「ドストエフスキーの旅」を終えた私の思いと今後のブログ更新について~当ブログを訪れた皆さんへのメッセージにかえて

ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

(30)あとがき~ドストエフスキーの旅を終えて

いよいよ30記事にわたって書き続けてきた『ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行』も最後の記事となる。

この旅行記ではドストエフスキーの奥様アンナ夫人の『回想』『日記』を参考に、夫妻の足跡を辿ってきた。

1871年のアンナ夫人 Wikipediaより

旅行記といいながらその半分以上がアンナ夫人の言葉の引用で占められた私の記事に驚いた方もおられるかもしれない。

だが、私にとってはそれはどうしても必要なものであった。私の個人的な主観だけによって彼ら二人の旅を紹介するのはどうしても気が引けてしまったのである。それに、アンナ夫人の直の声を聞く機会は日常そうそうありえるものではない。いや、ほぼないだろう。ドストエフスキー小説ですらなかなか読まれない中で、その奥様の回想や日記となればさらにマニアックなものだろう。だがこのアンナ夫人の声こそドストエフスキーを知る大きな鍵となる。ドストエフスキーといえば暗くて厳めしいイメージがあるかもしれないが、そのイメージを覆すためにもアンナ夫人の声は非常に大きな意味を持つだろうと私は考えた。だからこそこうしてアンナ夫人の言葉を紹介してきた。

アンナ夫人の言葉を聴いてみなさんはどのような印象を持っただろうか。ドストエフスキーのイメージは変わっただろうか。

私はアンナ夫人の『回想』を読んだからこそドストエフスキーを心の底から好きになった。

ギャンブル中毒で妻を泣かせ続けたダメ人間ドストエフスキー。

愛妻家ドストエフスキー。

子煩悩ドストエフスキー。

最高のパートナーを得てギャンブル中毒を克服したドストエフスキー。

コーヒーを得意になって碾くドストエフスキー。

様々なドストエフスキーをこの旅行記では紹介した。

私はドストエフスキーとアンナ夫人のドラマチックなこの旅が好きで好きでたまらない。

そしてこの二人の出会いは運命だとしか思えない。このことについては「(14)ドストエフスキーとアンナ夫人の結婚は運命だとしか思えない~なぜアンナ夫人は彼を愛し、守ろうとしたのか」の記事でもお話ししたが、まさに彼ら二人の出会いは運命としかいいようのないものだった。

また、そんな運命の出会いからの二人の苦悩と復活にも私はいつも胸が打たれる。ドストエフスキーは本当に幸運な人間だと思う。アンナ夫人という伴侶がいなければ彼の人生はまさに破滅だっただろう。

そしてアンナ夫人自身もこの旅を通して大きな成長を見せることになった。この旅行記でもそのことについて何度も述べてきたが、彼女の成長ぶりには驚くほかはない。

私にとってそんなドストフスキーとアンナ夫人の二人三脚に思いを馳せながらの旅は心の底から胸が震える素晴らしい経験となった。この旅行記ではそんな私の思いを余すことなく記したつもりである。私の思いが少しでも伝わったならば幸いである。

ただ、この旅行記について二点だけどうしてもお伝えしなければならないことがある。それは私の旅行記のいわば欠点とでも言うべき点である。これを述べなければフェアにならないだろうと私は感じている。

私はこの旅行記でドストエフスキー作品の思想面にはあえてほとんど触れなかった。作品論や思想に踏み込むと、この旅行記が難渋になり、分量も膨大になってしまうことを恐れたからだ。私はこの旅行記ではあくまで夫妻の旅と人間性そのものにスポットを当てたかった。そのために作品論や思想面にはあえてタッチしなかったのだ。

もしドストエフスキーの作品や思想に興味のある方はぜひ以下の記事でまとめた解説書を参照して頂けたら幸いである。

「おすすめドストエフスキー解説書一覧」
「ドストエフスキーとキリスト教のおすすめ解説書一覧」

そしてもう一つがドストエフスキーその人に関する問題である。この旅行記でもドストエフスキーが複雑な人間であることはお話しした。

そしてアンナ夫人の『回想』ではドストエフスキーが幾分美化されている点も否定はできない。このことは『回想』の訳者解説でも指摘されていることでもあった。だがその訳者は次のようにも指摘している。

『回想』では、ドストエフスキーの生涯の実に多面的な事実の説明と提示において、正確で客観的であろうとする著者の努力が明瞭に感じられる。彼女が自分の手帳類、同時代人たちの回想録や発言、作家の友人たちへの書簡などをしばしば引いていることがその何よりの証拠である。ドストエフスキーの読者に、作家の「家庭生活・私生活」の長所と短所のすべてを伝えようとする熟慮、完全な論証、飾り気のなさのドストエフスキー夫人の物語の調子は好感を呼ぶにちがいない。

この回想録の論争的性格は、ときに著者によって格別強調されている。―「わたしはしばしばこういぶかった。―彼の陰鬱陰気な性格とかいうことについての伝説、わたしが知人たちから読まされたり聞かされたりした伝説は、いったいどうして生まれることができたのだろうか、と」

