(35)エンゲルスのパリでの矛盾に満ちた私生活とは~マルクス・エンゲルスは本当は何を求めていたのだろうか

マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ

名うての女たらしエンゲルス~パリでの矛盾に満ちた私生活とは「マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」(35)

上の記事ではマルクスとエンゲルスの生涯を年表でざっくりとご紹介しましたが、このシリーズでは「マルクス・エンゲルスの生涯・思想背景に学ぶ」というテーマでより詳しくマルクスとエンゲルスの生涯と思想を見ていきます。

これから参考にしていくのはトリストラム・ハント著『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』というエンゲルスの伝記です。

この本が優れているのは、エンゲルスがどのような思想に影響を受け、そこからどのように彼の著作が生み出されていったかがわかりやすく解説されている点です。

当時の時代背景や流行していた思想などと一緒に学ぶことができるので、歴史の流れが非常にわかりやすいです。エンゲルスとマルクスの思想がいかにして出来上がっていったのかがよくわかります。この本のおかげで次に何を読めばもっとマルクスとエンゲルスのことを知れるかという道筋もつけてもらえます。これはありがたかったです。

そしてこの本を読んだことでいかにエンゲルスがマルクスの著作に影響を与えていたかがわかりました。かなり驚きの内容です。

この本はエンゲルスの伝記ではありますが、マルクスのことも詳しく書かれています。マルクスの伝記や解説書を読むより、この本を読んだ方がよりマルクスのことを知ることができるのではないかと思ってしまうほど素晴らしい伝記でした。

一部マルクスの生涯や興味深いエピソードなどを補うために他のマルクス伝記も用いることもありますが、基本的にはこの本を中心にマルクスとエンゲルスの生涯についてじっくりと見ていきたいと思います。

その他参考書については以下の記事「マルクス伝記おすすめ12作品一覧~マルクス・エンゲルスの生涯・思想をより知るために」でまとめていますのでこちらもぜひご参照ください。

では、早速始めていきましょう。

名うての女たらしエンゲルス

二十代なかばになると、エンゲルスは名うての女たらしになり、その洗練された端麗な容姿と奔放な態度で数多くの愛人をもつようになった。マンチェスターでメアリー・バーンズから気取らない抱擁をされてまもないうちに、彼は「清算」しなければならない「色事」についてマルクスに書き送った。一八四五年一月には、それは「恐るべき結末になった。つまらない些事で君を煩わしはしないが、この件でできることは何もなく、もうすでにうんざりしている」。

夏のあいだはブリュッセルで、「妻」のメアリーと元の鞘に収まっていたが、秋にはパリで堅物のシュテファン・ボルンがエンゲルスの連れが引き起こしたどんちゃん騒ぎと、「パレ・ロワイヤル劇場でのドタバタ風刺劇」を観劇するエンゲルスに唖然としている。

エンゲルスは次々に愛人をかかえ(どうやら彼の「傲慢な態度」は「女性とのあいだでは功を奏する」ことがわかったようだ)、いかがわしい芸術家の取り巻きとともに飲んだくれの夕べを過ごし、この時代の彼の階級の多くの人びとと同様、お金を払って性交渉をすることになんら良心の呵責は感じていなかった。

一年もたたないうちに、彼は売春を「プロレタリアートがブルジョワ階級によって搾取される最も具体的な―肉体をじかに攻撃する―例」として非難することになるのだが、この当時はそんな遠慮をすることはなかった。

「君も絶対、退屈なブリュッセルを一度抜けだして、パリにやってくるべきだ。僕のほうは大いに君と酒盛りをして騒ぎたい気分だ」と、彼は家庭的なマルクスを急き立てた。

「五〇〇〇フランの収入があれば、僕は働いて崩れ落ちるまで女性たちと楽しむほかは何もしないだろう。フランス女性がいなければ、人生なんて生きるに値しない。でも、グリゼットたちがいる限り、いいもんだ!」

