なぜ独ソ戦で異常なほど大量の犠牲者が出たのか~絶滅戦争・イデオロギーの戦い『イワンの戦争 赤軍兵士の記録1939-45』を読む⑴

スターリンとヒトラーの虐殺・ホロコースト

キャサリン・メリデール『イワンの戦争 赤軍兵士の記録1939-45』を読む⑴

前回の記事で紹介したキャサリン・メリデール著、松島芳彦訳『イワンの戦争 赤軍兵士の記録1939-45』を今回より読んでいきます。

この本では一人一人の兵士がどんな状況に置かれ、なぜ戦い続けたかが明らかにされます。

彼ら一人一人は私たちと変わらぬ普通の人間です。

しかし彼らが育った環境、ソ連のプロパガンダ、ナチスの侵略、悲惨を極めた暴力の現場、やらねばやられる戦争という極限状況が彼らを動かしていました。

人は何にでもなりうる可能性がある。置かれた状況によっては人はいとも簡単に残虐な行為をすることができる。自分が善人だと思っていても、何をしでかすかわからない。それをこの本で考えさせられます。

では、早速始めていきましょう。

独ソ戦―想像を絶する闘い

この戦争は、人間のどのような物差しでも測れはしない。まず数字そのものに圧倒される。

一九四一年の開戦当時、六百万人のドイツ軍、ソ連軍が、沼地、森林、海浜、草原に延びる千マイルの戦線に沿って対峙した。ソ連はさらに、軍備を整えた二百万人の将兵を前線からはるか東方の自国領に待機させていたが、数週間で投入しなければならなかった。

戦況は二年の間に泥沼化するばかりで、両軍ともおびただしい人命を消耗する陸戦に、さらに部隊を送り続けた。一九四三年までは、東部戦線で戦う男女の総数が、千百万人を超えることも珍しくはなかった。

戦死率もけた外れだった。開戦六か月の一九四一年十二月までに、赤軍は四百五十万人を失った。殺りくは想像を絶した。回想によみがえる戦場は黒焦げの鉄と灰の世界だった。死者の頭部が晩夏の陽光を浴びて、土から掘り起こされたばかりのイモのようだった。

大量の捕虜が歩いて移動させられた。ドイツ軍でさえ、有刺鉄線はおろか監視要員が足りず、開戦五か月で捕虜にした赤軍将兵二百五十万人を収容できなかった。数週間のキエフ攻防戦だけで七十万人の赤軍将兵が死亡、行方不明となった。

開戦前に編成され、当初の緒戦で夜ごと大混乱した経験を共有する赤軍のほとんどが、一九四一年末までに死ぬか捕虜となった。その後も新たに部隊が編成されるたびに同様の運命をたどった。軍服を着せられ、殺され、捕らわれ、後遺症を残す傷を負った。

赤軍はこの戦争で結局、壊滅と再生を少なくとも二回繰り返した。士官の死亡率は三五パーセントで、第一次大戦の帝政ロシア軍に比べほぼ十四倍となったので、兵隊と同じくらい目まぐるしく補充が必要だった。

米国は一九四五年まで、軍事物資の支援でソ連にひげ剃りの刃を送っていたが、赤軍の十代の兵士の多くには、まず必要のないものだった。
※適宜改行しました

白水社、キャサリン・メリデール著、松島芳彦訳『イワンの戦争 赤軍兵士の記録1939-45』p11

これまでもこのブログでは『ブラッドランド』をはじめ、独ソ戦や大量虐殺のことを読んできましたが、やはり改めて考えて見ると、この時期のスターリンとヒトラーによる戦いは常軌を逸しています。著者が「どのような物差しでもはかれない」というのも頷けます。

なぜ独ソ戦で異常なほど大量の犠牲者が出たのか~絶滅戦争・イデオロギーの戦い

降伏は絶対に許されなかった。英米の爆撃機がドイツ軍への爆撃を継続していた。だが、赤軍兵士たちは一九四一年から、ヒトラーの軍隊と陸で戦うのは結局自分たちなのだと苦々しく思っていた。

