ゾラ未邦訳の作品『ローマ』あらすじと感想~腐敗したバチカンへの批判と宗教者の奮起を促したゾラの告発の書

ブログ筆者イチオシの作家エミール・ゾラ

ゾラ未邦訳の作品『ローマ』あらすじと感想~腐敗したバチカンへの批判と宗教者の奮起を促したゾラの告発の書

今回ご紹介するのはゾラが1896年に発表した『ローマ』という作品です。この作品は全20巻におよぶ「ルーゴン・マッカール叢書」の最終巻『パスカル博士』が発表された後に新シリーズとして出版された長編ものの第二弾になります。

20巻もの長編を書き終えてすぐに今度は『ルルド』『ローマ』『パリ』の「三都市双書」を書き始めたというのですからゾラの作家としてのバイタリティーには驚くしかありません。

さて、前回の記事で紹介した『ルルド』と同じように今回ご紹介する『ローマ』も実はまだ邦訳がされていません。

では私はフランス語原典で読んだのでしょうか。

いえ、フランス語がまったくわからない私にはそれは到底無理なお話です。この作品に関しては私はまだ読めておりません。

ですがなぜこの作品を読んでもいないのにあえて紹介しようとしたのかといいますと、この『ローマ』を含む「三都市双書」がゾラの宗教観を考えていく上で非常に重要なものとなっているからなのです。

「三都市双書」は最終作『パリ』だけが邦訳されていて、前二作は未だ邦訳されていません。ぜひぜひ邦訳されることを願ってという意味もこの記事に込めています。

では早速尾﨑和郎著『ゾラ 人と思想73』より、この作品について見ていきたいと思います。

前回と重複しますが、ゾラが『ローマ』を書くきっかけとなったルルドの泉での体験から見ていきます。

科学的思考者ゾラはルルドの泉に何を思ったのか

ルルドの貴重な役割

何よりも科学を信ずるゾラは奇跡を信ずることはできなかった。奇跡は非科学的であり、奇跡によって病気がなおることはありえない。しかし、ゾラは、ルルド巡礼によって奇跡のようになおった多くの病人を現実に目撃した。しかも、科学はこの快癒を十分に説明することができない。それゆえ、彼は、近代医学から見離された病気や身体障害がなおるのは、未知の超自然的な力によるのだと考える。そして、その力とは生物や人間に本来的にそなわっている生命力であると解釈する。「奇跡、それはうそいつわりだ。……自然が働いただけなのだ。生命力が今一度征服したところなのだ」とゾラは書いている。

このように彼は奇跡を全面的に否定している。しかし、彼は「人間にとっての奇跡の要求は信じる」と書いているように、苦悩に沈む人々の奇跡にたいする期待は否定しない。医学が無力であり、病気の全快がえたいの知れない生命力によるほかないとすれば、不治の病気や不具のゆえに絶望の淵にある人々は、奇跡を待ち望む以外に救いはない。

そして、それが奇跡であろうと偶然であろうと、医学から見離された病人がルルド巡礼によって全快するとすれば、ルルド巡礼は喜ぶべきことではあっても非難されるべきことではない。また、たとえ病状が好転しないにしても、奇跡への祈りと期待のなかで、病める人たちが現実の苦悩と苦痛をやわらげられ、生きる希望をわずかでも見出したとすれば、そのことだけでルルドは貴重な役割を果たしているのである。

「ルルドこそ、奇跡によって平等を回復し、幸福を取りもどさせる神が人間には絶対に必要なのだという、明らかな、否定しえない実例である。人間は生きる不幸の奥底に触れるとき、神という幻影に帰っていくものだ。」

「人間が生きるためにパンと同じように必要とする神秘を、力ずくで奪いさることは人間を殺すことであろう。」

ゾラはこのように書いているが、巡礼者の奇跡へのすさまじい期待を前にして、もはや彼は、奇跡は科学的に説明のつくものであるとか、ベルナデットの前にあらわれた〈聖処女〉はヒステリー症の幻覚であるとか、いたずらな科学的詮索をすることはできなかった。それは人間の苦悩にたいする冒涜であるようにさえ思われ、彼はかれらとともに「苦悩の新しいメシア(救世主)」をさがし求めざるをえなかった。

しかし、ベルナデットを幽閉し、ペラマル神父を軽視するような古い宗教では、病める人々のメシアへの切なる渇仰はみたさるべくもない。たとえ幻影であろうと、かれらを救い、かれらに夢を与え、希望をもたせるには、「新しい希望」と「新しい天国」をもたらす、真に「新しい宗教」を確立しなければならない。そして、それを実行しなければならないのは、いうまでもなく、カトリシスムの総本山であるローマ法王庁である。そこでゾラはカトリシスムの改革を要請するために、みずからローマにおもむき、かつまた『ローマ』を執筆することになるのである。

