プーシキンをこよなく愛したドストエフスキー。伝説のプーシキン講演とは

ドストエフスキーとロシア

プーシキンとドストエフスキーの関係と伝説のプーシキン講演

ドストエフスキーがプーシキンを特に尊敬していたことは前回の記事でも述べました。

尊敬するプーシキンが決闘で亡くなったという知らせを聞いたときの彼のショックは並々ならぬものがあったようです。モチューリスキーの『評伝ドストエフスキー』には次のように述べられています。

兄弟はプーシキンの詩をそらで言えるほどよく知っていた。プーシキンが決闘で殺されてから、フョードルはよくこう語った。「もしもあのとき、家族が喪に服していなかったら(プーシキンの死後、ひと月ほどして母親が亡くなったのだ)、わたしはプーシキンの喪に服する許しを乞うていたことだろう」と。

モチューリスキー『評伝ドストエフスキー』松下裕・松下恭子訳P13

「兄弟」というのはフョードル・ドストエフスキー本人とその兄ミハイル・ドストエフスキーのことです。

そしてこの文章ではちょっとわかりにくいのですが、プーシキンが亡くなったという知らせがドストエフスキーのもとに届いたのがかなり遅れたため、母の死よりも後に彼の死を知ることになったのです。だからプーシキンの死を知った時にはすでに母の喪に服していたのです。

また、ドストエフスキーの最晩年の1880年にはモスクワでプーシキン像の除幕式という大々的なイベントが行われることとなりました。この除幕式での記念講演こそロシア文学史上の大事件であり、ドストエフスキーの名を不朽のものとした偉大な講演であったとされています。

その時の顛末を同じく『評伝ドストエフスキー』より引用します。

 モスクワのプーシキン銅像除幕式は、一八八〇年五月二十六日に行なわれることが決まっていた。ドストエフスキーとツルゲーネフは、ロシア文学愛好者協会から、この偉大な詩人について祝典で講演するようにと招待された。

 ドストエフスキーは長引いている「カラマーゾフ兄弟」の仕事を中断し、プーシキン講演の準備に意気ごんで取りかかった。彼は生涯変わることなくプーシキンに畏敬の念を抱き、この詩人をロシア文学の最も偉大な才能、心の師父と考えていた。(中略)

彼のプーシキン講演が終わると、聴衆は興奮の渦につつまれた。ロシアの精神文化史をつうじて、この日ほどのすばらしい一日はなかった。彼は式典から戻って妻にあてて書いている。「きょう午前、愛好者協会のわたしの講演があった。会場は超満員だった。いや、アーニャ、いや、この講演がどんな感銘を与えたか、けっして推測も想像もつかないだろうよ。わたしは大きな声で、燃えるような熱意をこめて話した。タチヤーナについて述べたことはすべて熱狂的に受け入れられた(これは二十五年来の誤解にたいするわれわれの思想の偉大な勝利だ!)。人間の全世界的結合を提唱して結びとすると、会場は狂乱状態だった。講演を終わると―聴衆の唸り声や歓喜の叫び声についてはもはや書かぬことにしよう。見知らぬ聴衆同士が涙を流したり、泣いたり、抱き合ったりして、たがいにもっといい人間になろう、これからは憎みあわずに、愛し合おうと誓い合っていた」(六月八日づけ)

「あなたはわれわれの聖者です、あなたはわれわれの予言者です」「あなたは天才だ、天才以上だ」と叫ぶ者がいた。三十分ものあいだアンコールの声がつづいた。聴衆は熱狂していた。ある学生が涙を浮かべて駆け寄って来たが、失神して彼の足もとに倒れてしまった。ツルゲーネフは、感動のあまり、旧敵を抱擁した。会は一時間中断された。そのあとイワン・アクサーコフが聴衆に、自分はドストエフスキーの天才的な講演のあとではとうてい話すことができない、彼の言葉はロシア文学の一事件だと見なすと述べた。またもや嵐のような拍手が巻きおこった。聴衆はアクサーコフにぜひ講演してほしいと頼み、講演が終わるとドストエフスキーを壇上に呼び出して、ロシアの女性たちからの月桂冠を捧げた。

