パリのお針子グリゼットと学生の関係とはー19世紀フランスの若者達の出世コースと恋愛

『レ・ミゼラブル』とドストエフスキー

レミゼのファンテーヌの仕事と恋はフランスの若者の典型だったーパリのお針子グリゼットと学生たちの関係とはー19世紀フランスの若者達の憧れと恋愛

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グリゼットとは日本語訳するならば「お針子さん」と訳されます。

これまで当ブログでもお話ししてきた『レ・ミゼラブル』のファンテーヌはまさにこのグリゼットです。

では、このグリゼットはいかなる存在としてフランスで考えられていたのでしょうか。鹿島氏の解説を見ていきましょう。

まずは、一八四〇年から四二年にかけてキュルメール書店から出版された『フランス人の自画像』という百科事典風の十九世紀風俗観察集を開いて、このグリゼットの項目を引いてみよう。すると、グリゼットとは、十八世紀に民衆の娘たちが着ていた粗末な灰色の毛織物がグリゼットとよばれていたことに由来する名詞で、転じて、みずからの手で働いて給料をもらわなければならないお針子や裁縫女工、帽子女工のことを指すようになったとある。しかし、この項の担当者であるジュール・ジャナンが「すべてのパリの産物の中で、もっともパリ的なのは、疑いもなく、このグリゼットである」と書き出していることからもあきらかなように、グリゼットという言葉が男たちの会話にのぼるときには、必然的に、定義以上の「何か」が付きまとっていた。(中略)

ようするに、グリゼットというのは、お針子や女工といった職業身分をあらわす名詞というよりも、十九世紀の前半のロマン主義の時代にパリに上った学生たちにとって、お手軽なセックスの相手となってくれる可能性を秘めた若い娘という意味あいで使われていたのである。当時、グリゼットという言葉が出ると、今日、「女子高生」や「女子大生」という言葉に対するのと同じようなリアクションを男たちは示したのである。『ボヴァリー夫人』の訳者が「浮気な」という余計な形容詞を添えているのはこのニュアンスを踏まえてのことだろう。

白水社、鹿島茂著『職業別 パリ風俗』p8ー10

ここで解説されるように、フランス文学でグリゼットが出てきた時はこうした背景の下その女性が語られることになります。『レ・ミゼラブル』はその典型で、ファンテーヌはまさしくこうした女性の代表例と言うことができます。

しかし、少しでも考えてみればすぐにわかるように、職業としてのお針子や女工は、被服産業が成立した時点からすでにあったはずで、なにも十九世紀の前半にいきなり出現したわけではない。現実のグリゼットは十八世紀にも、十七世紀にも存在していたのだ。ただ、神話がなかっただけである。これまた、「女子高生」や「女子大生」の場合と同じである。

では、グリゼットの神話はどのようにして形成されたのか?ひとつは、時代の影響、もうひとつは、神話に加わる人間の数量的な増加である。

白水社、鹿島茂著『職業別 パリ風俗』p10

グリゼットにこうした「職業」としての意味だけでなく性的な意味合いが加わるようになるには、ある背景がありました。それを鹿島氏は「神話」と表現します。神話の存在がグリゼットに新たな意味を付与し、それを定着させることになったのです。

そしてここから当時のフランスの時代精神を知る上で非常に重要なことが語られていきます。

一八一五年の第二次王政復古とともに、若者のあこがれの職業は軍人ではなくなる。一八〇〇年前後に生まれた男の子たちは、ものごころついてからずっと第二のナポレオンたらんとして成長してきたが、せっかく軍隊に志願できるような齢になったとたん、ナポレオンの軍隊がなくなってしまったのである。彼らは決定的に「遅れて」来たのだ。

では、遅れて来た青年たる彼らに残された道はなにかといえば、とりあえず、平和な時代に強い役人、司法官、弁護士といった職業に就くか、あるいは医者として身を立てることである。そのためには大学で学位を得なくてはならない。

かくして、一八二〇年前後から、大学都市であるパリの下宿屋や安ホテルは、地方からやってきた大学生で満杯の状態になる。大学生という存在は昔からあったはずだが、これほどに目立ったことは、カルチェ・ラタン(学生街のこと ※ブログ筆者注)始まって以来のことである。ようするに、この時期、大学生が一つの社会現象と化したのである。

なかでも圧倒的に多かったのが、法学部の学生である。彼らがコレージュを出てバカロレアに受かったとき、両親は息子の将来を考えてこういう。

「法律をやらなければならない。法律こそ教育を完全にするために不可欠なものだ。弁護士の肩書はすべてに通じる」(『フランス人の自画像』所収、エミーレ・ド・ラ・べドリエール「法学部大学生」)

