美しきパリの情景と許されぬ恋 ゾラ『愛の一ページ』

エミール・ゾラとドストエフスキー

「ルーゴン・マッカール叢書」第8巻『愛の一ページ』の概要とあらすじ

『愛の一ページ』はエミール・ゾラが24年かけて完成させた「ルーゴン・マッカール叢書」の第8巻目にあたり、1878年に出版されました。

私が読んだのは藤原書店出版の石井啓子訳の『愛の一ページ』です。

では、早速あらすじを見て参りましょう。今回は帯記載のあらすじを引用します。

平凡な女の、生涯一度だけの情熱が、女の心理を緻密にたどるゾラの描写で、いま甦る!

夕暮のパリ、嵐のパリ、夜景のパリ、―心情をなぞるような都市の描写でも有名な、印象派絵画を思わせる悲恋の物語。

故郷のマルセイユを離れ、上京してきたばかりのパリで夫に急逝されたエレーヌは、パリ西部の高台にある高級住宅地パッシーで、11歳になる一人娘のジャンヌとひっそりと暮らしている。痙攣の発作を起こしたジャンヌを診てもらったことがきっかけで、母娘は隣人である医師アンリ一家と親しく交際するようになるが、いつしかエレーヌと妻子ある身のアンリのあいだには禁断の愛が芽生える。母親の気持ちがすでに自分ひとりに向けられていないのを察したジャンヌは、嫉妬と絶望の中、病に倒れて短い生涯を閉じ、ふたりの愛も終わりを告げる。

大作『居酒屋』と『ナナ』の間にはさまれた地味な存在ではあるが、日本の読者が長年小説家ゾラに抱いてきたイメージを一新する作品。ルーゴン=マッカール叢書の第八作で、一族の家系図が付されている。

藤原書店出版 石井啓子訳『愛の一ページ』

この物語は「ルーゴン・マッカール叢書」第5巻の『ムーレ神父のあやまち』と対をなす作品と私は個人的に考えています。

『ムーレ神父のあやまち』では信仰がちがちのセルジュ・ムーレ神父に対して、情熱的な女性アルビーヌが熱烈に恋をします。

そして今作では夫を亡くし、キリスト教的倫理観、つまり貞淑さを地で行く美しい未亡人に対し、家族持ちの医者のアンリが道ならぬ恋の熱狂に焼き尽くされていきます。そして2人はひっそりと愛を育むのですが、最後はエレーヌが別れを選ぶという筋書きです。

主人公のエレーヌはマッカール家の家系で第4巻の『プラッサンの征服』の主要人物であるフランソワ・ムーレの妹にあたります。家系図では真ん中辺りに位置しますね。

https://shakuryukou.com/wp-content/uploads/2020/06/Rougonmacquart.pdf

ルーゴン・マッカール家は前にも述べましたように強い個性を持った人間や狂人だらけの強烈な一族ではありますが、面白いことにその中でも稀に健気で献身的な、ルーゴン・マッカール一族の毒気が浄化されたような優しい女性が現れます。

そのひとりが今作の主人公エレーヌであります。

そしてそのエレーヌが献身的に世話をしているのが一人娘のジャンヌで、この子はルーゴン・マッカール家の宿命か、強迫観念というほどの神経過敏や虚弱体質を生まれ持っています。

その病弱で母親を独り占めしないと気が済まないというあまりに気難しい子供の病気の発作がエレーヌと医師アンリを出会わせたのです。

訳者解説によればこの作品は前作の『居酒屋』があまりに強烈な作品であったため、この作品をそれとは異なる空気の下描こうとしたとのことでした。

それまで政治風刺、社会風刺に多くの筆を割き、叙事詩的な才能を存分に発揮してきたゾラにとっては、優しくて、素朴で、ブルジョワ的で、穏やかな色調で展開される、いわゆる「気晴らしと休養」の小説のひとつとされているこの作品は、『居酒屋』の対極にあるまさに新境地の開拓であり、喉越しがよく、甘く、静けさに満ちたその趣とは裏腹に、小説家として『居酒屋』的なものだけにけっして留まるものではない己の多才さを世に示さんとする、ある意味では非常に野心に満ちた挑戦でもあったと言えるだろう。

藤原書店出版 石井啓子訳『愛の一ページ』P549

たしかに『居酒屋』と比べるとかなり「喉越し」がよい作品です。『居酒屋』との対比という観点から読んでいくのもこの作品の面白い点であると言えるかもしれません。

感想―ドストエフスキー的見地から

エレーヌの一人娘ジャンヌの狂気は親であるエレーヌからするとかわいくはあるものの本当に大変なものでした。

ジャンヌは母の愛が自分一人に向けられていないと耐えられないのです。

もし母の関心が少しでも違う方向に向けば、「お母さんはもう私を愛していないんだ!私なんてもう生きてる意味なんてないんだ!」とヒステリーを起こすのです。

この狂気のパターンはドストエフスキーの描く狂人に通ずるものを感じました。

人間は誰しも「私だけを愛してほしい」という感情を持ち合わせています。ですがそれがヒステリーを起こすほど強烈なものになる人間はそう多くはありません。

小説の良い点は、ある特質をデフォルメして描くことができるという点にあると思います。

つまりドストエフスキーがなぜあんなにも極端な人間をたくさん描くかというと、極端に強調して描くことで誰しもが持っている様々な性質をよりはっきりと、生々しく読者の目にさらすことができるからではないかと私は思うのです。

ゾラは空想上の人物を想像して書くということを嫌った作家です。彼はどこまでもリアルにリアルに人物をデッサンしていこうとします。ですのでジャンヌも彼にすれば、小説のための想像上の人物ではなく、実際にこういう人間がいるということを前提に描いていると思われます。

しかし、方法としてはそうであっても、結果的には「自分だけが愛を独占したい、そしてそうされるべき人間である」という狂気はやはり強烈なものであることに変わりはありません。

私としてはエレーヌとアンリの不倫の物語というより、ジャンヌの狂気の方に目が行ってしまった物語でありました。

以上、「美しきパリの情景と許されぬ恋 ゾラ『愛の一ページ』」でした。

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