エミール・ゾラが想像をはるかに超えて面白かった件について―『居酒屋』の衝撃

エミール・ゾラとドストエフスキー

私はまず、エミール・ゾラの代表作『居酒屋』を読み始めました。

ゾラは1877年に出版されたこの作品をきっかけに作家としての地位を確かなものにします。

ゾラとはどのような作家なのか、それを知るにはこの作品を読むのが最もいい方法なのではないかと私は思ったのです。

さて、『居酒屋』はどんな小説なのか、裏表紙のあらすじを引用してみましょう。

「洗濯女ジェルヴェーズは、二人の子供とともに、帽子屋ランチェに棄てられ、ブリキ職人クーボーと結婚する。彼女は自らの洗濯屋を開くことを夢見て死にもの狂いで働き、慎ましい幸福を得るが、そこに再びランチェが割り込んでくる……。《ルーゴン・マッカール叢書》の第7巻にあたる本書は、19世紀パリ下層階級の悲惨な人間群像を描き出し、ゾラを自然主義文学の中心作家たらしめた力作。」

古賀照一訳、新潮社版

この小説は洗濯女ジェルヴェーズが貧しいながらも必死に働き、自分の店を開こうと奮闘し、念願の店を開店するもその後みじめな生活が始まっていくという、読んでいて辛くなるほど悲惨な物語です。

こう話していると、

「なんだ、ゾラって暗くて面白くなさそうじゃん」

そう思われた方もおられるかもしれません。

ですが、それが違うんです。

読んでいるといつの間にか引き付けられ、時間を忘れてしまうほどのめり込んでしまうのです。悲惨な内容にも関わらず。

たしかに描いている対象は悲惨です。

ですが不思議とページをめくる手が止まらないのです。いや、むしろ加速していくと言っても過言ではありません。

これはなぜなのでしょうか。私はいろいろ考えてみたのですが、おそらくゾラの小説がまるで映画のように読めるからなのではないかと思いました。

情景描写が巧みで、読んでいると目の前にその風景が実際に現れてくるような感覚になります。言うならば、脳内で映画が再生されているかのような感覚です。

見えるんです。風景が。登場人物の動きが。

しかもさらにすごいのがゾラは五感すべてに働きかけてきます。

特に匂い。ゾラは匂いの描写を多用し、しかもその効果がまた絶妙です。小説の流れや登場人物の心理を「匂い」によって絶妙にほのめかすのです。

物語を映画のように目の前に展開し、しかも匂いや音など全身感覚として私たちを誘い込むのがゾラの特徴です。

言葉の力ってものすごいですね。

『居酒屋』の中でも特に印象に残ったシーンに主人公ジェルヴェーズが洗濯場で他の女と取っ組み合いの激しい喧嘩をする場面があります。

共同洗濯場のがやがやした雰囲気、飛び散る水しぶき、喧嘩の激しさ、そしてそれを取り巻く背景の描写、光の加減など、もう見事としか言いようがありません。

喧嘩の激しさが映画のように目の前に現れてきます。その様子は今でも私の中に焼き付いています。

個人的にはこの喧嘩のシーンが私の中のハイライトです。ゾラのすごさが一発でわかるものすごいシーンでした。

『居酒屋』があまりに強烈だったので私は読み終わるとすぐさまその続編にあたる『ナナ』に取り掛かりました。

いや~参りました。

『ナナ』もまたとんでもない小説でした。

物語自体は『居酒屋』と同じく悲惨です。しかしゾラはまたしても私を映画のような世界に引き込んでしまうのでありました。

これはもう間違いありません。

ゾラは恐るべき作家です。

この人は間違いなく読む価値がある…

私はエミール・ゾラという作家に強烈に惹き付けられてしまったことを感じました。

そしてゾラのことを調べてみると、先ほどのあらすじにも出てきましたが彼は「ルーゴン・マッカール叢書」なるものを書き上げていることを知りました。

それは20冊から成る一連の作品群なのですが、『居酒屋』も『ナナ』もこの中の1冊にあたります。以前紹介したデパートはここから始まった!フランス第二帝政期と「ボン・マルシェ」の記事に出てきた『ボヌール・デ・ダム百貨店』もそうです。

そしてこの『ルーゴン・マッカール叢書』はまさしくゾラがフランス第二帝政期を20冊をかけてその姿を描き切るということを目的にして生まれたものだったのです。

これはもう決まりです。

「第二帝政期の社会をもっと知りたい」、私の求めていたものがまさしくここにあったのです。

エミール・ゾラの「ルーゴン・マッカール叢書」

ドストエフスキー研究には直接繋がることはなくとも、これは大きな意味がありそうだと私は感じています。

次回は「ルーゴン・マッカール叢書」とはどういうものなのかということをお話ししていきます。

以上、「エミール・ゾラが想像をはるかに超えて面白かった件について―『居酒屋』の衝撃」でした。

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