ゾラ『ごった煮』あらすじと感想~ブルジョワの偽善を暴く痛快作!貴婦人ぶっても一皮むけば…

ごった煮 ブログ筆者イチオシの作家エミール・ゾラ

「ルーゴン・マッカール叢書」第10巻『ごった煮』の概要とあらすじ

エミール・ゾラ(1840-1902) Wikipediaより

『ごった煮』はエミール・ゾラが24年かけて完成させた「ルーゴン・マッカール叢書」の第10巻目にあたり、1882年に出版されました。

私が読んだのは論創社出版の小田光雄訳の『ごった煮』です。

この作品は次の『ボヌール・デ・ダム百貨店』の前史となるもので、『居酒屋』『ナナ』以上に緊密な関連性を持った小説と言われています。

今回は訳者あとがきが非常にわかりやすかったので長くなりますが引用していきます。

エミール・ゾラの『ごった煮』(Pot-Bouille)は「ルーゴン=マッカール叢書」の第十巻に当たり、一八八二年に刊行されました。叢書のなかにあって、第十一巻の『ボヌール・デ・ダム百貨店』の前編と称すべき物語であり、『ボヌール・デ・ダム百貨店』で描かれることになった現代を彷彿とさせる消費社会の前史過程を提出しています。

そのため『ごった煮』の世界は、まだ商店街の時代であり、消費者という群衆は出現しておらず、本書の主人公オクターヴ・ムーレは近代商業のカテドラル(大聖堂)である百貨店を夢想して、ショワズル商店街で雌伏の時を過ごしているのです。そうした意味でこの二作は叢書中で最も密接な連作といえるでしょう。

そして『ボヌール・デ・ダム百貨店』の第一章で語られていたオクターヴ・ムーレの百貨店に至る過程、つまり消費社会の創造者となる前史があますところなく、『ごった煮』で明らかになります。

論創社出版 小田光雄訳『ごった煮』P523

今作の主人公は『プラッサンの征服』の主人公フランソワ・ムーレとその妻マルト・ルーゴン夫妻の長男オクターヴ・ムーレという人物です。

ルーゴン・マッカール家家系図

家系図では中央下部に位置します。

そうした『ボヌール・デ・ダム百貨店』の前史もさることながら、『ごった煮』は叢書のなかでも際立ったブラックコメディの色彩に覆われていて、ブルジョワ社会の実態が描かれ、それは十九世紀後半の男女間のイメージ戦争ともいうべき物語でもあります。

男たちの女性嫌悪、女たちの男への軽蔑、近代産業社会を迎えての男女のイメージのすれちがい、性を介在とする男女間の幻想の交錯、それらは十九世紀末に夢想され、現在まで続いている男による女性の封じこめと、それに対する女たちの復讐としての消費行動の始まりを告げているようにも思われます。

前述したように『ごった煮』のなかにはまだ『ボヌール・デ・ダム百貨店』に描かれていた消費者という群衆は登場していません。しかし『ごった煮』に描かれた女性たちが消費者として立ち上がっていく予兆に充ちています。

実際に欲望をたぎらせて現代的な消費者と化し、自らの快楽しか追求しないべルトはいうまでもありません。肘掛椅子にもたれこんでいるグール夫人、べッドのなかでまどろんでいるローズ、神経を病んでいるヴァレリー、若さを都会で燃焼させ、ひからびてしまったガスパリーヌ、アマゾンのように見栄と金にとりつかれたジョスラン夫人、封じこめて育てられた空虚なマリー、ブルジョワジーの偽善のなかで成長するアンジュール、ピアノ狂いで女学者めいたクロチルド、老いらくの恋に執着するダンブルヴィル夫人、彼女たちの生活を模倣する女中たちや情婦。全員が病んでいるといえましよう。

病はどこで癒されるのでしょうか。それはおそらく消費なのです。日常品の買い物ではなく、ヴェブレンが『有閑階級の理論』のなかでいっている「これ見よがしの消費」です。

彼女たちがあらゆる商品を満載した百貨店の開店を待ち望み、過剰なまでの消費者としてなだれこんでいく姿が目に浮かびます。オクターヴ・ムーレは『ごった煮』の世界での男女間のイメージ戦争体験を踏まえて、病んだ女性たちを癒す百貨店という機械装置を創造するのです。
※一部改行しました

論創社出版 小田光雄訳『ごった煮』P524-525

上記のように、この作品は『ボヌール・デ・ダム百貨店』の物語が始まる前の前史を描いています。

主人公のオクターヴ・ムーレは美男子で女性にモテるプレイボーイです。そして彼がやってきたアパートでは多くのブルジョワが住んでいてその奥様方と関係を持ち始めます。

そうした関係はもちろん危険な火遊びで、彼は何度も痛い目に遭います。

ですがそうした女性関係を通してオクターヴは女性を学び、大型商店を営むというかねてから抱いていた野望に突き進もうとするのです。そして次の作品『ボヌール・デ・ダム百貨店』へと繋がっていくのでありました。

