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はじめまして。当ブログの管理人上田隆弘と申します。 このブログは、ブログタイトルにもありますように自問自答をモットーに日々の生活の中の様々なことに目を向け言葉を綴ってみようという私の試みから始まりました。
この記事では当ブログ内の大まかなご案内をしていきます。 当ブログへ初めて来られた方や何を読むべきか迷った方はまずこちらの記事をご覧ください。
はじめまして。当ブログの管理人上田隆弘と申します。 このブログは、ブログタイトルにもありますように自問自答をモットーに日々の生活の中の様々なことに目を向け言葉を綴ってみようという私の試みから始まりました。
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この記事では私のヨーロッパ旅行記『ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行』の記事30本をまとめています。
私はドストエフスキーが好きです。ですが、何よりも「アンナ夫人といるドストエフスキー」が好きです。 そんな二人の旅路が少しでも多くの人の目に触れるきっかけとなったらこんなに嬉しいことはありません。
私達にも身近なチョコレートは近代化の産物です。特にイギリスの産業革命によってチョコレートはそれまでとは大きく違った意味を持ち始めます。その流れを知れる本書は非常に刺激的です。
また、本記事のタイトルにも書きましたが私達もよく知るキットカットの歴史もこの本では知ることができます。
本書を読めばこうしたチョコ菓子が人気になっていくのもまさに近代化の影響だったということがよくわかります。
私達の身近な生活にも直結するチョコレートの成り立ちを知るのにこの本はとてもおすすめです。前回紹介した『チョコレートの歴史』とセットで読めばさらに理解が深まること間違いなしです。
本書は私達にも身近なチョコレートの歴史をなんと、紀元前のマヤ文明にまで遡り見ていくという大スケールの作品となっています。
私が本書を手に取ったのはスリランカの歴史を学ぶ中で紅茶とコーヒーの西洋流通について調べていたのがきっかけでした。紅茶とコーヒーとチョコレートはほぼ同時期に西洋に入り、飲み物として親しまれていた。そしてこのプランテーションや貿易の展開はヨーロッパとアジアの思想を考える上でも非常に大きな意味があると考え私はチョコレートの歴史も学んでみたいと思ったのでした。
そんな時に出会ったのが本書『チョコレートの歴史』です。私はこの本に一目惚れでした。
今週のNHK朝ドラ『らんまん』で借金取りを見事に追い返した寿恵子さんを見て、私はドストエフスキーの妻アンナ夫人を連想せずにはいられませんでした。
アンナ夫人も生活能力ゼロのドストエフスキーを支え、原稿の清書、出版まで手掛け、さらには借金取りも撃退しています。
この記事ではそんな二人の共通点やドストエフスキー夫妻の意外な一面についてお話ししていきます。
これまで41回にわたってローマの旅行記を更新してきました。
この旅行記の序文でお伝えしたように、私は「ローマカトリックが嫌いなドストエフスキーではあるが、その本山サンピエトロ大聖堂やローマのベルニーニの舞台芸術に心奪われずにいられるだろうか」という問いを立てローマを巡りました。
私にとってはこのローマの滞在中、片時もドストエフスキーを忘れたことはありませんでした。私はこのヨーロッパ滞在中常にドストエフスキーと共にいました。
ではこのローマ滞在においてドストエフスキーは実際にローマをどう思ったのでしょうか。
本当のところはドストエフスキーが何も書き残していない以上わかりません。ですが、そうではあるものの、私は「ドストエフスキーはローマを好きだけども嫌いになったであろう」という結論に至りました。
この小説は私にとって非常に大切な作品です。私の「十大小説」を選ぶとすれば『魔の山』は確実にその中に入ることでしょう。それほどこの作品は力強く、強烈なインパクトがあります。とにかくスケールの大きな作品です!
私がこの本を初めて読んだのは大学院生になってからのことでした。人生問題について書かれた重厚な小説を読んでみたいと思っていた私がふと出会ったのがこの作品だったのです。トーマス・マンについては学生時代に『ヴェニスに死す』を読んだことがあったり、ゲーテとの絡みでその名が出ていたりと元々興味のある存在でした。
そしてこの本と出会い、私は忘れられない一節を心に焼き付けることになったのです。
私はドストエフスキーが好きです。ですが、何よりも「アンナ夫人といるドストエフスキー」が好きです。 そんな二人の旅路が少しでも多くの人の目に触れるきっかけとなったらこんなに嬉しいことはありません。
この後、当ブログではローマについての記事を更新していきますが、私個人としてはこれから仏教の研究に突入していきます。いよいよ私は本丸に帰ってきました。インド、アジア、中国、日本とこれから仏教が伝えられてきたルートに沿ってその歴史と思想、文化を学んでいきます。そしてその最終目的は親鸞聖人の伝記小説を書くことにあります。私の研究もいよいよ新たな局面を迎えます。4年近くにわたった「親鸞とドストエフスキー」の研究に一片の悔いもありません。
前回の記事では愛妻家ドストエフスキーの姿をご紹介しました。
そして今回の記事では父親としてのドストエフスキーを紹介して私の旅行記の締めくくりとしたい。
愛妻家ドストエフスキー、子煩悩の父ドストエフスキー。
妻と歩んだドストエフスキーを知る上で絶対に欠かせないエピソードをこれから皆さんにお話ししていきます。
子を愛したドストエフスキーということを知った上で『カラマーゾフの兄弟』を読めば読者の皆さんの心の中にきっとまた何か違うものが芽生えるのではないかと私は信じています。
私にとってバート・エムスはドストエフスキーのアンナ夫人への愛を感じられる象徴的な場所です。
結婚後10年経っても妻を熱愛したドストエフスキー。
彼はエムスからアンナ夫人に熱烈なラブレターを送り続けます。
あの『悪霊』を書いた文豪とは思えぬほどのデレデレぶりをぜひ皆さんにお目にかけたいと思います。
愛妻家としてのドストエフスキーを知るならここを超える場所はないのではないだろうかと私は感じています。