プーシキンおすすめ作品一覧~ドストエフスキーの心の師匠!日本でマイナーなのがあまりにもったいない作家!

プーシキン講演 ロシアの偉大な作家プーシキン・ゴーゴリ

ドストエフスキーの心の師匠プーシキンおすすめ作品一覧―日本でマイナーなのがあまりにもったいない作家!

アレクサンドル・プーシキン(1799-1837)Wikipediaより

ここまでプーシキンの作品を紹介してきましたがこの記事ではそれらを一覧にしてまとめていきたいと思います。

タイトルにもありますようにプーシキンはドストエフスキーの心の師匠と言える存在です。彼は生涯にわたってプーシキンを敬愛し続けました。

プーシキンの人となりについてはこちらの「ロシアの国民詩人プーシキンとは?代表作や生涯、特徴をざっくり解説!」の記事にて紹介しておりますのでそちらを参考にして頂けますと幸いです。

プーシキンの作品を知ることはドストエフスキーの作品を見る上だけではなく、当時のロシアの思想や社会情勢も知ることができ非常に有益です。

もちろん、作品自体も非常に面白く、ドストエフスキーやロシアに関係なくそれ自体で十分すぎるほど楽しめるものになっています。

それに、そもそも何かの参考のためにプーシキンを読むということは本来贅沢すぎるようなお話なのかもしれません。それほどプーシキン作品の面白さは際立っています。これは読んだ私が一番感じていることです。

プーシキンが日本でマイナーなのはあまりにもったいない!

フランスの文豪エミール・ゾラを読んだ時もそう思いましたがプーシキンもそれに匹敵するほどのインパクトでした。

私としてはもっともっとプーシキンが世に広まってくれることを願っております。

それぞれの記事でより詳しくお話ししていきますので、ぜひリンク先もご参照ください。

では早速プーシキンの作品を紹介していきましょう。

プーシキンの代表作『エヴゲーニイ・オネーギン』

『エヴゲーニイ・オネーギン』はプーシキンが1823年から1831年の間に書き続け、1825年から1832年に少しずつ発表されていった作品です。

この作品はロシア文学の最高峰とされ、後のロシア文学者に多大な影響を与えたプーシキンの代表作です。

この作品はドストエフスキーに多大な影響を与え、彼の最晩年のプーシキン講演の中心主題もこの『エヴゲーニイ・オネーギン』でした。

そしてこの作品は19世紀ロシアだけではなく、今でもロシア人に愛されています。

私の通うロシア語教室の先生も「プーシキンは私たちの全てです。彼は本当に素晴らしいです。ロシア人の心が彼の詩にあります」と仰られていました。

そしてさらに『エヴゲーニイ・オネーギン』の中の有名な箇所「タチヤーナの手紙」をまさに暗唱してくれたのです。何も見なくてもすいすい出てくるのです。

それほどロシア人にとって身近なものなのだなと驚かせられました。

以下にこの作品のあらすじを紹介します。

韻文小説『エヴゲーニイ・オネーギン』(1823-31、発表1825-32)はプーシキンの最高傑作である。

主人公オネーギンは知性も能力もありながら現実の生活に幻滅を感じ、首都ぺテルブルグで高等遊民的な生活を送っているが、伯父の遺産を相続することになって田舎で暮すようになる。

地主の娘タチヤーナはオネーギンを熱烈に愛するが、彼は冷たくあしらい、タチヤーナの妹と婚約している友人のレンスキイを決闘で殺し村を去る。数年後、首都で将軍の妻となっているタチヤーナと会い、今度は彼が夢中になって愛の告白をするが、タチヤーナは理性的に彼をしりぞける。

この作品は自らの生を社会に生かすことのできない「余計者」オネーギンと、ロマンティックな理想主義者でしかも大地に足をつけた強い女性(弱い男と強い女の対立は、以後トゥルゲーネフをはじめとするロシアの小説の主要テーマとなる)タチヤーナが、二人ともども不幸になるという恋物語であるが、一八一〇年から三〇年にかけてのロシア社会を国民的叙事詩と言っていい壮大な規模で描き出すことに成功した。
※一部改行しました

川端香男里『ロシア文学史』岩波書店P131

『ボリス・ゴドゥノフ』イワン雷帝亡き後の混乱時代を劇作化

『ボリス・ゴドゥノフ』は1825年に完成し、1830年に刊行された作品です。本来は劇詩作品ですので舞台で上演するために作られたものでしたが、この作品が検閲で帝政批判と捉えられた影響で初演は1876年となっています。

