ツルゲーネフ『貴族の巣』あらすじと感想~ロシアで大絶賛されたツルゲーネフの傑作長編

貴族の巣 ロシアの文豪ツルゲーネフ

ツルゲーネフ『貴族の巣』あらすじ解説―ロシアで大絶賛されたツルゲーネフの傑作長編

ツルゲーネフ(1818-1883)Wikipediaより

『貴族の巣』は1859年にツルゲーネフによって発表された長編小説です。

私が読んだのは角川書店、米川正夫訳の『貴族の巣』です。

早速あらすじを見ていきましょう。今回はアンリ・トロワイヤの『トゥルゲーネフ伝』を参考にします。

主人公のラヴレツキーは初老の、人生に幻滅した男で、ほとんど作者の肖像さながらである。この主人公が妻を連れてパリに行き、妻はそこで、二十三歳のきざなフランスの若者の愛人となる。この不貞を知ったラヴレツキーは、浮気をした妻の元を離れ、ほどなく失意と落胆のため、妻の記憶も薄れていく。

「ラヴレツキーは受難者には生まれついていなかった。本来の健全な性格が勢いを盛り返してきた。」ロシアに戻って、彼は友人の家で若い娘リーザと出会い、すぐにこの純粋で信心深い、生気撥刺とした少女の魅力のとりことなる。

自分の人生が動き出し、新たな道を取りはじめたように彼には思われた。心のときめきがいよいよ高まったその瞬間に、彼はパリの雑誌の告知欄で、自分の妻が亡くなったことを知る。

自由の身となった彼は、若い娘リーザにただちに自分の愛を告げる。彼女はすぐさま彼に応えた。二人は婚約をしようと決心する。

しかしその死亡記事は誤報だった。追われた妻がふたたび姿を現し、ラヴレッキーに小さな女の子を引き合わせた。彼がその子の父親だというのである。あさましい手管を用いて妻は許しを乞い、元のさやに収まるよう求める。ラヴレッキーは妻とふたたび一緒に暮らすことは拒絶する。しかしリーザは、絶望して修道院に入る。

この平凡でメロドラマ的な筋立ての上に、トゥルゲーネフは繊細で人間的な、深みのある小説を築きあげている。この幸福が生まれると同時にすぐに失われる物語は、詩的な魅力に包まれていた。

そのうえ作品全体が、ロシアの田園地方の穏やかな光揮に浸されていた。この田園地方が夜となく昼となく姿を現し、さざめき、芳香を放ち、主人公たちの心の状態と融け入るのである。
※一部改行しました

水声社 アンリ・トロワイヤ 市川裕見子訳『トゥルゲーネフ伝』P103-104

主人公のラヴレツキーは現実生活に必要な知恵をまったく軽蔑した父親によって歪んだ教育を受けた人物です。このブログでも何度も登場してきた「余計者」の系譜に連なる思想を彼は子供の時から吸収していくことになります。

そんな彼が大人になると当然ながら現実世界において失敗と幻滅ばかりとなります。彼も現実を知らないが故にまったく無力な余計者となってしまいます。

彼は美人の妻と結婚していたのですが、あらすじにありますようにこの妻にいいように利用され裏切られてしまいます。現実を知らない彼はそれにショックを受けロシアの友人の家へ向かうことになったのです。

タイトルの『貴族の巣』というのはロシア貴族の荘園、領地のことです。主人公がここで過ごした日々がタイトルの由来となっています。

この作品は発表されるやいなやロシア中で大評判となり、ツルゲーネフの文豪としての地位はこの作品で固まったとさえ言うことができるほどでした。

『貴族の巣』の成功は、一般の間でも批評家たちの間でも絶大であった。トゥルゲーネフは同時代のロシア作家の中で追随を許さない、というのが大方の一致した意見だった。

トルストイはまだ三部作『幼年時代』『少年時代』『青年時代』と、いくつかの短編しか発表していなかった。ドストエフスキーは将来有望な処女作等を発表した後、故ニコライ一世の命令でシべリア送りにされ、沈黙を守っていた。道は空いていたのである。
※一部改行しました