清水書院、尾﨑和郎『ゾラ 人と思想73』2015年新装版第一刷P136-138

「三都市双書」の第一巻『ルルド』については前回の記事でご紹介しました。

詳しくはこちらの記事で読んで頂きたいのですが、ゾラはルルドの泉での体験から『ローマ』執筆へと向かっていくことになったのでした。

カトリック社会主義への期待と小説『ローマ』のあらすじ

カトリック社会主義への期待

奇跡は信じないにしても、奇跡への期待を認めたゾラは、巡礼者を傷つけないように、そして、かれらを冒涜することのないように多大の配慮をもって『ルルド』を執筆した。しかし、ローマ法王庁は一八九四年九月ニ一日この作品を禁書目録にのせた。

このような処置にもかかわらず、一八九四年末、ゾラは新しい宗教の確立の必要を法王に訴えるためにイタリア旅行にでかける。小説『ローマ』(一八九六)では、主人公ピエール=フロマン神父が、法王にカトリシスムの改革を直訴するためにローマにおもむく。

ゾラが法王への直訴に期待をかけたのは、レオ一三世が新しい宗教の確立に熱意をもったリべラリストの法王にみえたからである。レオ一三世は一八九一年五月一五日、労働者の生活状態をとりあげた回状を発表し、そのなかで、大多数の信者が貧困に苦しんでいることを認めたために、多くの人から「現代思想に加担する法王」「社会主義的法王」とさえみなされたのである。

レオ一三世が貧困に目を向け、労働問題にまで言及するにいたったのは、当時、盛りあがりをみせていたネオーカトリシスムの運動に対処せざるをえなかったからであるが、ネオーカトリシスム運動の源は一八五四年に死んだラムネーである。

彼は「新しい時代が新しい方法を教会に課していることを理解し」、キリスト教が新時代に即応した道徳的倫理的な支柱になることを望んだ。ラムネーの心のなかにあったのは、今この時点でカトリシスムの改革を行わなければ、カトリシスムはやがて世俗的な権力はおろか、精神的な権威さえも保持しえなくなるという深い危機感であった。この危機感が四〇年後の一八九〇年前後にふたたび高まり、ネオーカトリシスムの運動を再燃させたのである。

失墜した教会の権威を回復するには、変化を執拗にこばむ教会を内部告発し、教会をして時代の要請に答えさせなければならない。科学への不信をあおり、イデアリスムを強調し、ドグマを強制し、儀式や巡礼などの形式を厳正にしても、宗教的権威の回復が可能になるものではない。権威をとりもどすには、何よりも原始キリスト教の精神に立ちかえらなければならない。これがネオーカトリシスム運動推進者の考えであったが、原始キリスト教の精神に帰るというこのネオーカトリシスムの思想は、そのままカトリック社会主義の思想であり、ゾラがローマ教会に望んだのは、ほかならぬこのカトリック社会主義であった。

ゾラは『ローマ』を書くにあたって、法学者であり経済学者であるフランチェスコ=サべリオ=ニッチーの大著『カトリック社会主義』(一八九四年仏語訳)を参考にしたが、ニッチーにとっては、何よりも「キリスト教は経済的大革命であり」、原始キリスト教とカトリック社会主義とは同義語であった。

「社会主義の思想のなかにはイエスの教義に反するものはほとんど何もない。教会の初期の教父たちはイエスの教えに忠実であり、かれらの教義は〈真のコミュニズム〉であった。……五世紀までは、ほとんどすべての教父が、コミュニズムを社会組織のもっとも完全な、もっともキリスト教的形態とみなしたのである。」

しかし、為政者と富裕階級がキリスト教に改宗し、キリスト教が公式の宗教となったとき、所有に関する考え方に変化が生じた。たとえば、聖クレマン=ダレクサンドリは早くも三世紀に「王は富めるものにその所有するものを神に捧げることをお命じになったのではなく、金銭欲を心から追放することをお命じになったのである」といって所有を容認し、貧しき者の宗教であるキリスト教に修正を加えた。以後、教会は政治的経済的状況の変化に即してキリスト教の思想を変質させ、富裕階級の蓄財を支援し、かつ、みずからの所有物をも増大させていったのである。

原始キリスト教精神のこのような忘却と蹂躪に抗して、乞食僧団、ウィクリフ、フス、再洗礼論者などが〈福音書〉への復帰に努力するが、宗教闘争であると同時に経済闘争であったかれらの戦いは敗北に終わる。