この作品はロシアを圧倒的なカリスマによって支配した暴君イヴァン雷帝亡き後のロシアを題材にした歴史劇です。

当時、悲劇と言えば歴史上の英雄や傑出した人物、貴族など強い個性を持つ主人公を軸に悲劇が展開し、そこに運命という名の悲劇の与え手がストーリーを動かしていました。

しかしプーシキンはこの物語を主人公のボリス・ゴドゥノフでもなく、僭称皇帝ディミートリィでも、貴族達でも、さらには「運命」でさえもストーリーの動かし手とはしません。

このストーリーを真に動かしているのはロシアの民衆なのです。

ロシア民衆の意志、行動がロシアの歴史を決定するとプーシキンはこの作品で訴えているのです。

これはロシア文学、演劇界上でも画期的なことでありました。

ただ、もちろんこれは当時のロシア政府からすると反体制の思想ですので厳しい検閲下に置かれることになります。

これが彼の晩年の不遇や悲劇的な決闘での死にもつながっていきます。

ロシア民衆の力を信じ、それを芸術にまで高めたプーシキン。

『ボリス・ゴドゥノフ』はプーシキンの歴史観を知る上で非常に重要な作品です。

ドストエフスキーも当然この作品を熟読しており、その歴史観を彼の内に取り込んでいます。ドストエフスキーの民衆愛はこういうところからも影響を受けているのかもしれません。

イヴァン雷帝亡き後のロシアの歴史を知る上でもとても興味深い作品ですのでおすすめの作品です。

『吝嗇の騎士』―ドストエスフキー『未成年』に強烈な影響を与えた傑作小悲劇

『吝嗇の騎士』は1830年に完成したプーシキンの小悲劇作品です。

この物語は吝嗇の騎士たる男爵とその息子アルベールを中心とした物語です。

男爵は吝嗇の化身のような男で金を貯めることに全てを捧げ、その金こそ全能なる力であると信じる年老いた男です。

それに対して息子のアルベールは好人物ながらも父に言わせれば頭の悪いただの放蕩息子。こんな息子に遺産を相続すればあっという間に金は垂れ流されてしまうだろうと嘆きます。

そして父はそんな息子にお金を渡さず、息子は貧乏な生活を余儀なくされていたのでした。

ですがさすがの彼ももう我慢ならず、吝嗇な父に分け前を要求します。その要求が争いに発展し、最後は悲劇的な終局を迎えます。

この作品はドストエフスキーと非常につながりの深い作品として有名です。

ドストエフスキーは無から作品を創造したのではありません。多くの偉大な先達の作品を長い時間をかけて自らに取り込み、そこからドストエフスキー流の世界観を表現していったのです。

『吝嗇の騎士』は直接的には『未成年』に最も強い影響を与えた作品ですが、『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』にも影響を与えています。

この記事ではドストエフスキーと『吝嗇の騎士』の関係について解説しています。

『モーツァルトとサリエーリ』天才が天才に抱く嫉妬の物語

『モーツァルトとサリエーリ』は1830年プーシキンによって書かれた作品です。

この作品はサリエーリという才能ある優れた音楽家が、天賦の才を持つモーツァルトに嫉妬し、毒殺するという内容です。

サリエーリは人生の全てを音楽に捧げ、それこそ血のにじむような努力を重ね、今も生みの苦しみを抱きながら作曲を続けています。

そんなサリエーリにとって圧倒的な才能で軽々と傑作を生み出していくモーツァルトがどうしても憎らしく思えてきます。

プーシキンはこの圧倒的天才に対する嫉妬をテーマに『モーツァルトとサリエーリ』を書き上げていきます。

私にとってこの作品がプーシキン作品の中で最も好きな作品かもしれません。

何がいいと言われると案外これが難しいのですが、「嫉妬」という感情は私達にもものすごく身近で、しかも私たちの心を狂おしいまでに痛めつけてやまない感情です。それを芸術の域にまで高めたこの作品は異様に私の心に刺さってきました。

そしてプーシキン作品の特徴であります簡潔で流れるような文体のおかげですいすい読めてしまうという圧倒的な読みやすさ。

分量も短く、何度も何度も繰り返して読んでもまったく苦になりません。だからこそ中毒のように何度も何度も読みたくなってしまいます。この本が手元に来てから1週間ほどですでにこの作品を5回以上読んでしまいました。中毒性ありです。