白水社、鹿島茂著『職業別 パリ風俗』p10ー11

ナポレオン帝政時代は軍人こそ若者の出世の道でした。しかしナポレオンが退位し王政が復活すると、もはや軍人は出世コースとはならなくなりました。そこで新たな道として出てきたのが大学に通い、官僚や法律家になることでした。

こうして若者たちは大挙してパリに集まり、出世コースを進もうとしたのです。これはパリに限らず世界中でその後起こった現象です。もちろん、日本も例外ではありません。

しかし、上の解説にもありますように大量の学生が狭き門に殺到するため、必ず職にあぶれるものが出てきます。しかも相変わらず家柄や財力がものを言う世界なので、貧しい学生は先の保証もない苦しい生活を強いられることになります。『レ・ミゼラブル』でなぜ若い学生たちが革命を起こそうとしていたのか。それはこういう世界に不満が溜まっていたからという側面もあるのです。

彼らは学生ということで勉強して知識を得ています。当時絶対的多数を占めていた文盲の人や労働者と比べて圧倒的に知的水準は高いです。しかし苦労して勉学したにも関わらずいい仕事の席はすでに埋まっています。出世のために入ってきた道でしたがすでに出口が塞がっているのです。何のために我々はこんなに苦しまなければならないのか。社会は我々を不当に虐げている。そんな社会など壊してしまえ。新しい社会を!自由を!と、彼らは叫ぶのです。

学生が増えるとインテリが増え、反体制派勢力が増すというのは世界中で起きたジレンマです。社会の発展には学問が必須ですがそれと同時に過激派が増えるという流れはまさしくロシアでも起こっています。あのレーニンやスターリンも知識人として出てきます。不平を持った学生が革命家になるというパターンは非常に典型的なパターンなのです。そうした面もレミゼから伺うことができます。

さて、少し話が逸れましたがグリゼットに話を戻しましょう。

だが、こうして地方から送り出されてきた良家の子弟の全員が、一心不乱に法律の勉強に励むわけではない。大学への登録を済ませ、教授を選び、何回か授業に出席したあと、何か足りないと感じる学生もでてくる。

「まだ、ほかに足りないものがあるのか?女である。人生の苦労をわかちあってくれて、ブーツを磨いてくれる伴侶が欠けているのだ」(同書)

幸い、親切な同郷の先輩がいて、テレマコスを導くメントルよろしく、後輩をダンス場のモンテスキューに連れていってくれる。学生は、そこでさっそく、自分好みのグリゼットを見つけだす。グリゼットは、いきなり住所を教えたりする軽率な振る舞いは控えるが、そのうち、アトリエへの行き帰りに、ドフィーヌ通りの歩道の上で待ち伏せしている学生の姿を認め、その純情にほだされて、次の日曜日にモンパルナスのダンス場グランド・ショミエールに行くことを約束してしまう。

この場合、攻める学生と守るグリゼットの力関係において、圧倒的にグリゼットが不利である。なぜなら、グリゼットは、自立してパリの屋根裏部屋で一人暮らしをしているからだ。この時代、ブルジョワ階級と民衆階級を区別する指標はいたって簡単なものだった。家族の中で女が働いていなけれなブルジョワ階級、女も働いていれば、民衆階級だった。若い娘とて例外ではなく、民衆階級の娘は一定の年齢に達すれば、家計の負担を減らすために、両親の家を出て、働くことを強いられた。

アンシャン・レジームには、こうした階層の娘たちの就職先としてはお屋敷の女中ぐらいしかなかったが、十九世紀に入ると、ようやくフランスでも始まりつつあった産業革命の影響で、被服産業、とりわけ縫製関係における求人が飛躍的に増加し、未婚の娘たちが住み込みでなくアパルトマンで自活できる道が開けていたのである。王政復古から七月王政にかけての時代は、働く女性の自立元年でもあったのだ。

だが、学生たちの蝟集するパリの空の下で彼女たちが一人暮らしをしていればその事実だけで、若い学生たちの欲望は激しく刺激されることになる。おまけに、彼女たちは、学生たちよりも下の階級の娘である。万一の事態に至っても責任を取らされるおそれはほとんどない。いつの時代でも、まことに遺憾ながら、男の欲望の蓋をはずすのは、この階級意識なのである。

いっぽう、いかにも乙女らしく小ぎれいに飾ったグリゼットたちの屋根裏部屋に飢えた狼のような学生が侵入してくるのを防ぐものとしては、ただ彼女たちの意志の固さしかなかった!たしかに、グリゼットは、ジュール・ジャナンがいうように、元来真面目で、ふしだらな怠け者などでは決してないが、意志だけの防御では学生の攻撃に対していかんともしがたい。落城は時間の問題である。

