ショーペンハウアーおすすめ4作品と解説記事一覧~仏教にも影響を受けたドイツの厭世思想の大家

哲学者ショーペンハウアーに学ぶ

ショーペンハウアーおすすめ4作品と解説記事一覧~仏教にも影響を受けたドイツの厭世思想の大家

19世紀ドイツを代表する哲学者ショーペンハウアー(1788-1860)。

日本語訳された彼の『幸福について―人生論―』という本にわかりやすいプロフィールがありましたのでそちらを見ていきます。

ドイツの哲学者。ダンチヒ生れ。当初プラトンとカントを研究。ゲーテと交わり、その後、インド哲学を学んだ。ヨーロッパのぺシミズムの源流となった『意志と表象としての世界』(1819)でワーグナー、ニーチェ、トーマス・マンに影響を与える。人生は最悪の世界だとして、そこからの解脱は芸術的静観と仏教的涅槃によるべきだとした。19世紀の厭世的世相に大いに迎えられた。

新潮社、橋本文夫訳『幸福について―人生論』表紙裏

こちらによると、ショーペンハウアーはもともと西欧哲学の王道、プラトンとカントを学んでいたのですね。

そこからなんと、彼はインド哲学を学ぶのです。

実はドイツというのはインド哲学や仏教の研究では世界の最先端を行っていた国だったのです。

インドの古代文字サンスクリット語仏教経典の研究もドイツがその中心でした。

それほどドイツはヨーロッパにおいていち早く仏教思想に注目していた国だったのです。

そして上のプロフィールの最後に彼の思想が端的にまとめられています。

「人生は最悪の世界だとして、そこからの解脱は芸術的静観と仏教的涅槃によるべきだとした。」

人生は最悪の世界である。

なかなか強烈な世界観ですよね。

そしてそこから解脱しなければならないと考えます。

「解脱しなければ」というのがすでにインド的、仏教的な香りがしてきますよね。苦しみの世界から解放され、抜け出すことこそ無上の幸福であるというのがインド的な人生観です。ショーペンハウアーがいかにインドや仏教に影響を受けているかがうかがえます。

この記事ではそんなショーペンハウアーのおすすめ作品を紹介していきます。それぞれのリンク先ではより詳しくお話ししていきますのぜひそちらもご覧ください。

ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』を読んで

『意志と表象としての世界』を読んで、何となくではありましたがショーペンハウアーの説く世界観やインドや仏教とのつながりを知ることができました。

しかしこの作品の中でショーペンハウアーが述べるように、彼の求める条件を満たしていない以上、やはりこの本は私には正確にはわからずじまいというのが正直なところです。この記事の中で詳しくお話ししていますがショーペンハウアーは読者に対してこの本を読む上でとんでもない要求をしてきます。

ですがその要求はある意味ものすごく親切であるなとも感じました。

私がカントやヘーゲルなどに太刀打ちできないのも、前提となる西欧哲学の知識が明らかに不足していたり、わからなくとも何度も何度も繰り返して読まなければならないからであるとショーペンハウアーは言っているのではないかと思います。

一度読んですぐわかるようなものだけが全てじゃない。多くの知識があり、その上でさらに何度も何度も繰り返して読み、思索することによってはじめてわかるようなものがある。

すぐにわかって読みやすいものはたしかに便利でありがたい。だがそれだけで済むとは思いなさりますなとショーペンハウアー先生にちくっと指導されたかのような気持ちになりました。

「ドストエフスキーは難しい。」

そういうイメージが世の中で根強いと思います。ですが正直、私にとってはカントやヘーゲル、ショーペンハウアーと比べたらドストエフスキーがどれだけ読みやすいことか!

