フランス革命とはどんな出来事だったのか 神野正史『世界史劇場 フランス革命の激流』⑵

ドストエフスキーとフランス

フランス革命とはどんな出来事だったのか 神野正史『世界史劇場 フランス革命の激流』⑵

今回は前回に引き続きベレ出版の神野正史『世界史劇場 フランス革命の激流』を参考にフランス革命とは何かをテーマにお話ししていきたいと思います。

さて、フランス革命とは一体どんな出来事だったのか。

教科書的な解説では「1789年に勃発した、パリ市民による絶対王政を打倒した革命」ということになりますでしょうが、実際これでは何のことだかあまりわかりません。

まず1789年という年は日本における江戸時代後半にあたります。だいたい、田沼意次が老中になったり、寛政の改革が行われていたような時代です。

寛政の改革がどんな内容かは恥ずかしながら記憶も薄れてしまいましたが、ともかく日本はまだまだ江戸時代、といったところでしょうか。

そしてアメリカの独立宣言が出されたのも1776年と比較的近い年代です。アメリカの独立宣言とフランス革命がかなり近い時代に行われていたのは少し意外なようにも感じます。

さて、1789年に勃発したフランス革命は何がきっかけになって起こったのでしょうか。

実はその根ははるか前の太陽王と称えられたルイ14世(在位1643-1715)の時代にまでさかのぼります。

ルイ14世はフランスの全盛期を作り上げた王で、あのヴェルサイユ宮殿を作ったのもこの方であります。

全盛期を作り上げたのにフランス革命の原因ってどういうこと?とお思いになられた方もおられるかもしれません。

ですが何事も諸行無常、驕れる者は久しからず、全盛期であるがゆえに後の衰退の種がまかれてしまうのです。

ルイ14世はその強力な力を背景に他国との戦争に明け暮れます。表向きはヴェルサイユ宮殿などの豪華な建造物を作るなどその繁栄ぶりを見せつけはしますが、実はこの時すでに戦争と宮殿建築による莫大な借金を抱えていたのです。

そして次に在位したルイ15世(在位1715-1774))も同じように戦争に明け暮れます。負債は増える一方。

国の財政はいよいよ破綻へと突き進んでいきます。

そしてそんな危機的な国家財政の下、1774年に即位することになったのがルイ16世なのです。

彼が即位した頃にはすでに国家財政は破綻寸前です。この借金の返済をどうするかという問題がフランス革命の発端のひとつになったのです。

さて、ルイ16世が即位し、いよいよ財政健全化の政策を打ち出していくのかと思いきや、いきなりとてつもない失策を犯します。

1776年、アメリカは独立戦争の真っ最中で、ベンジャミン・フランクリンがフランスに参戦と支援を求めてやって来ます。

そして彼の弁舌に乗せられ、20億リーブルという、国家予算の4年分にもなる大金をアメリカに援助することになりました。そんなお金がどこにあったのでしょう?もちろん、これも借金です。

そして驚くべきことにこの20億リーブルという大金は、まさにこれまで苦しみ続けてきた負債とまったく同じ額・・・つまり借金が2倍の40億リーブルへと膨らんでしまったのでした・・・

