川島耕司『スリランカ政治とカースト』~政治と宗教、ナショナリズムの舞台裏を明らかにする衝撃の名著!

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川島耕司『スリランカ政治とカースト—N.Q.ダヤスとその時代 1956~1965―』概要と感想~政治と宗教、ナショナリズムの舞台裏を明らかにする衝撃の名著!

今回ご紹介するのは2019年に葦書房より発行された川島耕司著『スリランカ政治とカースト—N.Q.ダヤスとその時代 1956~1965―』です。

早速この本について見ていきましょう。

「シンハラ・オンリー」が争点となった1956年の総選挙とその後の諸政策はマイノリティの周縁化と内戦をもたらす重要な要因となった。低位のカーストでありながらエリート行政官となったN.Q.ダヤスはこの政治過程において主導的な役割を果たした。本書はこの人物を中心に,スリランカ政治における宗教,ナショナリズム,カーストの関連を明らかにするものである。

植民地時代に莫大な富を蓄積したカラーワ・カーストの人々は仏教復興運動に深く関与し,社会的,政治的地位の上昇を目指した。しかしイギリスからの権限委譲が進むにつれて,数的に圧倒する「高位カースト」であるゴイガマの政治的優越性はますます顕著になった。カラーワの富裕な一族に生まれたダヤスは,シンハラ仏教ナショナリズムというより高次なアイデンティティに訴えることで,カーストという特殊性を乗り越えようとした。この戦術は過激なナショナリズムを提示することで明らかにより有効に機能したが,それは同時に内戦への道を切り開く重要な一過程となった。

Amazon商品紹介ページより

まずはじめに言わせてください。

この本は衝撃の一冊です・・・!

私はこれまでスリランカの政治と宗教について、杉本良男『仏教モダニズムの遺産』や、澁谷利雄『スリランカ現代誌』、など様々な本を紹介してきました。

これらの本を読んで明らかとなったのは現代スリランカにおいて仏教ナショナリズムが強く政治と結びついていたことでした。その中でも特にその傾向を強めた政治家としてバンダーラナーヤカという人物がよく挙げられていましたが、その人物についての衝撃の事実が本書で語られることになります。彼はシンハラ仏教ナショナリズムを強烈に宣伝し、その勢いで1956年に選挙で大勝したことで知られていますが、そんな彼の背後に驚くべき人物が隠れていたのです。それが本書の副題にもなっているN.Q.ダヤスという人物だったのです。このN.Q.ダヤスという謎の人物を明らかにしていくのが本書の大きな主題です。このダヤスという人物に私は衝撃を受けたのでした。

また、本書タイトルにありますようにスリランカにおけるカーストについても非常に重要な指摘がなされていきます。

そのことについて著者は「はじめに」で次のように述べています。少し長くなりますが重要な箇所ですのでじっくりと読んでいきます。

スリランカ社会のもつ明確な特徴の一つは、カーストに言及すること自体が強力なタブーであることである。カーストはセンシティブな話題であり、日常会話のなかでは極力回避され、公的な議論のなかにもほとんど登場しない。スリランカ政治においては、個人の権利、女性の権利、あるいはエスニック・マイノリティの権利という議論は登場するが、マージナルな地位におかれたカーストに属する人々の権利という概念はほぼ存在しない。逆に、カースト間の平等に関する問題を提起しようとする試みはしばしば非難や叱責、あるいは侮蔑の対象となる。カーストを扱うことは、マナー違反であり、不必要で時代遅れであるとされる。あるいは、社会的結束への脅威であるとされ、意図的な社会的分断の手段であるとみられることさえある。

その結果、カーストに関わる問題があったとしても、著しく過小評価される。カーストに関してはスリランカ社会は十分に平等主義的であるとされ、カーストを識別することには意味がないというのが「スリランカ全体に渡る標準的な反応」となっている。実際、非常に頻繁にみられるのは、「スリランカのカーストはインドのそれほどは問題ではない」、あるいは「シンハラ社会においてはカーストは北部のタミル人社会ほどは深刻ではない」という主張である。こうした反応が生まれる背景についてカンナンガラは、カーストが後進的で非近代的で抑圧的であるために、そのことに当惑する人々は無視することを好むからだと述べている。

