鹿島茂『絶景、パリ万国博覧会 サン=シモンの鉄の夢』渋沢栄一も訪れたパリ万国博覧会―欲望喚起の装置としてのパリ万博

鹿島茂 フランス文学と歴史・文化

鹿島茂『絶景、パリ万国博覧会 サン=シモンの鉄の夢』概要と感想~渋沢栄一も訪れたパリ万国博覧会―欲望喚起の装置としてのパリ万博

前回の記事で1851年のロンドン万博と水晶宮を取り上げました。

今回はそれに続く1855年の第一回パリ万国博覧会についてお話ししていきます。

パリ万国博覧会はナポレオン3世とフランス第二帝政の特徴6つをざっくりとの記事でも触れましたが、1852年から始まったフランス第二帝政にとっても非常に大きな比重を占める国家事業でありました。

この記事ではパリ万博がどのような意味を持った出来事であったかを、フランス文学者鹿島茂氏の『絶景、パリ万国博覧会 サン=シモンの鉄の夢』を参考にざっくりとまとめていきたいと思います。

※2021年3月14日追記

現在放送中の大河ドラマ『青天を衝け』の主人公渋沢栄一も、1867年の第二回パリ万国博覧会を訪れています。

この第二回パリ万博も基本的には第一回パリ万博の理念を踏襲しています。

この万博の理念を知ることは日本の歴史を知る上でも非常に重要な意味を持ちます。

パリ万博は何を目指していたのか

1855年パリ万博 産業宮の内部 Wikipediaより

鹿島茂氏によりますとパリ万博では、次のような目的が大きな重点とされていたとしています。

ロンドン万博において製鉄・鉄鋼工業の大幅な立ち遅れからくる工業化の不十分性を痛感したフランスの産業界は、パリ万博を失地回復の足掛かりにしようと考えたが、一部の先進的企業の出現により、フランスがイギリスと肩を並べられることが十分に証明された。

フランスの産業界は、これを機会に、より徹底した産業革命の必要性を痛感し、エネルギーを人力から蒸気・電力・機械力へと移行させていく。この意味では、「人間による人間の搾取に代えて、機械による自然の活用をおく」というサン=シモン主義のテーゼは今回の万博で十分に国民に理解されたものとみていい。
※一部改行しました

河出書房新社 鹿島茂『絶景、パリ万国博覧会 サン=シモンの鉄の夢』P100-102

ロンドン万博ではイギリスの圧倒的な技術力を見せつけられ、フランスの工業が立ち遅れていることを痛感させられました。

しかしそこからフランスも急激な追い上げを見せ、イギリスに負けぬほどの技術力をつけていくことになります。

あとはその力を国民に理解させ、より強力にその力を推進させていくことが必要になります。

そのためには文字や口で伝えるのではなく、巨大な機械が動く様を見せることが何よりのメッセージになると政府は考えたのです。

巨大な機械が轟音を立てながら圧倒的な迫力で動く様は人々を熱狂させ魅了します。人々は機械の持つ力の虜となり、これから先の時代は機械文明であると、信仰するがごとく崇め奉るのでありました。

パリ万博は国内の産業の強化、そして国民の産業教育を狙った一大イベントだったのです。

パリ万国博覧会の何が画期的だったのか

世界初の万国博覧会は1851年のロンドン万博であることは何度もお話ししてきましたが、実はそれに先立つこと54年前、1797年にパリで内国博覧会というイベントが開催されていました。

実はこれが万国博覧会のひな型になり、これを基にロンドン万博は開催されたのです。

この1797年の内国博覧会の段階ですでに、当時の商業システムに革命をもたらすほどの変革があったのです。

一七九七年に、第一回の博覧会が開かれたとき、人々は、歴史上初めて、商品は見ることのできるものだということ、そして、商品は見て楽しいものだということを知った。

というのもそれまでは、商店でも、商品を展示するという習慣はなく、ただ、看板を表に出して、何を扱っているかを教えていたにすぎなかったからである。

また、たとえ店内に入ったとしても、客が自分の求める商品がなんであるかを告げなければ、商品を見せてはもらえなかったし、いったん、商品を手に取ったら最後、その商品かあるいは別の商品を買わずには店を出てこれなかったのである。

これに対し、博覧会は、商品を見ることを可能にした。つまり商品を外に(ex)置いて(poser)、展示した(exposer)のである。これは、その商品を見る人間(客)との関係で言うと次のようなことになる。

すなわち、商品と客との触覚、、を媒介にした関係が(当時の商店の内部は薄暗く、客は商品特に布地の質を手で触ることによって判断した)、視覚、、を仲立ちにした関係へと変化したということである。

河出書房新社 鹿島茂『絶景、パリ万国博覧会 サン=シモンの鉄の夢』P158

驚くべきことに、1797年当時のお店というのは売り物の商品をお客さんに見せることもなく、しかも値札もありません。すべて店員と客との交渉で決まります。さらには一旦店に入ったら必ず何かを買わなければならないというシステムだったのです。今の私たちの感覚ではなかなか想像もつきません。

ですがそれを覆したのが1797年の内国博覧会だったのです。ここでは商品は全て展示され、自由に見ることが出来ます。しかも見るだけでもOKで、買わなくてもよかったのです。

これはフランスの商業の歴史において革命的な出来事でした。

しかし、内国博覧会は万国博覧会と比べ規模もはるかに小さく、開催後もまだ時代が追い付いていなかったこともあり、この商業形態がフランスに根付くことはありませんでした。

