プーシキンに続くロシア文学界の星ゴーゴリとドストエフスキー

ドストエフスキーとロシア

プーシキンに続くロシア文学界の星ゴーゴリ

これまでの記事でドストエフスキーが最も敬愛していたプーシキンについてお話ししてきましたが、今回からそのプーシキンの後にロシア文学界を牽引したゴーゴリについてお話ししていきます。

ゴーゴリもドストエフスキーが非常に好んでいた作家で、彼のデビュー作『貧しき人びと』はゴーゴリの影響を強く受けていると言われています。

また、晩年には彼の子どもたちにゴーゴリの『タラス・ブーリバ』を読んで聞かせたりするなど、生涯を通してこの作家に対する愛情がうかがわれるエピソードが残っています。

では、早速ゴーゴリの来歴を見ていきましょう。

ニコライ・ヴァシーリエヴィチ・ゴーゴリ=ヤノフスキイ(一八〇九-五二)は、ウクライナのポルターヴァ県ミールゴロド郡ソローチンツィ村のコサックの地主貴族の子として生れ、一八二一年、ネージンに新設された高等中学校(リツェイ)に入学した。プーシキンの学んだリツェイと同じく、ここでも詩を作る生徒たちが数多くいて手書きの同人誌を作り、ゴーゴリも数多くの作品を書いたらしい。優れた文才を初めから示したとは言えなかったが、演技者の才能はあり、人の仕草を真似したり仇名をつけたり諷刺詩を書いたりした。父はアマチュアの演劇作家でウクライナ語で詩や喜劇を書いた。ゴーゴリはその血を引いていたらしい。ひよわで内気で背の低い少年は、文学と想像の世界に早くから救いを見出したのだった。

川端香男里『ロシア文学史』岩波書店 P152

ゴーゴリはドストエフスキーの12歳年上にあたり、ウクライナで生まれた作家です。

彼の作品はユーモアあふれる風刺が特徴で、彼のユーモアは少年時代からすでに発揮されていたようです。

作家としての活動は以下の著作一覧にありますように多くの作品を残していますが、晩年は精神的な危機に陥り、1852年にその生涯を終えています。

ゴーゴリの主要著作

1831-1832『ディカーニカ近郊夜話』
1835『ミールゴロド』(中編著作集で『昔気質の地主たち』『タラス・ブーリバ』『ヴィイ』などが収められています)
1835『ネフスキイ大通り』、『狂人日記』、『肖像画』
1836『鼻』、『検察官』
1842『ローマ』、『死せる魂 第一部』、『外套』
1852『死せる魂 第二部』(未完)

ゴーゴリとペテルブルクもの

ゴーゴリは1835年からペテルブルクを舞台とした幻想的な小説を書き始めます。

もともとはプーシキンの『青銅の騎士』『スペードの女王』によって生み出された幻想の都市ペテルブルクのイメージをゴーゴリはさらに進めて自家薬籠中の物としました。

ロシア文学者の川端香男里氏は次のように述べています。

ゴーゴリはウクライナからぺテルブルグヘと眼を転じ、文集『アラべスキ』(一八三五)以後、首都の貧しい芸術家や下級官吏の生活を描いた「ペテルブルグ物」と呼ばれる短篇を次々と書いた。

初期の作品で賑やかにはねまわっていた悪魔たちは一見この北の都からは姿を消したように見えるが、この文集におさめられた『ネフスキイ大通り』や『肖像画』にも魔的な力は強力に働いている。

信仰心篤い母親の影響下に育ったゴーゴリは、悪魔の力が人間を常におびやかしているという、中世以来民衆の間に深く根づいている感覚に支配されていた。地獄と死に対する恐怖がゴーゴリにとっては最も強力な情念であった。

『アラべスキ』に収められた第三の作品は、小官吏の上官の娘への不幸な恋心を扱った『狂人日記』であるが、これら三篇のペテルブルグ物に共通して見られるのは、一見華やかに見える首都の生活の空しさや虚妄の認識であり、また恋とか富への願望という情熱による人間の破滅というテーマで、いずれも後にドストエフスキイによって展開されるいわゆる「ペテルブルグの神話」テーマである。
※適宜改行しました

川端香男里『ロシア文学史』岩波書店P155-156

ドストエフスキーにも直接影響を及ぼしたペテルブルクものを確たるものとしたのがこのゴーゴリであり、ドストエフスキーのデビュー作『貧しき人びと』はまさしくこうした流れから生まれてきたのでありました。

ロシアリアリズム文学の先駆けとしてのゴーゴリ

ロシア文学作品の解説を読んでいるとよく出てくるのがこのリアリズムという言葉です。

わかるようでよくわからないこの「リアリズム」という単語。

このリアリズムという小説ジャンルが生まれてきたのもゴーゴリがきっかけなのです。

ゴーゴリはロシアリアリズムが生まれる土壌を作りました。

こちらも川端氏の解説が非常にわかりやすかったので少し長くなりますがこちらに引用します。

 一八四二年から一八四五年の間に、主としてゴーゴリの影響下に、ジュール・ジャナンら熱狂派を中心とするフランス作家、初期ディケンズ作品などの影響も加わって「自然派」と呼ばれる文学流派が形成された。この派の好んだのは、「フィジオロジー」ないしは「生理学的スケッチ」というジャンルであった。

 この派の特徴は多くゴーゴリに由来している。テーマ、プロット、主人公の「格下げ」、おとしめ(主人公が動物や植物と比較されることなど)、現実の下層の汚れた側面の意図的誇張、日常生活の「生理学的」処理(食べたり、飲んだり、喫煙したり、排泄したり、鼻をかんだりする無意味な動作)、汚れた散文的風景(霧、ほこり、泥、雨のペテルブルグ、灰色の家等々)、人間自体よりも人間をとりまくもの(衣類、家具等)への興味などが、特徴としてあげられる。

 ゴーゴリの場合、汚れた否定的な暗黒面の描写への執心は、現実世界の非条理性、空無性を明らかにし、よりよき理想的世界へのあこがれを呼び起こすという意図をもっていた。『死せる魂』第一部はまさにこの意図をもっており、既述したように『検察官』の目指したものも相似たものであった。「他の世界」の存在を信じ、比喩によってその世界を表現しようと努めたという点で、ゴーゴリおよび四〇年代の作家の多くは、世界観的にはロマン主義に属している。

 しかしその意図、動機とは別に、風俗、細部への関心、さらに、従来書いてはならぬものとされていた卑俗な凡俗なものを題材とし、文学的タブーを一挙に取り払うことによって、ゴーゴリはリアリズムへの道を切り開いた。現実を無意味で非条理なものと考える自然派的誇張表現やグロテスクが克服されると、リアリズムへの道が開かれることとなる。

川端香男里『ロシア文学史』岩波書店P180-181

この解説によるとゴーゴリ自身はリアリズム作家というよりはそこに至る道を作った人物ということが言えそうです。

ゴーゴリ自身はまだ現実を無意味で非条理なものと考える自然派的誇張表現やグロテスクな表現がありましたので純粋な意味でのリアリズムとは言えませんが、ゴーゴリが切り開いた「人間世界そのものをより深く、よりリアルに観察する」という手法が後の作家たちにロシアリアリズムという文学スタイルを生み出させたのでありました。

次の記事からゴーゴリの作品を見ていきます。ドストエフスキーとの関係を見ていく上で非常に興味深いものがありましたので興味のある方は引き続きお付き合い頂けましたら幸いです。

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