鹿島茂『新聞王ジラルダン』メディア・ジャーナリズム誕生の流れを知るのにおすすめの一冊!新聞業界を一変させた男の驚異の生涯とは!

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鹿島茂『新聞王ジラルダン』概要と感想~新聞業界を一変させた驚異の男!メディア・ジャーナリズム誕生の流れを知るのにおすすめの一冊!

今回ご紹介するのは1997年に筑摩書房より発行された鹿島茂著『新聞王ジラルダン』です。

早速この本について見ていきましょう。

スキャンダラスな剽窃新聞から出発し、「新聞」と「広告」を結合させてジャーナリズムに決定的な革命をもたらしたジラルダンの生涯を、パリを舞台に鮮やかに描く。

Amazon商品紹介ページより
エミール・ド・ジラルダン(1806-1881)Wikimediaより

今作の主人公、ジラルダンのプロフィールは以下のようになります。

エミール・ド・ジラルダン(1806-81)はフランスの新聞経営者・政治家。ルソーの保護者として知られるジラルダン侯爵の庶子として生まれ、無一文、無一物から新聞王にまで登りつめた。各紙の記事から興味ある記事だけを剽して作った新聞『ヴォルール(盗人)』を出発点として、『ラ・モード』、『ジュルナル・デ・コネサンス・ジュティル』などで蓄財に励み、1836年、満を持して一般紙『プレス』を創刊。これは広告の全面的導入によって予約購読料を半分に下げた画期的新聞で、以後の資本主義システムを規定することとなった。『リベルテ』『グローヴ』『プチ・ジュルナル』などにも関与した。夫人は閨秀作家のデルフィーヌ・ゲー。

鹿島茂コレクション|18,19世紀の古書・版画のストックフォトより

ジラルダンは無一文から新聞王に上り詰めたフランス19世紀の大人物です。今作ではそのジラルダンの偉業やその背景についてじっくりと見ていくことになります。以前紹介した小倉孝誠著『パリの秘密』の社会史』ではこのジラルダンの業績について次のように解説されています。少し長くなりますがジラルダンという人物がいかに巨大な影響を世界に与えたかが非常にわかりやすく語られますのでじっくりと見ていきます。

七月王政期のフランスでは印刷術の進歩、流通機構の整備、教育改革による読者層の拡大などが相乗的に作用して、活字メディアの発展と文学の大衆化をうながす条件がそろっていた。王政復古期に新聞・出版にたいして及ぼされていた強い監視のまなざしが緩和したことも、それに拍車をかけた。そうした情況をすばやく見抜き、そこに商業的な成功のチャンスを嗅ぎつけたのがエミール・ド・ジラルダン(一八〇六ー八一)である。

一八三〇年代初頭から彼は、『実践知識新聞』や『小学校教員新聞』といった新聞を発行し、教育や啓蒙に関心を示していた。定期刊行物を庶民のための啓蒙活動の手段にするという発想は、当時としてはきわめて斬新なものだった。

これは期待したほどの成功を収めることができなかったが、それに落胆することもなくジラルダンは一八三六年に『プレス』という日刊新聞を創刊し、この新聞がフランスのジャーナリズムに革命を起こすことになる。

まず彼は商業広告に紙面を大きく割いて収入源とすることにより、年間購読料を四〇フランにした。他の新聞の年間購読料はおしなべて八〇フランだったから、その半分である。しかも、当時の新聞は一般に硬派な政治新聞だったのに対し、ジラルダンは政治論争は慎重に避け、他方では妻のデルフィーヌにパリの社交界や文壇をめぐる内幕記事を書かせて(それは「パリ便り」と題されたコラムとして、毎週木曜日にフロント・ページの下段を占領した)、娯楽的な傾向を強めた。

啓蒙から娯楽へ―ジラルダンの方向転換はみごとに当たり、数カ月で一万人の予約購読者を確保し、一八四〇年代にはその数が二万人を超えた。これは当時の日刊紙としては、無視しがたい部数であった。

『プレス』によって創始され、文学の世界に決定的な衝撃をもたらしたのが新聞小説の連載である。その最初の新聞小説『老嬢』を寄稿したのが、ほかならぬバルザック。連載小説の成功がただちに新聞の発行部数を左右するようになるのは一八四〇年代に入ってからで、どの新聞も競って人気作家の寄稿を求めるようになった。
※一部改行しました

新曜社、小倉孝誠著『『パリの秘密』の社会史 ウージェーヌ・シューと新聞小説の世界』P35-36

ジラルダンの新聞『プレス』はまさしく革命でした。そしてこの新聞と共に新聞小説全盛の幕が開け、バルザックやジョルジュ・サンド、ウージェーヌ・シューなど文学界のスターたちが大活躍していくことになります。

