ポール・ド・クライフ『微生物の狩人』あらすじと感想~顕微鏡と微生物の発見で有名なレーウェンフックの驚異の生涯とは―目に見えない世界の発見と衝撃
レーウェンフックの顕微鏡と微生物の発見はとてつもない衝撃をキリスト教世界に与えました。
この本ではそんな微生物、細菌の研究に全てを捧げた男たちの物語が語られます。彼らの研究ぶりはもはや狂気の域です。著者のドラマチックな語りが臨場感たっぷりで非常に面白いです。狂気と言ってもいい彼らの鬼のような研究っぷりには驚くしかありません。すばらしい作品です!
レーウェンフックの顕微鏡と微生物の発見はとてつもない衝撃をキリスト教世界に与えました。
この本ではそんな微生物、細菌の研究に全てを捧げた男たちの物語が語られます。彼らの研究ぶりはもはや狂気の域です。著者のドラマチックな語りが臨場感たっぷりで非常に面白いです。狂気と言ってもいい彼らの鬼のような研究っぷりには驚くしかありません。すばらしい作品です!
前回の記事の最後でエンゲルスの理想が「労働者にもっと貧しく、どん底にいてほしかった」というものだったということをお話しました。
そしてマルクス・エンゲルスが人々の生活が悪くなればなるほど喜ぶような節を見せるのに対し、私が違和感を感じていたこともお話ししました。
彼らははたして本当に労働者のために動いているのだろうか?そう思わざるをえない行動を彼らはこの後も取り続けます。そのひとつの例が今回紹介する箇所になります。
マルクス・エンゲルスは武力革命も辞さなかったというイメージがありますが、1845年から48年段階では労働者がいきなり武力革命を起こすというやり方は認めていませんでした。
マルクス思想の参考書で「マルクスは武力革命に反対だった」という解説がなされるのは、ここに依拠しているのでしょうか。たしかにブルジョワ社会が成熟するまでは労働者による武力革命に反対していたかもしれませんが、彼らが生涯にわたってずっと武力革命に反対していたかは別問題です。この件も今後注意して伝記を読んでいかなければなりません
この記事ではマルクス・エンゲルスが共同で執筆した『ドイツ・イデオロギー』についてお話ししていきます。
上部構造、下部構造というよく聞く言葉もここから出ています。
そしてこの作品においてマルクス・エンゲルスは革命は歴史を変えるためには必要であると結論したのでした
また、マルクス・エンゲルスの思想を考える上で非常に重要なポイントが出てきます
1845年段階でマルクスとエンゲルスが構想した共産主義世界のユートピアがここで語られるのでありました
「ブルジョワの一語が罵り言葉にされ、彼らはそれをうんざりするほど繰り返すが、自分たち自身、頭のてっペんからつま先までブルジョワが染みついている」
このバクーニンの言葉ほどマルクス・エンゲルスの生活ぶりを的確に表したものはないのではないでしょうか。
これから先も彼らの生涯を見ていくことになりますが、実際にこの後も彼らはブルジョワ的な生活を決して捨てません。
こうした矛盾があるというのも、マルクス・エンゲルスを考える上では重要な点ではないかと思います。
この作品の強みはエンゲルスの実体験に基づいたリアルな語りにありました。
しかもそれだけでなく、彼が夢中になって学んだヘーゲル哲学の素養がそこに生きてきます。
哲学的ジャーナリスト・エンゲルスの特徴がこの作品で示されているのでありました。
労働者の悲惨な生活を描くエンゲルスの筆はもはや作家の域です。
この作品は後のマルクスにも非常に大きな影響を与えました。
マルクスはマルクスのみにあらず。
やはりエンゲルスがいて、二人で共同作業をしたからこそのマルクスなのだなと思わされます。
前回の記事でも紹介しましたが、1830年代まで根強い人気のあったオーエン派の活動も最後には衰退していってしまいます。
その大きな原因となったのがイギリスの新たな政治運動である「チャーティスト運動」でした。
今回の記事ではそんなイギリスの歴史に非常に大きな影響を与えたチャーティスト運動とエンゲルスについてお話ししていきます。
エンゲルスに空想的社会主義者と呼ばれたロバート・オーエンですが、彼は明らかに他の二人(サン・シモン、フーリエ)とは異質な存在です。
結果的に彼の社会主義は失敗してしまいましたが、その理念や実際の活動は決して空想的なものではありませんでした。
後の記事で改めて紹介しますが彼の自伝では、彼がいかにして社会を変えようとしたかが語られます。19世紀のヨーロッパにおいてここまで労働者のことを考えて実際に動いていた経営者の存在に私は非常に驚かされました。
彼のニューラナークの工場は現在世界遺産にも登録されています。
若きエンゲルスは自身の矛盾と向き合わざるをえませんでした。
自身が激烈に攻撃していたブルジョワに自分自身がなっている。
マルクスにもその心情を吐露していますが、彼はこの後もずっとそうした矛盾を抱え続けることになります。
ですが後には開き直って堂々とブルジョワ的な行動をするようにもなります。マルクスもそうです。マルクスもブルジョワ的な生活に憧れ、実際にそうしたお金の使い方をしては金欠に苦しむという、矛盾をはらんだ生活をしていたのでした。
エンゲルスは1年間のベルリンでの兵役を終えた1842年、イギリスへ旅立ちました。
その旅の途中、ドイツの共産主義者モーゼス・ヘスから直接指導を受け、熱烈な共産主義者となったことまで前回の記事でお話ししました。
エンゲルスがなぜマンチェスターを訪れたかといいますと、彼の父が共同経営者となっている「エルメン&エンゲルス商会」がそこにあったからでした。彼の父は哲学にのめり込み急進的な言動を繰り返す息子を商人として鍛え直すために、エンゲルスをマンチェスターに送ったのでした。(もちろん、会社経営の面でも必要でしたが)