ツルゲーネフ『父と子』あらすじ解説―ニヒリストの語源はここにあり!

ツルゲーネフとドストエフスキー

『父と子』は1862年にツルゲーネフによって発表された長編小説です。

私が読んだのは新潮社、工藤精一郎訳の『父と子』です。

では早速あらすじを見ていきましょう。

「ニヒリスト」という言葉はこの作品から広まった―自然科学以外の一切を信用せず、伝統的な道徳や信仰、芸術、社会制度を徹底的に批判するバザーロフ青年。

年寄りは時代遅れで役立たずだと言い切る新世代と、彼の様な若者こそ恥ずべき高慢と冷酷の塊だと嘆く旧世代。新旧世代の白熱する思想対立戦を鮮やかに描き、近代の日本人作家たちに多大なる影響を与えたロシア文学の代表的名作。
※適宜改行しました

新潮社、工藤精一郎訳『父と子』表紙裏

ニヒリスト、ニヒリズムといえばなんとなくニーチェを思い浮かべてしまいますが、ニヒリストという言葉自体は実はツルゲーネフがこの作品で生み出したものだったのです。これには私も驚きでした。

佐藤清郎の『ツルゲーネフの生涯』でも次のように述べられています。

ニヒリストという言葉を一世に流行させた作品はいうまでもなく『父と子』である。これは状況への発言の書であり、作者の態度表明の書である。

まずその世界をのぞいてみよう。物語は一八五九年夏に始まる。アルカージー・キリサーノフという青年が学業を卒え、友人バザーロフを伴って父の領地へ戻ってくる。

アルカージーはおとなしい男で、彼にはバザーロフのような強い個性はない。柔和で、意志が弱く、美的センスに富み、プーシキンを崇拝し、嫌味のない、しかし、現実的、行動的な面では弱い男である。気質も世界観も、古い世代の代表である父親と大差がない。

作者ツルゲーネフは、父親ニコライの形象について一八六二年にスルチェフスキーにこう言っている。

「ニコライ・ペトローヴィチ、あれは私やオガリョーフやその他幾千の人たちだ。」

つまり、ニコライやアルカージーを作者は自分に近い性格、「ドイツ観念論の海」に浸ってきたロマンチシズムの子としてイメージしているのである。バザーロフは、そういうロマンチシストたちとロマンチシズム一般を否定するために登場してきた人物なのだ。

筑摩書房 佐藤清郎『ツルゲーネフの生涯』P151

物語は主人公アルカージ―が友人バザーロフを伴って帰郷するところから始まります。

旧世代を代表するアルカージー家と新世代のニヒリストバザーロフの衝突がそこで描かれます。

そしてその衝突と並行してアルカージー、バザーロフはある姉妹に恋をすることになります。

世代間の衝突と恋の物語が混じり合い、小説として非常に面白い展開となっています。ページがめくる手が止まらなくなるほど読みやすく、面白い作品でした。

ニヒリストとは何者か

「ニヒリストとは何者か」と聞かれますと、「ぜひこの小説を読んで下さい。とても面白いですよ。」とお答えしたくなるのですが、アンリ・トロワイヤの『トゥルゲーネフ伝』にその概略がわかりやすくまとめられていましたので今回はそちらを引用したいと思います。

新時代の人間であるバザーロフは、宗教上、道徳上、そして合法のいかなる価値も認めず、科学的なデータのみを尊重していた。しかし一つの主義について論じることで満足していたルージンとは違い、彼の場合はその主義を本当に実践したのである。彼は慰安を軽蔑し、冷笑的で、自分は魂の苦悩を味わうことはない、と信じていた。(中略)

この悲劇的な否定論者の哲学を定義づけるのに、トゥルゲーネフは、「虚無主義ニヒリズム」という言葉を用いた。「虚無主義者ニヒリストとはいかなる権威にも身を屈することのない人間を言うんです」とバザーロフの友人アルカージィは、自分の叔父に説明する。

「どんな原理も、たとえどれほどその原理が人に信じられていようとも、吟味せずに受け入れることはしないのです……」

「そうだな」と、伯父は答える。「かつてはへーゲル主義者たちがいた。今ではそれが虚無主義者ってわけだ。虚無の内に、空虚の内に生きる、まるで排気ポンプ〔実験用に真空を作りだす機械〕のもとにいるみたいにね。そんな風に生きるため、おまえたちがどうするのか、まあ、見ものだよ。さしあたって、さあ甥っ子くん、私にべルを鳴らさせてくれ。ココアが飲みたくなったよ。」

