『レ・ミゼラブル』の時代背景をざっくり紹介~フランス革命からナポレオン時代、七月革命まで

レ・ミゼラブルの世界 『レ・ミゼラブル』をもっと楽しむために

『レ・ミゼラブル』の時代背景をざっくり紹介~フランス革命からナポレオン時代、七月革命まで

レミゼの最大の見せ場である「革命のバリケード戦」はなぜ起こったのか。アンジョルラスをはじめとした若者たちはなぜ蜂起したのか。それを知るには当時のフランスの時代背景を知ることが必要です。

今回の記事では前回紹介した西永良成著『『レ・ミゼラブル』の世界』を参考にレミゼの時代背景を見ていきたいと思います。

この本ではかなり詳しくナポレオンやフランスの時代背景を解説していますが、その中でもこの時代のことが簡潔にまとめられた箇所をこれからご紹介していきたいと思います。

フランス革命とナポレオン

ダヴィッドサン=ベルナール峠を越えるボナパルトWikipediaより

周知の通り、一七八九年のフランス大革命はあの沈着冷静なカントさえも驚愕させたほどの大事件であり、フランスおよびヨーロッパの歴史を大きく変え、近代の嚆矢となった画期的な出来事だった。

自由、平等、友愛を標語とし、「人権宣言」をおこなった革命はいまでも人類共通の精神的遺産となっているが、このような大変化にはもちろん抵抗、反動が伴った。当時フランスではこの世界史的な革命を肯定し、民衆とともに継続しようとする者たちが「共和派」(のちに「左翼」)、これにたいして革命を否定し、旧体制の王政にもどそうとする者たちが「王党派」(のちに「右翼」)と呼ばれた。「波瀾万丈の世紀」とも言われるフランス一九世紀は、ほぼこの共和派勢力と王党派勢力との対立、抗争の歴史だったと言っても過言ではない。

これに加えて、革命の共和思想の影響が自国に及ぶのを恐れたプロシア、オーストリア、オランダなどの王政が亡命貴族と結託し、しきりにフランスの国政に干渉し革命の遂行を阻止しようとした。さらに、革命派のなかでも、九三年から九四年の「恐怖政治」の年月には、約四万の死者を出すなど急進派と穏健派の対立が血で血を洗うような戦いになった。

このような統制不可能な大混乱を武力によって終結させたのがナポレオンだった。革命軍の司令官として数々のめざましい軍功をあげ、英名を馳せていた彼は、一七九九年一一月九日、「霜月ブリュメール一八日のクーデター」を敢行し、第一統領になってから絶大な権力を持つようになった。以後彼は中央集権的な体制を作り上げて、一八〇二年には終身統領に、〇四年には皇帝の座についた。ユゴーが生まれたのは二年のことだった。
※一部改行しました

岩波書店、西永良成『『レ・ミゼラブル』の世界』P28-29

1789年のフランス革命はフランス国内のみならずヨーロッパ中を巻き込んだ大混乱へと繋がっていきます。

そんな血で血を洗う大混乱の中登場したのが、あのナポレオンだったのです。

フランス革命やナポレオンについては当ブログでも以前紹介しました。

神野正史さんの『世界史劇場シリーズ』は当時の流れを知る上で非常にわかりやすい解説をしてくれますので入門書としてとてもおすすめな本です。興味のある方はぜひ読んでみてください。

波乱万丈の19世紀

こうして一九世紀、フランス人の愛国心を大いに高めた偉大な第一帝政がはじまったが、ナポレオンは領土的野心と革命の理想を広めるという使命感によって、周辺の王政各国との戦争をつづけて勝利し、ヨーロッパの盟主になった。

だが、ほぼ八年つづいた彼の帝国も一八一二年のモスクワ遠征の失敗を機に徐々に弱体化し、一四年にライプツィヒで、オーストリア、プロシア、ロシアとの戦いに敗退すると、ナポレオンは退位を余儀なくされた。代わって成立したのは革命によって処刑されたルイ一六世の弟、ルイ一八世(革命時に殺されたルイ一六世の長男をルイ一七世として数えている)による第一次王政復古体制であり、ナポレオンはエルバ島に追放された。