しかしカーストに関わる問題が存在しないわけでは決してない。スリランカのほとんどの人々はカーストを認識しているといわれる。日常会話に出ることはめったにないが、プライベート会話では言及されることはある。また揉め事が起きた時の罵りの言葉にも出ることもある。結婚に関しても、かつてほど厳格ではなくなってきているが、異カースト婚をできる限り避けようとする傾向は今も存在している。新聞の結婚相手を募集する広告には今でもカースト名が記されており、カーストへの配慮に無関係な事例はわずかである。たとえば、‟Bodhu Govi”あるいは‟BG”、つまり「仏教徒のゴイガマ」として学歴などとともに自らを紹介する結婚広告は多い。またニカーヤと呼ばれる仏教僧の集団においてもカーストが一定の役割を果たしていることは公然の事実である。低位力ーストにも得度を与えようとする動きがシャム・ニカーヤのなかにあることは確かであるが、少数派の主張にとどまっている。

低位であるとされるカーストの人々への差別や排除も明らかに問題である。スリランカでは人口の三割ほどが何らかのカースト差別を受けているといわれる。特に非常に低いとされていたカーストに属する人々は差別、禁止、排除といった扱いを多く受けてきた。たとえ教育を受けたとしても就職には困難がつきまとい、彼らは概して非常に貧しいといわれる。調理した食物を低位カーストの村民から受け取ることを高位カーストの仏教僧が拒否したり、子どもたちが学校において高位カーストの教員から差別を受けたりすることも少なくとも最近まではあった。多くの子どもたちは入学によって自らが低位カーストに属していることを知るのだという。ワフンプラやバトゥガマといった中位のカーストにおいても教育や就業機会に関する不満があった。

こうした経済的に恵まれない階層におけるカースト差別に加え、経済的に富裕であり政治的にもかなりの影響力をもつエリートの間におけるカースト問題も少なくとも二〇世紀半ばにおいては重要な問題であった。私企業においては多くの高位の役職は経営者のカーストに従う傾向があり、企業間の協力関係にはカーストが関わることがあった。政治的分野においてもエリート階層のカーストは同質化する傾向があり、地位が高くなればなるほどカーストが重要になったといわれる。政府の任用においては低位の役職ではカーストは無関係であったとしても、有力なエリートとなるとゴイガマが優勢となった。そのため非ゴイガマの間ではカーストが自らの昇進に不利に働くという不満があった。

実際、スリランカ政治においてはカーストは重要な要因の一つであった。カースト自体が政治的論点になることはなく、どの政党においても候補者がカーストを表明することはめったになかった。しかし非公式の政治的な会話においてはカーストはきわめて重要なテーマとなった。カースト内の結束やカースト間の対立は選挙時に明らかにみられたし、政府職や入植地の配分などにおいてもカーストへの配慮がみられた。そのため、政党はその選挙区のドミナントなカーストを候補者に指名することになっていた。その結果、チラウからタンガッラまでの南西沿岸部においては基本的に非ゴイガマが選出された。選挙区におけるカーストへの配慮は現在でも続いている。しかし、こうした沿岸部を除けば、ほとんどの地域においてゴイガマがきわめて有利であった。実際、シンハラ人議員の圧倒的多数はゴイガマであった。たとえば、ゴイガマの議員は、一九五六年七月の選挙で選ばれた全議員のうちの五七・六パーセント、シンハラ人議員の七二パーセントを占めていた。

さらに、先にも触れたように、カーストには地位が高くなるにつれその重要性が増すという特質があるといわれる。閣僚にさまざまなカーストの者が存在してきたことは事実である。しかし首相と重要閣僚のほとんどはゴイガマであった。一般に非ゴイガマの有力者が政党の中枢にいたとしてもゴイガマであることが首相の「暗黙の必須条件」であると考えられていた。そして実際、今日に至るまでスリランカの最高権力者、つまり首相と大統領のほぼすべてはゴイガマであった。