『モーツァルトとサリエーリ』は日本においてはマイナーな作品ですがこれは逸品です。もっと世に出てほしい作品です。とってもおすすめです。読めばわかります。プーシキンはすごいです。そのすごさをこの作品で特に感じました。

『石の客』プレイボーイの代名詞「ドン・ファン」を題材

『石の客』は1830年にプーシキンによって書かれた作品です。

「ドン・ファン」という言葉は私達もよく耳にしますよね。

その「ドン・ファン」の起源はスペインで1630年に書かれた『セビーリャの色事師と石の客』という作品が始まりだそうです。

美男で好色で放蕩的人物として強烈な個性を放ったドン・ファンはその後の作家や芸術家に影響を与え続け、いつしか「ドン・ファン」はプレイボーイ、女たらしの代名詞となっていったようです。

ドン・ファンはスペイン語でDon Juanと綴ります。

面白いことにこれをイタリア語風に読むと「ドン・ジョヴァンニ」、フランス語風だと「ドン・ジュアン」という読み方に変わります。

モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』もここから来ていたのですね。

「ドン・ファン」も「ドン・ジョヴァンニ」も「ドン・ジュアン」もどれも聞いたことのある呼び名でしたが、まさか全部同じ人だというのは知りませんでした。

さて、そんな「ドン・ファン」ですがプーシキンは『セビーリャの色事師と石の客』からドン・ファンと石の客をモチーフに悲劇を作ろうとしました。

情熱家のドン・ファンが改心し、今初めて真実の愛に目覚めようとした矢先に訪れる破局。

世界には幸福が近づくまさにその瞬間を狙ったかのごとく不幸な運命が待ち受けることが多々あります。そんな悲劇をプーシキンは『石の客』で描いたのでありました。

先ほども述べましたがドン・ファンはスペインの『セビーリャの色事師と石の客』が起源で、その後世界中の芸術家にインスピレーションを与え続けてきました。

しかしその筋書きとしては解説にありますように、その多くが宗教性、つまりキリスト教的な影響が強い作品となっていました。

そのため背徳、淫蕩にふける者を懲らしめる天の使者として石の客が現れ、ドン・ファンを懲らしめるという筋書きが多かったのです。

しかしプーシキンはそれを換骨奪胎し、幸福な未来を妬む運命の代理人による破局というストーリーに書き変えたのです。ここにプーシキンの独自性があります。

こうしてヨーロッパとは違う世界の見方をプーシキンはロシア人の前に開いたのです。

ドストエフスキーがプーシキンをこうして高く評価するのも、こうした彼の独特な世界の見方とそれを作品にしてロシア人の心に響くものにまで磨き上げたからでありました。

プーシキンは読めば読むほどその革新性や後代に与えた影響力を感じさせられます。

この作品もとても面白い作品でした。非常におすすめです。

『ペスト流行時の酒もり』苦悩と絶望に人はどう向き合うのか

『ペスト流行時の酒もり』は1830年にプーシキンによって書かれた小悲劇作品です。

この作品はもともとイギリスの作家ジョン・ウィルソンの『ペストの市』を原作とし、プーシキンがその一部を翻案して作った作品です。

プーシキンはペストが流行し、数え切れぬ人々が死んでいく極限状態の中で死の恐怖を逃れるために狂乱の酒宴を開いている若者たちを題材にします。

この作品でもプーシキンは彼独自の悲劇を作り上げました。

ひとつ前に紹介しました『石の客』でもそうでしたが、この作品でもプーシキンは従来の作品とは異なる視点でこの物語を書き変えます。

それが「運命愛―運命の主体的な受けとめ―であり、反逆の精神」であります。

プーシキンは盲目的な神への従順でもなく、酒や恋による忘却でもなく、苦悩を苦悩として受け止めるという運命愛の姿勢をこの作品で打ち出します。

これは言うは易しですが、いざ自分の身として引き付けて考えてみると、これは尋常ならざる問題です。

自分が本当に苦しい時、どうにもならない絶望を抱えた時、私ならどうするだろうか?

