上田紀行『スリランカの悪魔祓い』~悪魔祓いは非科学的な迷信か。人間と宗教のつながりを問い直す名著!

スリランカの悪魔祓い スリランカ、ネパール、東南アジアの仏教

上田紀行『スリランカの悪魔祓い』~悪魔祓いは非科学的な迷信か。人間と宗教のつながりを問い直す名著!

今回ご紹介するのは2010年に講談社より発行された上田紀行著『スリランカの悪魔祓い』です。本書は1990年に徳間書店から発行された同著を加筆修正し再編集したものになります。

では、早速この本について見ていきましょう。

スリランカでは、「孤独な人に悪魔は憑く」と言う。そして実際、病の人が出たら、村人総出で「悪魔祓い」の儀式を行い、治してしまう。著者は、そこに「癒し」の原点を見た。「癒されたい」人から、自ら「癒されていく」社会へ。孤独に陥りがちな現代日本人に、社会や人とのつながり、その重要性を問いかける。

Amazon商品紹介ページより

本作は文化人類学者上田紀行氏がスリランカでのフィールドワークを通して書き上げた「悪魔祓い」についての作品です。

「悪魔祓い」と言いますと私達は非科学的な迷信のように感じてしまいがちですが、実はこの「悪魔祓い」にこそ私達が忘れてしまった大切なものが存在している!そのことを本書では知ることになります。

本書について著者は文庫版まえがきで次のように述べています。

悪魔祓いとあなたはどんな関係があるのか。

そう聞かれれば、多くの人は、関係なんかないと答えるだろう。その悪魔祓いが、日本から遠く離れたスリランカの村で行われているとなれば、なおさらだ。

そこには、ふたつの「遠さ」がある。ひとつはもちろん距離的な遠さ。そして、もうひとつは時間的な遠さ。

悪魔祓いなどという非科学的な迷信は過去の遺物であり、そんな時代はもう終わったのだと誰もが言うに違いない。

しかし、そんな遠く離れた悪魔祓いに誘われ、悪魔たちと暮らしたひとりの若者が見いだしたのは、まったく反対のことだった。

悪魔祓いは、いまこそ求められているのではないか。この日本で。このコンクリート・ジャングルの中で。満たされない心と体を抱えている人々の住むこの時代、この場所で。

スリランカの悪魔祓いは古より伝わる癒しの術である。

そこには数千年かけて築きあげられてきた、人類の叡知が結晶している。試行錯誤を繰り返してきたその長い年月は、悪魔祓いの儀式を、人間の潜在力を揺り動かす、きわめて効果的かつ優美な体系へ導いてきた。それはわれわれの隠された力を掘り起こす仕掛けに満ちている。

緊張と弛緩、恐怖と安心、怒りと笑い、孤独とつながり、静寂と狂騒……、悪魔祓いは人間のすべての感情と意識を動員する。それはダンスや歌や華麗な衣装によってアートである以前に、われわれの意識の内奥のステージがひとつひとつ明るみに出される一大パフォーマンスであるという意味で、まぎれもないアートなのである。そしてそのアートの中心に悪魔がいるのだ。

でも、悪魔とはいったい何物なのだろう。地球上のどの文化にも存在し、あるときは人間を苦しめ、あるときは癒す悪魔たち。彼らの正体は何なのだろうか。

悪魔とは何か。癒しとは何か。

その答えを求めてひとりの日本人の若者がたどった旅に、あなたを招待したいと思う。

スリランカの夜の闇から、日本の時代の闇へ。

あなたはどんな悪魔をそこに見いだすだろうか。

講談社、上田紀行『スリランカの悪魔祓い』P3-5

この箇所に出てきた「日本人の若者」は若き日の上田紀行先生その人です。先生自身がスリランカで見聞した「悪魔祓い」の世界を本書では見ていくことになります。そしてこのまえがきを読むだけですでに伝わっていると思いますが、上田紀行先生の語りは非常に読みやすくてわかりやすいです。「悪魔祓い」という一見おどろおどろしいテーマではありますが、先生の語りは絶妙であっという間に引き込まれてしまいます。