彼らは連合軍がフランスで第二戦線を開く知らせを心待ちにして戦い続けた。他に選択肢はないと分かっていた。この戦争は通商問題や領土をめぐる争いではなかった。イデオロギーをかけた戦争であり、相手の全存在を消し去るのが目的だった。敗北はソビエト政権の終焉とスラブ民族、ユダヤ人の絶滅を意味していた。

ソ連はこの戦争で頑強に抵抗したが、二千七百万人を超える未曾有の犠牲を出した。その多くは市民で、強制移住や飢餓、病気や虐待の不幸な犠牲者だった。しかし赤軍の損失、つまり戦死者も、八百万人超という恐るべき規模に達した。

この数字は第一次大戦で連合国とドイツ側の双方が出した死者の総数をたやすく超える。一九三九年から四五年の間に英米軍が出した死者はそれぞれ二十五万人をわずかに上回っただけで、赤軍の犠牲者数とは、あまりに対称的だった。

赤軍はある新兵の言葉を借りれば「肉挽き機」だった。「召集し、訓練し、そして殺した」と回想する男もいる。ドイツ人はそれを「大量生産」と揶揄したが、ソ連の三分の一が敵の手に落ちた時でさえ、赤軍の補充は途絶えず、次から次へと行進してくるのだった。一九三九年から四五年までに召集された赤軍兵士は三千万人を超えた。
※適宜改行しました

白水社、キャサリン・メリデール著、松島芳彦訳『イワンの戦争 赤軍兵士の記録1939-45』P11-12

独ソ戦の独特なところは、この戦争が絶滅戦争であり、イデオロギーの戦いだったところにあります。もちろん領土問題や経済利権のために戦ったのでもありますが、戦争を戦う兵士たちを動かすために指導部が利用したのは「自分たちは正義であり、敵は人間以下の最低な奴らだ。敵を絶滅しなければならない」という思想だったのです。

そして上の引用の最後にありますように、ソ連はまさしく人海戦術を取りドイツ軍に向かって行きました。倒しても倒してもどんどんやって来るソ連兵にドイツ軍もついには負けてしまったのです。

タイトル『イワンの戦争』の意味

この戦争の叙事詩は数多くあるが、三千万人の兵士の物語はまだ語られていない。私たちは、英軍や米軍については多くを知っており、戦闘や訓練、心の後遺症、生還の事例がさかんに研究された。

しかし、ソ連の前線で起きた極限の戦いをめぐり私たちが知ったことのほとんどは、あいにくヒトラーの兵士に関する事例なのだ。赤軍の勝利から六十年、今度はソ連兵が防衛した祖国がなくなる番が来た。

だが、英軍のトミー、ドイツ軍のフリッツのように、赤軍の一兵卒の代名詞であるイワンの実像は謎に包まれたままだ。私たちは戦勝の恩恵を受けながら、何百万人もいた赤軍兵士の人物像をまだイメージできないでいる。

例えば、彼らは何を信じ、なぜ戦ったのか、ということはおろか、彼らがどこから来たのかさえ知らない。戦時の体験が彼らをどう変えたのか、非人道的な暴虐が彼らの死生観をどう形づくったかを知らない。

兵士たちは何を語り合い、どのような教訓、冗談、処世術を分かち合ったのか。心に抱いた慰めも、夢見た我が家も、誰をどのように愛したかも、私たちは知らない。
※適宜改行しました

白水社、キャサリン・メリデール著、松島芳彦訳『イワンの戦争 赤軍兵士の記録1939-45』P12-13

英軍兵士をトミー、独軍兵士をフリッツと代名詞的に呼ぶのと同じようにソ連兵はイワンと呼ばれていました。イワンと言えばロシアで最もありふれた名前で昔話にもよく出てきます。トルストイの『イワンのばか』などでも有名ですね。

戦争は国同士で争われる出来事と考えられるのが普通です。しかし、その巨大な戦争という出来事の中で一人一人の兵士、つまりイワンたちが何を思い、何を信じていたのかということがこの本で語られていくのです。