ですがこのシステムも、この1855年のパリ万博で一気に花開くことになるのです。

さて、パリ万博の話に戻りましょう。

あらゆるものが展示され自由に見ることが出来るというシステムはさらに次のような影響も入場者に与えることになりました。

商品が複数の客の視線にさらされるようになったばかりか、ひとりの客が複数の商品に視線を投げかけることが可能になったのである。言いかえれば、これにより客は「商品を見比べる」ことができるようになったのである。

ところで、こうした商品の比較は、「あれはこれよりも劣る。だからいらない」という形には心理を誘導せず、むしろ、「あれよりもこれのほうが優れている。だから欲しい」というように欲望を増幅することになった。

つまり、二つ商品が並んでいれば、商品がひとつのときよりも欲望は大きくなるという原則が成立したのである。もちろん、これによって、競争原理が生まれ、資本主義が加速したことはいうまでもない。
※一部改行しました

河出書房新社 鹿島茂『絶景、パリ万国博覧会 サン=シモンの鉄の夢』P159

見るだけでもよいということで入場者は安心してたくさんのものを見ます。そうするとどうしても商品同士を比べてしまうのです。そうなるともう欲望は止まりません。

この欲望は、商品が入手可能なものであればあるほど強烈に増幅されることになる。機関車が展示されていたのでは欲しいという気持ちは起きないが、既製服なら手に入れたいという気持ちが起きるだろう。

もし、万国博覧会の会場に、自分の身のまわりにあってしかるべきあらゆるものが展示されていれば、その人は、いたるところで、自分に欠けているものを見つけてしまうことになる。

河出書房新社 鹿島茂『絶景、パリ万国博覧会 サン=シモンの鉄の夢』P160

パリ万国博覧会が近代のパラダイムを決定的に変えたのは、やはり「ありとあらゆる商品」がそこに展示されていたという事実だろう。

この事実はいくら強調してもしすぎることはない。比喩的に言えば、パリ万博こそは、「近代のノアの方舟」であった。大洪水以前に存在した生きとし生けるものがノアの方舟に乗り込んで、大洪水後の世界に展開していったのと同じように、パリ万博が開かれた時点で存在していたありとあらゆる商品が、会場に展示され、それを契機として世界中で進化・発展をとげていったのである。

この世界に存在する商品は、そのルーツをたどっていくと、かならずといっていいほどパリ万博に行き着くが、考えてみれば、その時代の「あらゆる商品」がそこに展示されていたのだから、ある意味では、これほどに自明の事実はない。

河出書房新社 鹿島茂『絶景、パリ万国博覧会 サン=シモンの鉄の夢』P161

パリ万博の恐るべきところは、ありとあらゆるものを展示していた点にあります。

ロンドン万博ですらそこまで徹底したことはしていません。ロンドン万博はあくまで、自国の産業の発展を知らしめるためのものでした。

しかしパリ万博はすべての人にありとあらゆるものを見せ、欲望を喚起させることが目的だったのです。

巨大な機械や高度な工芸品という、わかりやすいほど非日常的で特殊なものを見せるのは当たり前の話です。しかしパリ万博は普段目にしている日常品まで全て展示したのです。

万博まで出かけて普段使っているコップや布製品を見て何になるの?と私たちは思ってしまうかもしれません。

ですが、それまで「ものとものを比べる」という買い物の仕方を知らなかった人たちからすればこれはとてつもなくショッキングなものだったのです。

「え!?こんないいものがこんな値段で売ってるの!?」

「私が持ってるのと全然違う…もっといいのが欲しいわ…」

「うわぁ、これいいなぁ!便利そう!こんなものがあるなんて思いもしなかった!」

「こんないいものを持てたらなあ…」

おそらく、わずかな品揃えしかない馴染みの小売店でしか商品を見たことのない人にはあまりにショッキングな世界だったと思われます。

ありとあらゆるものが置かれ、強制的に商品同士を比較させ、自分が持っていないものを見つけさせる。そしてその結果「どうしても欲しい!」という欲望を植え付ける。

これがパリ万博の画期的な点だったのです。

ロンドン万博とパリ万博の違いをシンプルに言うなら、

ロンドン万博は「わー!すごい!こんなものが世の中にあるのか!」という驚きで、

パリ万博は「わー!すごい!欲しいなこれ!」という欲求です。

よくよく考えてみたら私たちの周りには「欲しい」を誘うもので溢れていますよね。

それが一概に悪いとは申しません。私もその社会システムの恩恵を受けて生きてるのでありますから。

ですが、「欲しい」という欲求を無限に喚起してくるシステムが実はこのパリ万博でいよいよ姿を現してくることになったのです。

ここに私たちが生きる現代社会のシステムとのつながりを見ることが出来るのです。

パリ万博はロンドンのようにフランスの工業化を進めるというだけではなく、欲望の追求を国家レベルで推し進めようとした事業でした。

これはフランス第二帝政という時代を考える上で非常に重要な視点であると思います。

私はこれまで当ブログでドストエフスキーについて見てきたわけですが、彼はこういう時代背景の下、パリへと足を踏み入れたのです。そしてその時の体験を『冬に記す夏の印象』という作品にまとめています。

このような背景を知るとドストエフスキー作品がまた違った味わいを見せてくれるのではないでしょうか。

パリ万博は非常に興味深い出来事でありました。鹿島茂氏の 『絶景、パリ万国博覧会 サン=シモンの鉄の夢』 もこれまた名著です。とても面白いです。おすすめです。

以上、「鹿島茂『絶景、パリ万国博覧会 サン=シモンの鉄の夢』渋沢栄一も訪れたパリ万国博覧会―欲望喚起の装置としてのパリ万博」でした。

次の記事はこちら

前の記事はこちら

関連記事

HOME