感想―ドストエフスキー的見地から

小説のタイトルはその物語を表す最も重要なものであり、そのタイトルが物語の伏線になっていることが多々あります。

今回の『ごった煮』というタイトルは、その伏線という意味では叢書中最も絶妙なものであると私は思いました。

そもそもごった煮とは「 いろいろな材料を混ぜ入れて煮ること。また、そのもの。ごたに。 」とgoo辞書では出てきます。

つまり鍋の中にとにかく食材を投げ込む料理といったところでしょうか。

そしてこのタイトルの伏線が回収されるシーンがなかなかに衝撃的です。

主人公オクターヴとベルトという若妻が不倫現場から去ろうとすると、住んでいるアパートの女中たちの世間話が聞こえてくるのです。

アパートには中庭に面してそれぞれの家に窓があり、そこから女中たちは顔を出して世間話をしていたのです。

下劣な言葉のやりとりが続いた。若い妻がこれまで聞いたこともない言葉だった。毎日彼女のそばで流れ出ていたのであるが、まったく思いもよらなかった下水の噴流だった。今や二人の恋愛はとても用心深く人目をはばかってきたのに、野菜屑や汚水にまじって女中たちの話題になっていた。これらの女たちは誰からも話を聞いていないのに、すべてを知っていた。リザはサチュルナンが提灯持ちをしたと話し、ヴィクトワールはどこか義眼でも入れればいいと亭主の頭痛を嘲笑い、アデール自身も奥様のかつてのお嬢様をこきおろし、病気やいかがわしい下着や衣裳の秘密のことまで並べ立てた。そして卑猥な悪口は二人の接吻も逢い引きも、まだ二人の中に残っていた愛情の心地よい甘美さのすべても汚してしまった。

論創社出版 小田光雄訳『ごった煮』P361

ここで注意しなければならないのは当時のパリでは、それぞれの家が窓から汚物や残飯などを投げ捨てる習慣があったということです。

以前にもこのブログでパリは猛烈な悪臭の街だったとお伝えしたことがありましたが、それはまさしく生ごみや汚物を窓から捨てるという習慣があったからなのです。

「下の餓鬼、気をつけなよ!昨日の腐った人参だ!グールじいさんの悪党にくれてやるんだから!」とヴィクトワールが突然叫んだ。

女中たちは管理人に掃除をさせるために、意地悪くこうして残り物を窓から投げ捨てるのだった。

「ほら、今度はかびのはえた腎臓の残りだよ!」とアデールが言った。

フライパンの残り屑、壺の中にあったはらわたのすべてが窓から中庭に投げ出された。その間リザはベルトとオクターヴの噂に夢中になり、二人が姦通の淫らな実態を隠すためにたくらんだ嘘の数々を暴き出した。二人は手を取り合って、顔を向け合い、目をそらすこともできず、立ちすくんでいた。二人の手は冷えきってしまい、目は彼らの関係のおぞましさを伝え、召使いたちの憎々しげな言葉の中には主人たちの不潔さがずらりと並んでいた。腐った肉や痛んだ野菜がどしゃ降りのように落ちていく中で語られる姦淫、それこそが二人の恋愛だったのだ!

論創社出版 小田光雄訳『ごった煮』P362

ドストエフスキーが批判するように、パリのブルジョワは表向きは優雅で高潔で、道徳的にも文字通りの意味でも清潔な体を装っています。

しかし一皮むけば窓から投げ捨てられる汚物や腐った残飯と変わらぬ悪臭漂うごった煮に過ぎないのです。

いかに表向きを装うとも、女中はすべてを見ています。普段彼女たちを下品だと馬鹿にしているブルジョワ達の実態をこうして悪口と一緒に窓から放り込んでいるのです。

まるでどちらが本当に下品なものかと抗議しているかのように。

私はここを読んでいてゾラの巧みな伏線回収に鳥肌が立ちました。『ごった煮』とはよく言ったものだと心の底から感嘆しました。

さて、他にもこの小説で気になったのは、「私は哀れみを受けるより、羨ましがられるほうが好きなの……金がすべてなのよ。私は二十スーしか持っていない時だって、いつも四十スー持っていると言ってきたわ」と言ってはばからない見栄っ張りで強欲な女の存在です。(それがさっきオクターヴ・ムーレと不倫していたベルトという女性です…)

こうした女性と結婚した生真面目な男は地獄を見ることになります。結婚するまでは猫を被り、玉の輿結婚が成立するやその本性を現し、男を責め立てる様は異様な迫力がありました。

訳者はこのことに関しても解説をつけてくれています。

その背後にあるのは『ごった煮』のべルトの例にみられるように、結婚市場において自らが商品でしかないと思い知らされ、それゆえに高価な商品で身を包むことをひたすら求め、飽くなき消費者となることで自分の買い手である男たちに対して復讐しているのではないでしようか。この男女問の闘いは現在まで存続し、それが高度資本主義消費社会の根底に横たわっていると思われてなりません。

論創社出版 小田光雄訳『ごった煮』P526

今となっては女性だけではなく、男性もこのような状況に巻き込まれているのではないでしょうか。

いかに自分を高く買ってもらえるか、いや売りつけることができるのか、この時代のパリはそれが現代以上に露骨な時代だったようです。

以上、まだまだお話ししたいことは山ほどあるのですが長くなってしまうのでこれにて終了といたします。

この『ごった煮』は非常に盛りだくさんな作品です。『ボヌール・デ・ダム百貨店』と共におすすめな作品です。

以上、「ゾラ『ごった煮』あらすじと感想~ブルジョワの偽善を暴く痛快作!貴婦人ぶっても一皮むけば…」でした。

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