難解な哲学書と比べてみたらドストエフスキーの小説は非常に読みやすいです。やはり小説という物語があるとより具体的でわかりやすいです。小説のよさはそういうところにもあるのだなと『意志と表象としての世界』を読んで改めて感じました。

この記事ではそうした『意志と表象としての世界』を読むにあたり気を付けるべきことをお話ししています。

ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』を読んで

ショーペンハウアー『幸福について』あらすじ解説―仏教に強い影響を受けたショーペンハウアー流人生論

幸福は蜃気楼である。迷妄である。『幸福について』というタイトルから「人生を幸福なものにするための方法」を教えてもらえるのかと思いきや、いきなり幸福など幻に過ぎぬとばっさり切ってしまうあたりショーペンハウアーらしさ全開です。

この本ではショーペンハウアーが人々の信じる幸福の幻影を木っ端みじんにし、どう生きればよいのか、真の幸福とは何かを語っていきます。

彼の代表作『意志と表象としての世界』と違って、話も短く具体的でとても読みやすくなっています。ショーペンハウアー入門として最適です。

そしてこの本で述べられることはかなり仏教に近いです。というのも、ショーペンハウアーはインド思想や仏教の影響を強く受けた哲学者です。その影響がこの本ではかなり強く出ています。

ショーペンハウアー『幸福について』あらすじ解説―仏教に強い影響を受けたショーペンハウアー流人生論

ショーペンハウアー『自殺について』なぜ自殺はいけないのか―ショーペンハウアーの自殺論

この本では自殺について書かれた論稿が5つ収められていて、その中にこの本のタイトルになっている「自殺について」という10ページほどの論稿があります。

この論稿は自殺はキリスト教の説くようにはたして本当に罪なのかという問題提起から始まります。

キリスト教の聖典には自殺を禁じる明確な根拠がないのだから自殺者を罪人扱いするのは不当ではないかと彼は言うのです。

そして彼は様々な根拠を挙げ、キリスト教が自殺を罪であるとすることを批判するのですが、この本では最終的に自殺は決して責められるべき罪ではないが、自殺はされるべきではないとショーペンハウアーは述べます。

自殺とは何なのか。19世紀のキリスト教世界観が根強くあった時代状況の中で哲学者ショーペンハウアーが考える自殺についてこの本では考察されています。

もちろん、現代ではキリスト教においても自殺に対する考え方も変わっており、ショーペンハウアーの批判しているような状況は変わりました。

ですが現代日本においても自殺は大きな問題です。そしてたとえ自殺にまでいかずとも精神的に苦しむ人は膨大な数に及びます。

150年以上も前に書かれた本ですがこの本に書かれた問題は今もなお重大な意味を持っています。

本の分量としても短く、文体も読みやすいものとなっていますので難しいショーペンハウアーといえども手に取りやすい本となっています。ぜひ読んでみてはいかがでしょうか。

ショーペンハウアー『自殺について』なぜ自殺はいけないのか―ショーペンハウアーの自殺論

ショーペンハウアー『読書について』―良い本とは?私たちは何を読むべきか

多読に時間を費やす人間は自分で考える力を失っていく・・・いきなり大変な言葉からこの論稿は始まっていきます。

本をただ闇雲に読んでも身に付かない。読んだことを反芻し、熟慮を重ねることによって真にその人のものとなる。思索することこそ肝要なのだとショーペンハウアーは述べます。

ですが、「知るために学ぶべき」と言うくらいですからショーペンハウアーは読書そのものを否定しているわけではありません。何の知識もなければ考えるにも考えようがありません。

ではどうしたらいいのかと言いますと、ショーペンハウアーはこう述べます。

読書に際しての心がけとしては、読まずにすます技術が非常に重要である。その技術とは、多数の読者がそのつどむさぼり読むものに、我遅れじとばかり、手を出さないことである。

岩波文庫、斎藤忍随訳『読書について』P133

なんと、ショーペンハウアーは「いかに本を読むか」ではなく、「いかに本を読まないか」こそ大切だと説くのです。逆説的ですがショーペンハウアーらしいエッジの効いた言葉です。

悪い本を読まずにいい本を読め。

人生は短い。限られた時間を悪い本を読むのに使ってはならない。

時代を超えて読み継がれている真の天才の言葉こそ私たちを育てる。

むやみやたらに新しいものに飛びついてはならない。

ショーペンハウアーはそう警告するのです。

ここでは紹介できませんでしたが他にもショーペンハウアーらしいかなり手厳しい意見がこの本では数多く述べられています。

『読書について』にはこの論稿だけでなく、「思索」、「著作と文体」という論稿も掲載されています。こちらの論稿もかなり鋭く、読み応え抜群です。読書好きならずとも、「本を読むこと」についてはっとさせられるような言葉と出会うことになるでしょう。

ショーペンハウアー『読書について』―良い本とは?私たちは何を読むべきか

以下、当ブログで紹介した読書関係の記事です。こちらもおすすめです!

