ジャン・バルジャンの過去~なぜ彼は逮捕されたのか

『レ・ミゼラブル』とドストエフスキー

ジャン・バルジャンの過去~なぜ彼は逮捕されたのか 鹿島茂著『「レ・ミゼラブル」百六景』より

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引き続き鹿島茂著『「レ・ミゼラブル」百六景』を参考に、ミュージカル鑑賞に役立つキャラクター解説をしていきます。この本は原作のレミゼのストーリーの流れだけでなく当時の時代背景やもっともっとレミゼを楽しむための豆知識が満載です。 ミュージカルの最高の参考書にもなります。

ミュージカルでは時間の都合上、表現しきれない箇所がどうしても出てきてしまいます。そこで、より深くレミゼを知るためにこの本とユゴーの原作をたよりにしながらそれぞれのキャラクターを見ていきたいと思います。

原作ではジャン・ヴァルジャンと表記されていますが、ミュージカルに合わせてジャン・バルジャンと表記していきます。

ジャン・バルジャンの貧しい生い立ち

今回の記事ではレミゼの主人公ジャン・バルジャンについてお話ししていきます。

パリ近在の村で生まれたジャン・ヴァルジャンは幼いときに父と母に先立たれ、年の離れた姉に育てられた。七人の子供を抱えた姉が夫を亡くして以来、ジャン・ヴァルジャンは父親代わりになって枝切り人夫として働いた。下枝をおろす季節には一日二十四スーの収入があったが、厳しい冬がやってくると仕事がなくなった。家にはひとかけらのパンもなかった。

文藝春秋、鹿島茂『「レ・ミゼラブル」百六景』P42

ジャン・バルジャンは幼い頃に両親を亡くし、姉の子どもたちを養うために働いていました。しかし貧しい境遇のため、生き延びるためのパンすら手に入れることができなかったのです。

ユゴーは『レ・ミゼラブル(悲惨な人々)』の原型である「レ・ミゼール(悲惨)」を書いたときからすでに、貧困にあえぐ人々に対して深い同情を示していたが、一八五一年に経済学者アドルフ・ブランキ(革命家オーギュスト・ブランキの兄)とともに行なった工業都市リールの貧民街の視察を機会に、国家による貧者の救済の必要性を痛感するようになった。

ユゴーが国会で読み上げる予定でいた演説の原稿(ナポレオン三世のクーデターで発表されぬままに終わった)は、前ぺージの挿絵が少しも誇張ではないことを物語っている。

ユゴーがそこで描き出している貧民の住居のありさまは今日の最貧国のそれに劣らぬほど凄まじい。産業革命によって貧富の差が拡大し、もともと貧しかった貧民たちはますます貧しくなって、一年中ほとんど日が差さない地下室に追い込められていたが、こうした地下室の石の床には中庭の便所から染み込んだ汚水がいくつも水溜まりをつくり、普通の人なら一分と我慢できないような悪臭を放っていた。

住民の多くは、寡婦とその子供で、ぼろ服を身に纏い、腐った藁マットに、シーツも毛布もなしで寝ていた。しかし、藁マットでもあればまだましなほうで、なかには、かき集めてきた泥炭の灰の中に寝ている一家もあった。ユゴーが出会ったある母親は工場の劣悪な環境のため目をやられ、「働けば目が見えなくなり、働かなければ私たちは飢え死にしてしまいます」と彼に訴えたという。

ジャン・ヴァルジャンが逮捕されたあとの一家の運命について、ユゴーはただ「おそらくめいめい勝手に、孤独の運命を吞み込んでしまう冷たい霧の中に、次第に埋もれていったのだろう」とだけ書いている。

文藝春秋、鹿島茂『「レ・ミゼラブル」百六景』P44

当時のフランスは貧富の差が拡大し凄まじい貧困が蔓延していました。『レ・ミゼラブル』はこうした人々から生まれてきた物語でもあったのです。そしてその主人公ジャン・バルジャンがこうした環境から生まれてきたというのは非常に大きな意味があります。

