エミール・ゾラ「ルーゴン・マッカール叢書」第7巻『居酒屋』概要とあらすじ、感想

エミール・ゾラとドストエフスキー

『居酒屋』の概要とあらすじ

『居酒屋』はエミール・ゾラが24年かけて完成させた「ルーゴン・マッカール叢書」の第7巻目にあたり、1877年に出版されました。

私が読んだのは新潮文庫出版の古賀照一訳の『居酒屋』です。

では、早速あらすじを見て参りましょう。今回は裏表紙のあらすじを引用します。

「洗濯女ジェルヴェーズは、二人の子供とともに、帽子屋ランチェに棄てられ、ブリキ職人クーボーと結婚する。彼女は自らの洗濯屋を開くことを夢見て死にもの狂いで働き、慎ましい幸福を得るが、そこに再びランチェが割り込んでくる……。《ルーゴン・マッカール叢書》の第7巻にあたる本書は、19世紀パリ下層階級の悲惨な人間群像を描き出し、ゾラを自然主義文学の中心作家たらしめた力作。」

この小説は洗濯女ジェルヴェーズが貧しいながらも必死に働き、自分の店を開こうと奮闘し、念願の店を開店するもその後みじめな生活が始まっていくという、読んでいて辛くなるほど悲惨な物語です。

主人公のジェルヴェーズはマッカール家の生まれです。

https://shakuryukou.com/wp-content/uploads/2020/06/Rougonmacquart.pdf

こちらの家系図では右側の家系ですね。

このマッカール家というのは狂人だらけです。といいますのも祖のアデライードという女性も狂人で、その相手の男性のマッカールもアル中なのです。

ですのでアルコール中毒の因子がその子孫たちに遺伝していったとゾラは設定するのです。

ですので今作の主人公ジェルヴェーズもその遺伝を受け継ぎ、物語終盤ではアルコール中毒に沈んでいきます…

そして今作で何が彼女を悲惨な生活に導くかと言いますと、最悪なダメ男、嫉妬深い近隣住民、貧乏、不倫、酒など、これでもかとゾラはたたみかけます。

この物語はなぜパリの下層階級は酒まみれの悲惨な生活を送るのかということをゾラは異様なほどリアルな筆致で描いていくのです。

この作品は発表当初から圧倒的な反響を呼び、賛否両論飛び交う凄まじい状況になりました。パリの場末の悲惨な人々の生活をここまでリアルに描いた作家はこれまでいなかったのです。

そのため人々は過剰なまでにこの作品に反応することになったのでした。

ゾラはこの作品が出版された時、序文に次のように書いています。

「『居酒屋』が新聞に発表されたとき、この小説は前例のない暴言で攻撃され、非難され、ありとあらゆる罪過をもつものであるとののしられた。したがっていまここで数行を費やして、わたしの作家的意図を説明しておく必要があるのではなかろうか。わたしは、パリの場末の汚濁した環境のなかでの、ある労働者一家の避けることのできない転落を描こうとしたのである。酩酊と怠惰のすえに生れる家族関係の解体、卑猥な乱倫、誠実な感情の加速度的な忘却、そして、あげくのはての汚辱と死。これこそ、生きた教訓なのだ。それ以外のものではない。(中略)

この作品は嘘をつかない。民衆のにおいがしみついている。民衆についての真実の書、民衆についてのはじめての小説である。民衆はだれもかれも不道徳な手合いであるなどと、きめつけてはならない。現に、わたしの作中人物は不道徳ではないのである。彼らはその生きている苛烈な労働と貧困のせめぎあう環境のために、無知となり毒されているまでのことなのである。わたしの作中人物と私の作品とについて世上に行われている奇怪で汚らわしい、できあいの判断をうのみにしないで、そのまえに、わたしの作品群を読み、理解し、その全体の姿を明瞭にながめとっていただきたい。世間の数多くの人々を喜ばせているあのあきれはてるばかりの伝説を耳にして、どんなにわたしの友人たちが笑っていることか、なんとかそれを知っていただきたいものである。吸血鬼残虐作家よばわりされる人間が、じつは、できるかぎり広範で生き生きした作品を書き残したいという野心のほかには何ももたずに、おとなしく分を守って生活している研究と芸術の徒、真実な市民、これ以外のものではないということ、なんとかこれを知っていただきたいものである。世間の俗説を否定しようとして、あえてわたしはやっきとなりはしない。わたしは仕事をする。わたしは時間と世間の誠意に身をゆだねる。積みかさねられた暴言の山の底から、やがてはわたしの真意が汲みとられるであろうから。」P5-7