番外編1 厭世思想(ペシミズム)の大家ショーペンハウアーとドストエフスキー

これまでこのブログではドストエフスキーをはじめプーシキンやツルゲーネフなどのロシアの作家や、ゾラなどの海外の作家についてご紹介してきました。

その中でもツルゲーネフやチェーホフの作品や参考書を読んでいる時によく出てきたのがショーペンハウアーの厭世哲学(ペシミズム)でした。

また、その影響はツルゲーネフやチェーホフだけではなくこの後読んでいくトルストイにも多大なものがあるとされていました。

であるならばやはりショーペンハウアーも読んでおいた方がいいのではないか、私はそう思ったのです。

不思議なことにドストエフスキーその人にはあまりショーペンハウアーの影がありません。同時代のツルゲーネフやトルストイは彼に強い関心を持っていたのにドストエフスキーはそうではなかった。この事実は逆に興味をそそります。

なぜドストエフスキーは当時流行していたショーペンハウアーの影響をあまり受けなかったのでしょうか。もしかしたら影響を受けてはいたけれどもそれは作品の中であからさまにそうとは見えないように表現されていたのかもしれません。

そうしたことを考えることもドストエフスキーの特徴を知る上で大きな意味を持つような気がします。

厭世思想(ペシミズム)の大家ショーペンハウアーとドストエフスキー

番外編2 生きる意味とは?絶望の時代にどう生きる―ショーペンハウアーを読んで感じたこと

悲観思想、厭世思想の大家として世界中に大きな影響を与えた大思想家ショーペンハウアー。

厭世思想(ペシミズム)の大家ショーペンハウアーとドストエフスキーの記事でお話ししましたように、彼はこの世を「最悪の世界である」と考えそこから「芸術的静観と仏教的涅槃」によって解脱するべきだと述べます。

ショーペンハウアーはこの世を最悪なものと見ます。

このブログでも紹介してきましたように、彼は『幸福について―人生論―』や『読書について』でこの社会の俗悪ぶりを鋭く批判します。金儲けや地位や名誉のために粗悪なものを大量に作り出し、愚かな大衆はそれを喜んで買い求め、俗悪な人間がますます儲ける。この社会においては真にいいものが全く無視されていると彼は批判するのです。

たしかに『幸福について―人生論―』と『読書について』ではかなり辛辣な意見が述べられています。もし彼の言うことが世の中に全面的に適用されるとしたら、あらゆるものがその活動を停止せざるを得なくなるでしょう。

彼の言葉を聞いていると、そのうち本当に世の中が嫌になってきてどんどん絶望的な気持ちになってきます。

彼の思想は世界中に多大な影響を及ぼしました。

今の私と同じように、世の中が嫌になり絶望的な気持ちになった人間がどれだけいたか測り知れません。

「死んだら無」「どうせこの世なんて」と虚無感を抱えた人がどれだけいたことでしょう。

ただ、これは何もショーペンハウアーのせいというわけではありません。彼がそういうことを言ったからそうなったのではないと私は思っています。

ショーペンハウアーは時代の風潮、時代精神を掴み、それを言葉や哲学にして人々に掲示したということではないかと私は思うのです。

世の中が嫌になり絶望的な気分に落ち込みやすい社会状況、個人の状況がすでにこの世界にあった。しかし個々の人間は苦しみながらもその感情が一体何なのかははっきりとはわからない。何か漠然とした苦悩や怒りが人々の内にあった。

