アウシュヴィッツを訪ね、私は何を学び、何を感じたのか 世界一周記ポーランド編一覧
アウシュヴィッツを訪ね、私は何を学び、何を感じたのか 僧侶上田隆弘の世界一周記―ポーランド編一覧 世界三大一神教の聖地を訪れ、パレスチナ紛争の現実も学んだイスラエルの次に向かうは東欧ポーランド。 私がこの国に向かったのは…
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この日の目的地はチェコのプラハ。
クラクフからプラハまではレオ・エクスプレスという鉄道会社を使って移動します。
ただ、クラクフ・プラハ間はまだ鉄道路線がほとんどないので、バスと鉄道を組み合わせての移動となります。
クラクフからチェコのボーフミンという街まではバス、そしてそこから鉄道に乗り換えてプラハまで向かいます。
アウシュヴィッツはあまりに強烈な体験だった・・・
しばらくは何もする気が起きませんでした。
いや、何もできなかったと言う方が正しいのかもしれません。
ですが、そんな空っぽになってしまったかのような頭の中に、ふとよぎるものがありました。
「さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまいもするべし」
そう。以前エルサレムのホロコースト記念館、ヤド・ヴァシェムの記事でもご紹介した『歎異抄』の言葉でした。
アウシュヴィッツに実際に行って、私はどんな思いを抱くのだろうか。
旅の前にはそんなことをよく考えていた。
では、実際私はここに来て何を感じたのか?
それは「何も感じないこと」の恐怖であった。アウシュヴィッツは「普通の場所」だった。だがそのことに私は戦慄を感じたのでした
ナチスがユダヤ人をどのように扱ったのかというのは博物館の展示でも大きなテーマとして取り上げられています。
「人間の本質が極めて特異な形で現れたのがホロコースト。」
エルサレムの「ヤド・ヴァシェム」でガイドさんが言っていた言葉です。
だからこそ、ここアウシュヴィッツで学んだことを「ここで悲惨なことがあったのだ」で終わらせてはなりません。
2019年4月14日。
私はポーランド最大の目的地、アウシュヴィッツに向かいました。
幸い、朝から天候にも恵まれ、前日までの凍てつくような寒さも少し和らいだようだ。
クラクフのバスターミナルからバスでおよそ1時間半。
アウシュヴィッツ博物館前で降車します。
この記事では私のアウシュヴィッツでの体験をお話しします。
前回の記事に引き続き、クラクフ旧市街の聖マリア教会について、もう少し考えていきましょう。
改めて紹介しますが、この教会は1222年に建てられ、塔の高さは82mにもなる堂々たる建築です。
今回の記事ではこの教会にまつわるエピソードをご紹介していきます。
旧市街の中央広場にはこの街のシンボルたる聖マリア教会があります。
この教会は1222年に建てられ、聖母マリアの祭壇が中央に飾られていることで有名です。
さて、聖マリア教会に入場してみましょう。
外から見ても圧倒的な大きさでしたが、中の様子は一体どのようになっているのでしょうか。
クラクフはポーランド南部の都市で、聖マリア教会を中心とする旧市街はコンパクトにまとまって非常に観光しやすい街として知られています。
クラクフは11世紀中ごろから16世紀末までポーランド王国の首都として栄え、プラハやウィーンと並ぶ文化の中心だった街。
そして、ポーランドの首都ワルシャワが東京に例えられるのに対して、このクラクフは京都に例えられます。
第二次世界大戦ではワルシャワがナチスによって壊滅させられたのに対し、クラクフは奇跡的に破壊を免れました。そのため中世からの古い町並みが現在も残っています。