私は本書を読み感銘を受けました。上田紀行先生はフィールドワークで得た知見を基に次のように述べます。

悪魔祓いは非科学的な迷信などではない。それはいままでの偏狭な科学では捉えることのできなかった隠された合理性に基づいている。科学の進歩は、遅ればせながらようやく悪魔祓いの癒しを射程に入れはじめた。

悪魔祓いはなぜ人を癒すことができるのか、それが問いだった。悪魔祓いが患者の生命力を活性化させるからである、というのが答えだ。そして、その生命力は二つのファクターによって左右される。それは「つながり」と「イメージ」だ。

免疫力はストレスによって劇的に低下する。そして、ストレスの源は「つながりの喪失」だ。愛するものを失う、みんなとともに生きている感覚が希薄になる。人の目が冷たく感じられる、ストレスはそんな孤独感と背中合わせなのだ。そして孤独が生命力にとっては最悪の状態なのだ。だから、内側からの生命力の取り戻しのためには、つながりの回復が必須なのである。

そしてイメージだ。免疫力はイメージによって高められも、低められもする。そしてイメージをどの程度まで身体化するかにかかっているのだ。(中略)

悪魔祓いは科学的合理性を持っている。謎は解けたのだ。こう説明すれば、はなから悪魔祓いを軽蔑しきっていた人にもそのメカニズムを理解してもらえるだろう。

講談社、上田紀行『スリランカの悪魔祓い』P223-225

「悪魔祓い」は科学的な合理性を持っている。

科学的、合理的思考に染まっている私達にとって「悪魔祓い」は迷信にしか思えないかもしれません。しかしそこに私達が見失ってしまっていた大切なものがあることを本書では発見することになります。上田先生は実体験を基に臨場感たっぷりに語ってくれますので一気に読み進めてしまうこと間違いなしです。これは面白いです!

そしてまた思うのは上田紀行先生との不思議なご縁です。

私は大学二年生の頃、上田紀行先生の『がんばれ仏教!』を読み「これから私はどんな僧侶になりたいのか」と強く心を奮わされることになりました。上田先生のこの本がどれほど私に力を与えてくれたことか!

そして大学を卒業し、僧侶として生き、親鸞とドストエフスキーを学んでようやくインドやスリランカの仏教を学んだ今こうしてまた上田先生に出会い直すという機会に恵まれることになりました。

大学二年生の頃は上田先生がここまでスリランカで研究をされていたことに目が向いていませんでした。ですので最近『スリランカの悪魔祓い』という本の存在を知った時はそれこそ度肝を抜かれた思いでした。「上田先生はスリランカで研究をされていたのか!」と。かつては仏教のことも宗教のこともほとんどわかっていなかった20歳の若造だった私ですが、今こうして一回り以上年を取って仏教のことを学び直している今再び出会えたことは何か不思議なご縁を感じています。

あの時ではなく、今この本に出会えたことに大きな意味があるように感じます。

さて、私と上田紀行先生についてお話しさせて頂きましたが、この本では単にスリランカの「悪魔祓い」だけでなく、宗教とはそもそも何か、なぜ人は「癒される」のだろうかということが語られていきます。

コロナ禍で科学や迷信、デマ、陰謀論、同調圧力など様々なことを考えさせられることになりましたが、私達の命や健康、生命力と「心」のつながりについて改めて考えさせられる素晴らしい作品です。ぜひ多くの方に手に取って頂きたい名著中の名著です。

私も強く推薦する一冊です。素晴らしい出会いでした。ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。

以上、「上田紀行『スリランカの悪魔祓い』~悪魔祓いは非科学的な迷信か。人間と宗教のつながりを問い直す名著!」でした。

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