(20)憎きブルジョワに自分がなってしまったという矛盾に苦しむ若きエンゲルス

マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ

憎きブルジョワに自分がなってしまったという矛盾に苦しむ若きエンゲルス「マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」(20)

上の記事ではマルクスとエンゲルスの生涯を年表でざっくりとご紹介しましたが、このシリーズでは「マルクス・エンゲルスの生涯・思想背景に学ぶ」というテーマでより詳しくマルクスとエンゲルスの生涯と思想を見ていきます。

これから参考にしていくのはトリストラム・ハント著エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』というエンゲルスの伝記です。

この本が優れているのは、エンゲルスがどのような思想に影響を受け、そこからどのように彼の著作が生み出されていったかがわかりやすく解説されている点です。

当時の時代背景や流行していた思想などと一緒に学ぶことができるので、歴史の流れが非常にわかりやすいです。エンゲルスとマルクスの思想がいかにして出来上がっていったのかがよくわかります。この本のおかげで次に何を読めばもっとマルクスとエンゲルスのことを知れるかという道筋もつけてもらえます。これはありがたかったです。

そしてこの本を読んだことでいかにエンゲルスがマルクスの著作に影響を与えていたかがわかりました。かなり驚きの内容です。

この本はエンゲルスの伝記ではありますが、マルクスのことも詳しく書かれています。マルクスの伝記や解説書を読むより、この本を読んだ方がよりマルクスのことを知ることができるのではないかと思ってしまうほど素晴らしい伝記でした。

一部マルクスの生涯や興味深いエピソードなどを補うために他のマルクス伝記も用いることもありますが、基本的にはこの本を中心にマルクスとエンゲルスの生涯についてじっくりと見ていきたいと思います。

その他参考書については以下の記事「マルクス伝記おすすめ12作品一覧~マルクス・エンゲルスの生涯・思想をより知るために」でまとめていますのでこちらもぜひご参照ください。

では、早速始めていきましょう。

イギリスにやって来たエンゲルス、マルクス率いる『ライン新聞』に記事を送る

前回の記事「エンゲルスが働いた産業革命の中心地マンチェスターの地獄絵図「マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」(19)」ではエンゲルスが働くことになるマンチェスターの実態を紹介しました。

今回の記事ではそんなマンチェスターにやって来たエンゲルスについてお話ししていきます。

「イングランドで革命は起こりうるのか、その可能性は高いとすら言えるのか?これがイングランドの将来を左右する問題だ」。

一八四二年にロンドンの港で下船した瞬間からエンゲルスは圧倒された。「建物がずらりと並び、両側に波止場があり……両岸沿いに無数の船が係留されている……こうしたことすべてがあまりにも大規模で印象深いため、人は冷静になることができず、イングランドの偉大さに驚嘆してわれを忘れてしまう」。

だが、イギリスの社会危機に関するモーゼス・へスの予言に刺激され、彼は迫りくる大惨事の兆候がないか探し始めた。彼はたちまち噂のプロレタリア階級に遭遇した。こうした商業的な繁栄のツケを払わねばならず、不正な制度を廃止すべく運命づけられている、と彼が主張するようになる人びとだ。

「産業は国を豊かにするとはいえ、それによって財産をもたない、絶対的に貧しい人びとの階級、その日暮らしを送り、急速に数を増やし、のちに廃絶することのできない階級も生みだされる」と、彼はマルクスが編集長を務める『ライン新聞』に掲載された一連の記事に書いた。二人の関係が、当初の冷淡なものから徐々に進展していたことがここからわかる。

産業化の悲惨な現実を目の当たりにし、エンゲルスは青年へーゲル派のガイストや意識、自由の概念を離れて、経済的現実を語る気取らない言語へと移行しつつあった。

「景気にわずかな変動が生じただけでも、何千もの労働者が貧窮することになった。彼らのわずかばかりの貯えはすぐに底を尽き、そうなるとすぐさま飢死の危険に陥る。そしてこのような危機は数年おきに繰り返し起こりやすい」
※一部改行しました

筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P115-116

エンゲルスはイギリス行きの直前に指導を受けたモーゼス・ヘスの共産主義思想への傾倒から、「意識的に」資本主義の欠点をイギリスから探そうとします。(モーゼス・ヘスについては以下の記事を参照ください)

そうでもしなければ上の引用にもありますように、「イングランドの偉大さ」に圧倒されてしまったことでしょう。

イギリスの繁栄を謳歌し、進歩的な世界観を持つ人が見るイギリスと、それを破滅的な社会と見る世界観を持つ人ではその世界の見え方が全く違うことをここでは考えさせられます。