エンゲルスにとっては幸いなことに、女性関係となると、私生活でもイデオロギー面でもうまい具合に融合するのだった。彼は性欲旺盛で、女性たちに囲まれることが好きだっただけでなく、一夫一婦制の結婚を尊ぶブルジョワの道徳心にたいする生来の嫌悪感ももちあわせていた。こうした傾向はやがて、社会主義フェミニズムの首尾一貫した理論へと発展するのだが、二十代なかばの時点では、それはパリの夜遊びに有頂天になる若者の楽しみの一環に過ぎなかった。
※一部改行しました

筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P186-187

前回の記事の最後でエンゲルスの理想が「労働者にもっと貧しく、どん底にいてほしかった」というものだったということをお話しました。

そしてマルクス・エンゲルスが人々の生活が悪くなればなるほど喜ぶような節を見せるのに対し、私が違和感を感じていたこともお話ししました。

彼らははたして本当に労働者のために動いているのだろうか?そう思わざるをえない行動を彼らはこの後も取り続けます。そのひとつの例が今回紹介した箇所になります。

エンゲルスはマンチェスターで知り合った愛人メアリー・バーンズとブリュッセルで同棲していましたが、正式な妻にはしていません。だからこそ上で鍵カッコつきの「妻」となっています。

そしてエンゲルスは決定的な言葉を口にします。

「五〇〇〇フランの収入があれば、僕は働いて崩れ落ちるまで女性たちと楽しむほかは何もしないだろう。フランス女性がいなければ、人生なんて生きるに値しない。でも、グリゼットたちがいる限り、いいもんだ!」

グリゼットというのは貧しい女工のことです。当時のパリではそんな貧しい彼女たちが裕福な学生や若者に都合のいい遊び相手として弄ばれ、後に捨てられて悲惨な生活に落ち込むという悲劇が繰り返されていました。

あの『レ・ミゼラブル』の主要人物ファンテーヌもこうしたグリゼットです。彼女も裕福な学生に恋をし、子供ができた頃に身勝手に捨てられ、仕事も失い貧困の中死んでいくことになりました。

グリゼットについては詳しくはこの記事でお話ししていますが、マルクス・エンゲルスの思想ではこうした貧しい人々を救うのがその本義なはずです。しかしマルクス・エンゲルスは「思想の中で」彼らに触れることは多々あれど、実際にはほとんど手を差し伸べることはありません。むしろ、エンゲルスはこの場で自分のブルジョワとしての立場を利用して、その行為に加担さえしています。マルクスも後にブルジョワ的な行動を取り続けます。

彼らの言い分からすれば、そんな目の前の個々の人たちを一人二人救ったところで世の中そのものをひっくり返さなければ意味がないということなのでしょう。実際にエンゲルスは後に会社経営者になった時、そうした立場を取ります。

ただ、苦しむ労働者は自分たちを救ってくれるという教えに熱狂し、マルクス主義を信じたのです。ですが、その実態はどうなのか・・・本当に労働者の救いのための理論だったのか・・・これはよくよく考えなければならないのではないでしょうか。

今回の記事ではエンゲルスへの人格攻撃みたいになってしまい、私としても心苦しいものがあります。

ですが、これは伝記の中で「名うての女たらし」という章の中でしっかりと書かれていた内容です。伝記著者としてもこの時期のエンゲルスの行動は彼の生涯や思想を知る上で重要なものだと考えていたからこそ書いたのだと思います。

この事実があったということで「エンゲルスは人格的に問題があるから彼の思想は全部だめだ」というようには私は思いません。当時の時代風潮も考慮しなければなりませんし、そもそも歴史に名を残す大人物は私たち現代人の価値基準で測れるものではありません。

そしてさらに大事なのは、「エンゲルスが悪いのであってマルクスは悪い人間ではなかったのだ」という方向にならないようにすることです。この伝記のはじめにも書かれていましたが、マルクス主義の都合の悪いところを全部エンゲルスに押し付けようとする風潮が強いという事実があります。

エンゲルスはたしかに欠点もありましたが、歴史的人物として見ていく場合には多角的に見ていく必要があると思います。

ただ、今回紹介した箇所はマルクス・エンゲルスの思想において重要な意味を持つものだと私は感じています。

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