ゾラから見るフランス人と日本人の道徳観の違いと時代背景

ゾラとドストエフスキー ブログ筆者イチオシの作家エミール・ゾラ

はじめに

エミール・ゾラ(1840-1902) Wikipediaより

前回の記事「日本ではなぜゾラはマイナーで、ドストエフスキーは人気なのか―ゾラへの誤解」ではゾラが日本でマイナーな理由のひとつに「ゾラの小説スタイルへの誤解がある」ということをお話ししました。

ゾラはたしかに誤解されやすい作家です。

ゾラがどういう意図を持って彼独自の小説スタイルを貫いたのか、そこの理解がないとゾラは単なる傍観者、 体のいいポルノ作家などという非難を受けることになってしまいます。

そのためこの誤解が解け、世の中にゾラの真の意図が伝わることが彼が日本で評価されるためには必須ではないかということをお話しさせて頂きました。

今回も引き続きゾラがマイナーな理由を考えていきたいと思います。

なぜゾラは日本でマイナーなのか― フランス人と日本人の道徳観の違いと時代背景

さて、ゾラが描いた「ルーゴン・マッカール叢書」はフランス第二帝政期(1852-1870)をくまなく描くことを目標に書かれた作品群です。

ここまでこのブログで何度も紹介してきましたように、フランス第二帝政期とは経済が急発展し、人々の欲望が開放された時代でした。

これまで、この時代ほど金がものを言う時代もなく、人々が自らの欲求に正直だった時代はなかったかもしれないという狂乱の時代でした。

ゾラはそのような欲望追求の時代を科学者のごとく冷静な目で見つめ、「ルーゴン・マッカール叢書」に記しました。

叢書中に現れる人々は露骨なまでに金や権力、淫蕩を追い求め、醜い振る舞いを繰り広げます。

欲望に忠実に、互いに食い合う時代。それがゾラの見たフランス第二帝政期でした。もちろん、フランス国民すべてがそうだったわけではありませんが、そういう風潮をゾラが暴露したことに意味があるのです。

それに対し日本の1852年から1870年といえば黒船襲来に揺れる幕末の動乱と明治維新の時代です。

押し寄せるヨーロッパの脅威、武士の時代が終焉を迎えるという社会変動、激変する日々の生活。

それこそ日本の存亡を賭けた時代です。

もちろん、この混乱に乗じてたんまり儲け、権力を握った人間もいたでしょうが、この時代の日本人、特に知識人たちは自分達日本人の存在意義を賭けて戦っていたのです。

そしてゾラの作品が翻訳され、日本に入ってくるのは19世紀の末頃からです。

ゾラが日本に入ってきたのは明治、大正、昭和の戦前戦後期にわたって日本人が常に対ヨーロッパという視点で戦わざるをえない時代でした。(物質的にも思想的にも)

今でこそ日本は豊かな生活をしていますが、当時は全体的に見れば日本人はまだまだ貧しい生活をしていました。

また、日本人は均質なものを好み、個より集団の和を好みます。個人の欲求よりも家の論理です。

現代でこそそれはどんどん弱まりつつありますが、明治、大正、戦前戦後期の時代がどれだけその風潮が強かったかは想像にあまりうることかと思います。

そんな中でゾラの小説に描かれるような、露骨なまでの欲望追求や家族ですら情け容赦なく騙し、自分の欲望充足のために食い合う物語は受け入れられるでしょうか。

これは到底受け入れられるものではなかったと思います。

おそらく、感情的、いや、生理的にそんなストーリーは受け付けなかったのではないかと思います。

よくも悪くも、ゾラの描く物語は「ヨーロッパ的」すぎたのです。

「個」の世界。合理的、客観的なものの見方。あけすけな欲望追求。極端な経済発展によってものがあふれる贅沢三昧の生活などなど、貧しかった日本人の感性とはまるで異なった世界観がそこにはあったのです。

ヨーロッパはたしかに強い、しかし受け入れがたい何かがある。我々日本人とは何なのか。我々は単にヨーロッパに呑み込まれる存在なのか。

そういう反発を何かしら感じさせていたのではないでしょうか。

ものがあふれ、旧来の窮屈な秩序から解放され、個の才覚次第でいくらでも金を稼げる(ように思える)世界。それがフランスでした。

金さえあればいくらでもものを手にできる時代。そこで勝ち残り繁栄するにはその社会なりに必要とされる知恵才覚、善悪の基準があったのです。

つまり、そのような世界における善悪の基準、道徳は当時の日本とはまるで違うものだったのです。

フランスでは善とされることが、日本では悪になることが山ほどあったということです。(逆もまた然りですが)

この道徳観のずれがゾラが日本で受容されなかった大きな要因となったのではないかと私は思います。

そして同時に次の点も非常に重要なので要チェックです。

ロシアという国も、ヨーロッパに対して日本と同じ問題を抱えていたという事実。

ドストエフスキー、あるいはトルストイがなぜ日本でここまで人気なのかという問題はここに大きな根があるのではないかと私は考えています。

ロシアはヨーロッパでありながらヨーロッパではありません。

イギリスやフランス、ドイツなどからすればロシアはアジアの田舎だったのです。

ロシアがヨーロッパに倣って近代化し始めるのもせいぜい18世紀から。

しかもその歩みは遅々として進まず、ドストエフスキーが生きた19世紀後半になっても、ヨーロッパの後進国ロシアというイメージは捨て去られないままだったのです。

ロシアも日本と同じく、進んだ強国ヨーロッパの呪縛に苦しんだ歴史があるのです。

しかも日本と同じく、自分たちはヨーロッパ人とは違う。だがこのままヨーロッパに呑み込まれてもいいのかという強い葛藤があったのです。

自分たちは何者なのか。自分たちはヨーロッパに対して何が言えるのか。自分たちの精神の根源はどこにあるのか。自分たちは一体何者なのだろうか。

ドストエフスキーはひたすらこの問題と向き合い、小説にその思いを書き込んでいます。

だからこそ、同じような境遇の私たち日本人の心にも響いたのではないだろうか。

私はそう感じるのです。

ロシアの歴史と対ヨーロッパ問題については以下の記事をご参照ください。

まとめ

ヨーロッパと日本という関係性、道徳観の違い。

これもゾラが日本でマイナーであった大きな要因であるように思います。

ですが現代はかつてのように貧しい社会や強力な「家の論理」が支配する日本ではありません。

もちろんそれらの力は今でも残ってはいますが、当時のフランスの状況にかなり近い世界が今の日本であるように思えます。

何度もこのブログで申していますように、フランス第二帝政期は私たちのライフスタイルに直結しています。

現代を生きる私たちの生活はまさにゾラの描く世界がベースにあるのです。

とならば、日本においては今こそゾラの描く小説が最も意味を持つ時代なのかもしれません。

かつての日本においては受け入れられなかったゾラも、今ならば違和感なく受け入れることができるかもしれません。

ゾラはフランス第二帝政期がはらむ問題を暴き出しました。

それは現代日本を生きる私たちの問題を暴き出しているのと同義です。

ゾラ作品を読むことで今の私たちの問題を知ることになるのです。

ゾラは今こそ輝くべき作家なのかもしれません。私はそうなることを願っています。

引き続き、次の記事ではゾラ小説とドストエフスキー小説の根本的違いから、ゾラ不人気の理由を探っていきます。

以上、「ゾラから見るフランス人と日本人の道徳観の違いと時代背景」でした。

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