大切な人が亡くなった時、目の前の幸せが急に奪われてしまった時、私たちは一体どんな行動をとるのでしょうか・・・

何かにすがろうとするのか、それとも何かに酔うことで苦悩を忘却しようとするのでしょうか・・・正直、それは私にもわかりません。

ですがプーシキンはこの作品で、苦悩を苦悩として受け止めるという生き方を述べるのです。

苦悩から目を背けず、それを背負いながらも生きていくという姿勢・・・

ページ数にして20ページにも満たないコンパクトな作品ながらこの作品に込められた主題はあまりに根源的です。プーシキンはたった20ページ弱の物語でそれを見事なまでに凝縮し、芸術にまで高めました。

普通の作家ならこのテーマについて言葉を尽くして長い物語を書き連ねることでしょう。

しかしプーシキンは一味も二味も違いました。

「極限まで切り詰めた簡潔な文体で人生の本質をむき出しにする」

これがプーシキンの最大の特徴です。

それがわかりやすい形で見られるのもこの作品のよいところなのではないかと感じました。

短いながらも強烈なインパクトを残す作品でした。苦悩や絶望、そして死に対して私はどんな向き合い方をするのかということを考えさせられた作品でした。

『ベールキン物語』所収『駅長』

『ベールキン物語』は1830年にプーシキンによって書かれた短編集で、この記事ではその中でも特にドストエフスキーとも関係が深い『駅長』を紹介しています。

この作品のあらすじを紹介します。

ある日駅長の家にミンスキイという名の軽騎兵がやってきて、その軽騎兵と駅長は意気投合することになります。

しかしその軽騎兵は言葉巧みに駅長の娘を誘惑しペテルブルクへと連れ去ってしまいます。

美しくて気立てのいい娘を失った駅長はペテルブルクまで追いかけ、娘を返すように懇願するも軽騎兵に金を渡され突き返されてしまいます。

そしてやっとのことで娘を一目見たものの彼女はすっかりペテルブルクでの贅沢暮らしに染まってしまっているのでありました。

打ちひしがれて帰って来た駅長は酒に溺れ、悲嘆と孤独の中で死んでいくのでありました・・・

この作品はロシア文学史上画期的な事件でした。

と言うのも、それまで小説の主人公として書かれる人物というのはある程度身分がある者だったり、武勇を誇るような者だったのです。しかし『駅長』ではしがない下級官吏である駅長がその主人公となり、その悲しく、みすぼらしい生活が描かれることになります。

当時としてはそれは画期的なことで、これをきっかけにゴーゴリやドストエフスキーが下級官吏を題材にした作品を作っていくことになったほどなのです。

私たちにはなかなかぴんときませんが、物語の誰を主人公とするかというのは暗黙の了解としてたしかに当時のロシア社会にはあったのです。

そして誰を描き、何を描くのかというのがすでに決められていて、その枠中において作家が自由に想像するというのが当たり前の世界だったのです。

しかし、それを打ち壊したのがプーシキンだったのです。

そのような意味でもこの作品は興味深い作品です。

『青銅の騎士』ゴーゴリ・ドストエフスキーの「ペテルブルグもの」の元祖

『青銅の騎士』は1833年にプーシキンによって書かれた作品で、同時期に書かれた『スペードの女王』と並んでプーシキン晩年の傑作として知られています。

あらすじはこちらになります。

彼(エヴゲーニイ※上田注)は恋人との、幸福な結婚生活を夢見ているが、一八二四年のペテルブルクの洪水で彼の夢はうちやぶられてしまう。恋人はこの洪水のために死んで、彼自身は悲しみのあまり次第に理性をうしなってゆく。彼は多くの人命をうばった洪水が自然の気まぐれのみによるものではなく、ネヴァ河口の低地に町を建てたピョートル一世の責任であると考える。彼はピョートルの事業がつねに人民の不幸の原因であったとして、ピョートルの銅像―青銅の騎士にむかって呪いのことばを投げる。青銅の騎士は急に動き出し、怒りにもえて、エヴゲーニイを追う。こうしてピョートルにたいする抗議は不幸なエヴゲーニイの死をもっておわる。

筑摩書房、『世界文学大系26 プーシキン レールモントフ』P416-417

ネヴァ河口はじめじめした極寒の湿地で、毎年のように洪水被害に襲われる最悪の土地でした。誰しもがここに街を作るなど狂気の沙汰だと大帝を諫めますが、彼は全く聞く耳を持ちません。

ピョートル大帝は全精力を結集し、9年をかけてサンクトペテルブルクの街を作り上げます。ですがこの最悪の土地の環境は過酷で、この街を作るために大量の農奴が動員され10万人以上の死者が出たと言われています。