かくして、学生とグリゼットというロマン主義時代の定番カップルがカルチェ・ラタンの屋根裏部屋に続々と誕生し、「グリゼット=気軽に学生の欲望を満たしてくれる気のいい娘」という神話が成立する。そして、いったん神話ができあがると、次から次へとパリにやってくる学生たちは、容易にこの神話に身を委ねて、甘い果実だけを享受しようとする。

白水社、鹿島茂著『職業別 パリ風俗』p12-13

ただ単にグリゼットと学生という存在がそこにいるだけでは神話は生れません。こうした背景があったからこそ学生とグリゼットの恋という神話が生まれ、その神話がさらに神話の影響力を拡大していくというスパイラルが生まれてきます。

そしてその神話を信じた学生たちはグリゼットをもはや「そういう存在」として考えるようになります。グリゼットと恋をしたとしてもそれは一時の遊びであり、彼らにとっては本気の恋ではありえないのです。

当たり前だが、蜜月は長くは続かない。いったん男女の関係ができあがってしまうと、学生の態度はすぐに変化する。

「学生は、もはや女中としてしか彼女を扱わない。お使いをいいつけたりタバコやブランデーやハムを買いにやったりする。友達を招くときには、彼女がコトレットを料理し、食卓の準備をし、座を切り盛りする」(ラ・べドリエール、同書)

フロべールの『感情教育』には、ここにある通り、金モール刺繍のお針子をセックスと食事の賄い婦にしていい気になっている法科の学生のデローリエの姿が描かれている。

「(デローリエは、)娘に甘い顔も見せずにトルコの高官然とふんぞりかえってご機嫌をとらせ、冗談半分に相手を「賤の女」と呼んだ。娘は毎回欠かさず小さな董の花束をもって来た」(山田爵訳)

だが、こうなればなったで、学生は、恩知らずにも、自由が恋しくなる。そこで、グリゼットに難癖をつけてイビり出そうとする不埒な輩も現われる。だが、心配は御無用。学生の友人か後輩が、そのグリゼットを譲りうけるからだ。

「こうして、不幸な娘は、まるで約束手形か、質札のように、学生の手から手へと渡され、そのあげく、年をとって容色が衰え、いつのまにやら淪落の淵へと沈んでしまっているのである」(ラ・べドリエール、同書)

年を取って器量が落ちぬまでも、もし子供ができたりしたら、それで学生とグリゼットの仲は一巻の終わりである。『レ・ミゼラブル』の怠け者の老学生トロミエスは、突然、置き手紙をして、故郷へ帰ってしまったため、グリゼットのファンチーヌは、身ごもったまま一人パリの屋根裏部屋に取り残される。子供ができなくても、無理を重ねて病気になれば、プッチーニの『ラ・ボエーム』(原作はミュルジェールの『ボヘミアン生活情景』)のミミのように、施療院での孤独な死が待っていることはいうまでもない。

白水社、鹿島茂著『職業別 パリ風俗』p13-14

そもそも、学生という身分になれるのはある程度の階級がなければ不可能です。彼らは自分たちが上の階級にいることを知っています。それに対しグリゼットは民衆階級、つまり下層階級です。彼女たちは厳しい環境でぎりぎりの生活をしていました。当然知識もありません。ファンテーヌは文字を書くこともできませんでした。手紙は代書屋という代筆を仕事にしている人間に頼んでいたのです。

上流階級である学生たちからすればそもそもそんなグリゼットを召使いのような感覚でしか見ていないのです。しかも、現代の感覚としては到底承服できないものですが、家の女中は主人の性のはけ口として扱われても何も文句を言えない社会だったのです。そしてそれは実際に多々起こっていたのでした・・・

日本人はよく欧米を理想視したり、劣等感を抱きがちですが、そこには私たちが思うよりはるかに悲惨な状況があったのです。あまりバラ色のイメージで欧米を見すぎると現実を見誤ることになります。そこにある背景や歴史も見ていかないと、見落としてしまう現実がそこにあるのです。フランス革命も然りです。自由と平等を謳ったこの革命も実態はかなりどろどろしたものでした。

19世紀パリのグリゼットと学生の恋を見るだけでそうしたことの一片を知ることができます。

フランス文学は当時の社会を映し出しています。そしてそれは現代日本を生きる私たちの鏡ともなることでしょう。

次の記事ではパリの伊達男「ダンディー」について見ていきます。これも外国コンプレックスに陥りがちな日本人が知っておいたほうがいい情報だと思います。フランス人男性といえばなんかもうそれだけでモテそうなイメージがありますよね。(勝手な偏見ですが笑)

でも、なぜ彼らはあんなに口が達者で恋愛上手なのか。

それもやはり、そうなっていくような時代背景があったからこそなのです。次の記事ではそうした歴史的背景を見ていきたいと思います。

以上、「パリのお針子グリゼットと学生の関係とはー19世紀フランスの若者達の出世コースと恋愛」でした。

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