ツルゲーネフの自伝的代表作『初恋』あらすじ解説

ツルゲーネフとドストエフスキー

ツルゲーネフの自伝的代表作『初恋』あらすじ解説

『初恋』は1860年ツルゲーネフによって書かれた中編小説です。

私が読んだのは岩波文庫、米川正夫訳の『初恋』です。

では早速文庫表紙のあらすじを見ていきましょう。

16歳の少年が初めて恋した年上の女性ジナイーダにはすでに恋人があった。その相手がほかならぬ自分の父であることを知った時の驚きと悲しみ……。人生の曙「初恋」を歌うリリシズムに貫かれたこの自伝的物語は、哀愁の詩人としてのツルゲーネフ(1818-83)の真髄をよく伝え、またジナイーダは彼の創り出したもっともユニークな女性像といわれる。

岩波文庫、米川正夫訳『初恋』

あらすじにもありますようにこの小説はツルゲーネフの実際の体験をもとにして書かれています。自分が恋した女性が実は父の愛人だったという、もし実際にそういう場面に直面したらかなりショックを受けそうな内容です。

巻末解説ではこの作品について次のように述べられています。

『初恋』は、イヴァン・セルゲーヴィチ・ツルゲーネフの、一八六〇年の作である。この時には既に『猟人日記』『ルーヂン』『貴族の巣』『その前夜』など、多くの作品が書き上げられていたことであるから、この中篇が円熟した巨匠の筆にふさわしいものであることは、いうまでもないことであるが、しかし特に強調しなければならないのは、これがツルゲーネフの全創作中で、芸術的にもっとも渾然とした完璧なものとして、評家に許されていることである。

それは、ツルゲーネフが人間として、詩人として、もっともインチメートな、尊い思出を、この中篇の中に表現しようと努めたからである、といっても誤りではないと信ずる。

したがって、これが自伝的要素を含んでいることは、読者も察しられることと思う。そこで、その自伝的性質を明らかにするためには、作者の父母について一言しなければならぬ。というのは、『初恋』の主人公は少年ツルゲーネフであると同時に、彼の父ででもあるからである。いな、むしろ父の方が真の主人公である、といった方がより正しいのである。
※適宜改行しました

岩波文庫、米川正夫訳『初恋』P111

訳者の米川正夫によると『初恋』はツルゲーネフ作品中でも芸術的に非常に優れた作品であるとしています。

そしてこの作品を読むにあたってツルゲーネフの父母について知ることがその読書の手助けになることを述べています。

この点について以前紹介したドストエフスキーのライバル・ツルゲーネフの生涯と代表作を紹介―『あいびき』や『初恋』『父と子』の作者ツルゲーネフの人間像の中から再び引用します。

母は権勢欲の強い、わがままで、ヒステリックな婦人で、農奴にたいする仕打ちは苛酷であった。元来、彼女は孤児としてみじめな青春をすごしたのであったが、すでに老嬢となってから、はからずも莫大な資産の相続人となったのである。

そこへ、古い家柄の出ではあるが、零落した士族であるツルゲーネフの父があらわれて、二人は結婚をした。夫から見て、いわば金が目当てであるこの結婚は、妻にとって幸福であり得なかった。

二人の間にはとかく風波が絶えず、その家庭生活がどんなに味気ないものであったかは、ツルゲーネフの自伝的短篇小説『初恋』(一八六〇)に描かれているところである。
※適宜改行しました

岩波書店 佐々木彰訳『猟人日記 下』P299

ツルゲーネフの母ヴァルヴァーラははからずも莫大な遺産を相続し、一躍大地主になりました。そしてその財力を目的に父セルゲイは求婚し結婚したのでした。美男子で華やかな雰囲気をまとうセルゲイに母は惚れ込んだのでしたが、セルゲイはそうではありません。そのため二人の夫婦生活はとても幸福とはいえるようなものではありませんでした。

巻末解説を引用します。

セルゲイは若くして世を去るまで、絶えず家庭外の情事をくり返した。良人を限りなく愛していたヴァルヴァーラは、おおむね無言でそれを忍んでいた。時たま嫉妬を制しかねて、当てこすりめいたことを口走っても、良人の方は慇懃な冷たい態度を崩すことがなかった。まれに妻が前後を忘れるような場合には、鋭い一喝で沈黙せしめる要領も心得ていたらしい。