ゾラがこれをわざわざ書かねばならなかったほど、この小説は非難をぶつけられたということなのでしょう。

しかし、それはある意味、称賛の裏返しです。なぜなら批判の理由が下層階級の人々のリアルすぎる描写なら、称賛の理由もそこにあったからです。

いずれにせよ、ゾラの『居酒屋』はフランス文学界にセンセーショナルを起こし、この作品がきっかけでゾラは作家として確固たる地位を確立するのでありました。

感想―ドストエフスキー的見地から

以前、このブログのエミール・ゾラが想像をはるかに超えて面白かった件について―『居酒屋』の衝撃の記事でもお話ししましたが、『居酒屋』という作品は私がゾラにはまるきっかけとなった作品でした。

ゾラの描写力にひたすら驚きっぱなしの作品です。

さて、先ほど取り上げました序文の中でゾラは、こう述べていました。

「 民衆はだれもかれも不道徳な手合いであるなどと、きめつけてはならない。現に、わたしの作中人物は不道徳ではないのである。彼らはその生きている苛烈な労働と貧困のせめぎあう環境のために、無知となり毒されているまでのことなのである。 」

このまなざしです。このまなざしがあるからこそ、露骨すぎる描写の中にもどこかゾラの優しさと言いますか、社会の公正を求める正義感というものが感じられるのです。

そしてこのゾラの言葉を前にして、私はやはりドストエフスキーを連想せざるをえませんでした。

ドストエフスキーの小説にも酒に溺れた人間が何度も何度も出てきます。そしてそのような人物がいかに重要なはたらきをしているかは、『罪と罰』を読んだ方なら特に実感できるかと思います。

ドストエフスキーもゾラと同じく、虐げられた人間の生態を描いた作家です。

ゾラが人々がなぜ悪徳に耽るかと言うことを「苛烈な労働と貧困のせめぎあう環境」に重きを置いたのに対し、ドストエフスキーは環境も考慮に入れつつも、人間そのものにその根源があるとほのめかします。

人間はそもそも不合理な存在で、一方の極からもう一方の極へ一瞬で飛び移る不可思議な存在なのであるとドストエフスキーは考えます。

そして悪の存在に対しても、いい人間が悪いことをした人間を裁くような目線で見るようなことを彼はしません。どんな人間もとんでもないことをしでかしうるという不安定さ、複雑さを抱えているとドストエフスキーは考えるのです。

科学的に、客観的に、合理的にものごとを考えていくゾラとは方法は違えど、ドストエフスキーも人間そのものに対する優しいまなざしがあります。

人間がなぜ悪徳に耽り、悲惨な生活へと落ち込んでいくのかということをこの作品では描写していきます。

たしかにこの作品は悲惨です。最低なくず男に食い物にされていくジェルヴェーズが気の毒でなりません。

ですが、この小説の持つ力はやはりものすごいものがあります。だからこそ発表と共に驚くべき反響があったのです。

ゾラの代表作『居酒屋』、非常におすすめです。

以上、エミール・ゾラ「ルーゴン・マッカール叢書」第7巻『居酒屋』でした。

※「ルーゴン・マッカール叢書」についてはこちらの
「エミール・ゾラ『ルーゴン・マッカール叢書』とは」

エミール・ゾラの特徴とその魅力についてはこちらの
「エミール・ゾラが想像をはるかに超えて面白かった件について―『居酒屋』の衝撃」

そしてなぜ私がここでエミール・ゾラを紹介しているのかはこちらの
「フランス人作家エミール・ゾラとドストエフスキー なぜ今ゾラが必要なのか」

の記事をご参照ください。

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