ゾラ流のショーペンハウアー的ニヒリズムへの回答 ゾラ『生きる歓び』

エミール・ゾラとドストエフスキー

「ルーゴン・マッカール叢書」第12巻『生きる歓び』の概要とあらすじ

『生きる歓び』はエミール・ゾラが24年かけて完成させた「ルーゴン・マッカール叢書」の第12巻目にあたり、1884年に出版されました。

私が読んだのは論創社出版の小田光雄訳の『生きる歓び』です。

今回も帯記載のあらすじを見ていきましょう。

ゾラが造形した近代の女性像と世紀末のペシミズム

貧漁村に後見されたパリ娘、ポリーヌ。後見人一家が羅った〈精神・痛風・心臓)病に、自らの多額な遺産は蚕食されくいく―近代社会の厭世と献身の物語

論創社出版 小田光雄訳『生きる歓び』

今作の主人公ポリーヌは、「ルーゴン・マッカール叢書」第3巻の『パリの胃袋』に登場したリザの娘になります。

https://shakuryukou.com/wp-content/uploads/2020/06/Rougonmacquart.pdf

ルーゴン・マッカール家の家系図では右側のマッカール一族に位置します。

マッカール家系は狂人やアルコール中毒者が多い中、このリザ、ポリーヌ親子は非常に穏やかでまともな性格をしています。

特にポリーヌは他者への献身性が際立っており、マッカール一族の毒気が浄化された聖女のような存在です。

物語は両親の死により孤児となったポリーヌが貧しい漁村に暮らすシャントー家に引き取られる場面から始まります。

家主のシャント―は痛風がひどく自由に動くこともままならず、妻のシャント―夫人は金策に困りポリーヌのお金をどんどん使っていきます。そして極めつけが息子のラザールです。

この男は典型的なダメ人間です。口ばっかり達者でいざ何かをやろうとしてもすぐに飽きてしまいまったく続きません。

そのくせ自分は天才だと思い込み、思い付くままに新しいことにどんどん手を出していきます。コロコロ考えが変わり、ついこの前まで熱中していたことも平気で捨て去り、あんなものとバカにするのです。

地道な努力や忍耐ができない彼は当然ながらその全てに失敗します。そしてその度にショーペンハウアー的な悲観主義に落ち込み、うじうじめそめそと絶望に落ち込むのです。

もう読んでてイライラするほどのダメ人間です。

で、あるにもかかわらずポリーヌはこの男と恋に落ちてしまうのです。しっかりしろ!ポリーヌ!

あまりに優しく献身的で人を疑うことを知らないポリーヌはダメ人間である彼を必死に支えようとしてしまうのでありました。

もうポリーヌが可哀そうで仕方なくなる小説です。

感想―ドストエフスキー的見地から

この小説のタイトルである『生きる歓び』。

概要とあらすじではポリーヌがダメ人間ラザールに恋をしてしまう可哀そうな物語とお話ししましたが、そこはゾラ師匠。単なる優しい女の子の残念な恋愛で終わらせません。

実はゾラはラザールに当時大流行していたショーペンハウアー的なペシミズム(悲観主義、厭世主義)を意図的にまとわせ、それに対置する形で生きる歓びを体現するポリーヌを立たせているのです。

そうしてゾラは当時大流行していたペシミズムに対する反論を述べようとしているのです。

人生など無価値だ。意味などない。死んでしまった方がましだ…世の中などくだらない…

ゾラは『意志と表象としての世界』で知られるショーペンハウアーの思想を戯画化してラザールに演じさせます。

ダメ人間が失敗するたびに「人生など無価値だ。意味などない」と言わせることで偉大な思想家であるはずのショーペンハウアーの思想が単なるうじうじした言い訳になってしまいます。

それに対して健気で前向きなポリーヌはそうしたラザールだけでなく、病気のシャントーや金遣いの荒いシャントー夫人に対しても献身的に接します。他人のために自分を捧げずにはいられない、そこに生きる歓びがあると言わんばかりの彼女の献身です。

ラザールは結局自分のことしか考えていないのかもしれません。

それに対しポリーヌには常に他者への愛があります。(もちろん、時には葛藤し、激しい苦悩に襲われる時もあります)

ここにゾラのペシミズムと生きる歓びの対置があるのではないかと感じました。

以上、「ゾラ流のショーペンハウアー的ニヒリズムへの回答 ゾラ『生きる歓び』」でした。

次の記事はこちら↓

関連記事

HOME