空想的社会主義者フーリエの思想とは「マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ』(17)

マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ

空想的社会主義者フーリエの思想とは「マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ』(17)

上の記事ではマルクスとエンゲルスの生涯を年表でざっくりとご紹介しましたが、このシリーズでは「マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」というテーマでより詳しくマルクスとエンゲルスの生涯と思想を見ていきます。

これから参考にしていくのはトリストラム・ハント著『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』というエンゲルスの伝記です。

この本が優れているのは、エンゲルスがどのような思想に影響を受け、そこからどのように彼の著作が生み出されていったかがわかりやすく解説されている点です。

当時の時代背景や流行していた思想などと一緒に学ぶことができるので、歴史の流れが非常にわかりやすいです。エンゲルスとマルクスの思想がいかにして出来上がっていったのかがよくわかります。この本のおかげで次に何を読めばもっとマルクスとエンゲルスのことを知れるかという道筋もつけてもらえます。これはありがたかったです。

そしてこの本を読んだことでいかにエンゲルスがマルクスの著作に影響を与えていたかがわかりました。かなり驚きの内容です。

この本はエンゲルスの伝記ではありますが、マルクスのことも詳しく書かれています。マルクスの伝記や解説書を読むより、この本を読んだ方がよりマルクスのことを知ることができるのではないかと思ってしまうほど素晴らしい伝記でした。

一部マルクスの生涯や興味深いエピソードなどを補うために他のマルクス伝記も用いることもありますが、基本的にはこの本を中心にマルクスとエンゲルスの生涯についてじっくりと見ていきたいと思います。

では、早速始めていきましょう。

空想的社会主義者とは

空想的社会主義者とはエンゲルスによって1880年に出版された『空想から科学へ』の中で説かれた有名な言葉です。

エンゲルスはマルクス以前に社会主義思想を説いた有名な3人、サン・シモン、シャルル・フーリエ、ロバート・オウエンを「空想的社会主義者」と述べました。

そして彼らの「空想的」な理論に対して、マルクスの理論は「科学的」であると宣言します。

前回の記事ではサン・シモンを紹介しましたが、今回の記事ではシャルル・フーリエという人物についてお話ししていきます。

空想的社会主義者シャルル・フーリエとは

サン=シモンが描いたポスト資本主義、ポスト・キリスト教的ユートピアの考えを、十九世紀初期のフランスの主要な社会主義者であるシャルル・フーリエも共有していた。進歩主義の英雄たちのなかでは、より人好きのする性格であった彼は、一七七二年に裕福な織物商人の家に生まれ、南仏の、とくにリヨンの絹織産業のある地域で、絹の仲買人および巡回販売人として生涯を過ごした。

「私は市場の落とし子だ」と、彼は説明した。「商業施設で生まれ育った。商業の不正な行為は自分の目で目撃してきた」。しかし、フーリエの社会主義は単なる経験からの産物ではなかった。パリの国立図書館で一年間、自然科学を学んで過ごしたあと、みずからを新コロンブスだと説明した彼は、近代文明の困窮や搾取、不幸を一撃で終わらせる人類の新しい科学を見出したと主張した。そうしたことすべてを、彼は一八〇八年に発表した奇妙な作品、『四運動の理論』で書き表わした。
※一部改行しました

筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P95
シャルル・フーリエ(1772-1837)Wikipediaより

フーリエは1772年にフランスの商人の家に生まれました。

彼は9歳の頃に父を亡くし、家業を継ぐためにヨーロッパ中を移り歩いて商人修行をしています。

その後1793年のリヨン包囲の混乱に巻き込まれ投獄され、財産も奪われました。1789年のフランス革命後の大混乱のフランスの中で、彼は社会そのものについて思索していきます。そして完成したのが『四運動の理論』なのでした。

フーリエの思想

レモネードの海と惑星同士の出合いに関する話の合間に、フーリエは単純な命題を提示した。男と女はその自然な、天与の情熱によって支配されている。それどころか、各個人は一二通りの情熱から引きだされた、きっかり八一〇種類の人格タイプの一つに分類され、自然の総合システムを織り成す社会、動物、有機物、および物質の四運動によって支配された世界に生きているのだとした(社会学のリンネとでも言うべき存在のフーリエは、リスト作成に長けていた)。

