名作ミュージカルの原作はやはり圧倒的傑作だった ユゴー『レ・ミゼラブル㈢ 第三部 マリユス』

ドストエフスキーとフランス

ユゴー『レ・ミゼラブル㈢ 第三部 マリユス』概要とあらすじ

『レ・ミゼラブル』は1862年に発表されたヴィクトル・ユゴーの代表作です。

今回私が読んだのは新潮社版、佐藤朔訳の『レ・ミゼラブル』です。

今回は5巻ある『レ・ミゼラブル』の3巻目を紹介していきます。

早速裏表紙のあらすじを見ていきます。

「第三部「マリユス」。頑固な祖父にさからって、ひとり下宿生活をはじめたマリユスは、窮乏の生活の中で、しだいに共和主義に傾倒してゆく。そのころ、彼が毎日散策に出かける公園で必ず出会う親娘があった。誇り高く純真な青年マリユスは、その未知の少女の清らかなまなざしにとらえられ、可憐な姿に憧れをいだく。娘は、ジャン・ヴァルジャンに養われているコゼットであった。」

新潮社版、佐藤朔訳の『レ・ミゼラブル㈢』裏表紙

第三部「マリユス」はジャン・ヴァルジャンとコゼットに次ぐ重要人物、マリユスという青年の物語が語られます。

マリユスはお金持ちだが筋金入りの頑固者の祖父ジルノルマン氏のもとに身を寄せています。

彼は早くに母を亡くし、父のこともほとんど知らずに生きていました。

というのも、ジルノルマン氏はナポレオンをとにかく毛嫌いしていて、マリユスの父はナポレオン軍の将校だったので遠ざけられてしまっていたのです。

ジルノルマン氏は自分の娘がナポレオンの軍人と結婚することを苦々しく思っていました。

そのため娘が亡くなると、マリユスの父が彼に会うことを禁じてしまっていたのです。

マリユスも最初は祖父の影響を受けていたのですが、ふとしたことから父が会いに来ないのは自分を愛しているからだということを知ります。

これまで祖父から聞かされていたことと違う事実を知り、彼は動揺します。

そこから彼は祖父と対立し、自らもナポレオンに心酔していきます。

そして対立は危機的なものになり、マリユスは家を飛び出し、貧乏生活をしながら法律の勉強を続けるのでありました。

ここから彼はパリの青年活動家たちと出会ったり、まだ何者かはわからないながらもジャン・ヴァルジャンとコゼットと出会い、運命の歯車は動き出すのです。

『レ・ミゼラブル』第三巻は物語の動き自体は少なめの巻です。

ですが第四巻、第五巻の大団円に向けて欠かせぬ背景をここでは描いています。

感想―ドストエフスキー的見地から

この巻では青年マリユスの生い立ちや彼の人柄がほぼ丸々1冊をかけて描かれることになります。

例のごとくこの巻のはじめもパリの浮浪児の話からスタートし、一見物語とは関係のない話が続いていきます。

ですがここまで読み進んできた人ならもうこの展開には驚くことはないでしょう。しっかりこのお話が後々に効いてくることになるのです。

さて、マリユスはナポレオン軍の将校の息子です。

しかしナポレオン嫌いの祖父の影響で、父とは会うこともなく、むしろ自分を捨てたという憎しみの対象ですらありました。

ですがふとしたことから父は彼を愛するがゆえに身を引き、彼のことを遠くから見守っていたことを知ります。

そして彼が立派な軍人であったこと、ワーテルローでの戦いでも勇敢に戦ったことを知るのです。

ここで第二巻のはじめで長々と語られていたワーテルローの戦いが効いてくるのです。ユゴーは何の意味もなくあの話を長々としていたわけではありませんでした。

ここでワーテルローの話がマリユスにつながり、さらにはもっと後にテナルディエともつながってくるのです。ユゴーの伏線回収、恐るべしです。

さて、ミュージカル版の映画ではマリユスがどんな人物であるか、そしてコゼットとどのように出会い、恋に落ちるかというのは時間の都合上かなりショートカットされています。

映画では偶然出くわし、お互いに一目ぼれし、そのあとすぐに再会し恋が始まりますが、原作では驚くほどプラトニックで、しかもまったくその恋は進展しません。

あらすじにもありましたが、マリユスの散歩コースにいつもいる親娘。その娘に心惹かれたマリユスはその毎日の散歩を楽しみにし、遠くから彼女を眺めているので精一杯です。

そして結局この第3巻では彼女の名前すら知ることは叶わず、マリユスが彼女の名前を知り、恋が成就するには4巻目の190ページまで待たなければなりません。

映画だと10分ほどで成就する恋と、本丸々1冊以上、読むのに何日もかかるほどの言葉を尽くして描かれた恋。

映画版の素晴らしさももちろんわかるのですが、やはり私は原作版に軍配を上げたい気持ちが高まってしまいます。

ひとりの人物について掘り下げて掘り下げて掘り下げ続けていく。

これが長編小説のメリットであり、その人物の心の動きやその背景をつぶさに知ることができます。

これをすることで、たしかに物語自体は展開が遅くなり、ストーリーが進まないという欠点もあるかもしれませんがやはり読めばわかるその効果というのが必ずあるのです。

長々とある人物について掘り下げ続けていくと、読者はそれぞれの登場人物がどんな人間で、どんな背景のもとそれぞれの境遇で生きているのかを強く意識することになります。

つまり、物語の世界により深く没入していくことになるのです。

だからこそそれぞれのキャラクターがもっと生身の人間のように生き生きしてくる。フィクションの世界なのにまるで現実の世界のように感じられてくる。

これが圧倒的に巧みだったのがまさしくユゴーであり、その最高傑作が『レ・ミゼラブル』なのではないでしょうか。

第3巻の最後にはテナルディエ一家とジャン・ヴァルジャン、そしてジャヴェールとの手に汗握る対決のシーンがあります。ここも見逃せません。

壁の穴からその顛末をのぞくマリユスの目を通して私たち読者もそのシーンを目撃することになります。

このシーンも本当に素晴らしいです。驚くべき臨場感!

こんなシーンを言葉のみで表現するユゴーの力にはただただ脱帽するしかありません。

今回の記事では「ドストエフスキー的見地」からの感想は書けませんでしたが、きっとドストエフスキーも私と同じく、この本を熱中して読んでいたんだろうなと思います。

しかも彼の場合は発売されてすぐ、しかも初のヨーロッパ旅行中に読んだということでその感動や熱量もひとしおだったことでしょう。

以上、「名作ミュージカルの原作はやはり圧倒的傑作だった ユゴー『レ・ミゼラブル㈢ 第三部 マリユス』」でした。

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