空想的社会主義者サン・シモンの思想とは

マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ

空想的社会主義者サン・シモンの思想とは「マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」(16)

上の記事ではマルクスとエンゲルスの生涯を年表でざっくりとご紹介しましたが、このシリーズでは「マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」というテーマでより詳しくマルクスとエンゲルスの生涯と思想を見ていきます。

これから参考にしていくのはトリストラム・ハント著エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』というエンゲルスの伝記です。

この本が優れているのは、エンゲルスがどのような思想に影響を受け、そこからどのように彼の著作が生み出されていったかがわかりやすく解説されている点です。

当時の時代背景や流行していた思想などと一緒に学ぶことができるので、歴史の流れが非常にわかりやすいです。エンゲルスとマルクスの思想がいかにして出来上がっていったのかがよくわかります。この本のおかげで次に何を読めばもっとマルクスとエンゲルスのことを知れるかという道筋もつけてもらえます。これはありがたかったです。

そしてこの本を読んだことでいかにエンゲルスがマルクスの著作に影響を与えていたかがわかりました。かなり驚きの内容です。

この本はエンゲルスの伝記ではありますが、マルクスのことも詳しく書かれています。マルクスの伝記や解説書を読むより、この本を読んだ方がよりマルクスのことを知ることができるのではないかと思ってしまうほど素晴らしい伝記でした。

一部マルクスの生涯や興味深いエピソードなどを補うために他のマルクス伝記も用いることもありますが、基本的にはこの本を中心にマルクスとエンゲルスの生涯についてじっくりと見ていきたいと思います。

その他参考書については以下の記事「マルクス伝記おすすめ12作品一覧~マルクス・エンゲルスの生涯・思想をより知るために」でまとめていますのでこちらもぜひご参照ください。

では、早速始めていきましょう。

空想的社会主義者とは

空想的社会主義者とはエンゲルスによって1880年に出版された『空想から科学へ』の中で説かれた有名な言葉です。

エンゲルスはマルクス以前に社会主義思想を説いた有名な3人、サン・シモン、シャルル・フーリエ、ロバート・オウエンを「空想的社会主義者」と述べました。

そして彼らの「空想的」な理論に対して、マルクスの理論は「科学的」であると宣言します。

彼らのどの辺りが「空想的」で、マルクスのどこが「科学的」かは後々お話ししていくことにして、今回の記事ではまず、サン・シモンという人物についてお話ししていきます。

社会主義の系譜

歴史学者のエリック・ホブズボームは、マルクスとエンゲルスがいかに共産主義に遅れてやってきたかを書いている。彼らはどちらも、社会主義に関しても後発だった。

一八三〇年代と四〇年代初めには、社会主義と共産主義という名称はしばしば同義に用いられていたが、両者はある程度区別のできる哲学的伝統にもとづき、いずれも異なった知識人と政治的系譜をもち、どちらもこれら二人のプロイセン人主人公たちが登場するずっと以前から隆盛を誇っていた。

社会主義の起源はとりわけあやふやで、さまざまな形態があり、いくつもの起源までたどることができる。

プラトンの『共和国』、旧約聖書の預言者ミカによって宣言された精神的な平等、ナザレのイエスが説いた兄弟愛〔博愛〕、サー・トマス・モアやトマソ・カンパネッラのユートピア的理想主義、あるいはパトニー討論の急進的な平等化運動などである。

しかし、近代的な形態では、社会主義はフランス革命の宗教およびイデオロギー的無政府主義から誕生した。一七九〇年代から一八〇〇年代初期には、ローマ・カトリック教会が衰退し、フランス全土に非キリスト教化が広まったあと、新たな宗教上の権力を求める動きが社会主義の一派と見なせるいくつもの派閥を生みだした。
※一部改行しました

筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P92-93

社会主義、共産主義と言われるとなかなか違いがわかりにくいですよね。しかもそれらがいつどこでどのように始まっていったかと言われるとさらにわからない・・・

ですが、近代的な社会主義と言われるものはどうやらフランス革命期頃から生まれてきているようです。

そして既存の政治体制や宗教権力の衰退によって生まれた空白が、様々な思想や運動を生み出していったと言えそうです。

空想的社会主義者、サン・シモンとは

最初に登場した一派は、クロード・アンリ・ド・ルヴロワ・ド・サン=シモン伯爵が創設したもので、彼はフランス貴族出身の戦争の英雄から革命支持者になり、さらに不動産投機家から有閑階級に懲罰を下す側になった人物だった。

サン=シモンはルイ十四世時代のヴェルサイユ宮殿にいた年代記編者の子孫で、社会は科学と産業の新しい重大な局面に入りつつあり、そのためには新しい形態の統治と信仰が必要であると考えていた。

彼が提唱した「人類の科学」は、社会を「生理学的現象のように組織された機構」として理解するものだった。人間社会のもろもろのことを管理するための、この合理的なアプローチは、一七九〇年代にフランスが経験したような無政府状態をまさしく避けるものであるが、それが成功するためには、権力はアンシャン・レジームの不運な世襲制エリートたちから、実業家、科学者、技術者、芸術家へと移行する必要があった。

