世界一周の旅とドン・キホーテの理想、そしてドストエフスキーへ―私とドストエフスキーの出会い⑶ 

親鸞とドストエフスキー

世界一周の旅とドン・キホーテの理想、そしてドストエフスキーへ―私とドストエフスキーの出会い⑶ 

前回の記事「『カラマーゾフの兄弟』大審問官の衝撃!宗教とは一体何なのか!私とドストエフスキーの出会い⑵」では私とドストエフスキーの出会いについてお話ししました。

当時、私は20歳の大学二年生でした。

『カラマーゾフの兄弟』の大審問官の問いは私の中に鮮烈に刻まれることになりました。

しかし、やはり私にはまだあまりに重すぎるものだったのかそれからドストエフスキーの作品を読んだのは『罪と罰』くらいで、他の作品までは読もうという気にならなかったのです。

ドストエフスキーは人間の奥底にあるどす黒いものを描きます。

私は読んでいるだけで具合が悪くなっていったのを覚えています。

そしてそれから3年生へと進級し、ゼミの勉強やら大学院入試の準備やらで慌ただしくなり、ますますドストエフスキーと遠ざかることになりました。

大学院に入学するとゼミや修士論文のためまたもやドストエフスキーのことを忘れ、卒業して僧侶として他のお寺に勤めている時も本は出来る限り読んではいたものの、身体は満身創痍でした。そんな時にわざわざ具合の悪くなるドストエフスキーを読もうとはまず思わなかったのです。

タンザニア オルドバイ渓谷 2019年 ブログ筆者撮影

そんな状況が変わり始めたのが去年の世界一周の旅でした。

2018年12月末で職場を退職し実家に帰り、そこから翌年3月末の出発まで朝から晩までひたすら本にかぶりついていました。

訪れる国の知識を得るために聖書やコーランだけでなくキリスト教史やイスラム教史、人類史、世界文学など出来る限りの準備を尽くしました。

そして旅は始まり、今まで学んできたことと現地で直接見て感じたことが結びついていく感覚を感じ始めていました。

そしてその中でも特にドン・キホーテが私の心に占める割合がどんどん大きくなっていることに気付きました。

出発する前の年に初めて読んだ『ドン・キホーテ』。私はすっかりその魅力に憑りつかれ出発前にもう一度読み直し、さらにkindleに入れて旅のお供にして読んでいました。

ドン・キホーテは理想の実現を目指した遍歴の騎士の物語です。

私は勝手にドン・キホーテを理想化し、私の旅と重ね合わせるようになっていたのです。

ボスニア・ヘルツェゴビナ サラエボで滞在していた宿からの写真。正面の白い橋で強盗未遂に遭う(「上田隆弘、サラエボで強盗に遭う ボスニア編⑨」の記事参照)

そして何より、ボスニア・ヘルツェゴビナで強盗に遭い、すっかり打ちのめされていた時に私を救ってくれたのがドン・キホーテでした。

どんな苦難に遭っても、どんなに惨めでひどい目に遭っても、彼はへこたれません。

理想を追い求めるなら苦しい目に遭うのは当たり前だ。それでも歯を食いしばって進まなければならないのだ!

いよいよ私の中でドン・キホーテの存在は大きくなっていくのでありました。

サンタクララ チェ・ゲバラ霊廟 2019年ブログ筆者撮影

そして最後の国、キューバでは私とドン・キホーテを結び付けてくれたチェ・ゲバラの霊廟にお参りすることができました。

私が『ドン・キホーテ』を読むようになったのも、チェ・ゲバラが『ドン・キホーテ』を愛読していて、心の拠り所にしていたということを知ったからでした。チェ・ゲバラほどの人間がそこまで愛しているならばぜひとも自分も読んでみたい。それがきっかけだったのです。

帰国便にてパシャリ。

私は帰国してから世界一周記のために資料を集め、執筆に勤しみました。

ひたすら資料を読み込み、ひたすら記事を書き進めていく日々。

私は理想に燃えていたのです。世界一周の旅は終わったかもしれないがここからまたやるべきことが山ほどある!このまま突き進むのだ!と息巻いていたのです。

しかし、7月末のとある日、そんな日々に変化が訪れることになります。

その日私は函館のお寺さんが共同で運営する子供会のサポートスタッフとしてとある大きなお寺の境内におりました。

1泊2日のお寺でのお泊り会。100人以上の子供たちが毎年このイベントを楽しみにやって来ます。

お寺の本堂でお泊りできるなんてそうそう出来る体験ではありません。子供たちは大はしゃぎで遊び回ります。

子供たちと一緒に遊んだり、レクリエーションをしたり、ご飯を食べたり、あっという間に時は過ぎていきました。子供たちのパワーは底なしですね、夜になっても本堂は子供たちの元気な歓声でいっぱいでした。