さらに、ドイツで、ルッターが貧困階級のためでなく富裕階級のために改革を行い、農民暴動を非難し、「苦悩をキリスト教的に受容する」ことを民衆に説いた。このようにして、キリスト教は、貧しく賤しき者にのみ貧困と苦難を堪えしのぶことを教えて富める者の味方になり、次第に腐敗と堕落の底に沈み、今や完全にその権威を失墜したのである。
※一部改行しました

清水書院、尾﨑和郎『ゾラ 人と思想73』2015年新装版第一刷P138-141

「奇跡は信じないにしても、奇跡への期待を認めたゾラは、巡礼者を傷つけないように、そして、かれらを冒涜することのないように多大の配慮をもって『ルルド』を執筆した。しかし、ローマ法王庁は一八九四年九月ニ一日この作品を禁書目録にのせた。

このような処置にもかかわらず、一八九四年末、ゾラは新しい宗教の確立の必要を法王に訴えるためにイタリア旅行にでかける。」

自分の作品が公式に禁書目録に載せられたにも関わらずわざわざローマまで赴き、法王に直訴しに行ったゾラ。彼の本気さが伝わってきますよね。いかにゾラが真剣に宗教に対して思う所があったかがここからもうかがわれます。

ゾラの告発するバチカンの腐敗

カトリシスムが腐敗し、権威を失っているとしても、不幸におしひしがれ、悲惨のなかで呻吟する無数の大衆は神に祈り、神の恩寵と救済を求めている。ゾラはそれをとりわけルルドにおいて確認した。ゾラの判断するところでは、かれらを救いうるのは科学でも政治でもない。それは、たとえはかないイリュージョンであろうとも神以外にない。

そして、民衆はわずかでもその神に近づくために、神の使者ともいうべき法王のもとにやってくる。かれらは法王を通して神の恩寵にあずかりたいのである。法王が民衆の前に姿をあらわすと、民衆は熱狂的に法王に近づき、あるものはダイヤモンドや金銀の装身具、財布、小銭を法王に投げかける。あるものは法王の足跡に口づけし、そのほこりを吸いこみさえする。

神の使者、法王にたいするこのような絶大な崇敬と哀切な期待にもかかわらず、法王は新しい宗教を確立して病める人たちに新しい希望を与えようとはせず、献納された財宝や金ののべ棒や貧者の一灯を、まるで守銭奴のように自室でひとりひそかにいつくしんでいる。あるいは、これを資本にして莫大な投機を行い、その結果大きな損失をこうむり、貧者や病者の心を二重に踏みにじるのである。

一八八〇年代のイタリア、とりわけローマは、第二帝政時代のパリや一九七〇年前後の日本と同じように、土木事業への一大投機の時代であった。ローマは一八七〇年のイタリア統一後にその首都になるが、そのころのローマは廃墟であり、伝染病の蔓延する、はきだめの町であった。この不潔なローマを新生イタリアの首府にふさわしい美しい町に変えるために、大規模な土木事業がおこされた。

この復興事業が生みだす利益の分けまえにあずかろうとして、貴族やブルジョワや商人が大金を投資し、また土地を買いあさった。当時ローマでは、土地が旬日にして数倍にはねあがることも稀ではなかった。

これらの資金は主としてフランスからの借入であったが、一八八三年、イタリア・ドイツ・オーストリアーハンガリーが結んだ三国同盟にたいする報復措置として、フランスは二年間に八億フラン(約三二〇億円)の資金を引きあげた。その結果、この壮大な事業は不意にストップすることとなった。住宅・道路・鉄道・上下水道の建設は中断され、たとえば、住宅団地は「からの鳥かご」になり、一階だけ建築された住宅に貧民が住み、ローマは「新しい恥ずべき廃墟」とゲットー(貧民窟)に変わり果てた。

バチカンもまた、破産に追いこまれたこの狂気の大投機に加わっていた。レオ一三世から投資を委託されたバチカン財政委員会は、株式や土地投機によって最初は利益をあげたが、一八八七年前後にローマ法王庁の金庫に残ったのは紙くず同然の有価証券のみであった。ゾラの『わがローマ旅行』によれば、遺産委員会の報告のさいに明らかになったバチカンの損失は、一五〇〇万フラン(約六〇億円)から三〇〇〇万フランにのぼっていた。

いかに経済的に窮迫していたにしろ、法王庁が投機に乗りだすことは、ゾラの目にはカトリシスムの堕落の最たるものと映じたが、ゾラがさらに救いがたい腐敗とみなしたのは、バチカン宮殿の奥で展開されていた熾烈な権力争いである。

ボルジア時代のような毒殺事件はなかったものの、そこでは、それ以上に酷薄で陰湿な権力闘争がくりひろげられていた。ゾラはこのようなバチカンの裏面を見て、カトリシスムは新しいイリュージョンを与える新しい宗教にはなりえないと判断しなければならなかったのである。
※一部改行しました

