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はじめまして。当ブログの管理人上田隆弘と申します。 このブログは、ブログタイトルにもありますように自問自答をモットーに日々の生活の中の様々なことに目を向け言葉を綴ってみようという私の試みから始まりました。
この記事では当ブログ内の大まかなご案内をしていきます。 当ブログへ初めて来られた方や何を読むべきか迷った方はまずこちらの記事をご覧ください。
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この旅行記はドストエフスキーを知らない方にも楽しんで頂けるよう執筆しました。
また、ロシアのドストエフスキーゆかりの地巡りは数多くあれどヨーロッパに特化して書かれたものはなかなかありません。そうした意味でもドストエフスキーを愛する方々にも微力ながらお役に立てるのではないかと僭越ながら感じております。
三島由紀夫は生前こう言っていたそうです。「インドには、人それぞれに行く時期が必ず自然に訪れる」と。
このインドの旅は私の「宗教を巡る旅」の終着点でもあります。様々な宗教や文化を学んできた私にとって、やはり最後に行き着く場所は仏教誕生の地インドでなければなりません。
今回の記事から全25回の連載を通してゴータマ・ブッダ(お釈迦様)の生涯を現地写真と共にざっくりとお話ししていきます。 私は2024年2月から3月にかけてインドの仏跡を旅してきました。 この連載では現地ならではの体験を織り交ぜながらブッダの生涯を時代背景と共に解説していきます。
今回の記事では私がこれまでに最も影響を受けた小説をご紹介していきます。
「名刺代わりの小説10選」という名の通り、これらの作品は私の思考形成に強力な作用を与えています。私という人物のまさに自己紹介的な本達の紹介になりますので、正直少し恥ずかしいと言いますか、できれば紹介しないままでもいいのではないかとも思ったのですが思いきって記事にしてみることにしました。
親鸞とドストエフスキー。
平安末期から鎌倉時代に生きた僧侶と、片や19世紀ロシアを代表する文豪。
全く関係のなさそうな2人ですが実は重大なつながりがあるとしたらいかがでしょうか。
このまとめ記事ではそうした私とドストエフスキーの出会いと、なぜ僧侶である私がドストエフスキーを学ばなければならないのかを紹介しています。
日の出前の早朝、私はガンジス川へと向かいました。もちろんボートに乗って川の上から朝日を見るというのがその目的です。
この印象派の絵画のような世界に浸る体験はやはり唯一無二のものでしょう。やはり世界中の旅人を惹きつけてきただけのものがやはりここにはあります。
サールナート博物館にはインドの至宝アショーカ獅子柱頭やサールナート仏の名で知られる初転法輪像が所蔵されています。
ここで出会った素晴らしい彫刻作品のショックは美術館を出て宿に帰ってからもずっと続き、この完璧な彫刻に私は心奪われたままでした。
そしてそんな私の身に謎の現象も起こることにもなりました。
さて、私にとって波乱含みとなったブッダガヤ滞在でありましたが、いよいよこの仏跡も巡りも佳境へと突入していきます。次の目的地はブッダ最初の説法の地サールナート。ここからブッダ教団が始まったということで、仏教において非常に重要な聖地となっています。
ブッダガヤは仏教の聖地中の聖地です。
ですが私はブッダガヤという地に対して全く感動できなかったのでした。いや、それどころではありません。私はこの地でネガティブな感情に支配されてしまいました・・・
ここで神聖な心境になれない私は仏教僧侶として失格ではないか。私はそんな念に駆られてしまったのです。
この記事ではブッダガヤに関する衝撃の事実をお伝えします。私達がイメージする仏教聖地ブッダガヤの実態に皆さんもショックを受けることでしょう。
・・・これはもしかしたら知らない方が幸せなことなのかもしれません。
これまでの記事でブッダガヤ近郊を紹介してきましたが、いよいよここからブッダ悟りの聖地ブッダガヤについてお話ししていきます。
ブッダガヤのシンボルの大塔は5~6世紀頃の創建とされていて、あの玄奘三蔵法師もこの大塔にお参りしています。その聖地を私は訪れました。
日本人にとってブッダガヤという地名は有名であってもガヤーという地名はほとんど知られていないのではないでしょうか。『地球の歩き方』でもブッダガヤのページはあれどガヤーを紹介するページは存在しません。
ですがここはインド人にとっては最も重要なヒンドゥー教聖地のひとつです。この記事ではそんな聖地での体験をお伝えします。
今回ご紹介するのはブッダがスジャータのミルク粥の布施を受けたことを記念して作られたスジャータ寺院です。
スジャータが実際にどこでブッダにミルク粥を奉納したのかはわかっていません。しかしその伝説を記念してこの寺院は建てられています。この寺院はミャンマー仏教教団によって作られたのだそうです。
これから向かうのは前正覚山というブッダが修行していたという伝説が残る洞窟寺院です。悟りの地であるブッダガヤを紹介する前にまずはこちらから紹介していきます。
この前正覚山は経典においては出てきませんが玄奘三蔵がこの山についての伝承を書いたことで知られるようになったとのことだそうです。
ナーランダー大学・・・
皆さんはこの仏跡の名前を聞いたことがあるでしょうか。
ブッダ誕生の地ルンビニーや、悟りの地ブッダガヤ、初転法輪のサールナート(鹿野園)などと比べると明らかにマイナーな遺跡です。
しかしこの遺跡こそ私がインドで最も感動した仏跡のひとつとなったのでした。