葦書房、川島耕司『スリランカ政治とカースト—N.Q.ダヤスとその時代 1956~1965―』P5-8

カーストというと私達は真っ先にインドを思い浮かべてしまいがちですが、実はスリランカにおいてもカーストは大きな影響力を持っていたのでした。

しかも厄介なことに、それが表向きには影響を与えていないことになっているとのこと。

たしかに「スリランカのカーストはインドのそれほどは問題ではない」という文脈で語られることが多いように私も感じてきました。

ですが本書を読んでいくとその実態がどういうものなのかがよくわかります。そして上の引用にありますように、それが政治的に極めて重要な意味を持っていたことを知ることとなります。

このスリランカにおけるカースト問題はスリランカを代表する作家マーティン・ウィクラマシンハの小説『変わりゆく村』でもはっきり描かれていました。まさに生活レベルでこうしたカーストの問題があったことをこの小説で私も実感することとなりました。

そして上の引用の後に、冒頭でお話ししたN.Q.ダヤスのお話が出てきます。こちらも長くなりますがぜひ紹介したい箇所ですのでじっくり読んでいきます。

このように政治とカーストの関係がメディアで話題になることは例外的なことであり、報道されることは非常にまれである。しかし、ゴイガマが有利であるとされる状況が存在してきたことはおそらく間違いがない。このことは政治にどのような影響を与えたのであろうか。あるいは、非ゴイガマのエリートはこの状況にどのように対応したのであろうか。こうしたカーストと政治の問題を検討するのが本書のテーマである。特に本書においては一九五六年の政治変革を中心にカラーワ・カーストに属するN・Q・ダヤスという人物に注目したい。カラーワは、サラーガマやドゥラーワ(この三つでしばしばKSDカーストと称される)とともに植民地時代以降大きくその地位を向上させた。カラーワのエリートたちのなかには、その収入、教育、土地所有においてゴイガマのエリートたちをはるかにしのぐ一族も登場した。しかし政治的側面においてはカラーワたちの試みは必ずしも成功せず、特に一九三一年の普通選挙制度導入以降、シンハラ社会の約半数を占める最高位カーストであるゴイガマの優越的地位はますます明確になった。カラーワのエリートの一人であるダヤスがこの状況にどのように対応したかを明らかにすることが本書の主要な目的である。

N・Q・ダヤスに注目するのは、彼が一九五六年の政治変革や六〇年代のシンハラ仏教ナショナリズムに基づく政策の実現に大きく関わったからでもある。もちろんそれらはその後の民族問題の展開に明らかに重要な影響を与えた。周知のように、S・W・R・D・バンダーラナーヤカが「シンハラ・オンリー」政策を掲げて政権を握り、彼の死後、妻のバンダーラナーヤカ夫人がタミル人の抵抗への対決姿勢を明確化し、シンハラ仏教徒中心的な政策を推し進めたことは民族間の関係悪化を大きく促す要因となった。そしてこのどちらにもダヤスは深く関わっていた。民族問題の展開に与えた彼の影響は明らかに大きい。しかしながら、ダヤスや彼の周囲の人々の活動が果たした役割に関しては断片的な記述はあるものの、十分に検討されているとはいえない。

