(2)立派なソ連人を生み出すプロパガンダ教育~オーウェル『1984年』の世界が現実に

スターリンとヒトラーの虐殺・ホロコースト

キャサリン・メリデール『イワンの戦争 赤軍兵士の記録1939-45』を読む⑵

今回も引き続き、キャサリン・メリデール著、松島芳彦訳『イワンの戦争 赤軍兵士の記録1939-45』を読んでいきます。

この本では一人一人の兵士がどんな状況に置かれ、なぜ戦い続けたかが明らかにされます。

彼ら一人一人は私たちと変わらぬ普通の人間です。

しかし彼らが育った環境、ソ連のプロパガンダ、ナチスの侵略、悲惨を極めた暴力の現場、やらねばやられる戦争という極限状況が彼らを動かしていました。

人は何にでもなりうる可能性がある。置かれた状況によっては人はいとも簡単に残虐な行為をすることができる。自分が善人だと思っていても、何をしでかすかわからない。それをこの本で考えさせられます。

では早速始めていきましょう。

ソ連のプロパガンダ映画

当時新しくできたゴーリキー公園(モスクワの「文化と休暇の公園」)とみられる催し物会場のシーンから、この映画は始まる。電飾の星を頂くクレムリンの塔がいくつも遠方に見える。夜の街は、観覧車が花火の光に浮かぶお祭り騒ぎで、若者たちがアイスクリームを手にそぞろ歩いている。

社会主義者の楽園では、気晴らしは当然の報酬だ。幸せな恋人たちがいて、色鮮やかな食べ物がある。一点の曇りもなく、犯罪や肉欲もなく、穏やかで無邪気なのだ。スターリンと忠実な補佐官たちが面倒は全部引き受けてくれるので、革命の子供たちは何も心配しなくていい。

だがその時、自由を脅かす脅威が迫る。スクリーンの場面はソ連の国境地帯に転ずる。蟻のようなファシストの部隊が、まさに戦車に乗り込もうとしている。親しみのかけらさえ感じさせない人種だ。

悪党だが人を惹きつける類の人間ではなく、ばかげた道化なのだ。士官たちは大げさな髭を蓄え尊大で、馬上の騎兵のようながに股でかっ歩する。歩兵は地を這って忍び寄り、猫背の飛行機乗りがいる。

彼らは全編ドイツ語で話すが、革の長靴が似合うナチスというよりは、子供の絵本から抜け出した漫画のプロシア人のようだ。鉄かぶとや襟のかぎ十字も偽物くさい。絵本の世界のファシズムであり、現実味に乏しい。
※一部改行しました

白水社、キャサリン・メリデール著、松島芳彦訳『イワンの戦争 赤軍兵士の記録1939-45』P35

ここで述べられたソ連のプロパガンダ映画の前半には社会主義の楽園が描かれます。

そして「スターリンと忠実な補佐官たちが面倒は全部引き受けてくれるので、革命の子供たちは何も心配しなくていい」というのは『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官の章」で語られたことを連想させます。

「人々は何も考える必要はない。人々にとっては自分で何かを考えることこそ苦痛なのだ。だから我々指導者が代わりに何をなすべきかを考え、あなたたちに教えてあげるのだ。」という思想です。

これは人間にとって非常に根源的な問題です。以前当ブログで紹介した記事でこの問題についてお話ししていますので興味のある方はぜひご覧ください。

そして指導者が作り上げた理想の楽園を壊そうとしてやってくるのが敵であるナチスであります。ある意味、楽園は仮想敵なくしては達成されないことが感じられます。

このプロパガンダ映画ではこの後、英雄たるソ連兵が気持ちいい位にナチスをやっつけ、世界中がソ連的平和を成し遂げて終わります。

誰もが共通の幻想を抱いたかのようだった。ヒトラーと配下の将軍たちが欧州で最も洗練された軍隊を鍛えている間、スターリンの側近たちは空想にふけっていた。

異を唱える強い声もあった。しかし、一九三八年までに、批判者たちは強制収容所で沈黙を強いられ、行方も知れず葬られた。

ボリシェヴィキは内戦を勝ち抜き、ドニエプル川にダムを造り、神を追い出し、北極まで飛行したのだから、ファシストの侵略者も追い返せる、とプロパガンダは叫ぶ。歴史は、必然的に全人類を共通の目的に導くので、自分たちの味方だというのだ。戦争映画の多くが、このような誤解にとらわれていた。
※一部改行しました

