(17)世界遺産サーンチーの大ストゥーパを訪ねて~現存するインド最大・最古級のストゥーパと華麗な彫刻!

サーンチー 仏教コラム・法話

【インド・スリランカ仏跡紀行】(17)
仏教美術の華サーンチーの大ストゥーパを訪ねて~現存するインド最大・最古級の仏舎利塔と華麗な彫刻!

カジュラーホー滞在を終えた私は次なる目的地サーンチーへと向かった。

サーンチーの大ストゥーパ Wikipediaより

サーンチーは現存する最大・最古級のストゥーパで有名な世界遺産で、仏教の歴史を考える上で非常に重要な遺跡として知られている。

ストゥーパというと私達日本人にはあまり馴染みのない単語だが、これはものすごくざっくり言うと「ブッダや高弟の遺骨を納めたお墓」である。日本でいう卒塔婆の語源となった言葉でもある。

「【仏教入門・現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】(24)ブッダのクシナガラでの入滅~従者阿難と共に最後の旅へ出かけるブッダ。80年の生涯に幕を閉じる」の記事でも少しお話ししたが、ブッダ死去後に火葬された遺骨は8つに分割され、各国の王が管理することになった。そしてその遺骨をさらに8万4千に分割してインド中にその遺骨を祀るストゥーパを作ったのがアショーカ王(在位前268-232頃)だとされている。

それらストゥーパは現在ではほとんど残っていない。12世紀から本格化したイスラーム勢力の侵攻によって破壊されてしまったのだ。

だが、ここサーンチーは奇跡的に破壊を免れ、かつての姿をそこにとどめている。なぜサーンチーは破壊されずに済んだのかは前回の記事「(16)なぜインドの仏跡は土に埋もれ忘れ去られてしまったのだろうか~カジュラーホーでその意味に気づく」でお話しした通りだ。ここも辺鄙な場所に作られ、さらには木々に覆われ遠くからは見えなかったのである。

これらの写真を見てみると、遺跡がどんな形で木々や土に埋もれていたかがイメージできるのではないだろうか。

私はまず、カジュラーホーからサーンチー近郊の都市ボーパールへと鉄道で移動した。私にとってこれがインドでの初めての鉄道だ。インドの鉄道はカオスだと聞いていたので緊張感が高まる。たしかにこれは一人では来たくない。ガイドさんがいてくれてよかった。

私が乗車したのはこの写真の左から二番目の車両だ。

私が乗車したのはエアコン付きの車両で、想像していたよりも快適だった。しかも定刻の16時半ぴったりに発車したのには驚いた。これならヨーロッパの鉄道よりはるかによいではないか。2022年に訪れたドイツでは何度もひどい目に遭わされたものだった。

ここから目的地ボーパールまではおよそ6時間半。インドの田園風景を眺めながらゆったり過ごす。

だが、私には切実な不安があった。

どうしてもトイレに行きたくなかったのである。

インドのトイレ、特に鉄道のトイレはもう言葉にもしたくないほどだ。

私は小ですら絶対に行くまいと腹を決めた。

だが、6時間半の長旅である。普段割とトイレが近い私にとってこれは実に苦しい戦いだった。この日は極力水分を取らないようにしていたがそれでもトイレに行きたくなったらどうしようと戦々恐々だったのである。

しかしどうだろう!奇跡が起きたのだ!精神が肉体を凌駕したのか、トイレを我慢するどころか全くその気配すらこの車中では感じられなかったのである。そしてボーパールの宿に着いたのが深夜12時頃。ここでようやく私はトイレに行ったのである。

これはこれで私の身体は大丈夫なのかと不安になったがどうしようもない。人体の不思議である。

翌朝、ボーパール市街からサーンチーへ向けて出発。さすが大都市。どこに行っても大混雑。インドらしい喧噪の中郊外へ向けて走る。

サーンチーへはボーパールからおよそ1時間半ほど。郊外に行くにつれて何もない平野へと景色が変わっていく。

サーンチーのすぐ近くまでやって来た。写真右の小高い丘の上に大ストゥーパが少し見える。遠くからこの丘が見えた瞬間私は興奮した!こういう所にストゥーパや僧院が作られていたのだ!

サーンチーの入場ゲートまでやって来た。

入ってすぐ視界の先にストゥーパが見えた。綺麗に整備された芝生との対比も美しい。ここから見ればその威容に落ち着きを感じる。

しかし一歩一歩近づくにつれ、私は驚きを隠せなくなってきた。想像よりも、デカイのである!

目の前まで来るとその巨大さ、迫力に圧倒された!まさかこんなに大きなものだったとは!

参考書などでもサーンチーの写真は見てはいたが、それらの本ではだいたい小さなサイズでの掲載がほとんどだった。私はその小さな写真のイメージでサーンチーを想像していたのである。

正面の鳥居のような塔門(トーラナ)の巨大さにも驚いたが、私はこの饅頭型のストゥーパを囲む欄楯らんじゅん(石垣)の存在感に打たれた。目の前にいる人達と比べてみればその大きさも伝わることだろう。円柱状の岩がストゥーパを中心にぐるっと円を描いているかのようで、ダイナミックな迫力を感じる。

そしてこちらが塔門に施された仏教芸術だ。ここにはブッダの伝説やジャータカという仏教説話が描かれている。ブッダが亡くなったのは紀元前383年頃とされているが、それから200年近く経った前2世紀頃からこうした仏教芸術が生まれ始めた。