その何とも言葉や形に表せない漠然とした感情をショーペンハウアーは時代から掴み、絶妙に言い表したのだと思います。そしてその言葉に多くの人が共鳴したのではないでしょうか。

この記事ではこれまで読んできたショーペンハウアー思想について思ったことを述べていきます。

生きる意味とは?絶望の時代にどう生きる―ショーペンハウアーを読んで感じたこと

番外編3 R・ザフランスキー『ショーペンハウアー 哲学の荒れ狂った時代の一つの伝記』

この本はショーペンハウアー伝の傑作として世界的に評価されています。

この本もとにかく面白かったです。ショーペンハウアーというと厳めしい哲学者というイメージがありましたがこの本を読んだことでだいぶそのイメージも変わりました。

ショーペンハウアーの著作については、上でも紹介しましたがやはりなかなか理解するには手強い存在です。特に主著『意志と表象としての世界』は太刀打ちできないほどの難しさでした。

ですが、ザフランスキーの著作を読んだことでこの本でショーペンハウアーが述べようとしていたことが少しずつ見えてくるようになりました。

ザフランスキーの著作では当時の時代背景や思想の流れを解説してくれます。ショーペンハウアーが生きた時代や人となりを知った上で読むとまったくその本が違って見えてきます。

やはり抽象的な「思想」といえど、それは「生きた人間」から生み出されるものです。その思想だけ見ようと思ってもなかなか理解するのは難しい。思想もその時代や社会、人間と密接に関わり合って生まれてくるのだということをこの本では考えさせられます。時代背景がわかればぐっとその思想がわかりやすくなる。その素晴らしい例がこの著作であるなと思います。

この本はショーペンハウアーが主人公ですが、同時代を生きたゲーテやヘーゲルも出てきます。ヘーゲルに関してはマルクスにも強い影響を与えた人物ですので、マルクスを考える上でもこの本は非常に大きな意味があります。

難解で厳しい哲学を生み出した哲学者ショーペンハウアーだけではなく、人間ショーペンハウアーを知れる貴重な伝記です。この本が傑作と呼ばれるのもわかります。単にわかりやすくて面白いだけではなく、ものすごく深いところまで私たちを導いてくれます。

ショーペンハウアーの影響を強く受けたニーチェを知る上でもこの本は非常におすすめです。

18、19世紀のドイツの社会事情を知ることができ、ドストエフスキーを学ぶ上でも大きな収穫でした。これまで私はカントやヘーゲルなどのドイツ観念論が苦手でひたすら避けていたのですがこの本を読んだことで興味が湧いてきました。難解な哲学も時代や歴史、社会情勢と密接につながっていることを知ったことで、これならなんとか学んでいけるかもしれないと身近に感じられるようになってきました。

R・ザフランスキー『ショーペンハウアー 哲学の荒れ狂った時代の一つの伝記』

番外編4 チェーホフ『ともしび』あらすじ解説―ショーペンハウアー的ペシミズムとの対決

『ともしび』は1888年にチェーホフによって発表された中編小説です。

舞台は鉄道建設の現場という資本主義建設の最先端の場です。そこで技師のアナーニエフと学生のシテンベルクと出会った「私」が彼らの問答を通して人生を考えるという筋書きです。

この作品はショーペンハウアー思想に興味がある人には画期的な作品です。

と言うのも、チェーホフ流のショーペンハウアー的ペシミズムとの対決というのがこの作品の主題となっているからです。チェーホフ研究者の佐藤清郎氏は次のように述べます。

これまで才気で書きつづけてきたチェーホフは、この作で初めて時代の問題、ぺシミズムと真剣に取り組んだのである。ペシミズムを論ずることで、何のために人間は生きるのかという窮極的な問題に、彼はじかにぶつかったのである。どっちみち死ぬる存在が何のために生きるのか。バビロンの塔も、ついには滅びる運命にあったではないか。死の前に何がいったい価値があるのか。『ともしび』はこの設問に答えようとした作品なのだ。

