『『レ・ミゼラブル』をつくった男たち ブーブリルとシェーンベルク そのミュージカルの世界』ミュージカルのレミゼ制作現場に迫る1冊!

『レ・ミゼラブル』をもっと楽しむために

ミュージカル『レ・ミゼラブル』はいかにして作られたのか!その制作現場に迫る1冊!マーガレット・ヴァ―メット『『レ・ミゼラブル』をつくった男たち ブーブリルとシェーンベルク そのミュージカルの世界』概要と感想

今回ご紹介するのは三元社より2012年に発行されたマーガレット・ヴァ―メット著、高城綾子訳『レ・ミゼラブル』をつくった男たち ブーブリルとシェーンベルク そのミュージカルの世界』です。

早速この本について見ていきましょう。

驚異的動員数を更新するミュージカル『レ・ミゼラブル』と『ミス・サイゴン』。作詞・作曲のブーブリルとシェーンベルクの二人と共に持てる力のすべてを捧げ、単なるエンターテインメントを超越した名作を作り上げた者たちの肉声。

Amazon商品紹介ページより

この本はミュージカル『レ・ミゼラブル』の制作に関わった人たちの言葉を聞きながらレミゼ製作の裏側をたずねていく作品です。

これはレミゼファン必見です。

本の帯に書かれていた「製作現場を知れば、ミュージカルの見方が変わる!」という言葉はまさにその通り!

この本を読んでレミゼのすごさを改めて知ることになりました!

私たちは劇場まで出向き、すでに出来上がった作品を観劇します。

ですが当たり前のことですが、その作品も多くの人が関わってゼロから作り上げられていったものです。

私たちは特に意識することなく完成品を享受しているわけではありますが、よくよく考えればその裏で製作陣がものすごい力を込めてそのミュージカルを作り上げてくれたからこそ、私達の前に作品が届けられています。

超一流の製作陣が精魂込めて作っている過程をこの本では知ることができます。

「レミゼがどれだけ多くの人たちの力で成り立っているのか。そしてそもそもレミゼはどのように作られたのか。このミュージカルの魅力とは何なのか」

作詞家、作曲家、共同作詞者、演出家、プロデューサーなど、製作の柱となる人々の生の声がこの本で収録されています。

この本について「序」では次のように書かれています。少し長くなりますがこの本の内容や特徴、レミゼのすごさが端的にまとめられています。

本書は、ミュージカルの作詞・作曲家コンビ、アラン・ブーブリルとクロード=ミッシェル・シェーンべルクのミュージカルを愛するすべての人、またミュージカルの制作過程に関心が高い人のために書かれたものである。(中略)

ブーブリルとシェーンべルクは、今日最も有名なミュージカル作家ではないかもしれないが、観客の心に最も深く染み入る作品を作り得る人たちと言えるだろう。彼らの作品が観客の心を惹きつけるだけでなく、捉えて離さず、新しい世代のファンを生み続けてきたのは、世の人々が大作ミュージカルに本当に求めているものを、感情の面からも、舞台の視覚的な面からも、彼ら二人が理解しているからだろう。(中略)

彼らのミュージカルは、音楽に導かれるというよりも語りを通して進行する。従って、物語の鮮やかな展開は、メロディの美しい、リズミカルなレチタティーボ(註 話し言葉の自然なリズムやアクセントに従っている独唱形式)を作曲するシェーンべルクの非凡な才能によるところが大きい。

彼ら二人には、言葉と音楽が互いに寄り添って溶け合い、物語のドラマティックな要素の本質に届くという理想像がある。歌詞には、数多のすばらしいブロードウェイ風ミュージカルで踏襲されているような、ウィットや気の利いた言い回しをやたらと使ったりはしない。歌詞自体に注意を喚起せず、登場人物の感情や思考がごく自然に伝わるように書いてある。

その上、スコア(註 総譜のこと)も個々のヒットソングを際立たせるような構成ではない。というのも、その第一の目的は語りに観客を惹き込むこと、彼ら流に物語を語ることだからである。

スコアには音楽として一貫性があり、聞くたびに一層好きになる、壮大で胸が張り裂けそうになるメロディと共に、多様性と生命力が溢れている。音楽が会話とは別の感情の位相に聞こえてくるので、ドラマの中の感情を増幅できるのだ。ごくありきたりのことを洗練してドラマを充実させ、現実よりもさらに現実的に思わせるやり方である。

ミュージカルは通常、自分一人で感じるしかない感情を観客同士が共有できるように作られている。また、イギリス、アメリカ、あるいは世界のさまざまな公演地であっても、喚起された感情はあらゆる文化によって理解され、受容されるため、観客が上演の同じ場面の、同じような瞬間に、同じように反応することは、ブーブリルとシェーンべルクのミュージカルの顕著な特徴である。

こうしたミュージカルは、感傷的であるのとはまた違った独自の方法で人々の琴線に触れ、多様な感情の位相に近づきやすくする。人々を悲しませ、楽しませ、そして人生の意味を再解釈するのを助けてくれるのである。

