庄野護『スリランカ学の冒険』~意外な視点から見ていくスリランカ入門書!セレンディピティに溢れた一冊!

スリランカ学の冒険 スリランカ、ネパール、東南アジアの仏教

庄野護『スリランカ学の冒険』概要と感想~意外な視点から見ていくスリランカ入門書!新セレンディピティに溢れた一冊!

今回ご紹介するのは2013年に南船北馬舎より発行された庄野護著『スリランカ学の冒険』です。

早速この本について見ていきましょう。

「スリランカの人と風土の体験的解読」 言語・民族・コミュニティ・政治・経済・宗教・歴史・文学・動物・食・病・伝承・風俗…から、内戦後の喫緊の課題である平和学まで、さまざまなジャンルを縦横無尽に駆けめぐりながら、著者独自の手法と、身近なテーマで、体験的・精細にスリランカ社会を読み解いた、スリランカ入門の決定版。1996年刊行の初版を改訂し、新しく書き下ろしを追加収録した〈新版〉です。

Amazon商品紹介ページより

本書はこの記事のタイトルにありますように意外な切り口から語られるスリランカを知ることができます。上の目次を見て頂ければわかりますように、「カシューナッツの流通学」「漱石のカレー学」「カラスの生態学」など、パッと見ただけでは「これのどこがスリランカ?」と思ってしまうかもしれませんがこれが見事にスリランカ世界を知る手掛かりとなるのですからお見事としか言いようがありません。ものすごく面白いです。

本書の「はじめに」ではこの本について著者は次のように述べています。

スリランカは今でも一九七二年以前の国名である「セイロン」と呼ばれることが多いが、さらに歴史をたどれば海のシルクロードの時代、「セレンディップ」としてアラブ商人には知られていた。

その時代、マルコ・ポーロをして「この大きさの島のなかでは世界で一番すばらしいところだ」といわしめている。一四世紀のローマ法王の使節の記録には「土地の伝承によれば、セイロンからパラダイス(天の楽園)までは四〇マイル。そこでは楽園の泉の音さえ聞こえよう」とある。

スリランカに住んでいた作家アーサー・C・クラークのメッセージは次のようなものだ。

「セイロン島は、ひとつの小宇宙だ。そこには、この十二倍もの面積を持つどこかの国に匹敵する、風景や、気候の変化がある。そこから何が得られるかは、あなたの行動しだいだ」

しかし、こんなのもある。

「セイロン島は鼻持ちならぬところだ」(Eric Linkletter)

セイロン島の古名セレンディップから派生して「セレンディピティ」ということばが生まれている。

セレンディピティとは、何かを探しているときに価値のある何か別のものを見つける能力を意味する。

たとえば、作家アーサー・C・クラークの場合は、美しい海へのあこがれでロンドンからオーストラリアのグレート・バリア・リーフをへ船で向かう途中、セイロンを〝発見〟した。以来「セイロン化」(セレンディピタイズド)への道を歩みはじめる。コロンボに居を構えた彼は、その海と歴史にイメージを喚起されて大量の小説を創作してきた。エッセイ集『スリランカから世界を眺めて』は「セレンディピティのこと」で第一章が始まる。作家のセイロン映画がなければ映画『二〇〇一年宇宙の旅』の原作もありえず、作家が助言者を務めてきた米国の宇宙開発の内容も違っていたかもしれない。

「セレンディピティ」(serendipity)ということばは、一八世紀イギリスの作家ホレス・ウォルポールがぺルシアのおとぎ話『セレンディップの三人の王子たち』からヒントを得て創造した新語である。物語の王子たちが求めていもしないものを偶然と英知で発見してゆく……。その様を表現するために「セレンディピティ」ということばが生まれた。

一七五四年にはじめて活字にされたあと、セレンディピティは英語の単語としての市民権を得た。今では語源を気にとめるひとも少ないと思う。だが、それは英語世界のことである。

一九九三年に「セレンディピティ」という、そのままの書名で日本語の本が出版された。かつての新語創作者には夢にも思えなかっただろう。

本書『スリランカ学の冒険』は「セレンディピティ」ということばを生み出した土地へのフィールドノートであり、スリランカのひとと風土についての体験的解読である。一つひとつのテーマをセレンディピティ的発見と出会いによって得てきた。いわば、個々のテーマとの出合いが私にとっての「セレンディピティ」であった。また、本書を自分流「総合的地域研究」と考えている。人間生活の総合体を意識しての「総合」である。テーマへの接近はさまざまな方法(スタイル)を援用した。よって「試論」とする。

楽しく読んでいただければ幸いです。

南船北馬舎、庄野護『スリランカ学の冒険』P7-9

この記事の冒頭でもお話ししましたが、私にとってもこの本はセレンディピティに溢れる出会いとなりました。

特に「親日のシンハラ文学」の章に出てきたサラッチャンドラの小説『亡き人』や「日本文学のなかのスリランカ」の岡村隆の小説『泥河の果てまで』は本書を読むまでその存在を知りませんでしたのでこれはありがたかったです。早速私もこれらの小説を読んでみることにしました。私は小説や本が大好きですのでこれらの文学作品にビビッと来ましたが、人それぞれきっと何かしらセレンディピティ的な出会いがあると思います。

上の目次を見て頂けますとわかりますように、とにかく多岐にわたってスリランカの姿を見ていくことになります。

これまでスリランカの本はかなり読んできたつもりでしたが改めてまだまだ面白いものがたくさんあるなと刺激をもらった一冊になりました。ぜひぜひおすすめしたい作品です。ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。

以上、「庄野護『スリランカ学の冒険』概要と感想~意外な視点から見ていくスリランカ入門書!新セレンディピティに溢れた一冊!」でした。

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