筑摩書房、佐藤清郎、『チェーホフ芸術の世界』P132

この小説はロシアを代表する文学者チェーホフがショーペンハウアーの思想に対してどのように向かい合っていくのかをしれる画期的な作品です。

物語としてもチェーホフらしい簡潔で読みやすいものとなっていますのですいすい読むことができます。ページ数も50ページほどとコンパクトなので気軽に読めるのも嬉しいです。

とてもおすすめな作品です。

チェーホフ『ともしび』あらすじ解説―ショーペンハウアー的ペシミズムとの対決

番外編5 ゾラ『生きる歓び』あらすじ解説―ゾラ流のショーペンハウアー的ニヒリズムへの回答

主人公ポリーヌは、「ルーゴン・マッカール叢書」第3巻の『パリの胃袋』に登場したリザの娘です。
この小説は近代社会の厭世と献身の物語 と言われていて、ゾラはこの小説で当時大流行していたショーペンハウアー的なペシミズム(悲観主義、厭世主義)を批判するために、生きる歓びを体現するポリーヌを立たせています。

そうしてゾラは当時大流行していたペシミズムに対する反論を述べようとしているのです。

人生など無価値だ。意味などない。死んでしまった方がましだ…世の中などくだらない…

ゾラは『意志と表象としての世界』で知られるショーペンハウアーの思想を戯画化してラザールに演じさせます。

ダメ人間ラザールが事業に失敗するたびに「人生など無価値だ。意味などない」と言わせることで偉大な思想家であるはずのショーペンハウアーの思想が単なるうじうじした言い訳になってしまいます。

それに対して健気で前向きなポリーヌはそうしたラザールだけでなく、病気のシャントーや金遣いの荒いシャントー夫人に対しても献身的に接します。他人のために自分を捧げずにはいられない、そこに生きる歓びがあると言わんばかりの彼女の献身です。

ラザールは結局自分のことしか考えていないのかもしれません。

それに対しポリーヌには常に他者への愛があります。(もちろん、時には葛藤し、激しい苦悩に襲われる時もあります)

ここにゾラのペシミズムと生きる歓びの対置があるのではないかと感じます。

ショーペンハウアーを戯画化したゾラのちょっとひねった筋書きが魅力の作品です。

ゾラ『生きる歓び』あらすじ解説―ゾラ流のショーペンハウアー的ニヒリズムへの回答

おわりに

この記事ではショーペンハウアーのおすすめ作品を4本と、番外編ということで解説記事と参考記事を6本紹介しました。

彼の本を読み、考え、記事にするのはなかなかに厳しい時間でした。普段の数倍疲労感がたまり、気持ちも落ち込みました。

しかしだからこそショーペンハウアーの悲観主義を乗り超えねばならぬとも感じました。ドストエフスキーやトルストイ、チェーホフ、ゾラはその偉大なる先達なのだと改めて感じたのでありました。あの時代の文豪たちがなぜあそこまで本気で「生きること」について思索し続けていたのかが少しわかったような気がしました。

絶望の時代だったからこそ彼らは「生きること」に真剣になっていたのだと。そしてその葛藤を文学にぶつけていたのだと。

ショーペンハウアーは答えを与えてくれません。

「思索せよ。言われたことを鵜呑みにしてはならない。じっくりと自分の頭で考えるのだ。」

ショーペンハウアーは改めて私に大きな課題を与えてくれたように思えます。

絶望の時代にどう生きるのか。

これは今まさしく私たちが直面している問題です。

コロナ禍において「世の中何かおかしい。これでいいのか。自分は何をすべきなのか」と多くの方が考えられたと思います。そして同時に「何をしても事態は変わらず、何をしても無駄。何を信じていいかわからない」というという無力感、絶望感を感じた方も多いのではないでしょうか。

私はそのどちらも感じました。いや、今も感じています。

絶望の中でどう生きるのか。なぜ私たちはこの世を生きねばならないのか。

ショーペンハウアーを読んでそのことを改めて強く意識しました。

今の時代だからこそぜひおすすめしたい哲学者です。

以上、「ショーペンハウアーおすすめ4作品と解説記事一覧~仏教にも影響を受けたドイツの厭世思想の大家」でした。

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