清水書院、尾﨑和郎『ゾラ 人と思想73』2015年新装版第一刷P141-144

この箇所は読んでいて辛いものがありました。ゾラの告発はあまりに厳しいものがありますが、これは厳然たる事実・・・まったく他人事には思えない自分がいます。

そして上の引用の最後に出てきたボルジア時代というのは、まさにマキャヴェリが『君主論』を書いた時代のことです。この時代は権謀術数何でもござれのすさまじい権力闘争、国家戦争が行われていました。このことについては後に改めて記事でご紹介したいと思います。

ローマに失望したゾラが次に考えたのは何だったのか

世界の終末

ローマ教会に世界の未来を託しえないことを確認したゾラが、つぎに期待をかけようとしたのは第四階級のプロレタリアートである。すなわち、ローマのゲットーにいる多数の「貧者、弱者、賤民」である。しかし、かれらはかれらをがんじがらめにしばりつけている社会的、生物的な宿命の鉄鎖を打ちくだくために戦うどころか、「憎むべき悲惨」に安住し、「直接的な生きる楽しみ」を怠惰に求めるのみである。ゾラはローマ法王庁と同じようにローマの民衆にも未来をかけることができないことを明瞭に読みとるのである。

そして、カトリシスムが新しい宗教としてよみがえることができず、プロレタリアートもまだ眠りこんでいて新しい世界を作りあげる意欲に欠けているとすれば、この世界を救いうるのは一体何であろうかと考えたとき、ゾラの頭に浮かんだのは、すべてを一挙に破壊し、無に帰せしめるよりほかにないという思いであった。

あまりにも多くの人間の悲惨や社会の腐敗を見つめてきたゾラが、絶望の果てに唯一の希望とみなすのは、この腐敗した悲惨な世界の壊滅と、その後の新世界の到来である。ゾラは『ローマ』の最終の章で、アナーキストの少年アンジオロ=マスカラにつぎのように語らせている。

「ローマをまず大火によって清めなければなりません。いかなる古い汚れもそこに残してはならないのです。そして、太陽が古い土地の悪疫を飲みほしたとき、わたしたちは一〇倍も美しく、一〇倍も大きいローマを再建するでしょう。」

ゾラはこの少年アナーキストを深い共感をこめて描いているが、彼もまたこの少年と同じように、腐敗し、朽ち果てた、悲惨の渦まくこの不正な世界を一挙に破壊し、「大火によって清めること」が何よりも緊要なことであるとみなしている。社会主義もカトリシスムも、この崩れかけた世界を蘇生させることはできない。それは無意味で無駄な弥縫策にすぎない。それよりも、いとわしきこの世界を一挙に爆破すべきなのである。

「貧しき者のあまりにも長い苦しみが、世界を焼きはらおうとしている。……終末なのだ。堅固なものは何もなかった。古い世界は血にそまったおそるべきクライシス(破局)のなかで消滅するはずであり、いくつかの徴候はその近いことを予告しているのだ。」

ゾラは、完全に期待を裏切られて失意のうちにパリにまいもどる主人公ピエール=フロマンにこのような独白をさせているが、ゾラが世界にたいして抱いた唯一の希望は、おそるべきカタストロフィ(破局)のなかで近いうちに世界が崩壊するはずだという予想であった。

もちろん、さらにつづくフロマンの独白が示すように、ゾラにとっては、「科学のみが永遠であり」、「正常で健康な頭脳にとって唯一の可能な真実である」。科学は「神秘主義の復興運動の前で破産するどころか、何ものも止めることのできない前進をつづける」。そして、「科学に養われた国民」のみが未来を切り開きうるのであり、科学こそ唯一の希望の光である。

しかし、ゾラの科学への信頼はそれほど強いものではなく、真実、彼の心の奥底にあったものは、末世がまもなく焼きつくされるであろうという期待のみであった。この世界は、ソドムやゴモラのように、神の劫火によって焼きつくされるべき、いとわしい世界である。これほどいとわしい、腐敗した終末の世界が、なおも存続しうるとはゾラには考えられなかった。それほど理不尽なことがあってはならないし、また、ありうるはずもないとゾラは考えていたのである。
※一部改行しました

清水書院、尾﨑和郎『ゾラ 人と思想73』2015年新装版第一刷P144-146

ルルドとローマでの体験からゾラは絶望を感じます。その絶望が「三都市双書」最終巻の『パリ』でどのような展開を見せるのか。

最終巻の『パリ』はありがたいことに邦訳されています。ですので次の記事では満を持してその作品をご紹介したいと思います。ぜひ引き続きお付き合い頂けましたら幸いでございます。

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