白水社、キャサリン・メリデール著、松島芳彦訳『イワンの戦争 赤軍兵士の記録1939-45』P38

国全体がこうしたプロパガンダを摂取していました。それに異を唱える者は消されてしまいました。

この映画はたしかに国民に夢を見させました。プロパガンダは成功します。しかしその一方、一歩映画館から出てしまうと隠しようのない現実も目に入ってしまうのでした。

しかし、映画の会場を出た観客が踏み込むのは、一九三八年のロシアにおける現実の夜だった。笑いさざめく群集も照明豊かな公園も、実際はスクリーンの中だけだった。

荒涼とした建設現場を過ぎ、粗末な農家の間を縫ってぬかるみの道をたどり、街灯が寒々とした道を照らしていても、わずか二、三区画先は闇の中に沈んでいる。

家に戻れば多くのアパートで、二家族三世代が一部屋に詰め込まれて暮らしていた。若者は兵舎のような寮に帰り、何十人も枕を並べて寝るのだった。

革命は彼らのようなロシア人を裕福にはしなかった。確かに以前とは大違いで、生産も大幅に増えたとはいえ、工業大国として誇れる祖国にはなっていなかった。

だが生きるだけで精一杯の労働者に比べれば、映画を見に来る観客には、自分たちは選ばれた者という自負があった。

空腹でろくな靴もなく、粗末な住居に押し込まれていても、世界を変えるために働いていると思えた。勝利は我らのものだ。ソ連では表向きそういうことになっていた。
※一部改行しました

白水社、キャサリン・メリデール著、松島芳彦訳『イワンの戦争 赤軍兵士の記録1939-45』P38ー39

理想と現実のギャップ。痛ましい現実がどうしても目に入ってしまいます。しかしそれに対して批判をしてはいけません。したら消されます。だから目の前の現実を無視し、理想だけを見る方法をそれぞれが学んでいくことになります。

そうです。まさしくオーウェルの『1984年』の世界ですね。

立派なソ連人を生み出すソ連の学校教育

「教育はすばらしい成果をあげていた」。一九四一年にソ連領土を進撃しながら、あるドイツ軍士官が抱いた印象だ。「ロシアでは、どの学校でも、教室の壁に欧州とアジアの大きな地図が張ってあった。ロシアの部分は鮮やかな赤で、それ以外の国には色がなかった。欧州は小さな半島のようで、広大なロシアと意図的に対比してあった」。

士官の観察対象は教室にとどまらなかった。五十歳未満の世代は、体制への疑念をほとんど感じていないと報告している。高齢者と信心深い者だけがソビエト政権に批判的だったという。

「多くの若い兵士と話をした。農民も労働者も、そして女性もいた。彼らの思考は同じ線に沿って同じパターンで展開する。教え込まれたことに誤りはないと信じ込んでいる」。二十年に及ぶ学校教育とプロパガンダが効果を発揮していた。
※一部改行しました

白水社、キャサリン・メリデール著、松島芳彦訳『イワンの戦争 赤軍兵士の記録1939-45』P51

ソ連のプロパガンダ教育は若い世代に確実に浸透していました。「二十年に及ぶ学校教育とプロパガンダが効果を発揮していた」という言葉は不気味ですよね。教育やプロパガンダはそれだけ長い期間を用いて人々の世界観に多大な影響をもたらすのでした。その教育を受けた人間とそうではない人間ではそもそも世界の見え方が違うのです。これは非常に重要な点です。

このドイツ士官がみたものは、若者に新たな意識をもたせるために国家が二十年かけて進めた政策の成果だった。困難な問題はまだ多かった。集団化された農民は遺恨を抱き、工場や建設現場の労働条件は劣悪だった。しかし、決定的な役割を果たした世代、スターリングラードやクルスクで戦った兵士たちは、ソ連体制下で生まれ育ち、他の世界を知らなかった。

古い世代は新しい体制に決して馴染まなかった。若い世代も体制を笑い飛ばしたり、斜に構えたりはした。だが彼らは、ソビエト共産主義の言語と価値観で構築された精神世界にしか生きられなかった。別の選択肢は最初から排除されていた。

最も鬱屈しているのは農民の子孫だったが、彼らでさえ何か別の政治的見解をもつことはできなかった。少なくとも公には、その可能性はなかった。

子供の教育は幼稚園に入った途端に始まった。スターリンの名前がキリル文字で読めるようになるやいなや、革命について教え込まれた。祖父母が聖歌を歌った場で、電化、科学、共産主義者の倫理がおさめた偉大な勝利の教訓を、孫が唱えた。子供たちは、まず初級学校の存在に感謝するよう教えられた。熱心な教育が受けられるのは、ソ連体制のおかげだと教えられた。
※一部改行しました

白水社、キャサリン・メリデール著、松島芳彦訳『イワンの戦争 赤軍兵士の記録1939-45』P51-52

1917年のロシア革命からレーニン・スターリン政権が実権を握ってからおよそ20年。

彼らは恐怖政治によって何百万もの人を殺害し、あるいは有罪判決を下しました。

しかし若い世代はそうした事実の直接の犠牲者ではありません。それらの大量粛清を生き延びた人間の子であったからです。ですので直接的被害もなくソ連政権に対する恨みはありません。

