暴君!?名君!?イヴァン雷帝の混沌たる精神とは!ロシアの謎に迫る鍵!

イヴァン雷帝 ロシアの歴史・文化とドストエフスキー

暴君!?名君!?イヴァン雷帝の狂気をはらんだ圧倒的スケール~ロシア的精神の源流とは

今回の記事では以前の記事でもお話ししましたイヴァン雷帝についてお話ししていきます。

今回もまずは年表を用いてざっくりとその治世を確認していきましょう。

1237 チンギスハンの孫バトゥ指揮下のモンゴル軍、ロシアに侵攻

1240 キエフが陥落

1243 キプチャク・ハン国成立。「タタールのくびき」の始まり。

1480 「タタールのくびき」からの離脱

1530 イヴァン4世(雷帝)誕生

1533 イヴァン雷帝即位

1547 イヴァン雷帝、「全ロシアのツァ―リ(皇帝)」として戴冠。親政開始

1552 カザン・ハン国を征服。赤の広場にヴァシーリー聖堂建立

1565 恐怖政治―オプリチニナ政策が始まる

1570 ノヴゴロド略奪、反対派の大量処刑

1584 イヴァン雷帝死去

『興亡の世界史 第14巻 ロシア・ロマノフ王朝の大地』を参考

タタールのくびきというモンゴル軍の支配からやっと抜け出したロシア。

徐々に徐々に力を蓄え始めたロシアの中で1530年、圧倒的なスケールの王、後に雷帝と呼ばれる赤子が誕生します。それがイヴァン4世です。

ちなみに日本の圧倒的カリスマ指導者織田信長が生まれたのは1534年。イヴァン雷帝の4歳下です。

同じ時代に日本でも圧倒的な指導者が生まれていたというのは興味深い事実ですね。

その他おおまかな流れは以前の記事を参照して頂ければと思います。

今回はアンリ・トロワイヤの『イヴァン雷帝』の訳者あとがきに彼の人生が簡潔にまとめられていましたのでこちらを読んでいきましょう。

 幼くして父母を失ったモスクワ大公イヴァンは、禿鷹のように権力を奪い合う大貴族にかこまれて、嗜虐的な少年に成長し、

 麗しき伴侶アナスタシヤを得たのちは、貴族、教会の勢力を殺ぎ、国威を高めて名君と称えられたが、

 妻が毒殺されると報復と称して忠臣を片はしから拷問にかけ、前代未聞のスケールで人民を虐殺した。

 彼は、教会の掟を破ってつぎつぎと八人の妻を娶り、放蕩にふける一方で、イングランドの女王エリザベス一世に結婚を申しこみ、

 無謀な領土拡張を試みて遠征軍の非道な掠奪を奨励しながら、わが身の安全をなによりも優先し、

 下級貴族から親衛隊を編成して国内に恐怖政治をしいた。

 ところでこうした人倫にもとる行為やかずかずの暴虐は、われこそは神の同列なりとする奇妙な信仰に支えられていたのであり、たとえば処刑をする場合、不正を罰するツァーリは神の手先にすぎないが、一方、正しき者に無償の苦しみを与えれば、そのときツァーリは神と対等な絶対者になるというのだった。

 その彼が、ふとしたことから最愛の息子をみずからの手で殺めてしまう。彼は、後悔を知り、妄想に悩まされ、奇病にとりつかれて、無残な最期な遂げる。

アンリ・トロワイヤ『イヴァン雷帝』工藤庸子訳 中公文庫P298-299

続けて訳者の工藤氏はイヴァン雷帝について次のように述べます。

 たしかに偉大な君主というものは、往々にして名君であると同時に暴君である。イヴァンの偉業が、あの幻想的なヴァシーリー・ブラジェーンヌィ寺院に象徴されて、いまでもモスクワを訪れる人々の胸をうつとすれば、一方でまた、彼が臣下や外国人に対しておこなった凄惨な迫害も、数多くの証言や彼自身が残した記録のなかに、厳然たる事実として書きとどめられている。だが、それだけで、イヴァンが善悪の両極に引きさかれた二重人格的な人間だと考えるのは、あまりに図式的にすぎるだろう。

アンリ・トロワイヤ『イヴァン雷帝』工藤庸子訳 中公文庫P299-300

ヴァシーリー・ブラジェーンヌィ寺院は、

年表の記事で紹介した土肥恒之氏の『興亡の世界史 第14巻 ロシア・ロマノフ王朝の大地』の表紙の写真にあるあの有名な玉葱ドームのカラフルな教会です。これはイヴァン雷帝がカザンを征服したことを記念して建てられた、イヴァン雷帝を象徴する建造物です。