ジャン・バルジャンはこのような極度な貧困に苦しみ、家族が餓死しないためにパンを盗んでしまうのです。

ある日曜の晩、ファヴロールのパン屋モべール・イザボーは表のガラス戸が割れる音を耳にした。見ると、割れたガラス戸から何者かが手を差し込んで、パンを持ち去ろうとしている。イザボーは飛び出して泥棒を捕まえた。それが、ジャン・ヴァルジャンだった。

パンを一つ盗んだために徒刑場に送られた男のエピソードは、飢えによる犯罪というテーマを際立たせるためにユゴーが創作したものではない。ユゴーはすでに『死刑囚最後の日』、『クロード・グー』のなかで、実際にこうした犯罪のために身を滅ぼした男がいたことを強調しているが、当時のパンの価格と肉体労働者の平均賃金を比較してみれば、この種の犯罪は充分ありえただろうと想像がつく。

文藝春秋、鹿島茂『「レ・ミゼラブル」百六景』P46

たったひとつのパンを盗んだことで徒刑囚となってしまったジャン・バルジャン。これは純粋なフィクションかと思いきや、当時実際に起こり得た犯罪だったようです。

ジャン・ヴァルジャンはトゥーロンの徒刑場で四度脱走を試みたがいずれも失敗し、刑を加重されて、十九年の間、徒刑場につながれた。ガラスを割ってパンを一つ盗んだためにである。徒刑場で彼の怪力と身軽さはひときわ抜きん出ていた。あるとき、トウーロンの市役所のバルコニーを修理しているうちに人像柱が崩れかかったので、肩でそれを支え、人夫たちがくるまで持ちこたえたことさえあった。服役中に習った読み書きと計算も彼を改心させることはなかった。刑期を終えて出獄したとき、ジャン・ヴァルジャンは社会と人間に対して深い憎しみを抱くようになっていた。十九年の間、彼は一適も涙をこぼしたことがなかった。

文藝春秋、鹿島茂『「レ・ミゼラブル」百六景』P50

ジャン・ヴァルジャンは元々パンを盗んだことによって5年の刑が言い渡されていました。しかし4度の脱走未遂によって刑期が延びてしまい合わせて19年となってしまったのでした。

そして地味に重要なのが服役中にジャン・バルジャンが読み書きと計算を身につけていたことです。

貧しい下層階級だったジャン・バルジャンがなぜ改心後に市長として教養溢れる態度を取ることができたのかという伏線がここで語られています。

そして最後に、ジャン・バルジャンが「刑期を終えて出獄したとき、ジャン・バルジャンは社会と人間に対して深い憎しみを抱くようになっていた。十九年の間、彼は一適も涙をこぼしたことがなかった。」という点です。

ジャン・バルジャンが社会に対して深い憎しみを抱いていたことがここで感じられると思います。「十九年の間、彼は一適も涙をこぼしたことがなかった。」という表現は一見あっさりと書かれているように見えますがジャン・バルジャンの憎悪や不信が凝縮された一言であるように感じます。

このような人間不信の極致にいたジャン・バルジャンが出会ったのがあのミリエル司教だったのです。

絶望と憎しみで真っ黒になったジャン・バルジャン。

彼を救えるのはもはやミリエル司教しかいません。

映画やミュージカルではあまり語られませんが、これほど荒んだ男を救えるのはやはり圧倒的に善良で慈悲深いミリエル司教をおいて他にいません。

ジャン・バルジャンとミリエル司教の出会いは物語の鍵となります。前回の記事と今回の記事でジャン・ミリエル司教の人柄とジャン・バルジャンの過去を見てきました。

次の記事ではミュージカルや映画では語られない、ジャン・バルジャンの真の改心のきっかけとなった『プチ・ジェルヴェ事件』についてお話ししていきます。

以上、「ジャン・バルジャンの過去~なぜ彼は逮捕されたのか」でした。

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