これが『青銅の騎士』の物語の舞台背景となります。

ペテルブルクの象徴 青銅の騎士像

そしてこちらがまさしく題にもなっている「青銅の騎士像」です。

プーシキンの『青銅の騎士』はロシア人に対して「幻想的な街ペテルブルク」というイメージを確固たるものにしました。

これによりゴーゴリの『ネフスキイ通り』や『外套』『鼻』やドストエフスキーの『貧しき人びと』が後に生まれてくることになるのです。

『青銅の騎士』が後のロシア人作家に与えた影響は並々ならぬものがあります。

こうした文学的な影響力もさることながら、ひとつの読み物としてもとても面白い作品です。さすがプーシキンの傑作と呼ばれるだけあります。

プーシキンらしく簡潔かつ研ぎ澄まされた表現でどんどん物語が動いていきます。現実と幻想が絶妙に入り混じったプーシキンの世界観がいかんなく発揮されています。これは面白いです。おすすめです。

この記事ではいかにこの作品が奥深いか、そしてロシアの歴史をいかに雄弁に語っているかを伝記作家アンリ・トロワイヤの『プーシキン伝』をもとに解説していきます。プーシキンを知る上で非常に重要な箇所となりますので興味のある方はぜひ読んで頂きたい記事となっています。

プーシキンで最もおすすめ!『スペードの女王』―ドストエフスキー『罪と罰』にも影響!

『スペードの女王』は1833年プーシキンにより発表された作品です。

ドストエフスキーがこの作品に大変な感銘を受け、絶賛したということで読み始めた『スペードの女王』でしたが、これも大変面白い作品です。

ストーリー展開もスピーディーで文庫本で50ページ少々というコンパクトな分量の中に特濃な世界観が描かれています。

日本ではプーシキンはかなりマイナーな部類に入ってしまいますがそれは非常に惜しいことだと思います。

シンプルに面白い!王道中の王道の面白さがこの作品にはあります。

ページ数も少ないので手に取りやすいのも嬉しいポイントであります。ちょっとした読書にももってこいの作品です。

この作品の素晴らしさをドストエフスキーも大絶賛しています。その言葉をここで紹介します。

「幻想が現実とじつにぴったり接触していて、読者は殆ど幻想を信じないわけには行かないほどだ。プーシキンは殆どありとあらゆる美術形式を試みているが、この『スぺードの女王』では幻想的芸術の絶頂を見せてくれる。しかも読者は、ゲルマンが見ていたのは実は幻視なのだ、それもこの男の世界観に合致した幻視なのだ―と思って読んでゆくのだが、さて小説の結末に至って、つまり読了して、はたと当惑してしまう。―果してその幻視がゲルマンの性質から出たものなのか、それともこの男が実際に別世界との接触を経験した連中の一人であるのか、それがいずれとも決しがたいからである……(交霊術―及びその学説)。これこそ芸術品というものだ!」

プーシキン『スペードの女王・ベールキン物語』神西清訳 岩波書店P256-257

読めばわかります!面白いです!

個人的にはプーシキン作品の中で最もおすすめな作品です。

以下完結なあらすじと概要を紹介します。

スぺードの女王(一八三三)はその表現と構成の的確さにおいてプーシキンの散文の一つの頂点を示す作品である。主人公ゲルマンはナポレオンのプロフィルをもった工兵士官で、富の獲得のためには、どのような「悪魔的行為」もあえてする覚悟をもっている。これはロシア文学に登場する、町人的精神の最初の体現者のひとりである。作者は幾多の幻想的な場面を写実的な、合理的な手法をもって読者のまえにくりひろげてゆく。この作品は発表されるとたちまち評判になり、賭博者仲間ではゲルマンのひそみにならって三、七、一と張るのが流行したと言われる。

『世界文学大系26 プーシキン レールモントフ』筑摩書房P415

この記事ではプーシキンとドストエフスキーのつながりやプーシキンのすごさについても解説していますのでぜひご覧ください。

プーシキン晩年の最高傑作『大尉の娘』

『大尉の娘』は1836年にプーシキンによって書かれた歴史小説です。

プーシキン晩年の散文小説の最高峰。実直な大尉、その娘で、表面は控え目ながら内に烈々たる献身愛と揺るがぬ聡明さを秘めた少女マリヤ、素朴で愛すべき老忠僕―。おおらかな古典的風格をそなえたこの作品は、プガチョーフの叛乱に取材した歴史小説的側面と二つの家族の生活記録的な側面の渾然たる融合体を形づくっている。

岩波文庫、神西清訳『大尉の娘』

この作品はエカテリーナ二世治世下の1773-1775年に起こったプガチョフの乱という大規模な反乱を題材とした歴史小説です。

さて、この『大尉の娘』ですがロシア文学史上でも非常に重要な作品とされていて川端香男里氏の『ロシア文学史』には次のように記されています。

すぐれた人物描写が随所に見られ、中でもつつましい素朴な守備隊の大尉は、レールモントフの『現代の英雄』やトルストイの、『戦争と平和』に見られる謙虚なロシア的英雄の原型となっている。