ニヒリスト、バザーロフは、科学の厳密な方法論を政治に適用しようとした。父親世代の改革主義者たちの無駄なおしゃべりには、もううんざりだと思っていた。年長者たちを十把ひとからげに非難した。無駄な話に時間をつかい、芸術のための芸術や議会主義、協議による一致などを褒め上げて、日々の糧のことを考えていない、というのである。

夢想家ばかりの軟弱な世代に対し、現実主義者を気取って見せたのだった。父親たちはこうした桁違いの行動家らを前にして、自分たちがたわごとばかり言う役立たずの厄介者扱いされていることに、やんわりと不平を洩らした。

「私たちの歌はもう終わったってわけだ」と、彼らはため息をついた。しかし彼らには、自分たちは昔、正義という理想を掲げて必死で戦った、という気持ちがあった。芸術や詩に対してかつて抱いた情熱を、否定することはしない。彼らはおずおずと、自分たちの趣味嗜好を新来者たちに分けもってもらおうとする。

しかし後者は有効でない、社会と関わりのない、戦闘的でない文学をすべて拒絶するのである。彼らにとって大事なのは、正面切った戦略であった。自分たちの目的を達成するためには、暴力に訴えるという考えさえ排除しないのである。

水声社 アンリ・トロワイヤ 市川裕見子『トゥルゲーネフ伝』P120-121

ニヒリストは伝統的で権威あるものを否定します。

彼らが信じるのは唯物論的な自然科学のみ。ある意味、彼の信じる神、宗教は自然科学ということになるかもしれません。

ツルゲーネフは時代風潮を読む達人です。農奴解放前後の1860年頃の青年たちを彼は『父と子』においてニヒリストという言葉を用いて表現したのでした。

感想―ドストエフスキー的見地から

この作品は小説として非常に面白いです。そして驚くほど読みやすい小説でした。

長々としたややこしい文章もなく、まるでプーシキンのようにすっきりとした文体。そして物語もどんどん展開されていき、その勢いにぐいぐい引き込まれてしまいます。

また、ニヒリストとは一体何なのかということも旧世代の代表アルカージー家の面々と新世代の代表バザーロフの対話によって明らかにされます。ですのでややこしくて難しい哲学論とは全く異なった趣で語られていきます。これも『父と子』が非常に読みやすい大きな理由の一つであると思われます。

アンリ・トロワイヤの『トゥルゲーネフ伝』でもこの作品について次のように賛辞を送っています。

バザーロフという人物を考案することによって、トゥルゲーネフは時代を代表する典型的人物を生みだし、それに人間らしい肉付けを加えるという力技を成し遂げた。

作者の才能のおかげで、この主義主張を持った人物が、血肉を備えた人間にもなったのである。

本を閉じた時に、読者はある一つの存在、一つの強迫観念、なにか重い、忘れがたいもの、人生の道連れを頭に留めることになる。

またほかの登場人物たちも、同じく心をこめた、確かな筆使いで描き出されている。

トゥルゲーネフはそれ以前の成功作をはるかに凌ぎ、性格の分析、自然の描写、社会状況の描出において完璧の域に達し、そのため同時代の作家たちの、先頭に立つことになったのだった。

水声社 アンリ・トロワイヤ 市川裕見子『トゥルゲーネフ伝』P121

「バザーロフという人物を考案することによって、トゥルゲーネフは時代を代表する典型的人物を生みだし、それに人間らしい肉付けを加えるという力技を成し遂げた。」というのがこの作品の最も偉大な点であると私は思います。

出来上がった作品を受け取る私たちからするとあまりぴんと来ないかもしれませんが、バザーロフという人間を創造したというのはものすごいことです。

バザーロフを見た時に多くの人が「あぁ!いるよねこういう人!」と納得してしまう。「あるある」的な感覚です。

ツルゲーネフがバザーロフというニヒリストを生み出すと、それ以降現実世界においてそのような人は「バザーロフ的人間」とか「ニヒリスト」と呼ばれることになりました。

この影響力たるやすさまじいものがあります。

これをやってのけたツルゲーネフの観察者、芸術家としての能力はやはりずば抜けているなと感じました。

『父と子』は読みやすく、とてもおすすめな作品です。ぜひ手に取ってみてください。

以上、「ツルゲーネフ『父と子』あらすじ解説―ニヒリストの語源はここにあり!」でした。

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