さて、そんな子供たちのパワーに圧倒され早くもぐったり気味の私でしたが、少し休んでから子供たちの元気な声が響き渡る本堂へとまた足を踏み出していったのです。

子供たちは相変わらず走り回り、風船バレーやドッジボールのようなことをしていたり、かと思いきや丸くなってトランプをしたり、隅の方でこそこそ話をしていたりと、まさしく混沌を極めた世界が広がっていました。

私はそこに混じることもせず、ただぼんやりと本堂の片隅でひっそりと彼らを眺め続けていました。

なぜかはわかりませんが、ただ彼らを見ていたいという気持ちに駆られたのです。

目の前には前や後ろ、右や左と無秩序に動き回る子供たちの一群が、そうかと思えばその背後には座っておしゃべりしているいくつもの円が形成されています。

そして叫び声にも似た歓声が聞こえるかと思えば、ひそひそ声で囁く子たちの姿が目に映ります。

私と反対側の隅にはどの集団にも入ることが出来ずにおどおどしている子の姿もあれば、そんなことも気にせずに寝っ転がっている子供もいました。

目の前に映る光景、耳に入る子供たちの声や物音、そしてそんな混沌に似合わぬお寺独特のお香の匂い。

私はそんな光景に包まれながらぼんやりともの思いにふけってしまいました。

「この子たちは一人一人、色んな個性があって、色んな環境の下で生きているんだ。

まだ少しの時間しかこの子たちと一緒にはいないけど、みんなそれぞれ面白くていい子ばっかりだ。

でも、もしかしたらこうしている内にも誰かをいじめたり、喧嘩したりしちゃう子も出てくるかもしれない。

・・・この混沌を見よ!何が起こったっておかしくないじゃないか!

突然気が変わってむしゃくしゃするかもしれない、逆に突然陽気になって友情が芽生えるかもしれない。

世の中何が起こるかなんて誰にもわからない・・・

この子たち皆が幸せに育ってくれたら何よりだ。

でもそれだってどうなるかわからない。

家庭環境がよくなかったり、学校や社会に出て色んな辛い目にあって、人を傷つけるようなことをしてしまうこともあるかもしれない。

現実は子供たちにあまりにも残酷な仕打ちをすることがあるじゃないか。

こんな混沌の中で私がいくら理想を語ったところで一体何の意味があるのだろう。

ドン・キホーテのように理想を掲げたところで、現実を知らなければただ無残な結果に陥るだけじゃないか!」

論理が飛躍してしまっているのは自分でもわかっていました。子供たちの過酷な未来を勝手に想像している自分にも嫌悪が募ります。

しかし、この時私は理想一辺倒の今のあり方じゃ決定的に何かが足りないと強く感じたのです。

そして自分のおめでたさに愕然としたのです。

しばらく私はただ呆然と彼らを眺めていました。

目の前にある世界は相変わらず無邪気な賑やかさで私を置いてけぼりにします。世界は私に構ってくれるほど暇ではないのです。

「イエーイ!」「待てー!!」「アハハハ!」・・・

・・・でも、それじゃあこれから一体どうしたらいいというんだい?

私は自問します。

目の前の混沌とした世界、そして何が起きるかわからぬという人間の不確かさ・・・

私はふと、自分の中からかすかに何かが浮かび上がってくるのを感じました。

混沌・・・不確かさ・・・人間の現実・・・どす黒いもの・・・

・・・!!

ドストエフスキーだ!!

そうだ!理想の反対!現実のどす黒さを知るならドストエフスキーの他に並ぶ者はない!

私は思い出しました。『カラマーゾフの兄弟』にも散々人間の混沌、どす黒さが描かれていたことを!

今の自分に足りないもの。それは人間のどす黒さを知ることだ。

その混沌、どす黒さを知った上ではじめて理想は理想たり得るんだ。

現実を無視した理想は何の力もない。

だからこそ今、もう一度ドストエフスキーに立ち返る必要がある・・・!

私は子供たちの歓声が響きわたる本堂でひとり、雷に打たれたように固まってしまいました。

これが私とドストエフスキーの第二の出会いです。

この時から今現在に至るまでドストエフスキーの研究を継続して行っています。

彼を学ぶうちにドストエフスキーと浄土真宗の開祖親鸞聖人との驚くべき共通点が明らかになってきました。ますますドストエフスキーを学ぶ意味が大きくなってきています。

次の記事ではドストエフスキーと小林秀雄についてお話ししていきます。

小林秀雄は昭和に活躍した、批評の神様と呼ばれた文学者です。この方が私とドストエフスキーの橋渡しをしてくれました。私とドストエフスキーの第二の出会いがより強固なものになったのも小林秀雄のおかげです。

引き続きお付き合い頂ければ嬉しく思います。

続く

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