エミール・ゾラ『パリ』あらすじと感想~ルーゴンマッカールからその先へ!これぞゾラ!宗教との真剣対決の結末はいかに!?

ブログ筆者イチオシの作家エミール・ゾラ

エミール・ゾラ『パリ』あらすじと感想~ルーゴンマッカールからその先へ!これぞゾラ!宗教との真剣対決の結末はいかに!?

今回ご紹介するのは1898年にエミール・ゾラによって発表された『パリ』です。私が読んだのは2010年に白水社より発行された竹中のぞみ訳の『パリ』です。

早速この本について見ていきましょう。

《知られざる名作、待望の新訳!》


政治は腐敗、無政府主義やテロが横行し、ブルジョワが隆盛を極め、労働者は貧困に喘ぐ19世紀末のパリ。その悪徳と矛盾の町を見下ろすように、モンマルトルの丘ではサクレ=クール寺院の建設が急ピッチで進められている。そこに、信仰を失い魂を彷徨わせる神父ピエールがいた。貧民救済に奔走するある日、彼は男爵邸での爆発事故を目撃する。その現場にはなぜか、化学者である彼の兄ギヨームの姿があった–。


『ナナ』『居酒屋』など、日本では自然主義文学作家として知られるゾラ(1840-1902)だが、ジャーナリストであり鋭い都市観察者であった彼は、全20巻に及ぶその「ルーゴン=マッカール叢書」において、鉄道・デパート・証券取引場など、産業革命後の近代をいち早く取り入れ、そこに生きる人間たちの真実を描きだした。本書はさらに激変した第二帝政以後の首都を活写した、連作「三都市」の一冊。フランスでもっとも読まれている古典作家ゾラの、けっして古びない小説の魅力・現代性は、本書を読めば、たちどころに了解されるはずである

Amazon商品紹介ページより

今作は前回前々回と紹介してきました『ルルド』『ローマ』、『パリ』の「三都市双書」の最終作になります。

上の記事でもお話ししましたように、『ルルド』と『ローマ』は残念ながら邦訳されておりません。

ですが、「ルーゴン・マッカール叢書」でもそうでしたように、ゾラの作品はそれぞれの作品がそれ単体で完結された内容を持っており、一つの作品だけを読んだとしても十分すぎるほど楽しむことができます。有名な『居酒屋』『ナナ』『ジェルミナール』などもこの全20巻ある「ルーゴンマッカール叢書」の一部ではありますが、それぞれが単体の作品としても愛され続けていることからもそのことはうかがえるかと思います。

さて、この作品について訳者のあとがきでわかりやすくまとめられていましたのでこちらを見ていきます。「三都市双書」の流れも知れる非常にありがたい解説ですので、少し長くなりますがじっくり読んでいきます。

「ルーゴン・マッカール」から「三都市」第三巻『パリ』へ

本書の著者ゾラが描いたパリといえば、「ルーゴン・マッカール」叢書(一八七一-九三、全二十巻)のなかのパリが思い浮かぶ。ゾラはその各巻で、パリの生活の一断面、パリのあるひとつの地区、ひとつの社会階層に主として光を当て、叢書全体で十九世紀後半のパリの一大パノラマを展開した。こうしてゾラは、第三共和政の最初の二十年間を費やして、それに先立つ第二帝政期の二十年間のフランス社会、そしてパリを描いてきた。

叢書完成に先立つ九一年九月にピレネー山中やバスク地方を妻アレクサンドリーヌとともに旅したゾラは、その地にある巡礼地ルルドを初めて訪れ、この町を題材に小説を書きたいという思いにかられた。その後、ローマとパリを主題とする二作を加えた三部作を、叢書後に取り組む連作と決め、こうして執筆された「三都市」の最終巻が、本書『パリ』(一八九八年刊。第一巻『ルルド』は一八九四年刊、第二巻『ローマ』は一八九六年刊)である。

「ルーゴン・マッカール」から浮かび上がってくるパリが、執筆時期より一昔も二昔も前のパリであり、またそれぞれの巻は、株式取引所、銀行、中央市場、デパート、場末の労働者街、高台のブルジョワ家庭、高等娼婦の世界というふうに、多様なパリの一側面を主として描いてきたのにたいして、『パリ』では、執筆時期(一八九六年十二月-翌九七年八月)あるいはそのニ、三年かせいぜい五年前(要するに連作「三都市」の制作時期)というごく最近起こった事件を素材とする出来事が語られ、かつ、この一巻で上は没落貴族や大ブルジョワから貧民街の住民まで、政治家、ブルジョワ、元軍人、司法官、聖職者、新聞記者、科学者、芸術家、女優、学生、職人、労働者など、極めて多数で多彩なパリの構成員が登場し、まさしくパリの全体像が提示されている。