鹿島茂著『新聞王ジラルダン』ではそんな革命児ジラルダンの生涯を時代背景と共に見ていける名著です。とにかく面白いです。

私達は日常メディア無しではいられないほどテレビや新聞、ネットの情報に囲まれていますが、その商業メディアというのは一体いつから始まったのか、そしてそれは何を意味するのだろうかということをこの本では学ぶことができます。一九世紀中頃のフランスを舞台にしたこの作品ですが現代社会を生きる私たちにも直結する内容がこの本で語られます。

著者の鹿島茂氏は「序にかえて」で次のように述べています。お馴染み鹿島節炸裂の名文です。じっくり読んでいきましょう。

一般に、共産主義が資本主義に負けたのはモノがないからだと言われている。しかし、よく考えてみると、競争原理に基づく市場経済がありながら、モノのあまりない社会というものも存在しているのである。つまり、産業社会化する以前の西欧社会、あるいは現在でもその段階にとどまっている発展途上国である。

この段階の社会では、市場経済はあってもモノがない。それにひきかえ、計画経済がある程度機能していた頃のソ連型社会においては、種類は少ないがとにかくモノはあった。だからこそ、発展途上国はいったんは共産主義を目指すのである。

したがって、モノがないから、共産主義は資本主義に負けたという議論は、必ずしも正しくない。私見によれば、共産主義が資本主義に負けたのは、「西側の人間は東側のプロパガンダを見たり聞いたりしても心動かされなかったが、東側の人間は西側のコマーシャルを見たり聞いたりして心動かされた」という事実があったためである。

おそらく、東側の人々は西側の新聞雑誌やTVを見たとき、そこに開陳されている思想には興味は感じなくとも、コマーシャルには強く目をひかれたにちがいない。なぜなら、コマーシャルとはモノの、言い換えれば資本主義の最も純化されたポエジーであり、そこには極度に研ぎ澄まされたレトリックが凝縮されているので、ソ連型共産主義社会の民衆が見れば、あたかも映画を初めて見た未開人のように、あるいは恋愛小説を読み過ぎたボヴァリー夫人のように、現実とフィクションを混同してしまうはずだからである。

フィクションが現実ではないように、コマーシャルもまたモノ自体ではないので、共産主義社会が資本主義社会に変わったとしても、民衆が思い描いたようなバラ色の社会は実現するわけはないのだが、しかし、いずれにしても、共産主義を撃ち破るのに、軍事力は必要ではなく、ただコマーシャルがあれば足りたという事実は否定できない。べルリンの壁の東側でひそかに視聴されていた西ドイツのTVのコマーシャルが壁を崩壊させたのである。共産主義にとって悪魔のささやきとはコマーシャルのことだったのである。

ところで、ジャーナリズムとコマーシャルという共産主義社会を崩壊させた二つのファクターは現在切っても切り離せない共生関係にあるのだが、この共生関係が誕生したのはそれほど昔のことではない。いや、昔のことではないという言い方は正確ではない。じつは、この共生関係の成立は一八三六年七月一日という具体的な日付をもっている。そして、それは自然発生的な誕生ではなく、エミール・ド・ジラルダンという一人の男によって発明されたのである。

すなわち、この日、エミール・ド・ジラルダンが、商業広告の導入によって予約購読料を半額にした新聞《プレス》を創刊することによって、ジャーナリズムとコマーシャルは永久的な共生関係に入り、極端な言い方をすれば、それによって、前近代的な社会は崩壊し、近代的な社会が生まれたのである。

では、ジャーナリズムとコマーシャルを合体することによって前近代的社会を崩壊させ、さらには共産主義社会まで瓦解させてしまったこのエミール・ド・ジラルダンというとんでもない男はいかなる人間だったのだろうか。あるいは、もしエミール・ド・ジラルダンが存在していなかったなら、今日のように高度産業社会は成立するに至っていたのだろうか。これが、本書が問いかけてみたい仮定の問いである。

しかし、それにしても、この問いは、身近な問いといいながら、どうやら、近代とはなにか、資本主義とはなにかというとてつもない大問題とつながる「大いなる問い」になってしまいそうな気配が濃厚である。
※一部改行しました

筑摩書房、鹿島茂『新聞王ジラルダン』P11-12

いかがでしょうか。この「序にかえて」の文を読むだけでも面白そうな雰囲気が漂ってきますよね。

「それにしても、この問いは、身近な問いといいながら、どうやら、近代とはなにか、資本主義とはなにかというとてつもない大問題とつながる「大いなる問い」になってしまいそうな気配が濃厚である。」

まさにその通り。この本では単にジラルダンひとりの問題を超えて社会の仕組みも学べる素晴らしい作品となっています。

これは名著中の名著間違いなし!ものすごく面白い本です!ぜひぜひおすすめしたい作品です。ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。

以上、「鹿島茂『新聞王ジラルダン』メディア・ジャーナリズム誕生の流れを知るのにおすすめの一冊!新聞業界を一変させた男の驚異の生涯とは!」でした。

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