アンナ・ドストエフスカヤ『回想のドストエフスキー』~妻から見た文豪の姿とは。これを読めばドストエフスキーが好きになる!

回想のドストエフスキー ドストエフスキー伝記

アンナ・ドストエフスカヤ『回想のドストエフスキー』概要と感想~ドストエフスキーの奥様による回想記

本日はみすず書房出版の松下裕訳、アンナ・ドストエフスカヤ『回想のドストエフスキー』をご紹介します。

いよいよこの伝記を紹介するところまで来ました。この伝記が私の1番お気に入りの伝記であります。

早速この本について見ていきましょう。

1866年10月4日11時30分、ペテルブルグ。速記者アンナ・グリゴーリエヴナは、ドストエフスキーのもとを訪れた。期限の限られた仕事を至急完成させるために呼ばれたのだった。
「速記をはじめてもうだいぶになりますか」「まだ半年です」。二人の最初の会話は、ごく平凡な形で始まった。ドストエフスキーは「中くらいの背丈で、非常に姿勢がよかった。……顔は、青白く、病的で、わたしにはもうすっかりなじみのような気がした」
翌年、二人は結婚した。原稿執筆に絶えず追われ、莫大な借金と病気をかかえるドストエフスキーは45歳、再婚、新婦アンナは20歳になったばかりだった。
深い愛情をこめて書かれた本書は、巨大で複雑な作家の実生活を知るうえで最良の記録であり、ドストエフスキー理解のための第一級の基本資料でもある。改訂新訳。全2冊。

みすず書房商品紹介ページより
アンナ・ドストエーフスカヤ(1846-1918)Wikipediaより

この伝記はドストエフスキーの妻であるアンナ・ドストエフスカヤ夫人によって書かれた回想記です。

その特徴は何と言っても、妻の視点から見たドストエフスキー像が描かれているところにあります。解説を見ていきましょう。

アンナ・グリゴーリエヴナは、起伏にとんだ十四年間の家庭生活と、主として夫としての、父親としてのドストエフスキーを深い愛情をもって冷静に、抑制のきいた筆致でえがいている。

夫の死後三十年たって書きはじめたこの回想録は、ドストエフスキーと会った第一日日から彼の死にいたる共同生活の苦闘の記録であり、文学者ドストエフスキーの私生活、人柄を知るうえでの最も近い人間によるたしかな証言である。

彼女は筆をすすめるにあたって、手紙類や速記記号でしるした日記に材をとり、当時の新聞雑誌の記事などでたしかめながら、できるだけ客観的であろうとつとめているので、記録としてきわめて信頼度のたかいものとなっている。じじつ、ドストエフスキーの多くの伝記の後半生・晩年は、いずれもこの回想記に多くの材料をあおいでいる。
※一部改行しました

みすず書房出版 松下裕訳、アンナ・ドストエフスカヤ『回想のドストエフスキー』P270

夫であり父である家庭人ドストエフスキーの姿をこの伝記から知ることができます。

アンナ夫人がドストエフスキーと出会い、婚約したのは1866年。そこから幸せな結婚生活が始まるかと思いきやいきなり窮地に立たされます。

ドストエフスキーの家庭状況が最悪だったのです。

ドストエフスキーは妻を失ったあと、兄の遺族や義理の息子などの大家族をかかえ、その後彼自身の死の一年まえまで彼と家族を苦しめた、しかも自分のものでない莫大な借金を背負い、創作を唯一の源泉とする家計は不意で、おまけにたえずてんかんの発作におそわれていた。彼をとりまく生活条件は錯雑していて、ふたりの結婚までの準備期間はごく短かった。

みすず書房出版 松下裕訳、アンナ・ドストエフスカヤ『回想のドストエフスキー』P269

ドストエフスキーはアンナ夫人と結婚する数年前、妻を亡くしていました。アンナ夫人とは再婚だったのです。

借金取りによる厳しい取り立てや、同居していた義理の息子や親族はドストエフスキーにたかることで生活していたのでその取り分が減ることを恐れてアンナ夫人を執拗にいじめ抜きます。はなから結婚生活を破綻させようと画策していたのです。

家庭の息苦しさと債権者から逃れ、たがいの愛情を確固としたものとするために、と彼女が書いている外国旅行に、彼らは結婚後まもなく出かけて行く。

そこで彼らを待ちうけていたものが、安定と落ちつきの逆だったことは、三カ月の予定で外国に出かけて行き、故国の土をふむことができたのがようやく四年後のことだったことからだけでも知られる。

それは波瀾にみちた不安なものだった。ドストエフスキーは窮乏のうちにてんかんの発作に悩まされながら、間歇的に悪夢のような賭博熱におそわれて狂乱状態におちいったりする。