出版当時の読者にとっては、自分たちが生きている今のパリ、現在のパリの全貌が、そして、わたしたち二十一世紀の読者にとっては、およそ百年前のパリの全貌が明らかにされているということだ。

「三都市」は、世紀末の三都市、ルルド、ローマ、パリを舞台に、世の悲惨な現状を前にして自らの信仰に懐疑を抱いた若き司祭ピエール・フロマンが、世界を救済できる真の宗教を求めて苦悩し、ついにキリスト教に代わる新しい宗教、労働と科学を土台とした真理と正義の宗教を見いだすという物語である。

ピエールは、まず初めにルルドへ、そして次にローマへと、信仰を取りもどすべく出掛けていくが、カトリック教会への怒りと失望からかえって信仰を失ってしまう。そしてパリへ戻り、法衣をまとってはいるものの無神論者同然となった彼は、極貧者の救いがたい悲惨、権力者・富める者の悪徳、教会の腐敗といった現実を見せ付けられ、ますます絶望感に悩まされる。

しかしモンマルトルの丘に位置する化学者である兄ギヨームの家に出入りし、そこに同居する若い女性マリーと知り合うことにより、日々の堅実な労働が、健康な肉体によって営まれる健全な生活が、まったく素朴な愛が、そして科学こそが、社会を変革し人々を救済して幸福にし、そして真理と正義とをもたらすことができると確信するにいたる。

神父というその地位によって、政界、財界、社交界から、労働者街まで、パリのあらゆる階層と接しえたピエールの後をたどって、読者は世紀末パリの実態をさぐることができる。
※一部改行しました

白水社、エミール・ゾラ、竹中のぞみ訳『パリ』下巻P355-356

『パリ』は「ルーゴン・マッカール叢書」を書き上げたゾラの集大成とも言える作品となっています。とにかくゾラらしさ満載で、「THE ゾライズム」と言いたくなるような作品です。

そして上の解説に説かれていますように「ルーゴン・マッカール叢書」ではそれぞれの階層の人たちをじっくり見ていくことになりましたが、今作『パリ』ではそれらの階層の人々がこの物語ひとつに一堂に会することになります。これは壮観です。読んでいて、「お、これは『ナナ』的だ、ここは『ジェルミナール』だな、ほぉ!『獲物の分け前』『金』も顔を出してきたぞ」というゾラファンにはたまらないストーリーになっています。

サクレ・クール寺院 Wikipediaより

そしてこの物語で重要な意味を持ってくるのがパリのモンマルトルに立つ巨大な聖堂「サクレ・クール寺院」です。

この聖堂は1877年に着工が始まったという比較的新しい教会なのですが、ゾラはこの建物に容赦がありません。作中の人物たちの口を借りて「この聖堂はパリと教会の腐敗の象徴である」と徹底的に批判します。

ではなぜゾラはそこまでこの教会に批判的なのでしょう。

それこそここまで語られてきた「三都市双書」、『ルルド』、『ローマ』からの流れを引き継いだ宗教の問題があったからこそなのでした。

ゾラは元々科学的な思考を重んじていたため、「ルーゴン・マッカール叢書」の中でも度々カトリックを批判していました。

しかしそんなゾラですが1891年にルルドを訪れ、「ルルドの泉の奇跡」について衝撃を受けたことをきっかけに真の宗教とは何か、人々を導きうるものは何なのかということを考えるようになります。その流れについては前々回の記事「ゾラ未邦訳の作品『ルルド』あらすじと感想~科学的分析を重んじるゾラは「ルルドの泉の奇跡」をどう見たのか」をご参照して頂きたいのですが、このサクレ・クール寺院はそうした宗教探究の結果、到底認めることのできない堕落の象徴としてゾラに映ることになったのでした。

この美しく、巨大な教会はかつても今もパリの観光名所です。そんな視点でこの教会を見ている観光客はどれだけいることでしょうか。私は近々まさしくこの教会を訪れようとしています。「ゾライズム」の徒としてこの教会を目の当たりにした時、私は何を思うのか、今からとても楽しみです。