 その夜の文学祭で、「カラマーゾフ」の作者はプーシキンの詩「予言者」を朗読した。くたくたに疲れてはいたが、彼は弱々しい、聞きとりにくい声を振りしぼった。会場はまたもや「狂乱状態」となって、またもや「歓喜の叫び声」が渦巻いた。ロシアの読書人はこぞって、自分たちの「予言者」に栄冠を授けたのだ。ドストエフスキーの全作品をとおして、彼の愛したイメージの一つは、斜めにさす夕陽の光だった。この栄光も、こういう落日の最後のきらめきにほかならなかった。寿命はもうあと八カ月もなかった。

 プーシキン講演は、この偉大なロシアの詩人についてのドストエフスキーの二十年来の思索の結実だった。そのあらましは、早くも一八六一年の『時』にのったいくつかの論文に伺うことができる。プーシキンは常に、彼の歴史体系の中心に立っていた。彼は、プーシキンの人間像に、ロシアの運命と使命を解く鍵を見つけようとしていた。ドストエフスキーは、プーシキン祭の講演で、みずからの最も重要な思想と期待を、華麗な芸術型式で表現したのである。講演者の雄弁は、予言者の激しい熱情と合わさっている。

モチューリスキー『評伝ドストエフスキー』松下裕・松下恭子訳P703-705

途中、中略しましたが『評伝ドストエフスキー』にはこのプーシキン像除幕式の講演の様子が詳しく紹介されています。

ですがこの時の講演の様子が最も生き生きと描かれているのはアンリ・トロワイヤの『ドストエフスキー伝』です。

このブログでももうお馴染みになりましたアンリ・トロワイヤによるドストエフスキーの伝記ですね。

この伝記の特徴はアンリ・トロワイヤ得意の小説タッチの物語的な語り口でドストエフスキーが語られるところです。

プーシキン講演はドストエフスキーが亡くなる前の年の出来事です。

病気が進行し『カラマーゾフの兄弟』の執筆だけでもやっとの状態で、命がけで臨んだ講演です。

おそらくこの遠征が彼の命を縮めることになってしまったのかもしれません。

ですが彼にとってプーシキンという詩人に対する思いはそれほどのものだったのです。命をかけてでも臨むべき戦いだったのです。

そんなドストエフスキーの最大の盛り上がりがこのプーシキン講演の大成功であり、彼の講演を聞いた聴衆の熱狂は読んでいるこちらが驚いてしまうほどです。

アンリ・トロワイヤはそんな熱狂とドストエフスキーの心情を感動的に描いています。

私は読んでいて思わず涙ぐんでしまいました。

苦労人ドストエフスキーがこんなにも大勢の人に認められ喝采を浴びた。

そして講演後、プーシキン像の前に一人たたずむドストエフスキー。彼はそこで何を思い、何を感じたのだろうか。

ドストエフスキーの伝記を読んでまさかこんなに感極まってしまうとは思ってもいませんでした。

アンリ・トロワイヤの『ドストエフスキー伝』のおかげで私はドストエフスキーにたいしてより強い共感を覚えるようになったのだと今では思います。

そういうわけで、プーシキン講演について興味のある方はぜひアンリ・トロワイヤの『ドストエフスキー伝』をおすすめします。

また、プーシキン講演の内容はドストエフスキーの『作家の日記』に収められています。詳しい内容や思想面について興味ある方はそちらを参考にして頂ければ読むことができます。

ドストエフスキーは生涯プーシキンの強い影響を受けていました。

この後の記事でプーシキンの個々の作品を見ていきながらドストエフスキーとのつながりを考えていきたいと思います。

以上、「プーシキンをこよなく愛したドストエフスキー。伝説のプーシキン講演とは」でした。

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