ダヤスに関心を向けるのは、民族紛争の深刻化過程においてエリートが果たした役割の検討が十分ではないと思われるからでもある。一般的にいって、マイケル・ブラウンが指摘するように、国内的な紛争の原因に関しては、政治、経済、社会といったマス・レベルの説明が好まれ、エリートやリーダーの果たした役割が注目されることは少なかった。しかしながら、多くの紛争は明らかにエリート・レべルの要因が引き金となって発生している。紛争の深刻化に果たしたエリートの役割は間違いなく大きい。ブラウンがいうように、ある意味「悪いリーダーは最大の問題」である。もちろんマス・レべルの要因が紛争の基底にあることは間違いないのであるが、誰が対立を煽ったのか、あるいは誰がどのように紛争に向けて舵を切ったかという視点はきわめて重要であろう。そしてブラウンが主張するように、その解明には十分には関心が払われてこなかった。スリランカにおいてもこの指摘は十分に当てはまると思われる。ジェームズ・マナーによるS・W・R・D・バンダーラナーヤカに関する研究、あるいはK・M・ダ・シルワとリギンズによるJ・R・ジャヤワルダナ(大統領、一九七八~一九八九年)に関する研究等はあるものの、個々のエリートに焦点を当てた研究は未だ明らかに不十分である。先述したようにN・Q・ダヤスに関してはほとんど研究がなされていない。

主に用いた一次史料は、イギリスの国立公文書館に所蔵されている自治領省(Dominion Office)などの行政文書である。スリランカは独立後の一時期には自治領(Dominion)、その後には英連邦王国(Commonwealth Realm)としてイギリスとの関係を保った。こうした制度的なつながりに加え、両国の間には緊密な経済的関係があった。独立後もスリランカ(当時はセイロン)はイギリスの重要な貿易相手国であったし、さまざまな形でこの島に権益をもつイギリス人たちは多かった。彼らは茶園、銀行、その他のビジネスを所有していたし、スリランカで働くイギリス人も多かった。スリランカからの送金を得ているイギリス人も多数あった。このような政治的、経済的関係の深さからイギリス政府は独立後もこの旧植民地に大きな関心を持ち続けた。そのため、独立後のスリランカの政治的、経済的状況に関するきわめて多くの行政文書がイギリスには保管されている。しかしながら、学術的に利用されている文献は植民地省時代のそれに比べ明らかに少ない。本書はこれらの史料を主に用いて、独立後のきわめて重要な時期におけるスリランカ政治のあり方を、特にカーストと政治という視点から検討しようとするものである。

葦書房、川島耕司『スリランカ政治とカースト—N.Q.ダヤスとその時代 1956~1965―』P9ー12

「誰が対立を煽ったのか、あるいは誰がどのように紛争に向けて舵を切ったかという視点はきわめて重要であろう。」

まさしくこの一語に尽きます。

私はこれまで、それが1956年に選挙で大勝したバンダーラナーヤカだと思っていたのです。

しかし違ったのです。その背後にN.Q.ダヤスという恐るべき人物がいたのです。

高級文官であったエリートのダヤスは驚異的な組織力を発揮し、仏教をナショナリズムと結びつけて暗躍します。そしてついには国の文化局長というポストにまで上り詰め、シンハラオンリー政策のブレーンとなっていきます。

政治の表に出てくるバンダーラナーヤカだけがシンハラ・ナショナリズムの煽動家ではないのです。

しかも驚いたことに、バンダーラナーヤカ自身は行き過ぎたシンハラ・オンリー政策にそもそも反対していたということすら本書では明らかになります。これはショッキングでした。

私としては政権獲得後に民族対立が危機的な状況になってしまい慌てて自身の政策を翻してタミル人と協定を結ぼうとしたと思い込んでいたのですが、そもそも彼が過激な政策を取ろうとしていなかったとは思ってもいませんでした。本書を読んで本当によかったなと思います。これには驚きでした。

上の引用にありましたように、今まで顧みられてこなかった資料を丹念に読み込んだ著者ならではの新たなスリランカ政治史がここにあります。

これは政治と宗教を考える上でも非常に重要な作品であると私は強く感じます。

ものすごい本と出会ってしまいました。

川島耕司氏の前著『スリランカと民族—シンハラ・ナショナリズムの形成とマイノリティ集団—』も素晴らしい作品でしたが、本書もこれまたものすごい名著です。ぜひぜひ多くの方に手に取って頂きたい作品です。強くおすすめします。

以上、「川島耕司『スリランカ政治とカースト』~政治と宗教、ナショナリズムの舞台裏を明らかにする衝撃の名著!」でした。

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