この最初期の仏教芸術の特徴はブッダの姿を直接描かないという点にある。左の写真を見ればそれがわかりやすいと思う。写真下部でサルが台のようなものに向かって捧げものをしているがその上にブッダの姿はない。あまりにも尊い存在たるブッダを描くというのはそれだけでも畏れ多いことだったのである。この時代にはブッダを示す象徴としてこの写真のような台座や菩提樹を描くのが普通のことであった。仏像が造られ始めるのは紀元後1世紀頃まで待たねばならない。

塔門から欄楯の中へ入ると、外界から遮断された独特な空気感を感じた。やはりこの欄楯の迫力がものすごい。迫ってくるような圧力を感じる。

先程見たのは北門だったが、こちらは東門。このストゥーパには東西南北4つの門がある。そしてこの東門には有名な彫刻が施されている。それがこちらだ。

こちらはヤクシーという女神の像で、インド芸術史においても非常に高い評価を受けている作品だ。インド美術の参考書でも必ず出てくる。カジュラーホーもそうであったが、ここ仏教の遺跡でも美しい女性の彫刻が施されているのは興味深い。

ちなみに、これは真後ろからの写真だ。このアングルで観ることができるのも現地に行ったからこそである。

それにしても細かい。サーンチーの彫刻はどれもえげつないほど精緻に彫られている。当時の芸術水準の高さがうかがわれる。

そしてこちらが大ストゥーパのすぐそばにあるストゥーパ第3塔。ここはブッダの高弟サーリプッタ(舎利弗)とモッガラーナ(目犍連)の遺骨が納められていたストゥーパだ。このようにアショーカ王以降のインドでは各地にブッダやその高弟達のストゥーパが建てられ、信仰の対象となっていたのである。

それにしてもこの大ストゥーパの巨大さ、迫力には恐れ入った。私はこの地を歩きながら仏教学者中村元先生の次の言葉を思い返した。

覆鉢形(あるいは半球形に近いかたち)というものは、インド仏教独自のものであると思われる。(中略)西洋のピラミッド、オベリスクなどの建造物が尖っていて、尖鋭という印象を与えるのに対して、ストゥーパは円満で落ち着いていて、安らいでいるという印象を与える。(中略)

ゆるやかな半球形、土饅頭のかたちは、見る人をして、安らぎ、平穏の気持ちを起こさせる。それは和の理想をたやすく連想させる。そこには安定感がある。激怒や闘争意欲を起こさせるものではない。心をして静かに寂静のうちに落ち着かせる。仏教美術は、決して仏教の理想と無関係ではない。

春秋社、中村元『中村元選集〔決定版〕第23巻 仏教美術に生きる理想』P53-54

西洋のピラミッドやオベリスクと比較して解説されると実にイメージしやすい。

そして次の言葉も忘れ難い。

ストゥーパなるものはマウリヤ王朝時代のもろもろの建造物のうちおそらく最も大きなまた最も主要なものであった。これは生産的経済的視点から見るならば、なんの役にも立たないものである。口ーマの巨大な遺跡がみな世俗的な、実利的あるいは享楽的視点から作られたものであったのに対して、アショーカ王時代の巨大な遺跡は精神的宗教的な意義を寓しているものであった。ここにわれわれはインド文明のひとつの特徴を見出すことができる。

春秋社、中村元『中村元選集〔決定版〕第23巻 仏教美術に生きる理想』P94-95

この解説を初めて読んだ時のことは忘れられない。

と言うのも、私は2022年に古代ローマの遺跡を巡っている。特にその中でもローマ郊外のアッピア街道の水道橋には強い印象を受けたものである。

ここでガイドさんに「ギリシア文明も古代エジプト文明も巨大な建造物を作りました。ですがローマ文明はその全てが実用的です。コロッセオ、道路、水道橋、そのどれもが人々の生活に直結するものです。ギリシアの神殿やピラミッドはたしかに大きいです。ですがそれは誰のためのものですか?何の役に立ちますか?ローマは違います。文明が実用性と結びついているのがローマの素晴らしいところです。」と教えてもらったことが強烈に印象に残っている。

その時私は「そうか!古代ローマの偉大さは徹底した実用性の探究にあったのか!」と感嘆したものだった。

だがここで中村元先生の言葉を聞いて、純粋に精神的、宗教的に作られたストゥーパなるものの奥深さにも改めて気付くことになった。実用性など全く無視し、ただひたすら精神的・宗教的なものを追い求めたインド人。これはこれで偉大なことなのだと改めて感じ入ったのだった。

私はサーンチーに来て改めてその感を強くした。このストゥーパの持つエネルギーは只事ではない。

仏教教団の発展や人々の信仰を知る上でこのサーンチーのストゥーパは非常に重要な意義がある。本来はここでストゥーパの意義や成立過程をお話ししていきたいのだがそれをするとここから膨大な量の解説が必要となってくるので今回はこれ以上のお話は控えようと思う。

興味のある方は奈良康明、下田正弘編集『新アジア仏教史02インドⅡ 仏教の形成と展開』中村元著『中村元選集〔決定版〕第23巻 仏教美術に生きる理想』、宮治昭・福山泰子編集『アジア仏教美術論集 南アジアⅠ マウリヤ朝~グプタ朝』などの参考書がおすすめだ。

これらを読めばサーンチーのストゥーパが仏教の歴史を考える上でいかに重要な意義を持っているかがよくわかると思う。特に『新アジア仏教史02インドⅡ 仏教の形成と展開』ではこのストゥーパ信仰を通して当時の仏教がどのような存在だったかが解説されている。近年の研究成果が反映されたこの本は非常におすすめだ。まさに目から鱗。ぜひ手に取ってみてはいかがだろうか。

※以下、この旅行記で参考にしたインド・スリランカの参考書をまとめた記事になります。ぜひご参照ください。

「インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧」
「インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧」
「仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧」

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