず快諾を得られたことは、スリランカ/シンハラ文学界にとって、まさに歴史的な出来事であった。

解説で少し触れたように、この三部作は一九六五年マーティン・ウィクラマシンハが七十五歳のとき、ニ人のロシア人の手によりロシア語に翻訳された。モスクワでは発刊とほぼ同時に十万部が売れたという記録が今も残されている。一方、スリランカ映画界の巨匠レスター・ジェームス・ピーリス監督も早くからこの三部作の映画化に熱い執念を燃やしていた。そして、彼は「変わりゆく村」(一九六三)、「変革の時代」(一九八三)、「時の終焉」(一九八五)と三作品すべてを映像化して観客に語りかけ、絶賛を博した。一九六五年、ニューデリーで開催された第三回インド国際映画祭で、「変わりゆく村」は金孔雀賞、一九八六年、国内では「時の終焉」が最優秀映画賞に輝くなど、数多くの部門で賞を獲得し、国際的にも注目を集めた。この三本の映画フィルムは、現在福岡市総合図書館設置の映像ライブラリーに収集、保存されている。

このたび、このような三部作を邦訳する機会を与えられた幸運を、共訳者共々何よりも嬉しく思っている。カースト制度が絡み合う村の因習、それに伴う民族固有の資質、時の流れに添って変貌するシンハラ人社会の空気、さらに虹のごとく、分散した色を鮮明に区別し難い登場人物の性格描写など、きめ細かく理解するうえで、行間を解くことがいかに重要かも改めて思い知らされた。翻訳に際しては、野口、縫田が意見を互いに交換し合い、幾度となく手直しを重ね、著者の意図に添うように最大限の注意と努力を払った。一人でも多くの読者にこの作品を味わってもらえれば幸甚である。

財団法人 大同生命国際文化基金、マーティン・ウィクラマシンハ著、野口忠司、縫田健一訳『変わりゆく村』P300-301

日本ではあまり知られていない作品ですが、世界的にも評価されている素晴らしい小説です。私も実際に読んでみてその素晴らしさを堪能することとなりました。

スリランカでの生活が目の前に現れるかのような、没入感の強い小説です。ドストエフスキーやチェーホフが好きな方には特にフィットする作品だと思います。

これからこの三部作全てを読んでいきますが、そのスタートからして圧倒的なクオリティを感じた一冊でした。ぜひ皆さんも手に取ってみてはいかがでしょうか。

以上、「M・ウィクラマシンハ『変わりゆく村』あらすじと感想~スリランカの傑作長編!ドストエフスキーやチェーホフとの関連も!」でした。

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