アンナ・グリゴーリエヴナのこの回想録は、ドストエフスキーの真実の一面にすぎない、と言えるかも知れないが、その真実、、そのことが重要である。

みすず書房出版、松下裕訳、アンナ・ドストエフスカヤ『回想のドストエフスキー2』P284-285

何度も言うが、ドストエフスキーは複雑な人間だった。『回想』でもギャンブル中毒、癇癪持ち、愛妻家、子煩悩の父などなど様々なドストエフスキーの姿を見ていくことになった。私の旅行記でも旅を通してドストエフスキーが丸くなったことをお話しした。

だが彼は相変わらず癇癪持ちであったし、異常なやきもち焼きでもあった。気難しさも完全には直っていないし、憂鬱に沈む日もあった。

さらに言えば、当時のヨーロッパの時代状況において戦争やユダヤ人問題への言及もしている。これは現代の観点からドストエフスキーに対する批判がなされる論点のひとつだ。

この件については私の手に余るのでこの旅行記ではお話ししなかったが、ドストエフスキーを捉える上では無視できない問題でもある。

つまり、ドストエフスキーは完全な聖人君子ではないのである。

私はドストエフスキーが好きだ。だが、私はドストエフスキーを尊敬すべき偉人として盲信しているわけではない。

良い所も悪い所もある複雑な人間として、私はドストエフスキーを愛している。

悪い所は悪いでそこははっきりさせることも大切である。それは偉人への敬意でもある。

ただ、ドストエフスキーの戦争観やユダヤ人問題に関してはドストエフスキー個人というよりもロシアそのもの、ヨーロッパそのものの問題という面が強いように私には思える。徒に現代の視点からだけで切り捨てるのはそれはそれで問題があるように思えるというのが私の個人的な所感である。

ドストエフスキーは巨大な人間だ。彼は並の人間ではない、とてつもないスケールの人生を生きた。彼は何事も極端まで行かなければ気が済まない人間だった。彼の生涯は私たちに「世界の大きさ」を開いてくれる。そしてそれは彼の小説作品も然りだ。

ドストエフスキー夫妻のヨーロッパ旅行はまさに巨大なスケールで語られた一つの作品にも等しい。

私はこの旅に大いなるドラマを感じた。こんなに劇的で感動的な旅があるだろうか。私は彼らの足跡を辿り、何度心を打たれたかわからない。

私はドストエフスキーが好きだ。だが、何よりも「アンナ夫人といるドストエフスキー」が好きだ。

そんな二人の旅路が少しでも多くの人の目に触れるきっかけとなったらこんなに嬉しいことはない。

この記事を書いたのは2023年の3月末。ドストエフスキーを学び始めてからもう間もなく4年になろうとしている。その集大成がこの旅行記だ。ここまでお付き合い頂いた皆さんには心から感謝したい。

この後、当ブログではローマについての記事を更新していくが、私個人としてはこれから仏教の研究に突入していく。いよいよ私は本丸に帰ってきた。インド、アジア、中国、日本とこれから仏教が伝えられてきたルートに沿ってその歴史と思想、文化を学んでいく。そしてその最終目的は親鸞聖人の伝記小説を書くことにある。私の研究もいよいよ新たな局面を迎える。4年近くにわたった「親鸞とドストエフスキー」の研究に一片の悔いもない。

これからもこんな私ではあるがお付き合い頂けたら幸いだ。

これにて、『ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行』完結である。

謝辞

私が今回の旅に出るきっかけとなったのは、実は3年以上前に読んだ木下豊房先生の『ドストエフスキー その対話的世界』という本でした。

この本の中に「冬枯れのエムス」という旅行記が掲載されており、ドストエフスキーゆかりの地を巡った先生のお話を読んで私はヨーロッパのドストエフスキーゆかりの地に強い関心を持つようになったのでした。「ヨーロッパにもこんな場所があるのか!自分もいつか行ってみたい!」とその時強く思ったのです。

そこから2022年にいざ現実的に旅のプランが計画されるまでは長い月日がありましたが、私がヨーロッパのドストエフスキーゆかりの地を巡りたいと思ったのはアンナ夫人の『回想のドストエフスキー』だけではなく、木下先生のこの著書の影響も極めて大きかったのです。

そしてドストエーフスキイの会に入会し、木下先生には個人的にメールのやり取りもさせて頂き、ドストエフスキーについて色々なことをご教授頂きました。今回の旅でも現地の情報や励ましの言葉を頂き本当にお世話になりました。この場を借りてお礼申し上げます。

また、名古屋外国語大学講師の齋須直人先生には日頃からドストエフスキーやロシア文学についての相談もさせて頂き、旅の最中や帰国後もお世話になりました。今後ともよろしくお願いします。ありがとうございました。

そしていつも心配をかけてしまっている両親、家族にも感謝したいです。こうして学ばせてもらっていることに本当に感謝しています。これからもお寺のため、仏教のためにできることをこつこつ続けていきたいと思います。

最後に、いつも当ブログを見て下さっている読者の皆さんにも深く深く感謝致します。これからも私は変わらずに学び続けます。今後ともぜひよろしくお願いします。

2023年3月26日 真宗木辺派函館錦識寺 上田 隆弘

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