イヴァン雷帝が名君か暴君か、これは簡単な問いではありません。

川又一栄氏の『イヴァン雷帝―ロシアという謎―』には同じようにイヴァン雷帝に対して次のように述べられています。

 十六世紀ロシアに史上初めてツァーリ(皇帝)として戴冠したイヴァン雷帝―。この専制君主なくして、ロシアは近代国家の曙を迎えることがなかった点は衆目の一致するところではあるが、また「雷帝」の名で呼ばれたツァーリほど毀誉褒貶の著しい男もいない。

 当時実権を握っていた貴族勢力と闘い、中央集権政治を確立した賢帝は同時に、恐怖政治を敷いて「親衛隊」による残虐極まりない殺戮を繰り返した。周辺強大国の脅威を撥ねのけ、民族の独立を守り抜いた愛国者はまた、西欧文明に強い関心をいだき、積極的に門戸を開こうとした。罪を悔い、夜を徹して聖堂で祈りながら、陽が昇ると拷問の快感に身を任せることができたし、古典の引用をちりばめた書簡を書き上げる知識人でありながら、野卑で猥雑な冗談をことのほか好んだ……。

 驟雨と陽光がめまぐるしく交代するロシアの気紛れな天気のように、イヴァン雷帝の生涯は不可解な矛盾で彩られている。自信と不安、大胆と小心、高慢と卑下……極端から極端に揺れる性格を付け加えれば、そこに狂気と紙一重の精神を認めることもできる。エイゼンシュテイン監督が自作シナリオに、

―狂気の混らない偉大な精神はない。

というセネカの言葉をエピグラフとして付したのも、そのことを指している。

 後に「二十世紀のイヴァン雷帝」とも呼ばれることになるスターリンは、自身を雷帝になぞらえた。そして、雷帝の誤りは敵を根絶すべきときに躊躇したことだと指摘することによって、敵を倒すためならすべてが赦されるという自己正当化を導き出すのである。

川又一栄『イヴァン雷帝―ロシアという謎―』新潮選書P14-15

ここまで2人のイヴァン雷帝評を見てきましたが、率直に言うと、やはりイヴァン雷帝というのは私たちの理解には収まりきらない巨大なスケールを持った謎の人物ということになるでしょう。

工藤氏はこう言います。

 よく聞かれる言葉だが、「スラヴ的混沌」という表現がある。ロシアは得体の知れぬ国だ、気ちがいじみた国だ、西欧の理性的言語では裁断できぬミュトス(※神話)の世界だ、という印象を表わした言葉である。イヴァン雷帝は、その「ミュトスの世界」の住人だった。彼の生涯を個別的な「狂気」の症例として捉えたり、あるいはまた、野蛮と後進性の不幸な産物として片づけるならば、わたしたちは、この謎めいた国に一歩も近づくことはできないだろう。

アンリ・トロワイヤ『イヴァン雷帝』工藤庸子訳 中公文庫P301

「ロシアは全く理解ができない謎の国だ」

理性的なヨーロッパ人にとって、非合理的な謎の精神構造を持った訳の分からない国こそロシアでした。極端から極端へと一足飛びで揺れ動く精神。合理的な思考に慣れた西洋人には理解不能な精神だったのでしょう。

暴君だけれども名君?死してさらに愛されるイヴァン雷帝

たしかにイヴァン雷帝はロシアで初めて正式にツァーリと名乗り、その圧倒的指導力でロシアをまとめあげました。その結果ロシアは強国としての道を歩み始めます。

しかしそれは邪魔者や少しでも気に食わないものを片っ端から追放、虐殺し、証拠があろうがなかろうが皇帝の気分ひとつで拷問が行われ強制的な自白を強いられるという恐怖政治を招くことになりました。

アンリ・トロワイヤの『イヴァン雷帝』ではそうしたイヴァン雷帝の凄まじい虐殺や拷問の様子を生々しく描いています。

年表では、

1565 恐怖政治―オプリチニナ政策が始まる

1570 ノヴゴロド略奪、反対派の大量処刑

『興亡の世界史 第14巻 ロシア・ロマノフ王朝の大地』を参考

とだけ書かれていますが、これは彼の最大の暴虐ぶりが現れたワンシーンにすぎません。

実は彼の暴虐ぶりは13歳の頃から片鱗を見せ始め、権力を掌握してからもそれが止むことはなかったのです。

そして1565年から亡くなる1584年までその政治は続きます。

あまりにその恐怖政治が凄惨だったせいで、ついには国が荒廃してしまったほどです。そのため途中でオプリチニナ政策という悪名高いツァーリの特別部隊による暴虐は廃止されることにはなりましたが、国民は最後まで彼に恐れおののくことになったのです。