もちろん、進歩的な世界観の人も貧困や環境問題のことは見えています。しかしそれに対する意味付けは共産主義者たちとはまるで違います。これは逆も然りです。共産主義者は進歩や国民の生活水準が上がっていることも知ってはいますがそこに価値を見出しません。

それぞれの信条、世界観がいかに世界の見え方に影響を与えているか。

これは非常に重要な問題であると思います。

また、この箇所ではエンゲルスとマルクスの距離が少しずつ縮まっていることが語られます。気まずかった最初の出会いから、記事の投稿を通して二人の関係性が変わっていったことがうかがえます。

エンゲルスの矛盾

だが、革命の前にやらねばならない父の会社の仕事があった。エルメン&エンゲルス商会は、フリードリヒ・エンゲルス父が自分の事業をエルメン兄弟に売却し、その売却資金を一八三七年に送金したことで創設された。同社を陰で動かしていたオランダ生まれのペーター・エルメンは、一八ニ〇年代なかばにマンチェスターにやってきた。彼は小さな工場を倍増させることから始め、二人の弟アントーニとゴットフリートの助けを借りてたたきあげで出世し、多国籍の綿糸事業を設立するまでにいたった人物だった。

エンゲルス父からの投資を受けて、同社はソルフォードに綿糸を生産する新しい工場を開業することができた。マンチェスターの西にあるこの地区は、細番手のシルケット糸とその織物で知られており、その工場は―リヴァプール・マンチェスター鉄道路線沿いにあるウェイスト駅の隣にあって―マージー船渠ドックからの綿花の輸入にも、近くのアーウェル川から脱色と染色のため水を引くうえでも理想的な場所にあった。

当時、王位に就いたばかりの若い女王に敬意を表して、愛国的にヴィクトリア・ミルと名づけられたこの新しい工場は、エルメン家の祖先が十六世紀に許可されたという三つの赤い塔の紋章を商標にした糸を大量に生産した。

エンゲルスは手始めにウタツグミの部屋〔精紡機の立てる音からこう呼ばれた〕にある綿紡機の作業場で、四〇〇人の従業員の仲間入りをした。正確なことはわからないが、彼の住居は近くのエックルズ付近にあったと思われる。(中略)

綿産業の資本主義によって搾取された地域に住みながら、家業のために働いていたため、エンゲルスの置かれた立場の矛盾はたちまち痛いほど明白になった。

数年後にマルクスに心情を吐露した手紙のなかで、彼は次のように述べた。

「悪徳商売はあまりにも汚らわしい……何より汚らわしいのは、ブルジョワであるだけでなく、実際に工場主であるという事実だ。プロレタリアートに真っ向から対抗するブルジョワなのだ。親父の工場に数日間いるだけで、これまでどちらかと言えば見過ごしていた、この汚らわしさに充分に面と向き合わさせられた」。

しかし、たとえブルジョワ階級のために働いていても、エンゲルスが彼らと付き合わなければならないわけではなかった。「私は中流階級の人びととの社交も夕食会も、ポートワインやシャンノンもあきらめて、余暇はほぼもっぱら質素な労働者たちとの交流に費やしていた」。彼が最初に訪ねたのは、オーエン科学館で働く質素な人びとだった。
※一部改行しました

筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P116-117

若きエンゲルスは自身の矛盾と向き合わざるをえませんでした。

憎き敵であるブルジョワ。自身が激烈に攻撃していたブルジョワに自分自身がなっている。

マルクスにもその心情を吐露していますが、彼はこの後もずっとそうした矛盾を抱え続けることになります。

しかも若きエンゲルスは上の引用のように当初は「もっぱら質素な労働者」と関わっていましたが、後には開き直って堂々とブルジョワ的な行動をするようになります。マルクスもそうです。マルクスもブルジョワ的な生活に憧れ、実際にそうしたお金の使い方をしては金欠に苦しむという、矛盾をはらんだ生活をしています。

後の記事ではそうした二人の姿も見ていくことになります。

矛盾をはらみつつも巨大な業績を残した二人のスケールの大きさには私も圧倒されています。歴史上の大人物は私たちの常識、善悪の基準では計り知れないものがあります。ドストエフスキーが『罪と罰』の中でナポレオンをすべてを踏み越えた「天才」と呼んだのも頷けます。歴史を変える「天才」は「凡人」の基準では測れないのです。

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