そんな子どもたちに長期にわたってプロパガンダ教育を彼らは施したのです。

上の文章にありましたように、子供たちは「そう教えられる世界」の他に世界を持たないのです。もしそれに疑問を持てば、消されるのみです。文字通り、いつか本当に消されるのです。

理想に燃えるソ連の若者たち

ソ連の学生は内戦を振り返り、共産党を勇気の源泉であり指導者であると賞賛した。帝政期のみじめな敗戦は回想の対象ではなかった。共産党は、自らを武装闘争の組織と規定、赤軍を前進のための手段と位置づけ、イデオロギーと戦争を一つに組み合わせた。

子供たち全員が戦記を学び、特に今後のあらゆる戦争のお手本として、自軍の大部隊に対する赤軍の歴史的勝利を勉強した。

欧州の子供たちがソンム、べルダン、バッシェンデールの戦いについて読んでいる時に、ソ連の子供らは、ドン戦線やぺテログラード攻防戦の本を読んだ。そして時間があれば、赤軍と白軍の戦争ごっこに興じた。これから起きるのも同じような戦いであり、士気と熱いイデオロギーが勝利の鍵だと考えられていた。

「僕の先生たちは、革命と内戦の闘士でした」。後に赤軍兵士になった少年が書き残している。物理教師は、緑色の軍服とゲートルといういでたちですべての授業に現れた。その教師は、革命が危機に瀕した一九一八年と同様に、いつでも再び銃を取るという姿勢を服装で示していたのだ。

教え子たちは、ソ連が敵に包囲され困難な状況にあるのだと信じて疑わなかった。多くの子供が、自分たちの幸せな生活があるのは、武装闘争と純真な犠牲のおかげだと従順にも思い込んでいた。

このようにして学校の生徒、少なくとも都市部の生徒たちは、イデオロギーと愛国心を一緒に吸収し、遠足やスポーツクラブと、レーニン、スターリンの顔が異質のものとは感じずに育った。

休日に奉仕活動で道路の雪かきをする時も、未来の進歩への確信が元気の源の一部だった。若者には本来他人に尽くす気持ちがあるものだが、それが党に対する義務感として現れた。

十代のソ連の若者には、勉強、ハイキングも鍛錬も、もっと壮大な仕事の一部分だった。向上と変化を通じ、よりよき世界を構築するのがその目的だった。

「なにもかも変えることが可能であり必要だった」。モスクワ生まれのライーサ・オルローワは回想する。「道路、住居、都市、社会秩序、人間の魂までも」。彼女は新しい人生、未来の生活の意義を固く信じていた。それは「言葉にしてみれば」こんな具合に始まるはずだった。「新しくて輝くような白い家に住み、朝は体操をして、理想的な秩序があり、私は英雄的な業績を積み重ねる」。
※一部改行しました

白水社、キャサリン・メリデール著、松島芳彦訳『イワンの戦争 赤軍兵士の記録1939-45』P53-54

夢、希望、進歩、改善、英雄、理想・・・などなど。

耳触りのいいこうした言葉ほど人を、特に若い世代を動かすものはありません。

その言葉の示す本当の意味を知らぬまま、知らず知らずの内に若者たちの精神はソ連の兵士になっていきます。

生きるためには自分を変えねばならない

ですがいくらこうしたプロパガンダ教育をしても、完全には人間をコントロールなどできません。それぞれの内心ではやはり反発したい心もあります。ですがそれを表に出しては生きてはいけません。であるからこそ、自分を変えねばならなくなるのです。

人々は心の中を壁で区分けできるかのようだった。私的な世界には、それぞれの物語や疑いがある。公的な世界では慇懃で、ソビエト的で同志スターリンと同じ空気を呼吸する喜びに満ちている。

「我らに降り注ぐ陽光は今や別の光だ」と大衆は歌う。「その光はクレムリンのスターリンにも降り注ぐ……どんなに多くの星が空にきらめこうとも、スターリンの聡明な頭脳に宿る思想の数には及ばない」。

みなそれぞれに物語と内面世界があった。しかし生き残るためには、奇怪な国家の枠組みに合うように自分を変えなければならなかった。それは安全で豊かな待望の暮らしを手に入れるための道でもあった。

一人ぼっちで批判され、孤立や死におびえるより、集団に加わり同じ夢を見る方がはるかに楽なことは、体制に懐疑的な者にさえ自明の理だった。
※一部改行しました

白水社、キャサリン・メリデール著、松島芳彦訳『イワンの戦争 赤軍兵士の記録1939-45』P58

誰しもが望んでソ連のイデオロギーに同調しているわけではない。

でも、そうせざるを得ず、嫌々ながらもそれを喜ぶような人間になっていかざるをえない。彼らはこうした奇妙な矛盾を抱えながらソ連人としてプロパガンダを受け入れていかねばならなかったのです。

続く

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