岩波文庫、米川正夫訳『初恋』P112

この家庭外の情事のひとつが『初恋』で語られることになるのです。

感想―ドストエフスキー的見地から

『初恋』はツルゲーネフの代表作でありますが、実際に読んでみてやはりその面白さを感じることになりました。

訳者解説でも次のように賛辞を送っています。

十六歳の少年が、生涯ではじめての清純な、激しい熱情を燃やして、身も心も捧げつくしている「女王」が、他の男性への恋に悩んでいることを察し、やがてその対象がほかならぬ自身の父であると知った時の、驚きと悲しみ、その間の微妙な心の動揺が、いかに繊細にまた深く描かれていることか。

また物語の中にはまれにしか現われない父親の特異な性格が、簡潔なタッチによって、如何に美事に彫り上げられていることか。

最後に、女主人公ジナイーダの暴君と女奴隷の両面を内部に秘めた、驕慢であると同時にあくまで女性的な人間像の完璧さ、―これらすべてが、少年の若々しい感覚を通して描かれているために、そこはかとなき甘美な感傷につつまれていると同時に、生活経験を積んだ中年男の手記という形式で書かれているために、行間に自然と現われて来る観察の精密さも的確さも、読者にとって不自然に感じられない。

このような意味で、『初恋』はまさに天衣無縫の芸術作品であって、ボリス・ザイツェフの言葉によれば、「トルストイ、ドストエーフスキイさえ羨望を感ずる」ほどである。
※適宜改行しました

岩波文庫、米川正夫訳『初恋』P112

最後の「トルストイ、ドストエーフスキイすら羨望を感ずる」と言われるほどの完成度がこの作品にはあります。

主人公が恋するジナイーダという女性はまさしく女王というべき存在です。

その美貌と才智、立ち振る舞いの魅力に、多くの男が寵愛を受けるためにいつも彼女の周りを取り巻いています。主人公もその一人でした。

彼女は男たちを軽くあしらいますが、その高飛車さが男たちの情熱にさらに火をつけます。このジナイーダの女王っぷりはどこかドストエフスキーの作品に出てくる女性に似ています。高慢で移り気でしかも人を惹き付けてやまない不思議な魅力を持つ女性像。『白痴』や『賭博者』あたりがそれに近いかもしれません。

そして主人公もそんな彼女に夢中になり、その熱情に苦しむことになります。

しかし、そんな日々を過ごす主人公ですが、最近どうも彼女の様子がおかしい。

そこで主人公がこっそりと調べるとなんと、そこには父の姿が・・・

女王のようだった彼女が父の前ではまるで奴隷のように屈し、恋をしている。それを彼は知ることになるのです。

この父というのがまたすごいのです。

ツルゲーネフの父がモデルのこの人物ですが、尋常ではないほどの男としての強さが描かれています。派手な描写はありません。ですがその落ち着いた迫力、圧倒的な力がその描写からにじみ出ています。

女性を有無を言わせぬ力で押さえつけ、虜にしてしまう強さが彼にはあるのです。

マッチョ的な強さや、軽薄な話術でたぶらかす魅力とは全く異質なものです。

少年ツルゲーネフが感じた父の圧倒的な力をこの小説では感じることになります。

優しさとか親切とか温かみとか、そういう感性を持つツルゲーネフとは全く真逆の何か冷たい暴君的なまでの力。男としての力。この謎ながら強大な力を持つ父が彼の初恋の相手をいとも簡単に奪い取っていくのです。

父にかかればあの女王も奴隷のように恋してしまう。自分があれだけ敬い恋していた女王が、自分を奴隷のように扱う女王があっさりと父の前にひれ伏す。

これはきついです。

繊細な感性を持つツルゲーネフにはやりきれないものがあったことでしょう。

いやいや、小説なんだしそこまで考えても仕方がないと思う方もいるかもしれません。

しかし、これが実際にあった話をもとにして描かれているからまた強烈なのです。この記事の前半にもお話ししましたがツルゲーネフは少年の時にこれとまったく同じ体験をしているのです。

ツルゲーネフの恋愛観を形成した上でこの出来事は非常に大きな比重を占めているものと思われます。

物語としても非常に面白い『初恋』ですが、ツルゲーネフの恋愛観を知る上でも非常に興味深い作品となっています。

分量も文庫で100ページ少々と気軽に読めるものとなっています。

ツルゲーネフの代表作『初恋』、とてもおすすめな作品です。

以上、「ツルゲーネフの自伝的代表作『初恋』あらすじ解説」でした。

関連記事

HOME