物語によって感情を激しく呼び覚まされると、観客はトラウマと幸福感が複雑に入り混じった状態にまで気分を高揚させて劇場を後にする。彼らのミュージカルがオぺラに頻繁に例えられるのは、悲劇を味わう満足感に負う部分が多いとはいえ、オぺラに匹敵する規模、深刻さ、情熱があるからであり、全編を歌い通すためである。

ブーブリルとシェーンべルクは新作ごとに、前作と作風を意図的にはっきり変えている。『レ・ミゼラブル』で彼らは、ヴィクトル・ユゴーの物語の特徴をつかみ、我が物にした。しかし、原作がどんなにすばらしくても、それをミュージカルにするには潤色して書き直さねばならなかった。

ユゴーの代表作の情熱と真髄を残して三時間のミュージカルに成し得たのは、途方もなく複雑な長編小説に施した大胆な要約があってこそである。

『レ・ミゼ』として多くの人に親しみを込めて呼ばれている『レ・ミゼラブル』は、民衆の、民衆のためのミュージカルである。ユゴー自身、自らの小説について「すべての人々に読まれるかどうかわからないが、すべての人に向けている」というようなことを述べている。彼が待ち望んだ全世界の読者を自らの小説で確実につかんだのと同様、そのミュージカルも、全世界の絶賛と人気をまさしくに勝ち得たのである。(中略)

本書は、ミュージカル制作という閉ざされた扉の向こうを垣間見せるものである。もちろん、舞台装置、衣裳、照明、振付、オーケストラ、そして演技は、制作過程においてもすべて必要不可欠な要素だが、そういう事柄は本書では扱わない。ここでは、脚本執筆、作詞、作曲を、また演出や製作の背後にある論理的根拠を包括的に考察する。それらはミュージカルそのものの理解により広い視野を与えるものである。最終章は、ロンドン、ニューヨーク、そして世界中の上演記録集である。クリエイティブチーム、出演者、ミュージカル・ナンバー、批評、公演地、賞、レコード・CD、あらすじと作品テーマの詳細、好奇心をそそるようなトリビアがいくつか書いてある。本書のすべての情報は、二〇〇六年秋時点のものである。

以降のページでは、アラン・ブーブリルとクロード=ミッシェル・シェーンべルク、そして共同作詞家、演出家、プロデューサーを紹介したい。この仕事は、寛大にもたくさんのインタビューをさせていただいたことで成し遂げられたが、あらゆる段階においてすべて彼らと見直しを行った。当然ながら、見解のいくつかの点において多少相違が見られるが、彼らを話題の中心にし、彼らの人生や仕事のことを遮ることなく、詳細に自由に話してもらうのが筆者の意図であった。彼らが話すままにしようと努めたので、読者に直接語っていると感じていただければ幸いである。

それでは、アラン・ブーブリルとクロード=ミッシェル・シェーンべルクが、ひとつのアイデアや白紙の状態からどのように初日に漕ぎ着けたのかということは、これからの各章を御覧いただきたい。
※一部改行しました

三元社、マーガレット・ヴァ―メット、高城綾子訳『レ・ミゼラブル』をつくった男たち ブーブリルとシェーンベルク そのミュージカルの世界』P11ー16

この本ではレミゼの誕生秘話や作詞、作曲、演出の並々ならぬ困難が語られます。

特に名曲『彼を帰して』や『ワン・デイ・モア』の制作過程を語る箇所はものすごく興味深かったです。制作の裏側を知ってからこの曲を聴くとまた全然別物のように感じられます。心に響く曲を作るということがどれだけすごいことなのかということをこの本では教えてくれます。

そしてもうひとつどうしても紹介したい箇所があります。少し長くなりますが引用します。

ヴィクトル・ユゴーの人生観と宗教観の本質を表す歌がヴァルジャン、ジャヴェール、そしてテナルディエにあるのは、作品の意図にとって重要なことでした。『レ・ミゼラブル』で表される人生観の本質は、これら三人の登場人物に集約されています。

ヴァルジャンの物語は本来、新約聖書のキリスト教の話。苦しみによる救済の物語です。また司教に象徴される神は苦しみを理解し、最後に報いる許しの神。それが物語そのものの中心となります。実に、今わの際でそういうものがヴァルジャンを贖います。最後、彼に恩恵を与えるものです。

それに対してジャヴェールは、復讐の神・旧約聖書に書かれている旧約聖書の神を信じています。人が社会から、あるいは司法から逸脱したときに罰を与える復讐の神は、ヴァルジャンの神、つまり許しの神と作品の至るところで争うことになります。そして勝つのは許しの神。ジャヴェールは、自分が間違っていること、そういう方法はうまくいかないこと、ヴァルジャンが型通りにならないことを悟る時点で耐えられず自殺します。

でも、これでは三人のうちの二人だけ。残る一人はテナルディエの神です。テナルディエの神は死です。神とは情け深いものですが、彼にとって世界に神はいないのも同然なので、神が無意味なものだとわかります。

