アンドレ・モロワ『ヴィクトール・ユゴー《詩と愛と革命》』ユゴーのおすすめ伝記

『レ・ミゼラブル』とドストエフスキー

フランスの大作家ユゴーのおすすめ伝記!アンドレ・モロワ『ヴィクトール・ユゴー《詩と愛と革命》

今回ご紹介するのは新潮社より1961年に発行されたアンドレ・モロワ著、辻昶、横山正二訳『ヴィクトール・ユゴー《詩と愛と革命》』です。

早速この本について著者の序文を見ていきましょう。

なぜユゴーについて書くのか?なぜなら、彼はフランスの生んだ最大の詩人であり、また、彼の生涯を知ることは、この波瀾に富んだ天才を理解するうえに必要だからである。

彼は慎重でしまり屋だったが同時にまたおうような人間でもあった。青年時代は品行方正であり、家庭をもっては模範的な父親だったにもかかわらず、老年期にはファウヌス神〔ローマの牧神、また飲酒と肉欲にふけった奔放な神〕のような好色漢と化した。

最初は正統王朝〔ブールボン王朝〕を擁護していながら、その後ナポレオンびいきに変り、さらに再転して「共和政の祖父」に変貌した。平和主義者のくせに何びとよりも巧みにヴァグラム〔ナポレオン一世がオーストリヤ軍を破った小村〕に翻ったあの軍旗を賛美した。また彼自身 俗人ブルジョワでありながら世間の俗人たちの目には反徒として映った。

こうした矛盾や変貌のいわれやいきさつを世人のまえに明らかにすることこそ、ヴィクトール・ユゴーの伝記を著すすべての者に課せられた使命なのである。ここ数年来、ユゴーについて多くの新事実が発見され、また、たくさんの手紙やノートも刊行されるようになった。

私は、いままで散逸していたこうした参考資料を集めてひとつのものにまとめあげようともくろんだのであり、また、そうした綜合されたもののなかからユゴーというひとりの人間の姿を浮びあがらせようと試みたのである。
※適宜改行しました

新潮社、アンドレ・モロワ著、辻昶、横山正二訳『ヴィクトール・ユゴー《詩と愛と革命》』上巻P7

ユゴーは並々ならぬ人物です。正直、私達の常識で測れるスケールの人間ではありません。この伝記を読むと驚くような事実がどんどん出てきます。

巻末の訳者解説ではこの本の特徴について次のように述べられています。

モロワの作品は、伝記、小説、評論、歴史、童話など多くのジャンルにわたっているか、彼の名声を不動のものにしたのはその伝記作品である。モロワの伝記の特色は何か?多くの伝記作家が、主人公の生涯を自己流に脚色しすぎて、ともすれば、事実とは遠くかけはなれたものにしがちだったり、また、実証性を重んじるあまり客観的すぎておもしろみにかけるものを作りあげてしまいがちなのに対して、モロワの伝記の特色は「科学の精密さと、芸術の魅力と、小説の真実性と、歴史の巧妙な虚言」(『伝記の諸様相』朝倉季雄氏訳)とをたくみに組みあわせていることである。

むかしの伝記作家は、主人公がはじめから終りまで不変の性格をもってでもいるかのように描いたが、実際は、どのような偉人もはじめから偉人ではなかった。小説の場合とちがって、伝記の読者は、たとえば古典劇の観客とおなじように、話の結末をあらかじめ知っているのが普通であるが、モロワは、主人公を未知数のままの白紙の状態に還元し、主人公についてはよく知っているはずの読者を、未知の、そして真実の世界へとみちびいていく。

また、伝記の主人公の性格も、偉大な人物であればあるほど、普通の人間よりも明暗起伏に富んでいるはずである。モロワは伝記を書くにあたって、一人の偉大な人間のもつ崇高な面と、また、それに蔽いかくされている低劣な面とをあますところなく描く。要するに、ありのままの人間の姿を描くことに意を用いたのである。

モロワがケンブリッジのトリニティ・カレッジでおこなった講演を集めた『伝記の諸様相』(一九二八)のなかには、大要つぎのように述べられている。ープラトンが考えたように、人間の魂はつねに白黒二頭の馬によってひき裂かれている。一頭は人間の性格を高所に、他の一頭は低所に向って引っぱる。りっぱな伝記作家とは、白黒二頭の馬を二つとも見ることができる者であり、この二頭の馬を馭す方法を人間に示してくれる者である。

新潮社、アンドレ・モロワ著、辻昶、横山正二訳『ヴィクトール・ユゴー《詩と愛と革命》』上巻P318

この伝記の特徴は過度にユゴーを讃美するのでもなく、逆に欠点ばかりを誇張するのでもない、「人間ユゴー」の生涯を描いている点にあります。

そして上の解説にありますように、ただ客観的に事実を追っていくのではなく小説のように面白く読めるというのも大きな特徴となっています。

ユゴーの生涯については長くなってしまうのでこのブログでは紹介しませんが、この本を読んで、思う所がたくさんありました。

ユゴーと言えば「レ・ミゼラブル』を生み出したフランスの偉大な作家というイメ―ジが強かったのですが、この伝記を読んでその見方がだいぶ変わりました。

ユゴーはあくまで「詩人」なのです。

彼は詩人として文学者としての人生をスタートし、最晩年まで詩人として生きていました。

彼の溢れんばかりの感受性やそれを表現する圧倒的な言語的才能。

それがあってこそ舞台作品やレミゼをはじめとした散文作品が生まれたということがよくわかりました。

そして何より、彼の圧倒的なスケールの大きさ!

常軌を逸したスケールと言わざるをえません。人に影響を与えずにはいれない圧倒的な大人物。

「われこそはユゴーなり」

ユゴーを表す言葉としてこの言葉は何度もこの本に出てきます。

たしかにユゴーは愛人を囲ったり、最晩年に至るまでたくさんの女性と関係を持つなど、倫理的には問題のある行動を取っています。

ただ、それすらもこの巨人を表す一つの逸話になってしまいます。

ユゴーはすべてにおいて桁外れなのです。現代を生きる私たちの常識がまったく通用しません。(当時の人にとってすらそうでしたが)

歴史に残る大天才というのは常識をはるかに超えた人間的スケールがある。

そのことをこの本では感じさせられました。とにかく度肝を抜かれる事実がどんどん出てきます。

もちろん、放蕩を繰り返したり、独善的に振舞うユゴーに対し、時には「う~ん」と思うような場面もあります。

ただ、この本を読み進めていき、その後の彼や周囲の人たちとのやりとりまで知っていくと、「う~ん、まあユゴーなら仕方ないか・・・それにそこそこ皆でうまくやっていけていたならそれもそれか・・・」と納得してしまう不思議さがあります。

ユゴー本人もすごければその妻や家族、愛人たちもやはりどこか規格外のものがあるのです。

「何事もほどほどに、平穏な日々を過ごしたい」

そんな人生とは真逆の世界がこの本では展開していきます。

ものすごく刺激的な一冊です。普通の小説を読むよりはるかに波乱万丈で刺激的な物語がここにあります。

この本を読めば「圧倒的な大人物」とはいかなる存在かということをこれでもかと感じることになるでしょう。

とてもおすすめな伝記です。

以上、『アンドレ・モロワ『ヴィクトール・ユゴー《詩と愛と革命》』ユゴーのおすすめ伝記』でした。

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