そしてこの作品を今このタイミングで読めたことは非常に大きな意味があったと感じています。

というのも、この作品の中にはフーリエプルードンなど様々な社会主義者や革命家の名前が出てきます。これらの人々については「ルーゴン・マッカール叢書」を読んでいた2年前には正直ほとんど何も知りませんでした。

ですが私は去年からマルクスの思想と時代背景を学んでいます。当ブログでも「マルクスとエンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」というテーマで記事の更新を続けていますが、まさにこうした社会主義思想家や革命家たちの動きや背景を学んできたのでありました。

こうした背景を知った上で『パリ』を読んでいると、思想家や革命家たちの「逼迫した思い」というものをより感じられたように思います。

ゾラはこの作品で社会主義思想を奉じて無差別テロ事件を起こす人物を描いています。彼らはなぜそのような行為に走ってしまうのか、そしてそれに対し社会はどのような目を向けるのかというのもこの作品ではじっくりと見ていくことになります。これは非常に興味深いものがありました。

さて、ここまでこの作品についてお話してきましたが、『パリ』は傑作です。ゾラの真骨頂が遺憾なく発揮されている「ゾライズムの結晶」とも言うべき名作です。

『居酒屋』や『ナナ』、『大地』などのように救いのない過酷な作品ではありません。ラストはあの「ルーゴンマッカール叢書」最終巻の『パスカル博士』のようにゾラの前向きな人間観が語られます。

この作品ではたしかにパリの汚辱が語られはします。政治の腐敗、メディアの横暴、ブルジョワの欺瞞、家庭崩壊、宗教の腐敗、無力さなどなど、ゾラ得意の暴露が次々と続いていきます。ゾラが当時の社会についていかに憤っていたかがよくわかります。正義を重んじたゾラにとって、当時の腐敗は我慢がならないものがあったのでしょう。

しかしそこで絶望に沈むのではなく、なんとかして生きる希望や目的を見つけたい。その葛藤、探究が『パリ』で語られていくのです。『パリ』はそうしたゾラの「人生との決闘」であり、真剣勝負であるように私には思えました。

「ルーゴンマッカール叢書」という全20巻の膨大な小説群を書いた後、すぐさま取り掛かったのがこの「三都市双書」です。その双書の主人公に聖職者のピエールを選んだというのは非常に大きな意味があると思います。

私も僧侶であり宗教者です。キリスト教の教えにおける信仰と私たち僧侶の信仰ではその内実や意味合いも全く違うので一概に述べることはできませんが、同じ宗教者として非常に考えさせられるものがありました。宗教者ではないゾラが「信仰に悩み苦しむ聖職者の心理」をここまで深くえぐり出したというのはある意味驚きですらありました。

そういう面でもこの作品はゾラファンにとっても大きな意味があると思います。ゾラにあまり触れたことがない方にもぜひこの作品はおすすめしたいです。この作品単体でもまったく問題なく楽しむことができますのでぜひご一読ください。

最後にもうひとつ。これはぜひぜひお願いしたいことです。

なんとか『ルルド』と『ローマ』を邦訳出版して頂けないでしょうか!!

こんな名作を読んでしまったらその前景である『ルルド』と『ローマ』も読みたくて読みたくてしょうがなくなってしまいました!これらのあらすじと概要を見ただけでも名著の香りが漂ってきます。

『パリ』を含めた「三都市双書」を書こうと思ったきっかけとなったルルドでの体験。そしてそこからさらに発展したローマでの思い。

これはゾラファンにとってはたまらなく知りたい内容です。それが明らかになるこの「三都市双書」をぜひ邦訳出版して頂けたらなと思います。

私は今の日本にこそ、ゾラが必要だと感じています。

ゾラほど冷静に社会の仕組みを分析し、正義や真実を求めた作家はいないのではないでしょうか。

ドレフュス事件を題材にした映画『オフィサー・アンド・スパイ』が公開され、ゾラへの関心も高まっている今こそチャンスなのではないかと思います。

何とぞ、何とぞ『ルルド』と『ローマ』の邦訳をお願いします!!

『パリ』は最高の作品です。ゾラのことがもっと好きになりました。ぜひ多くの方に広まることを願っています。

以上、「エミール・ゾラ『パリ』あらすじと感想~ルーゴンマッカールからその先へ!これぞゾラ!宗教との真剣対決の結末はいかに!?」でした。

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