しかし、彼が亡くなった後、恐怖政治が終わりめでたしめでたしとなったかというと、実はそうではありません。

暴君とはいえ圧倒的な指導者を失った宮廷は、大貴族たちの権力闘争の場に元通り。内紛が続き国内は大混乱に陥ります。

不思議なことに、いざいなくなってしまえばかつてはあんなに恐れていた暴君が素晴らしい名君に思えてきます。

あのお方がいてくれたらこんなことにはならなかったのに・・・と国民たちはあのイヴァン雷帝の恐怖を忘れて絶対的な指導力を恋しく思ってしまうのです。

イヴァン雷帝は自らを「神に選ばれたロシアのツァーリ」と喧伝していました。

広大なロシアをまとめることができるのは神に選ばれた圧倒的な人間をおいて他にない。

イヴァン自身も国民たちもそう思うようになっていたのです。

イヴァンの雷帝「グローズヌィ」という呼び名は、ドイツ語では「シュレックリヒ」、英語、フランス語では「テリブル」と訳されているが、歴史家ヴィッぺルによれば、「グラザー」に由来するこの語には、ただ「恐しい」という意味だけでなく、一種威厳にみちた愛国的な響きがあるという。イヴァンが内にかかえていたのは、善と悪の倫理的葛藤とはまったく質の異なるもの、そうした葛藤をのみこんでしまうようなとほうもないエネルギーだった。彼のなかには、まさしく「恐るべき嵐」が吹きあれていたのである。

アンリ・トロワイヤ『イヴァン雷帝』工藤庸子訳 中公文庫P300

訳者の工藤氏が言うように、雷帝という名は単に「恐ろしい」という意味を超えたもっとスケールの大きな名前なのです。

言うならば雷というように大自然の圧倒的パワー、あるいは圧倒的な被害をもたらす自然災害のようなイメージがそこには込められています。

たしかに彼は暴君であり、虐殺を繰り返したかもしれない。

しかし雷帝は圧倒的なスケールでロシア国土をまとめ上げ、強国への道を切り開きました。

彼が通りすぎていく様はまるで嵐。

ロシア国民にとってはたしかに甚大な被害は受けたものの、それは人知を超えた自然災害のようなものだったのです。

自然は人間をいとも簡単にねじ伏せる災害をもたらしますが、同時にやはり人間を生かす圧倒的な力そのものなのです。

そしてさらに、ロシアの国土はあまりに広大です。

私達日本人にはわからないスケール感がそこにはあります。

気候と風土は人間の精神に必ず影響を与えます。

そうした意味でも、規格外のスケールを持ったイヴァン雷帝が恐れられつつもロシア人の心に訴える何かがあるのでしょう。

暴君がいいか悪いのかはまた別問題なのでここではお話ししませんが、暴君、名君ということについて考えるにはイヴァン雷帝という人物は非常に面白い人物でありました。

参考文献の紹介

イヴァン雷帝については多くの本が出ていますが、私が参考にしたのは3冊の雷帝の伝記本です。かなりざっくりとではありますがこれから紹介していきます。

アンリ・トロワイヤ『イヴァン雷帝』工藤庸子訳 中公文庫

こちらは『ドストエフスキー伝』、『プーシキン伝』、『大帝ピョートル』などを著した世界的伝記作家アンリ・トロワイヤによる伝記です。

『ドストエフスキー伝』は以前私のブログでも紹介しましたが、アンリ・トロワイヤの伝記の特徴はとにかくドラマチックで読みやすいというところにあります。

無味乾燥な固い歴史本というよりも、まさに小説といってよい語り口です。

ですのでとても楽しく読書することができます。

イヴァン雷帝がどんな人物で何を行ったかを知るにはこの本は最適です。彼の残虐行為は目を疑うほどの凄惨さです。アンリ・トロワイヤはそれを迫力ある筆致で追っていきます。

