ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

ドストエフスキーの旅ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

上田隆弘『ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行』記事一覧~目次としてご利用ください

この記事では私のヨーロッパ旅行記『ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行』の記事30本をまとめています。

私はドストエフスキーが好きです。ですが、何よりも「アンナ夫人といるドストエフスキー」が好きです。 そんな二人の旅路が少しでも多くの人の目に触れるきっかけとなったらこんなに嬉しいことはありません。

らんまんとドストエフスキードストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

借金取りを撃退した『らんまん』の寿恵子さんとドストエフスキーの妻アンナ夫人がそっくりなのではないかという件について

今週のNHK朝ドラ『らんまん』で借金取りを見事に追い返した寿恵子さんを見て、私はドストエフスキーの妻アンナ夫人を連想せずにはいられませんでした。

アンナ夫人も生活能力ゼロのドストエフスキーを支え、原稿の清書、出版まで手掛け、さらには借金取りも撃退しています。

この記事ではそんな二人の共通点やドストエフスキー夫妻の意外な一面についてお話ししていきます。

ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

「ドストエフスキーの旅」を終えた私の思いと今後のブログ更新について~当ブログを訪れた皆さんへのメッセージにかえて

私はドストエフスキーが好きです。ですが、何よりも「アンナ夫人といるドストエフスキー」が好きです。 そんな二人の旅路が少しでも多くの人の目に触れるきっかけとなったらこんなに嬉しいことはありません。

この後、当ブログではローマについての記事を更新していきますが、私個人としてはこれから仏教の研究に突入していきます。いよいよ私は本丸に帰ってきました。インド、アジア、中国、日本とこれから仏教が伝えられてきたルートに沿ってその歴史と思想、文化を学んでいきます。そしてその最終目的は親鸞聖人の伝記小説を書くことにあります。私の研究もいよいよ新たな局面を迎えます。4年近くにわたった「親鸞とドストエフスキー」の研究に一片の悔いもありません。

ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

(29)最愛の子アリョーシャの急死と『カラマーゾフの兄弟』のつながり~子煩悩の父としてのドストエフスキー

前回の記事では愛妻家ドストエフスキーの姿をご紹介しました。

そして今回の記事では父親としてのドストエフスキーを紹介して私の旅行記の締めくくりとしたい。

愛妻家ドストエフスキー、子煩悩の父ドストエフスキー。

妻と歩んだドストエフスキーを知る上で絶対に欠かせないエピソードをこれから皆さんにお話ししていきます。

子を愛したドストエフスキーということを知った上で『カラマーゾフの兄弟』を読めば読者の皆さんの心の中にきっとまた何か違うものが芽生えるのではないかと私は信じています。

ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

(28)温泉地バート・エムスのドストエフスキーゆかりの地を訪ねて~結婚後10年経っても夫人に熱烈なラブレターを送るドストエフスキー

私にとってバート・エムスはドストエフスキーのアンナ夫人への愛を感じられる象徴的な場所です。

結婚後10年経っても妻を熱愛したドストエフスキー。

彼はエムスからアンナ夫人に熱烈なラブレターを送り続けます。

あの『悪霊』を書いた文豪とは思えぬほどのデレデレぶりをぜひ皆さんにお目にかけたいと思います。

愛妻家としてのドストエフスキーを知るならここを超える場所はないのではないだろうかと私は感じています。

アンナ夫人ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

(27)帰国後のアンナ夫人の無双ぶり!借金取りも撃退!ドストエフスキーも全幅の信頼を寄せるその姿!

前回の記事「(26)ドストエフスキー夫妻の4年ぶりの帰国!旅を経てすっかり丸くなったドストエフスキーとアンナ夫人の成長とは」ではついにドストエフスキー夫妻がロシアに帰国したところまでをお話ししました。

今回の記事ではそんな旅を経て成長を遂げたアンナ夫人の姿をご紹介していきます。4年の月日が経ち、二人は出発前とは全く違う人間となって帰ってきました。一回りも二回りも成長した彼らは帰国後どんな生活を送ったのでしょうか。

ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

(26)ドストエフスキー夫妻の4年ぶりの帰国!旅を経てすっかり丸くなったドストエフスキーとアンナ夫人の成長とは

四年前、ドレスデンから始まった二人の旅。

新婚早々のドレスデン、バーデン・バーデンの悪夢、ジュネーブでの天国と地獄、フィレンツェでの日々、そしてホームシックのドレスデン。色んなことがあった。ありすぎた。想像を絶する日々を夫妻は二人三脚で乗り越えてきた。

旅に出た当初の二人はもういない。

ドストエフスキーは自身の闇や狂気に打ち克ち、作家として一回り大きくなって帰って来た。そしてアンナ夫人はドストエフスキーを支える名マネージャーとしてこれから抜群の活躍を見せることになる。

この四年間はドストエフスキーにとってまさに運命を変えた旅だったのだ。

ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

(25)カジノの街ヴィースバーデンでドストエフスキーのギャンブル中毒が消滅!!旅の終盤、彼の身に起こった奇跡とは!

ギャンブル熱から解放されたヴィースバーデンでの出来事はドストエフスキーの旅の中でも屈指の重大事件です。作家としての誇りを取り戻した出来事と言ってもいいかもしれません。

自分の筆で、自分の仕事で家族を守る!もうギャンブルの一攫千金には頼らない!と宣言したドストエフスキー。今度こそ嘘ではない。それは歴史が証人だ。本当に彼は生まれ変わったのでした。

そしてその再生をもたらしたのはやはりアンナ夫人あってのことでしょう。やはりアンナ夫人はドストエフスキーの守護天使だったのだ。運命の相手だったのだ。そのことを思うとこの二人を祝福せずにはいられません。

ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

(24)プラハに滞在したかったドストエフスキー夫妻~あのスメタナともニアミス!泣く泣くドレスデンへ。二人の旅も終盤へ

娘の出産のためにフィレンツェからプラハへ向かったドストエフスキー夫妻。

プラハにはスラブ系知識人のコミュニティーがあり、ドストエフスキーは彼らとの交流を願っていました。そして何より、夫妻は美しきプラハに滞在することを楽しみにしていたのです。

ですが、プラハに滞在することは叶わず、ドレスデンへ移ることになります。

歴史に「もしも」は禁物ですが、もし夫妻がここに滞在できたらあのスメタナやドヴォルザークともドストエフスキーは接点があったのかもしれませんでした。

ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

(23)芸術の都ヴェネツィアを訪ねて~美しき水の都にドストエフスキーは何を思ったのだろうか

この記事ではドストエフスキー夫妻が訪れたヴェネツィアと、その道中で立ち寄ったボローニャをご紹介します。

誰もが憧れる水の都ヴェネツィア。ドストエフスキー夫妻はわずか数日の滞在でしたが、楽しい一時を過ごしたようです。私も夫妻が過ごしたヴェネツィアを歩き、彼らの滞在に思いを馳せながらこの街のゆかりの地を巡ったのでありました。

どこを撮っても美しい写真が出来上がる驚異の街でした。