川端香男里『ロシア文学史』岩波書店 P134-135

この作品はあのトルストイの『戦争と平和』にも大きな影響を与えた作品だったのです。『大尉の娘』の巻末解説には次のようにも書かれていました。

大尉ミローノフの性格は、平生讚辞にかけては極度にやぶさかであったレフ・トルストイをして「深く心を打たれた」と告白させ、「これが本当の勇者だ、思わずそう口ずさまずにはいられなかった」と述懐させている。

岩波文庫、神西清訳『大尉の娘』P285-286

伝記作家のアンリ・トロワイヤもこの作品を激賞しています。

『大尉の娘』は、心理描写と表現の傑作である。着想の見事さに、文の構成と用語の驚嘆すべき確かさが対応している。ロシア語は、この一見ざっとした物語以上に立派に構成された、完璧で申し分のないものは何も産み出したことがない。

アンリ・トロワイヤ『プーシキン伝』篠塚比名子訳 P625

プーシキンはこの作品でも動詞を中心としたテンポのよい語り口、そして無駄な形容語を一切省いた簡潔な文体で物語を描いていきます。

また、この作品は単に面白いというだけではなくロシア文学史上での大事件でもありました。彼は歴史に埋もれた名も無き人びとを文学の世界に引き上げたのです。トロワイヤはこう言います。

プーシキン以前には、文学は、埋もれた生涯や控え目な勇気の例や平凡な悲嘆のしるしを軽んじて、仰々しい名前や並外れた体質を持つ傑出した人物たちのグループからしか主人公を選ばなかった。

プーシキン以前には、「主人公」と「群集」とは越えがたい溝で分けられていた。主人公は孤立と照明という特権にあずかっていた。群集は端役の淋しい役回りに甘んじていた。

プーシキンによって、群集は暗がりから出てくる。プーシキンのおかげで、一少尉が、地方の一大尉が、そうきれいでもそうりこうというわけでもない孤児の一少女が、つましい暮らしを送っている一女性が、一従僕が、文学の世界で市民権をもらうのである。

アンリ・トロワイヤ『プーシキン伝』篠塚比名子訳 P623

これは現代小説に慣れ親しんだ私たちには一見些細なことに思えるかもしれませんが、当時の時代背景を考えれば、とてつもない発想の転換だったのです。

こうしたプーシキンの偉業があったからこそ世界文学の最高峰と呼ばれるトルストイの『戦争と平和』が後に生まれてくるのです。

もちろん、ドストエフスキーもそんな彼の影響を色濃く受けているのであります。

『大尉の娘』は驚くほどすらすら読むことができました。これはまさしくプーシキンの文体のなせる技だと思います。

『大尉の娘』はその無骨なタイトルの影響もあるかもしれませんが、なかなか一般の人が「おっ、これ読んでみようかな」となるような本ではありません。

ですがこの作品はとにかく面白く、読みやすいです。ぜひともおすすめしたい傑作です。

おわりに

ここまでプーシキンの作品を紹介してきましたが、初めて目にする作品も多かったのではないかと思います。というより、そもそもプーシキンという人の存在を初めて知ったという方も多いかもしれません。

かく言う私自身もドストエフスキーを学ぶ上で初めて知ったくらいでした。

プーシキンは日本においてはマイナーな存在です。

ですがこの状況は非常にもったいないように思います。

彼の作品たちがマイナーな古典として眠り続けるのはとてつもない損失のように思えます。

私自身こうしてドストエフスキーのことを学ぶ過程で知り合ったくらいなので偉そうには言えないのですがこうして出会ったのも何かの縁。

プーシキンは本当に面白い作品をたくさん出しています。現代小説と比べても全く遜色ありません。古典だからと敬遠するのはもったいないです。驚くほど読みやすく、そして内容の濃さも超一流です。

ドストエフスキーやトルストイを読まれた方なら特にプーシキンはおすすめです。彼らがいかにプーシキンの影響を受けているかがわかり、読んでいてとても興味深い体験になると思います。

ぜひこのブログをきっかけにプーシキン作品に触れて頂けましたら幸いでございます。

以上、「プーシキンおすすめ作品一覧―ドストエフスキーの心の師匠!日本でマイナーなのがあまりにもったいない作家!」でした。

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