水声社 アンリ・トロワイヤ 市川裕見子訳『トゥルゲーネフ伝』P104

この時点で後にロシアの二大文豪として名を轟かすトルストイとドストエフスキーに先んじて確固たる地位を得たのでありました。それほどこの作品はロシア国民に愛されたものだったのです。

感想―ドストエフスキー的見地から

ツルゲーネフを学ぶまで『貴族の巣』という小説はまったく知らなかったのですが、この作品がツルゲーネフの作品中屈指の人気があるというのは驚きでした。

ロシア中から大喝采をもって迎えられるほどこの作品はロシアで大人気となり、ドストエフスキーもこの作品に対して賛辞を送っています。

たしかにこの小説はとても読みやすかったです。展開もどんどん動きますし、小説としてかなり面白いです。

また、主人公ラヴレツキーの性格描写が非常に精緻に描かれています。彼がなぜそのような性格になり、なぜそのような行動を取るのかということが鮮やかに描かれます。

そしてその恋の相手となるリーザ。リーザに関してはどの参考書においてもその人物描写が絶賛されています。

その一例を紹介します。米川正夫訳の『貴族の巣』訳者解説では次のように述べられています。

『貴族の巣』がロシヤ文学の中で高い位置を占めているゆえんは、主として女主人公リーザの創造に存するのである。

その高揚された精神美から言って、リーザと比肩しうるものはわずかに『オネーギン』のタチヤーナくらいなものであるが、そのタチヤーナと比べてさえ、リーザのほうがむしろ深味があり、その追求はより多く純粋で理想的である。

彼女の性格は驚くばかり渾然としていて、自己分裂とか内面的矛盾とかいうものを知らない。その精神生活は複雑ではないけれども、並み並みならぬ美と深みを蔵している。
※一部改行しました

角川書店、米川正夫訳『貴族の巣』P285

『オネーギン』といえばロシアの国民詩人プーシキンの代表作です。

この作品はロシア文学の最高峰とされ、後のロシア文学者に多大な影響を与えたプーシキンの代表作です。

その中に出てくる女主人公タチヤーナはロシア文学史上最も有名なヒロインです。

そのタチヤーナに並ぶほど、いやそれを上回るほどの完璧さだと評価されたのです。私たちにはあまりぴんと来ないかもしれませんがロシア文学においてこれはものすごいことです。『オネーギン』のタチヤーナに比べられるということ自体最大級の賛辞であるというのにさらにその上を行ってしまったのです。

もうひとつ例を挙げましょう。今度は『世界文学全集』の解説です。

ツルゲーネフ芸術の特色のひとつ、恋と女性描写の独特の魅力が、女主人公リーザの美と深さにおいて、まさに頂点に達したものといえる。

深い宗教心と繊細な道徳的感情とを、生れつき身につけているリーザは、また一面強い意志、自力の精神、きびしさをそなえていて、人生の卑俗な不正な周囲の人びとを屈服させる力をもった永遠の純情な処女である。

ツルゲーネフの長編のなかで、この作品がひとしく称賛を浴びた理由のひとつが、ロシア文学、否世界文学のうちでもまれに見る優美で繊細なリーザの形象の創造にあるものだということができる。
※一部改行しました

講談社 佐々木彰訳『世界文学全集―38 ツルゲーネフ』P393

ツルゲーネフといえば『猟人日記』のような芸術的な自然描写が特徴ですが、この作品ではそれに加えて恋愛描写も芸術の域に達しています。ドストエフスキーのどろどろした混沌とはかなり毛色が違います。

ドストエフスキーを読んだ後にツルゲーネフを読むと、芸術家とは何か、文学における芸術とは何かというのがなんとなく見えてくるような気がします。ここでうまくそれを説明することはできないのですが、読んだ時の感覚として明らかに違うものを感じます。

そうした意味でもこの作品は非常に面白い作品でした。

以上、「ツルゲーネフ『貴族の巣』あらすじ解説―ロシアで大絶賛されたツルゲーネフの傑作長編」でした。

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