同時に彼のなした偉業や、あまりに巨大なスケール感も感じることができます。

これを読めば暴君、名君ということについてとても考えさせられます。

文句なしに面白い1冊です。歴史小説として気軽に手に取ってみる価値ありです。

川又一栄『イヴァン雷帝―ロシアという謎―』新潮選書

著者の川又一栄は1944年東京生まれの作家で、主な著作に『さすらいびとの唄』、『ニコライの塔―大主教ニコライと聖像画家山下りん』、『聖山アトス―ビザンチンの誘惑』、『甦るイコン―ロシアを映し出す鏡』などがあり、ロシア正教、ロシア文化に造詣が深い作家として知られています。

川又氏はこの本について次のように述べています。

イヴァン雷帝のことは、いつかは書きたいと思っていた。16世紀に君臨した独裁者はロシアという謎を解く鍵であるのみならず、「悪」をかかえこんで生きざるをえない人間の原点でもある。

川又一栄『イヴァン雷帝―ロシアという謎―』新潮選書P233

雷帝に関しては、後述の邦訳以外にも数多くの伝記が書かれている。ロシア語のものに西欧諸語による書を加えれば、うずたかく山をなすだろう。歴史家ではない私は、史料を駆使して雷帝の治績を語る先達諸家の叙述と同じ途をなぞるつもりはなかった。雷帝を「神の高みに昇ろうとして、なりきれなかった男」と考える私には、「残虐な独裁者」というステレオタイプ化した観点では雷帝を捉えきれないように思えた。

川又一栄『イヴァン雷帝―ロシアという謎―』新潮選書P233

 十六世紀ロシアは信仰の世紀である。ツァーリの名の下で神権思想に育まれた雷帝の生涯は、極端から極端に揺れ動く矛盾に満ちた行動で貫かれている。本書は、のちにスターリンによって「神が偉大なる事業を邪魔した」と評されることになる独裁者を、その「神」をキーワードにして読み解こうとした試みと解釈していただいてもよい。ツァーリとして生きた人間を治績抜きに描くことができないのはいうまでもないが、私がロシアの正教にことさらこだわったのはそのためである。

 イヴァン雷帝は晩年、自らが処刑を命じた犠牲者の名簿作成に取りかかっている。死者を連禱のなかで記憶するという正教会の慣習を知らないと理解しづらいが、私はその行為に権力者としての生を宿命づけられた雷帝の悲劇を見る。

川又一栄『イヴァン雷帝―ロシアという謎―』新潮選書P234

アンリ・トロワイヤの伝記は読み物として非常に面白いものでした。それに対し川又氏のこの作品はまた違った視点からのイヴァン雷帝を知ることができます。

彼は単なる暴君というわけではなく、残虐をしたかと思えば、神にひれ伏してもがき苦しみ、いつ自分が神に裁かれるかという不安の業火に焼かれる一面も持ち合わせています。

単にイヴァン雷帝を圧倒的な暴君と見るのではなく、善と悪を揺れ動くもっと人間的な側面をロシア正教の信仰や文化と絡めて川又氏は探究していきます。

「ロシア的精神とは何か」という問いを考える上では非常に興味深い作品となっています。アンリ・トロワイヤの伝記と合わせて読むとさらにその違いもわかって面白かったです。

R・G・スクルィンニコフ『イヴァン雷帝』栗生沢猛夫訳 成文社

著者のR・G・スクルィンニコフは1931年生まれのサンクトペテルブルク大学歴史部教授を務める学者です。(※1994年当時)

この本の特徴は歴史資料を緻密に分析し、謎に満ちたイヴァン雷帝の行動や心理をできるだけ客観的に著述しようとしている点にあります。

訳者あとがきにはこのことについて次のように述べられています。

 雷帝の治世は稀にみる矛盾に満ちた時代となった。そこでは勝利は敗北と背中合わせになっていたし、経済発展と都市の成長の背後では経済の危機と都市の農村化が進行しつつあった。

R・G・スクルィンニコフ『イヴァン雷帝』栗生沢猛夫訳 成文社P373

 矛盾した時代はまた一つの矛盾した個性をその立役者として登場させた。イヴァンは知的にして粗野、大胆にして疑心暗鬼、勇敢にして臆病、信心深くして涜神的、行動的にして思索的、迫害者でありながら受難者、慈悲深くして残忍であった。また愛情と憎悪、忍耐と癇癪、信頼と不信、天才と狂気、無垢と狡猾、尊大と卑下、自信と後悔、改革と時代錯誤、建築と破壊が同時に彼の個性を彩っていた。