そのあいだに最初の子どもが生れて死に、二番目の子どもが生れ、帰国後八日たって三番目の子どもが生れている。ドストエフスキーはそれまでに、「死の家の記録」や「罪と罰」などの傑作を発表しているが、この不安な放浪生活のなか、それだけが一家の外国生活を支えた創作に力をかたむけ、「白痴」を完成し、「悪霊」を書きついでいる。

こうして世間から隔絶した外国生活のあいだにふたりは固く結びつき、彼らの充実した共同生活は夫の死まで十四年間つづいた。

ドストエフスキーは「罪と罰」「白痴」「悪霊」「未成年」「カラマーゾフ兄弟」などの一連の大きな作品をつぎつぎと書いた。彼女のほうは四人の子どもを生み、夫にあたたかい家庭を用意した。ふたりは莫大な借金を十三年かかってかえすことができた。この物質的安定のためには、夫の偉大な文学的才能と勤勉、妻の実務的能力と奮闘があずかって力があった。

そのうえ彼女は、主婦としてだけでなく、速記者として、ドストエフスキーの後半生の充実した創作活動に大きな役割をはたした。ロシアの文学者の誰もが、ドストエフスキーが彼女のような仕事の協力者をもっていたのをうらやんだのである。

だが彼女は、それ以上に、作家の内面的な支えをなしていた。外国生活の貧窮と悲嘆のどん底にあって、ドストエフスキーの異常な賭博にたいする熱狂を非難しもせず、かえって彼の創作欲を刺戟するためにその情熱を利用しさえするといったようなことが、この年若い女性にどうしてできたのだろうか。

そうしてとうとう、狂気じみた賭博熱を終局的に夫の肉体から追い出してしまうというようなことが、どうして実現したのだろうか、感嘆のほかはない。
※一部改行しました

みすず書房出版、松下裕訳、アンナ・ドストエフスカヤ『回想のドストエフスキー』P269-270

「感嘆のほかはない」

この伝記から受ける感想はまさにこの一言に尽きます。

『罪と罰』以降のドストエフスキーの成功はほぼアンナ夫人のおかげと言っても過言ではないように思えます。もし彼女のサポートがなければ金銭能力が皆無と言ってもいいドストエフスキーはすぐに破産し執筆どころではなかったでしょう。

ロシア文学者の誰もがうらやむ理由もわかるような気がします。

さて、この伝記はドストエフスキーとアンナ夫人の二人三脚の記録であります。

結婚してからドストエフスキーが亡くなるまでの14年間の結婚生活はまさしく波乱万丈なものでした。

しかしこの伝記ではたくさんの困難があったとしても、どこか明るい雰囲気が漂っています。

アンナ夫人にとってたしかに苦しいことはたくさんありましたが、夫ドストエフスキーとの生活は幸せなものだったのだろうということが感じられます。

暗くて厳めしいイメージが先行するドストエフスキーですが、この伝記では奥さんを溺愛し、驚くほどの子煩悩っぷりを発揮しています。

人付き合いが苦手で気難しい性格で知られるドストエフスキーですが、奥さんにはデレデレで、その愛妻家ぶりはこちらが恥ずかしくなるほどのものでした。その内容はドストエフスキーの書簡でも見ることができます。たった数日離れ離れになるだけでドストエフスキーは絶望し、早く会いたいと毎日手紙で書き続けるのです。驚くべきことにこれは新婚ほやほやの時期の話ではありません。結婚して10年以上たった晩年でもずっとこの調子だったのです。

人間のどす黒いものをえぐり出し、暗くて重い作品を生み出し続けたドストエフスキーですが、晩年はアンナ夫人との幸せな生活を送ることが出来ていたようです。ドストエフスキーが愛する子供たちと仲睦ましく遊んでいる姿が浮かんできます。

これは私にとっても大きな救いでした。

これだけ偉大な作家が最後まで苦しみ抜き、絶望のまま亡くなっていったのではなんとも寂しいことではありませんか。

ドストエフスキーは温かい家庭を最後には持つことが出来たのです。

私がこの伝記を読んだのはちょうど、ドストエフスキーの『作家の日記』を読んでいた頃でした。

『作家の日記』を読んでいて、その文章からドストエフスキーの優しさを感じ始めていた頃です。

そんな時にこの『回想のドストエフスキー』を読み、その優しさの予感は確信に変わりました。ドストエフスキーはただ人間のどす黒いものばかりを見る暗い人間ではない。ドストエフスキーは優しいまなざしを持っている人なのだと。

私が心の底からドストエフスキーを好きになれたのはこの伝記のおかげです。

私が最もおすすめする伝記です。読めばきっとドストエフスキーのイメージが変わることでしょう。

また、同じくアンナ夫人による『ドストエーフスキイ夫人 アンナの日記』という本が河出書房新社より出ています。

こちらはアンナ夫人の日記です。こちらと合わせて読めばより夫ドストエフスキーの姿を知ることができます。こちらもおすすめなので次の記事で紹介します。

以上、アンナ・ドストエフスカヤ『回想のドストエフスキー』でした。

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