ソ連が公式に認めていた唯一の物語―理想的な兵士像

ソ連が公式に認める唯一の物語は長い間、ソ連邦英雄の神話しかなかった。どの戦争記念碑にも、それは刻んであるし、戦争が生んだ数え切れない歌でも、聴くことができる。

一九四四年にアレクサンドル・トワルドフスキーがスターリン賞を受けた、架空の兵士『ワシーリー・チョールキン』の長編叙事詩は典型的な作品だ。

戦時の歌や絵画と同様に、主人公は理想的な人物だ。純真で健康で親切で、洞察力があり、無私の心で死を恐れない。そして、戦争の暗さを深く考えない。彼の視線は未来の輝かしい理想社会を向いており、そのためには命を捨ててもかまわない。人間だから感情に身を任せる時はあっても、涙もろくなったりしんみりするだけなのだ。

詩は韻を踏み、白樺やロシア娘、危なげない素朴な恋が彼のお気に入りだ。何百万人の兵士と同様に彼が死ねば、愛する者や戦友は嘆き悲しむが、そこには、ののしる声も、煙草の煙も、悪臭も、不平やあつかましさもない。

物語に影を落とす錯乱も失敗も疑念のかけらもなく、ましてや、赤軍が解放した街でこの兵士が略奪を働いたかもしれないことなど匂わせもしない。
※適宜改行しました

白水社、キャサリン・メリデール著、松島芳彦訳『イワンの戦争 赤軍兵士の記録1939-45』P14-15

この箇所は非常に重要です。宣伝される理想像がどのようなものなのかがここで明らかにされます。

「戦争の暗さを深く考えない」のが理想なのです。「純真で健康で親切」で「彼の視線は未来の輝かしい理想社会を向いて」いて、とても気のいい男なのです。

『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフのように、頭を抱えて絶望しているわけではないのです。

世界の負の側面に目をつぶり、純真に素朴に党の与えるユートピアだけを無邪気に信ずることが求められるのです。それがイデオロギーの与える理想像なのです。

もしかすると皆さんは「これは昔のソ連の話でしょ」と思うかもしれません。

しかしこれは「今も」、「世界中で」同じように繰り返されていることです。理想像を与えない世界はありません。その理想像はそれぞれ異なりますが、こうした仕組みは人間の社会と切り離すことができません。

現代日本に生きる私たちもこのことと無関係ではありえないのです。

沈黙が語ること

作家ジョン・スタインべックは、戦後間もなくロシアを訪れる前に、それを自分の目で見ていた。戦闘を回想する兵士はほとんど、この世には言葉で伝えられないものが存在し、その最たるものが戦闘であると知っている。スタインべックでさえ、それを認めざるを得なかった。

彼が見た兵士たちは、作戦行動から戻ると肉体も精神も疲れ果て、眠りの底へ逃げ込もうとする。

「目が覚めてさっきの出来事を思い出そうとするや夢うつつの感覚にとらえられてしまう。詳細を思い出そうとしても思い出せない。記憶の輪郭がもうろうとしている。翌日になると、記憶はますます薄れ、ほとんど何も残っていない……。長期戦に従事した兵士は、もう正常な人間ではない。後になって口が重くなったと見える時には、おそらく、もうはっきり覚えていないのだ」。

ソ連兵士の手紙を読み、生存者の証言を聞くたびに、ほとんど毎回のように、同じ現象がみてとれた。おそらく暴虐には、忘却によってしか教われない性質があるのだろう。

私は、証言から詩、警察の報告書や、痛々しく損なわれた森林まで、可能な限りの材料を使って戦争の世界を再構築しようとした。ヒトラーの部隊が残した記録も活用した。味方の姿は時により、敵から見たほうがよく分かるからだ。だが、いくら記録を読んでも、最後の最後は、言葉にならない沈黙のほうがより雄弁に真実を語っているのだった。
※適宜改行しました

白水社、キャサリン・メリデール著、松島芳彦訳『イワンの戦争 赤軍兵士の記録1939-45』P18-19

「長期戦に従事した兵士は、もう正常な人間ではない。」という言葉が重たくのしかかります。戦争という極限状況に置かれると肉体だけでなく精神も傷つけられます。

他者に語ることができない、そして忘却から引き出すことすら困難な戦争の記憶をこの本では探究していきます。

続く

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