R・G・スクルィンニコフ『イヴァン雷帝』栗生沢猛夫訳 成文社P373

 それゆえこのような時代とその立役者に、これまで数多くの著作や作品―研究文献のみならず、同時代人の回想、年代記の記事、民話、民謡、後代の小説、絵画、演劇、映画、音楽等々―が捧げられてきたとしても不思議ではない。しかるにこれらの作品における雷帝像は実に多様で、一致した像はなかなか描かれなかった。雷帝の政策と密接に結びついた残虐行為は容易に理解されがたかったし、彼の心理状態はあまりに謎めいていたからである。そのためときには、雷帝を国家理性を冷徹に実現した偉大なる支配者とみる人々がいると同時に、逆に彼を狂人とまでは言わずとも、精神的な病人とみる人々も跡を絶たなかったのである。一つだけはっきりしていたのは、雷帝を論じる者は、自ちがおかれた時代と状況に規定されていたということである。雷帝論は多くの場合極めて政治的であったし、従って客観的評価であるよりは、非難や称賛であった。

R・G・スクルィンニコフ『イヴァン雷帝』栗生沢猛夫訳 成文社P374

イヴァン雷帝をどう見るかはスクルィンニコフ以前には政治的な状況に強い影響を受けていて、なかなか客観的な分析をされることはありませんでした。

彼を偉大な人物と見るか、単なる精神病者とみるかと評価が分かれたのです。

ですが実はこれ、ドストエフスキーも一緒です。

ドストエフスキーに対する評価が異常に分かれるのも、こうした社会情勢との関係があります。

当時の社会情勢やその人その人がイヴァン雷帝やドストエフスキーを「どう見たいのか」がそのまま反映されてしまうのです。それほど謎に満ちた人間なのです。先に引用した、

矛盾した時代はまた一つの矛盾した個性をその立役者として登場させた。イヴァンは知的にして粗野、大胆にして疑心暗鬼、勇敢にして臆病、信心深くして涜神的、行動的にして思索的、迫害者でありながら受難者、慈悲深くして残忍であった。また愛情と憎悪、忍耐と癇癪、信頼と不信、天才と狂気、無垢と狡猾、尊大と卑下、自信と後悔、改革と時代錯誤、建築と破壊が同時に彼の個性を彩っていた。

R・G・スクルィンニコフ『イヴァン雷帝』栗生沢猛夫訳 成文社P373

という言葉は、まさしくドストエフスキー作品に当てはまる言葉でもあります。

そもそも矛盾をはらんだ性格と、極端から極端という両面を見せる行動が解釈、いや想像の余地を無限に広くしてしまうのです。

このことについては以前紹介した「ドストエフスキー資料の何を読むべき?―ドストエフスキーは結局何者なのか」の記事と、フランスの文豪エミール・ゾラとドストエフスキーを比べた「日本ではなぜゾラはマイナーで、ドストエフスキーは人気なのか⑶―ゾラとドストエフスキーの人間観の違い・空白の有無」でも詳しくお話ししています。

R・G・スクルィンニコフの『イヴァン雷帝』はそうした社会情勢の影響をできるだけ軽減し、資料を丁寧に分析することで客観的な記述を試みています。

もちろん、スクルィンニコフも人間ですので100%客観的とはいきません。しかし、原資料を駆使して歴史的事実をしっかりと積み上げ分析していく姿勢は非常に有益であると思います。

おわりに

トロワイヤ、川又一栄、スクルィンニコフという、3つの伝記を比べながら読むことでイヴァン雷帝の様々な側面を学ぶことができました。

個人的には、読み物として1番面白かったのはアンリ・トロワイヤ、意外な発見が多く、より知的興奮を味わうなら川又一栄、歴史的史実として一旦自分の心を落ち着かせ、じっくりとイヴァン雷帝と向き合うにはスクルィンニコフの伝記がよいかなと思いました。

いきなりスクルィンニコフの伝記を読んだら挫折してしまうかもしれません。

まずはアンリ・トロワイヤか川又一栄の『イヴァン雷帝』を読むことをおすすめします。

イヴァン雷帝は非常に興味深い人物です。

謎の多いドストエフスキー作品を考えていく上でこの人物を知ることができたのはとてもありがたいことでした。

シンプルに読み物として、歴史物語としてもとても面白いので『イヴァン雷帝』はとてもおすすめです。彼を知ることは「かつての古い歴史」を学ぶというだけではなく、「今現在の私たちの世界」を知る手がかりになります。

それほど示唆に富んだ人物です。

ぜひイヴァン雷帝の圧倒的スケールを皆さんも体験して頂けたらなと思います。

以上、「ロシアの謎に迫る鍵!暴君!?名君!?イヴァン雷帝の混沌たる精神」でした。

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