だが彼は、ナポレオン戦争の後始末をつけるはずのウィーン会議が長引いている隙をついて、一五年三月にフランスに帰還、権力を奪い返したが「百日天下」に終わり、同年六月のワーテルロー会戦で反フランス同盟軍のウェリントンに完敗した結果、セント・へレナに配流された。そこで、ふたたびルイ一八世が復帰して第二次王政復古の時代になり、旧貴族やカトリック勢力などの王党派、保守派が復権することになった。

国王ルイ一八世はやや自由主義的な「憲章」を公布したものの、旧体制にもどそうとする時代錯誤的な政治をおこない、反革命、反ナポレオンの姿勢を貫いた。このルイ一八世が二四年に没すると、弟のシャルル一〇世があとを継ぎ、さらに権威主義的な反動政策を推進した。この過激王党主義の国王は三〇年七月に議会解散、出版の自由の廃止、選挙法改悪を命じる王令を発布、これに抗議したパリの民衆が蜂起して王政復古の時代を終焉させ、シャルル一〇世は退位し、ロンドンに亡命した。

これが「七月革命」と呼ばれるもので、代わって「フランス国民の王」としての王位についたのは、ブルボン王朝の傍系オルレアン家のルイ・フィリップだったが、実権を握ったのは共和派ではなく、ブルジョワジーと呼ばれる新興富裕階層のエリートたちだった。

彼らが優先したのは当然みずからの利害であり、民衆の権利や生活改善ではなかった。だから、四八年まで一八年つづいたこの「七月王政」のあいだも、共和派・民衆たちの蜂起、暴動がパリおよびリヨンなどでも度々起こることになった。『レ・ミゼラブル』のクライマックスとなる三二年六月の共和派の蜂起もそのひとつであり、ルイ・フィリップが退位に追い込まれた四八年の「二月革命」、これにつづく「六月暴動」も同じである
※一部改行しました

岩波書店、西永良成『『レ・ミゼラブル』の世界』P29-31

これが1789年のフランス革命から1848年の二月革命までのざっくりとした流れです。

ここで最後に語られた1848年の二月革命は特に世界各国に大きな影響を与え、この革命があったためにロシアは弾圧を強化、翌1849年にはドストエフスキーが政治犯として逮捕されシベリア流刑となっています。

その時の体験をもとに書かれたのが有名な『死の家の記録』という作品です。

ドストエフスキー作品は読みにくいというイメージがあるかもしれませんが、この作品はとても読みやすい文体で書かれています。個人的にはドストエフスキー作品の中で最も読みやすい作品だと思っています。そして内容も抜群に面白いです。ぜひおすすめしたい作品です。

また、フランス七月革命を経て二月革命が起こっていく過程をより詳しく知りたい方にはトクヴィルの『フランス二月革命の日々』という本もおすすめです。

『レ・ミゼラブル』の時代設定

ここまでざっくりとフランスの歴史の流れを見てきましたが、いよいよここで『レ・ミゼラブル』の時代設定について見ていきたいと思います。

以上が一九世紀半ばまでのフランス史の概略である。ユゴーは一八八五年に亡くなり、このあともほぼ一九世紀を生き抜くわけだが、『レ・ミゼラブル』の時代設定はジャン・ヴァルジャンがトゥーロンの徒刑場から釈放される一八一五年一〇月から、死亡する三三年六月までである。

つまりエルバ島に流刑になったナポレオンの「百日天下」(一八一五年三月二〇日―六月二二日)のあと、ブルボン王家のルイ一八世の第二次王政復古、「栄光の三日間」と呼ばれる三〇年の「七月革命」によるルイ・フィリップの「七月王政」の成立、そしてこのブルジョワ的政体に不満なパリ民衆の三二年六月蜂起といった政変が相次いだ時期の翌年までである(これはユゴーの生涯でいえば一三歳から三一歳までの時期にあたる。だからこの時期の雰囲気、主な出来事などを体験していた。なお巻末にある年表の「実世界の出来事」と「小説内の出来事」を対照のこと)。

ただ、ユゴーは「著者の権利」と称して、一八一五年のワーテルローの会戦どころか一七ハ九年のフランス革命にまで遡るばかりか、一八四八年の六月暴動にさえ記述を引き延ばし、彼なりの歴史の考察もおこなっているので、じっさいに扱われている歴史的時間はもっと長いと見るべきだろう。