これらの情熱のいずれかを抑えようと試みるのは、この時代の社会の恐ろしい過ちなのであった。「扉から追いだされた自然は、窓から戻ってくる」。しかし、これこそまさに十九世紀のフランスのブルジョワ階級が、一夫一婦制などの人為的な行動によって実行していたことで、そこからいかにもニュートン的に、「自然な情熱が無害であるのと同じくらい悪質」で不当な反情熱が生みだされた。

たとえば、教会公認の一夫一婦制にたいする対抗する同等の反応は、フランスにおいて三二種類の異なった不義が存在することに見てとれた。

フーリエの調和する社会では、市民は望みどおりに関係を始め、終わらせる完全な性的自由を許されることになる。女性は受胎を調節できるようになり、子供たちは実父か継父を選ぶ機会を与えられる。経済においても、性の問題と同様であった。無害な情熱を抑圧することが、野心を強欲さに変え、あらゆる喜びをもたらす仕事を食い物にし、搾取し寄生する仲買人をのさばらせていた。

一七九〇年代のマルセイユの失業、貧困、飢えに不快感をいだいたフーリエは、資本主義の恐ろしい悪徳への嫌悪感をたびたびあらわにした。「それは倒産、投機、高利貸し、あらゆる種類の騙しなど、お決まりのものをすべて備えた嘘なのである」。彼はとくに、汗水も垂らさず、糸も紡がず、ただ莫大な紙のお金による利益をもち去る商人階級を軽蔑した。
※一部改行しました

筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P95-96

フーリエは男女関係の問題に大きく注目しています。当時のフランスにおいて上流階級やブルジョワ階級の結婚はその多くが政略結婚でした。

特にフランス革命後は貴族が貧しくなり、家を支えるためにお金持ちのブルジョワの娘と結婚するということが頻繁に起こっていました。そして案の定と言いますか、残念ながらそこに愛はありません。ですので彼らは表向きは夫婦の体裁を取るものの、互いに愛人を囲ってその満たされない欲求を晴らしていたのでした。

このような生活については以前当ブログでも紹介した以下の参考書をご参照ください。

フーリエの考える理想の共同体、「ファランジュ」

従来の政治は、こうした人間の苦難にたいする答えをもちあわせなかった。近代社会の不自然な抑圧に対処する改革、プログラムも、経済的調整も存在しなかったからだ。そこで答えとなったのは、既存の社会秩序を見捨て、人類をファランジュと呼ばれた一連の自治共同体のなかで再編成することだった。

これらは「情念引力」の科学にもとづき、道徳家の視点ではなく、人間性の真実をよりどころとすることになっていた。各々のファランジュはそれぞれ異なる人格タイプに対応できるように組織されているので、理想的な人口は一六二〇人とされた。すべての住民に「性的最小限」が保証されることで、家父長制のブルジョワ社会で「色事」関係を歪めていた欲求不満や欲望は解消されることになる。

フーリエは、ファランジュで生じることになる周到に演出された乱痴気騒ぎ―カトリックのミサを官能的に逆転させたもの―を、喜んで描写した。あらゆる形態の性的嗜好(近親相姦を含め)に対応するものである。
※一部改行しました


筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P96-97

ここではファランジュの詳しい描写はあまり語られませんが、作品社より発行されたジョナサン・ビーチャー著、福島知己訳『シャルル・フーリエ伝 幻視者とその世界』ではその様子をより深く知ることができます。

私も読んだのですが、もはやユートピアというよりは気味の悪いディストピア的な雰囲気があります。私の個人的な感想ですが、ハクスリーの『すばらしい新世界』に近い世界観なような気がします。

「人間は苦しむために生まれてきたのではない」

「性的最小限」とともに、「社会的最小限」も考慮された。性愛の尊重を復活させるのと同様に、フーリエの制度は仕事の尊厳も取り戻すものだった。近代の雇用の問題は、特定の能力の持ち主には不向きで単調な作業を与えることで、やはり人間が自然にもつ情熱の充足を否定することにあった。それに引き換え、ファランジュでは住民は、自然発生的に形成された友人や恋人同士の集団で、一日に八種類までの異なった仕事に従事することができる。この能力の解放は、男も女も自分たちの勤勉な熱意を満たすべく農地や工場、職場、工房、厨房へ意気揚々と向かうことで、才能を一気に開花させる。フーリエは、カトリック教会とは反対に、、、、人間は苦しむために生まれてきたとは考えなかった。新しい共同体をつくりだせば、人間は生来の情熱に従って繁栄できるようになるのだった。

筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P97

フーリエは、カトリック教会とは反対に、、、、人間は苦しむために生まれてきたとは考えなかった。新しい共同体をつくりだせば、人間は生来の情熱に従って繁栄できるようになるのだった。

ここがフーリエにおいて非常に重要な思想となっています。

カトリックは性愛を汚らわしいものとして扱いました。そして公の場で性的な事柄を口にすることすらタブー視していました。こうした男女間のタブーは、実態は別として表向きにはかなり強い影響力を持っていました。

そして、性的な問題だけではなく、カトリックは原罪思想を重んじます。人間は罪を背負っていて、それを贖わなければならない、そうした思想がありました。

それに対してフーリエは堂々と「人間は苦しむために生まれてきたのではない」と宣言するのですからかなり大胆で先駆的な思想を持った人物でした。

エンゲルスはなぜサン・シモン、フーリエを「空想的社会主義者」と呼んだのか

サン=シモンにもフーリエにも、急進的な平等(フーリエの言葉を借りれば「社会毒」)の要求や、「人民」の名による権力の暴力的掌握への呼びかけは、どこにも見当たらない。彼らの社会主義は貴族的で、しばしばエキセントリックにもなったが、人間の充足感に着目した根本的に想像をかきたてる構想である。

それどころか、フランス革命の流血と恐怖を経験し、それにたいする心構えがあった割には、どちらの思想家も既存の社会制度を暴力的に脅かすことには、ほとんど関心を示さなかった。その代わりに、彼らは緩やかに道徳を改革するプログラムを強く主張していた。既存の社会の不平等と不正から切り離された、調和する共同体によって主導されるものだ。

エンゲルスが述べたように、「社会は悪例しか提示しなかった。それらを排除することが、理性の任務だった。したがって、新しい、より完全な社会秩序の制度を見出し、これを外部から宣伝活動によって社会に押しつけ、可能な場合にはどこでも、模範的体験例を示すことが必要であった」。

アメリカでは、一八四〇年代にマサチューセッツ州ブルック・ファーム、テキサス州ダラス郡のラ・レユニオン、ニュージャージー州ラリタン・べイ・ユニオンに一連の共同体が創設されたことで、フーリエ主義の構想の最も実践的な成果を見ることになった。

だが、これらのファランジュも、アメリカ社会のそれ以外の人びとをフーリ工主義のプロジェクトに参加させる段になると不充分であった。そのような失敗から、エンゲルスは彼やマルクスの厳格で実際的な科学的社会主義、、、、、、、にくらべ、サン=シモンとフーリエを(ロバート・オーエンとともに)空想的社会主義者、、、、、、、、として見くびるようになった。

エンゲルスはのちに、ブルジョワの結婚に関するフーリエの分析には深い意義があること、および彼の社会批判を大いに称賛していたことを明かした(「フーリエは世間体のよい社会の偽善や、その理論と実践の矛盾、その生き方全般の単調さを徹底的に洗いだした」)ものの、彼はこうしたユートピア思想家の失敗を批評して、プロレタリアートもしくは歴史を推し進める革命的勢力の機能を理解した。「これらの新しい社会制度はユートピア思想として最初から運命づけられていた。細部にわたってより完全に実現させようとすればするほど、いつのまにかただの空想のなかに陥るのがますます避けられなくなる」
※一部改行しました

筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P97-98

たしかにサン・シモンやフーリエの説く社会思想はユートピア的です。特にフーリエのファランジュはまさに「空想的」と言われても仕方のないもののようにも思えます。

ただ、エンゲルスはマルクスの教えを「科学的社会主義」と言っていますが、現代となってはマルクスの社会主義がどのような点で科学的なのかは何とも難しい問題です。エンゲルスはマルクスの思想はニュートンのような法則であると後に述べますが、残念ながらニュートンのような自然法則とマルクスの思想は同じとは言えなさそうです。思想としての説得力と科学法則はまた別物です。そもそも、マルクスの経済理論には多くの矛盾も指摘されています。

ですが、エンゲルスが自分たちを「科学的社会主義」と呼び、「空想的社会主義」を批判したことで「マルクス主義がより科学的に正しい」という印象付けには成功したものと思われます。

サン・シモン、フーリエを知ったことで、マルクス思想においてよく説かれる「科学的社会主義」はこういう所から来ていたのかということを知ることができました。

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