彼らだけが社会を計画することができ、「そこではすべての個人が能力しだいで分類され、仕事しだいで報酬を受けるようになる」。政治は厳格な規律となり、「推測を確かなものに、形而上学を物理学へと」変えることになる。

「統治」という政治的行為は社会を「運営」する客観的なプロセスに取って代わられ、すべての個人が自分の潜在能カを発揮できるようになる。サン=シモンが述べ、のちにマルクスがうまく改良して〔『ゴータ綱領批判』で〕使用した言葉のように、「それぞれの人から能力に応じて、それぞれの能力から仕事に応じて」である。
※一部改行しました

筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P93-94
サン・シモン(1760-1825)Wikipediaより

サン・シモンの特徴は国家を担うべき存在は世襲貴族ではなく、実務能力に長け、経済感覚のある実業家であると考えた点にあります。

次の箇所でより詳しく彼の思想を見ていきます。

サン・シモンの説く理想的な社会とは

サン=シモンの理想的な社会の中心には、産業の倫理があった。サン=シモンの英雄たちは「産業階級」(実業家たち)、つまり寄生生物ではなく生産者なのである。彼の敵はフランスの昔ながらの支配者―貴族、聖職者、官僚(彼が有閑階級と名づけた人びと)―だけでなく、財産を相続したり、労働者から搾取したりする新しいブルジョワ階級の「怠け者」や「消費者」であった。

来たる科学的な時代には、人間はほかの人間を利用するのをやめ、代わりに団結して自然を利用するようになるだろう。既存の私的所有、相続、競争のパターンは、社会が一致団結して、懸命に努力するうちに、廃れてゆくだろう。

「すべての人が働くようになる。彼らは一つの職場に所属する労働者として自分を見なすようになり、彼らの努力は天から授かった私の先見性に従って人間の知恵を導く方向へ向けられるだろう。ニュートンの最高評議会が、彼らの仕事を管理するのである」

では、ニュートンの最高評議会とは、いったいなんであったのか?サン=シモンはこれを、新しい社会の統治機構として、サヴァン―「天賦の才をもつ人びと」―の集まりとして考案した。「人類を照らす松明」として活動する人びとである。

このエリートのテクノクラートは〈発明室〉(二〇〇人の技術者と一〇〇人の芸術家が配置される)、〈実験室〉(一〇〇人の生物学者、一〇〇人の物理学者、一〇〇人の化学者)、〈実行室〉(その時代の主要な実業家や企業家)を統括する。アイザック・ニュートンが万有引力の法則によって宇宙の仕組を整理し直したように、数学者を議長とする最高評議会も同様に適切な普遍的法則にもとづいて、社会が円滑に運営されるように配慮する。
※一部改行しました


筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P94

少し難しいですが、少数の超エリートによって各部門を統率し、ニュートンのごとく科学的な法則によって社会を円滑に回していくというのがサン・シモンの基本理念になります。

そしてさらに彼の理論にはもう一つ大きな特徴があります。

キリスト教的社会主義

『新キリスト教』(一八ニ五年)のなかで、サン=シモンはこうした考えをさらに押し進め、人類の世俗の宗教を奨励した。社会を効率よく統治することから、根本的な「キリスト教的道徳の原理」、つまり博愛への回帰にもとづく、調和する人類の新しい精神が生まれる。ここから、「極貧ソ層の道徳と物理的存在を改善」する使命が生ずる。近代の資本主義を支えてきた非人道的で無駄の多い、不正な競争システムのもとでは、決して達成することのできない目的である。

集団的行動を通じた道徳の復活や精神的発展のこの約束が、サン=シモン派や、人気を博した彼らの博愛の福音へと発展した。人類が団結しさえれば、その生産的エネルギーはこの地上で「新しい調和」を生みだすことに注がれると、サン=シモンは確信していた。
※一部改行しました

筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P94-95

驚くべきことに、「科学的な理論」によって理想的な社会を建設しようとするサン・シモンですが、その根本には「キリスト教的博愛」が据えられていたのでありました。

このことについては後に改めて彼の著作を通してご紹介しますが、社会主義国家の建設とキリスト教が結びついているというのは非常に重要な点であると思います。

そしてサン・シモンには優秀な弟子がたくさんおり、彼亡き後は彼ら弟子たちがその思想をさらに進めていき、それが後にサン・シモン主義と呼ばれることになります。

この思想は1852年から始まったフランス第二帝政期の基本理念として用いられました。

フランス第二帝政(1852-1870)はナポレオン三世による治世のことで、大規模な金融政策、都市改造、という大変革が行われた時代です。

この時代においてサン・シモン主義がどのように適用されたのかは以前紹介したこちらの記事をご参照ください。

マルクス・エンゲルスによって空想的社会主義者と呼ばれることになったサン・シモンですが、その思想は後のフランス第二帝政の根幹となるほどのものでした。

サン・シモン自身が述べていたことは確かにユートピア的なものだったかもしれませんが、決して「役に立たぬ劣った思想」ではありません。マルクス・エンゲルスが空想的社会主義者と呼んだことでサン・シモンが侮られるような風潮になってしまった感はありますが、実際はマルクス・エンゲル氏自身がサン・シモンやフーリエ、オーエンらから学んでいるものが多々あったのでした。

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