さきほど、この小説は全体小説であると述べたが、これからはそのなかでも特異な歴史小説、もっと言えば「政治小説」の側面を強くもっている点にとくに注目したい。わが国のこれまでのユゴー研究は「ロマン派の総帥」といったように、もっぱら文学的な視点からなされ、時代の政治に真摯にかかわったユゴーにおける「文学と政治」という重要な観点がほとんど等閑視されていた嫌いがあるからだ。

次章から詳しくみるように、ユゴーが文人であるとともに政治家でもあったことを忘れてはならないのであり、『レ・ミゼラブル』もその政治的な側面、とくにユゴーとナポレオン一世および三世との関係を見落とすと、興趣が半滅するのも事実なのである。
※一部改行しました

岩波書店、西永良成『『レ・ミゼラブル』の世界』P31-32

ジャン・ヴァルジャンが徒刑場から解放されるのがナポレオンが敗北する1815年というのは非常に大きな意味があります。そしてアンジョルラスら若者たちが蜂起した1832年の事件も、その背景を知ればもっと感情移入することができます。

この記事ではこれ以上深くはお話しできませんが、この本ではもっと解説されていますので興味のある方はぜひ手に取って頂けたらなと思います。

ナポレオンと文学

ここまでレミゼと時代背景についてお話ししてきましたが、やはりフランスやヨーロッパにおいてナポレオンほど絶大な影響力を持った人間はそうそういません。この本でもナポレオンと文学について以下のように述べられていました。

へーゲルが「世界精神」の化身を馬上のナポレオンに見たことはよく知られているが、ナポレオン伝説はこんにちからは想像もおよばないほどフランス文学に影響をあたえていた。

モスクワ遠征にまで従軍したスタンダールは、ナポレオンの『セント・へレナ日記』や「軍旗」を心の拠り所に王政復古時代の社会に挑戦するジュリアン・ソレルを主人公とした『赤と黒』、ワーテルローの戦いを経験するファブリス・デル・ドンゴの生涯を描いた『パルムの僧院』といった小説ばかりではなく、評論『ナポレオン』も残している。

「わたしはナポレオンが剣で成しえなかったことを筆で成しとげる」を座右の銘としたバルザックは、「人間喜劇」のいくつもの作品、たとえば『ゴリオ爺さん』や『田舎医者』でナポレオンを登場させている。ロマン派の詩人、ヴイニーやネルヴァルにもそれぞれナポレオンの偉業を謳った詩がある。

また、フランス文学のみならず、ロシア文学のトルストイ『戦争と平和』、ドストエフスキーの『罪と罰』などはナポレオンなしには構想しえなかった作品である。ユゴーの場合も同じというか、それ以上にナポレオン伝説の影響をおおきく受けている。
※一部改行しました

岩波書店、西永良成『『レ・ミゼラブル』の世界』P35

ナポレオンの存在はフランスだけでなく世界中の作家にも多大な影響を与えました。ユゴーの『レ・ミゼラブル』やバルザックの『ゴリオ爺さん』ももちろんですが、あのドストエフスキーの『罪と罰』やトルストイの『戦争と平和』もまさしくナポレオンの影響を強烈に受けています。

ユゴーの『レ・ミゼラブル』ではマリユスの出自がナポレオンと関わってきます。そしてレミゼの第二巻の冒頭ではナポレオンが完全に敗北するワーテルローの戦いが延々と語られます。ユゴーはわざわざワーテルローの古戦場まで訪れそこでそのシーンを書きました。ユゴーにはどうしても実際に現地を訪れ書きたいと思うほど思い入れがあったのです。それほどナポレオンという存在は大きかったのです。私もそんなユゴーに倣いワーテルローに行ってきました。下の記事でその時の体験をお話ししています。

レミゼの時代背景を知るとこの物語はもっともっと奥行きのあるもののように感じられてきます。

知れば知るほど面白い。これもレミゼの素晴らしいところだと思います。恐るべし、ユゴーです。

以上、「『レ・ミゼラブル』の時代背景~フランス革命からナポレオン時代、七月革命まで」でした。

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