こうなってしまうと利子の支払いだけで国家予算の大半を食いつぶしてしまいます。

そうなると残された手段はもはや増税しかありません。

しかし国民の大半を占める農民はすでに重税で生きるか死ぬかの困窮状態にあります。

そうなると、課税できるとすれば特権階級である聖職者と貴族しかもはや手は残されていません。

さて、ここで絶対王政というシステムについて少しだけお話しします。

絶対王政とは文字通り国王が全ての頂点に君臨し、絶対的な権力を揮う体制のことをいいます。

国王がピラミッドの頂点に存在し、その次に第一身分の聖職者、第二身分の貴族、そして第三身分の平民がいるという構造です。

第一、第二身分は特権階級であり、税金の負担もかなり免除されていました。

これら特権階級は自分たちの利権を脅かす増税に対して強い態度で反論します。

いくら絶対王政といえど、それぞれの土地を治める貴族たちをすべて意のままにすることは出来ません。

増税を決めようにも、政治的にその手段は妨害され、法令は通りません。

ここに特権階級に課税したい国王と、意地でも権利を守ろうとする貴族たち。このような対立が出来上がってしまったのです。

ここから先の革命の流れはものすごくややこしい展開になっていきます。

ここではその詳細はお話しできません。

申し訳ありませんがこの 『世界史劇場 フランス革命の激流』 を読んで下さいとしか私には言いようがありません。

ですがこの本はとにかくわかりやすいのでぜひ興味のある方は手に取って頂けたらと思います。

さて、革命の直前まで話は飛びます。

増税をめぐる、絶対王政の国王VS特権階級の貴族たち。

このような対立の図式がそもそものはじまりであったのですが、いつしかここに第三身分の平民とされる人間が割り込んできます。

これまで彼ら第三身分は政治上ではほとんど力を持っていませんでした。

第三身分とは「聖職者と貴族以外のすべての人」と定義はされるものの、実はここにまやかしがあります。

そもそも絶望的な状況で生きている大多数の農民がいきなり政治家になれるわけはありません。

政治家として議会に立てるような人物というのはそもそもかなりの資産と教養を持った人物に限られます。

フランス革命に突如現れた第3身分とは、単なる平民ではなく、資産を持ったブルジョアたちのことだったのです。

つまり、これまで貴族たちのような特権は持っていなかったが、資産を蓄え、もはや国を動かすまでになった資産家達が国王や貴族たちに反旗を翻すようになっていったのです。

ここでついに「絶対王政を打倒し、特権階級の支配も終わらせ、すべての人に自由と平等を」という錦の旗が振られました。

こうしてフランス革命の風向きが一気に変わります。

第三身分の勢いはどんどん増し、パリ市民もその熱狂に巻き込まれていきます。そしてその熱狂はいつしか暴動のようなうねりになり、ついに爆発します。

これが有名なバスティーユ牢獄の襲撃で、1789年7月14日の出来事でありました。

『ベルサイユのばら』では主人公オスカルが戦死するクライマックスシーンです。

さあ、革命の戦いは切って落とされました。第三身分は市民の熱狂的な戦いに背中を押され圧倒的な勝利を収めます。

こうして絶対王政は倒れ、国民議会が成立し、めでたしめでたし・・・となるはずでした。

歴史の教科書の単語レベルではフランス革命はここで終了です。

しかし歴史の流れはそうはいきません。フランス革命はここから十年間も大混乱のまま続いていきます。

パリでのバスティーユ牢獄襲撃の一報はフランス全土に大恐怖を引き起こしました。

農民たちは貴族たちが第三身分に逆襲するために大軍団を率いてやって来るというデマに怯えます。その恐怖はやがて狂気に変わり、やられる前にやってしまえと地方の領主の館を片っ端から襲撃していきました。

領主の館には借金の証書が保管されており、暴徒と化した人々はこれ幸いとその証書もろとも館を焼き討ちしていきます。

もはやフランスは収拾のつかない無秩序状態となってしまったのです。

さらにさらに、政権を握った第三身分もその本性を現し出します。

彼らは「自由と平等を」という錦の旗を振っておきながら、結局は国王や貴族になり替わってその特権を横取りし、支配しようと動き出したのです。

さらに悪いことにこれまで政治を担ってきた国王やその臣下、貴族たちを押しのけて自ら政治をし始めた第三身分でしたが、彼らは皆政治に関しては素人です。

絶対王政打倒という共通の目的があったからこそ団結していた彼らでしたがそれが達成されるや今度は内紛で政治は大混乱です。

その果ては政敵を片っ端からギロチンへ送り込むという恐怖の時代へと進んで行きます。

ルイ16世やマリーアントワネットがギロチンで処刑されていったのはこのような大混乱の時代だったのです。

「自由と平等」を錦の旗にして革命を起こしたはいいが、その後は悲惨な血みどろの時代が続いていきます。

『レ・ミゼラブル』の原作者として有名なフランスの文豪ヴィクトル・ユゴーの『九十三年』という小説はまさしくこの頃の大混乱を描いています。ユゴーの傑作としてこの作品は今でも高く評価されています。

こうした大混乱の中から後の記事で紹介していくナポレオンが台頭してくるのです。

かなりざっくりとした解説になってしまいましたが、以上がフランス革命の大まかな流れとなります。

もっと詳しく知りたい方はぜひ神野さんの著作をおすすめします。

以上、神野正史『世界史劇場 フランス革命の激流』でした。

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