佐藤清郎『観る者と求める者 ツルゲーネフとドストエフスキー』これ1冊で両者の個性が浮き上がってきます!

ツルゲーネフとドストエフスキー

佐藤清郎『観る者と求める者 ツルゲーネフとドストエフスキー』これ1冊で両者の個性が浮き上がってきます!

今回ご紹介する佐藤清郎著『観る者と求める者 ツルゲーネフとドストエフスキー』は1993年、武蔵野書房より発行されました。

佐藤清郎氏は前回の記事で紹介した『ツルゲーネフの生涯』の著者であり、ツルゲーネフをはじめとしたロシア文学の研究者です。

この本はタイトルにもありますように「観る者」ツルゲーネフと「求める者」ドストエフスキーの気質、個性に着目して2人の文学スタイルを改めて見ていこうという試みがなされています。

表紙にはこの本について「五十数年間、主にロシア文学と取り組んできた著者による人間の本質と生き方についての洞察の集大成」と記されています。

この本の特徴は何より、ツルゲーネフとドストエフスキーの違いを彼らの生涯や作品を通して明らかにしていく点にあります。

冷静で中道的な観察者ツルゲーネフ、激情的で何事も徹底的にやらなければ気が済まない求道者ドストエフスキー。

なぜ二人はこうも違った道を進んだのか、そしてその作風の違いはどこからやってきたのかを著者は語っていきます。

ドストエフスキーを学ぼうとすると、どうしてもドストエフスキー側からツルゲーネフやドストエフスキーその人を見ることが多くなってしまいます。そしてそれは逆も然りです。

ですがこの著作では2人の生涯を平行に並べてそのどちらも見ていきます。

そうすることによってそれぞれの特徴がよりくっきりと見えてきます。

やはり比べてみるとわかりやすい。特に、ツルゲーネフとドストエフスキーは真逆の人生、気質、文学スタイルを持った二人です。

違いが大きければ大きいほど見えてくるものははっきりしてきますよね。

この著作を読むことでドストエフスキーがなぜあんなにも混沌とした極端な物語を書いたのか、ツルゲーネフが整然とした芸術的な物語を書いたのかがストンとわかります。

これはすごいです。

そして何より、この本は面白くて面白くてびっくりするほどです。ものすごく興味深いことだらけです。読んでいる内にのめり込んでしまい時間を忘れてしまうほどでした。

本当におすすめです。素晴らしい本と出会えました。

最後にこの本のあとがきを紹介します。佐藤清郎氏がどのような思いで研究していたのかというのがここに込められています。ぜひ読んで頂きたい文章です。

私にとって文学研究は、結局のところ、人間の研究であった。それは取りも直さず自分自身の生き方の模索でもあった。

時にプロットや文体やテーマの研究に没頭した時期もあったが、それとて人間研究の手段であった。『チェーホフの生涯』、『ゴーリキーの生涯』、『ツルゲーネフの生涯』を経て、『弧愁の文人』(ノーベル賞作家ブーニン)から本書の執筆に至るまで、私の著作は一貫して人間研究の道程であった。

十余年前、たまたま手にしたフランスのノーベル賞学者モノーの『偶然と必然』の冒頭の文句―「もともと人生には目的などない」は、ドストエフスキーの「もし神がなければ、すべてが許される」という言葉とともに、長い間、私を悩まし通した。

いったい、モラルの基盤をどこに求めたらいいのか。

人生とは、結局、享楽追求の場所なのか。パスカルのいうさまざまな「慰戯ジベルトマン」に慰められながら生きる「考える葦」でしかないのか。それとも、いわゆる自己実現の場所なのか。

「唯物主義」の極点と神志向の熱っぽさの中間で、私が注目したのはツルゲーネフとチェーホフであった。両作家とも、「義務ドルク」(人間としての義務、生き抜ぬく義務)という言葉を口にする。これが苦しい模索期の私にとって心を休ませる「港」であった。

「いかにそれが哀しかろうとも、何事に対しても、避けがたい必然として対処し、ひたすら力に応じて自分の義務を果たすだけです」(一八九八年十一月十三日付、妹マリヤ宛て)といったチェーホフの言葉は、「ただ任運して心を挟むなかれ」(道元)や「自然法爾」(親鸞)とともに、以後私の支えとなった。

もともと私はツルゲーネフ型の性格の男であるが、(あるいはそれゆえに)ドストエフスキーの「神志向」に心を惹かれる。かつて「豪華な洋菓子の味」と讃美した『貴族の巣』(ツルゲーネフ)よりも、今では永遠の名品『猟人日記』や散文詩、『もうたくさん』や『まぼろし』を愛し、いわゆる神秘小説を好む。一方、ドストエフスキーの中期以後の作品(特に『白痴』や『カラマーゾフの兄弟』)を今愛読している。

両作家の、すばらしいロシア文の魅力が老年期の私の唯一の慰めであり、贅沢でもある。

武蔵野書房 佐藤清郎『観る者と求める者 ツルゲーネフとドストエフスキー』P284-285

ロシア文学を学ぶということは人間の探究であり、自分自身の生き方の模索であるという言葉は非常に重みを感じます。

そしてその背景に道元の「ただ任運して心を挟むなかれ」や親鸞の「自然法爾」という言葉があったというのも驚きでした。ですがたしかに思い返してみれば、なぜ佐藤清郎氏の語りがここまで私の心を打つのかということがこれによって腑に落ちたような気がしました。

この本は非常におすすめです!親鸞とドストエフスキーの関係性を考える上でも非常に興味深い内容が満載でした。ぜひ一読してみてください。

以上、「佐藤清郎『観る者と求める者 ツルゲーネフとドストエフスキー』これ1冊で両者の個性が浮き上がってきます!」でした。次の記事で紹介する本も佐藤清郎氏による翻訳本で今回紹介した本と非常に強いつながりがあります。この本とセットで読むことを強くおすすめします。ぜひ次の記事もご覧ください。

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