マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ

マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ

(20)憎きブルジョワに自分がなってしまったという矛盾に苦しむ若きエンゲルス

若きエンゲルスは自身の矛盾と向き合わざるをえませんでした。

自身が激烈に攻撃していたブルジョワに自分自身がなっている。

マルクスにもその心情を吐露していますが、彼はこの後もずっとそうした矛盾を抱え続けることになります。

ですが後には開き直って堂々とブルジョワ的な行動をするようにもなります。マルクスもそうです。マルクスもブルジョワ的な生活に憧れ、実際にそうしたお金の使い方をしては金欠に苦しむという、矛盾をはらんだ生活をしていたのでした。

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(19)産業革命の中心地マンチェスターの地獄絵図~エンゲルスはそこで何を見たのか

エンゲルスは1年間のベルリンでの兵役を終えた1842年、イギリスへ旅立ちました。

その旅の途中、ドイツの共産主義者モーゼス・ヘスから直接指導を受け、熱烈な共産主義者となったことまで前回の記事でお話ししました。

エンゲルスがなぜマンチェスターを訪れたかといいますと、彼の父が共同経営者となっている「エルメン&エンゲルス商会」がそこにあったからでした。彼の父は哲学にのめり込み急進的な言動を繰り返す息子を商人として鍛え直すために、エンゲルスをマンチェスターに送ったのでした。(もちろん、会社経営の面でも必要でしたが)

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(18)共産主義の始まりとドイツの共産主義者モーゼス・ヘスがいかにマルクス、エンゲルスに影響を与えたかについて

共産主義といえばマルクスを思い浮かべてしまう私たちですが、この思想自体はマルクスの独創ではありません。

マルクス・エンゲルスも無から偉大な思想を生み出したわけではありません。二人とも猛烈な勉強家です。彼らは過去の偉大な思想家や同時代の思想を学び、自身の思想を作り上げていきます。こうした彼らの思想背景を辿っていくのは非常に興味深いものがあります。

その代表例が今回ご紹介するドイツの思想家モーゼス・ヘスです。この記事は特におすすめの内容となっています。

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(17)空想的社会主義者フーリエの思想とは~ファランジュやユートピアで有名なフランス人思想家

エンゲルスはマルクス以前に社会主義思想を説いた有名な3人、サン・シモン、シャルル・フーリエ、ロバート・オウエンを「空想的社会主義者」と述べました。

そして彼らの「空想的」な理論に対して、マルクスの理論は「科学的」であると宣言します。

前回の記事ではサン・シモンを紹介しましたが、今回の記事ではシャルル・フーリエという人物についてお話ししていきます。

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(16)空想的社会主義者サン・シモンの思想とは~後のフランス第二帝政に巨大な影響を与えた経済思想家

空想的社会主義者とはエンゲルスによって1880年に出版された『空想から科学へ』の中で説かれた有名な言葉です。

エンゲルスはマルクス以前に社会主義思想を説いた有名な3人、サン・シモン、シャルル・フーリエ、ロバート・オウエンを「空想的社会主義者」と述べました。

そして彼らの「空想的」な理論に対して、マルクスの理論は「科学的」であると宣言します。

今回の記事ではまず、そのサン・シモンという人物についてお話ししていきます。

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(15)ジャーナリスト・マルクスの誕生とエンゲルスとの気まずい初対面

後年、マルクスとエンゲルスは一心同体と言ってもいいほどの仲になりますが、その初対面は意外にも気まずいものだったという事実がありました。これは意外ですよね。

「機が熟す」という言葉はまさにこの2人にぴったりな言葉なように思えます。

2人ががっちりとタッグを組むにはまだ時が来ていなかったのです。

運命の再会はこれからもう少し先のこと。

歴史の面白さをこの2人の初対面の気まずさに感じたのでありました。

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(14)マルクスの破天荒な学生時代とは~妻イェニーとの出会いも

この記事では若きマルクスの学生時代についてお話ししていきます。

マルクスは元々、ボン大学の法学部に在籍していましたが、勉強に身が入らずどんちゃん騒ぎを繰り返す問題児でした。

それを案じた父が名門のベルリン大学に彼を送り込んだのですが、彼はそこでヘーゲル哲学にさらにのめり込み、後の革命運動につながる仲間たちとの交友を深めることになったのでした。

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(13)カール・マルクスの出生とドイツ・トリーアのマルクス家

1818年、弁護士ハインリヒの子としてカール・マルクスは誕生しました。

マルクスが生まれたトリーアという町は、古代ローマの遺跡が残る古都です。

そしてこの記事で詳しく見ていきますが、エンゲルスと同じく、マルクスも裕福な家に生まれていて、彼は幼い頃より家族に大切に育てられていました。

また、マルクス家がユダヤ教のラビ(指導者)の家系だったという驚きの事実も見ていきます。

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(12)自由奔放で過激な青年ビール知識人とマルクス・エンゲルスのつながりとは

前回の記事まででシュトラウス→ブルーノ・バウアー→フォイエルバッハという、「青年ヘーゲル派」・反体制派思想の流れを見ていきました。

そしてこの記事では若きエンゲルスがベルリン時代に付き合っていた「ビール知識人」なる存在についてお話ししていきます。

実はマルクスもこのビール知識人の一員で、エンゲルスとは入れ違いで会うことはありませんでしたが、二人は同じグループで若き日を過ごしていたのでありました。

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(11)フォイエルバッハの唯物論~マルクスの「宗教はアヘン」はここから生まれた

若きマルクス・エンゲルスに絶大な影響を与えたシュトラウス、ブルーノ・バウアー、フォイエルバッハの流れについてこの記事ではお話ししていきます。

マルクスの「宗教はアヘンである」という有名な言葉は、ここで紹介するフォイエルバッハの思想から来ています。

マルクス・エンゲルスは無から思想体系を創造したのではなく、当時活躍していた思想家たちの理論を吸収しながら練り上げていったというのがよくわかりました。