『レ・ミゼラブル』の世界を表現するには、当然ながら、こうした三つの信条を作品の内部に十分秘めさせなければなりません。この信条を表す三つのすばらしい歌があるのはそのためです。

《彼を帰して》は、救済と希望と神の御栄えを歌った歌で、人生において、そして危機的瞬間において、人々が犯した過ちを正す許しの神が存在するという可能性を表しています。《星よ》は、秩序と混沌と正義について述べ、法に従わない人に天罰を下す正義と怒りの神を表します。そして《下水道(Dog Ear Dog)》は、どの人間も実際はなんて自己中心的かという皮肉の歌で、神のようなものは存在しないし、天を見上げれば、見るものすべてはまるで暴力や恥ずべき行為を認めているかのように笑っているお月様だと表しています。

これら三つの歌は少しもドラマの要素はありません。ジャヴェールが《星よ》、ヴァルジャンが《彼を帰して》、またテナルディエも《下水道》を歌う必要はないのです。三つの歌はすべて削れましたし、物語は純粋な演劇的表現で完全に理解できたでしょう。歌を必要とするのは、感情を掘り下げて、この三人の人物を理解し、彼らの立場をより明確に認識するためです。それが盛りだくさんの原作小説の一切を、より忠実に、より詳細に表す術でした。

とはいえ、物語を複雑にし過ぎるので、省かねばならないことがいくつかありました。マブーフ氏、ジルノルマン氏、マリウスの父親や、その他のあらゆる魅力的な人物は登場させられませんでした。ガブローシュがエポニーヌの弟だということをはっきりさせようかどうしようか、しばらくの間何とはなしに考えたのですが、やりませんでした。

物語に有効な関係性があっても、三時間の上演中にばかげた偶然の一致のように思えることがあっても、その事情をいちいち知らなくてもいいでしょう。ファンティーヌの境遇をさらに理解するため彼女の娘時代を舞台で表すことや、彼女の恋人、学生の友人たちを登場させるかどうかは長い間話し合いました。でも、表現したとしても、結局そういうエピソードは作品を間延びさせたでしょうから、そのすべてを要約してある《夢やぶれて》の歌詞で、彼女に何が起きているのか、どうにか理解してもらっています。

万事、要約なのです。ともかく、その場面では、観客に、彼女の身の上をじわじわと気づく集中力を高めてもらわねばなりませんでした。原作の『レ・ミゼラブル』は、実際とてもわかりやすい物語で、途方もないディテールやさまざまな相関関係にある人物が大勢登場するディケンズの小説とは違います。『レ・ミゼラブル』に登場するのは九人の中心人物と、ごくわずかな周辺人物だけなので、その点、表現するのはあまり複雑ではありません。でも、人生観に関しては複雑です。そういうことは難しかったですね。
※一部改行しました

三元社、マーガレット・ヴァ―メット、高城綾子訳『レ・ミゼラブル』をつくった男たち ブーブリルとシェーンベルク そのミュージカルの世界』P125-126

ジャン・バルジャンが新約聖書の慈悲の神、ジャベールが旧約聖書の裁きの神を表し、そしてテナルディエも死の神を表現しているというのはなるほどなと思いました。特にテナルディエに込められた意味については私にとっても驚きでした。このことを知ってから映画を見直してみると、コミカルに描かれながらもなかなかにえぐいことをやっているテナルディエの存在がまた違って見えるようになりました。

また、私は初めてミュージカル映画を観た時、正直、「ずいぶん原作からカットされてるなあ。もっと掘り下げてくれればいいのに」と思っていました。

そのことは以前書いた記事「ミュージカル映画『レ・ミゼラブル』解説とあらすじ・感想~ユゴーの原作との比較」でもお話ししました。

ですが、この本を読んでそうした思いに大きな変化が起こりました。

上に引用した箇所は特に強烈なメッセージでした。

「万事、要約なのです」

これは簡単な言葉のように見えますが、『レ・ミゼラブル』という怪物的な作品を短い時間に凝縮するという奇跡のような偉業を示しているように私には思えました。

かつて私は映画を観て「もっと掘り下げてくれればいいのに」と思っていました。

しかし、今では違います。この本を読んだことで、ミュージカル制作陣の驚くべき偉業にただただ感嘆するしかありません。

ストーリーをぎりぎりのところまでカットし、その代わり歌と音楽でそれぞれの人物像や背景を示していく。

そのすごさを私は教えられたのでした。

原作からミュージカルを作り上げていくことがいかに高度な仕事なのかを思い知らされました。

今ではレミゼの映画や音楽に触れる度、こうした製作陣の超一流の仕事に思いを馳せています。

この本はミュージカルを楽しむ新たな視点を授けてくれます。この本もものすごくおすすめです。

レミゼファンはもちろん、舞台やミュージカル、映画などに興味のある方にもぜひおすすめしたい一冊です。

以上、「『『レ・ミゼラブル』をつくった男たち ブーブリルとシェーンベルク そのミュージカルの世界』ミュージカルのレミゼ制作現場に迫る1冊!」でした。

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