グロスマン『ドストエフスキイ』ソ連の権威あるドストエフスキー伝記

ドストエフスキー伝記

本日は筑摩書房出版の北垣信之訳、レオニード・グロスマン『ドストエフスキイ』をご紹介します。

この伝記は写真でもわかるようにかなり硬派な伝記です。

作者のグロスマンは1888年にオデッサで生まれたソ連の著名な学者で、この伝記は1963年に初版が出た後、1965年に著者によって大幅に改訂された第二版をもって決定版とされています。

グロスマンによる伝記の特徴は、まさしくこのソ連の学者であるということに由来します。あとがきから引用してみましょう。

グロスマンの伝記はあり余るほど豊富な原資料を駆使し、加えて新しく発見された資料や長年蓄積した知識やドストエフスキイ夫人に直接会って聞きただした事実などをもとにして書いている点に大きな強みがある。

筑摩書房出版 北垣信之訳、レオニード・グロスマン『ドストエフスキイ』P429

ソ連には膨大なドストエフスキー資料が保存されています。しかも時を経て新たな資料が発見されたりと、やはり資料へのアクセスのしやすさは他国の研究者とは歴然とした差があります。

色々な伝記を読み比べてみたのですが、グロスマンの伝記は他の伝記とは異なる記述があったり、なぜそんなところまでわかるの?というところすらあったりします。

ドストエフスキーが政治犯として収容され、秘密査問委員会に尋問された場面では査問官の顔まで細かく書かれているのです。これには私も驚きました。秘密査問官の名前などならまだしも顔つきや細かいやりとりまでソ連では資料で残されているのかと思ったのです。

これがどの資料に載っているのかは明らかにされていませんが、こうした独特なほどまで細かい記述がこの伝記のひとつの特徴になっていると思います。

また、もう一つこの伝記には特徴があります。同じくあとがきから引用します。

(グロスマンの)研究方法の特色は作家とその時代の文化とを平行させて論じたり、文学現象を他の芸術分野、絵画、音楽、建築、演劇などと結びつけて考察したり、作家の創作心理や個性に強い関心を示したりするところにある。

筑摩書房出版 北垣信之訳、レオニード・グロスマン『ドストエフスキイ』P428

これは読んでいて非常にありがたいものでありました。ドストエフスキーが当時どのような文学に影響を受けていたのかというのはとても知りたい情報のひとつだったからです。ドストエフスキーが何を読んで何を考え、そこから何を生み出したのか、この伝記はその点にフォーカスしてくれます。

そういう意味でこの伝記は硬派な見た目の通り、ドストエフスキーを研究しようとする際にとても役立つ伝記であるのではないかと思います。

実際、この伝記が引用元となっているドストエフスキー書籍をよく見かけます。研究の基本文献としての評価も定まっているようです。

本のサイズも大きく、内容、文章共に固めなので気軽な読み物としてはあまりおすすめ出来ませんが、研究の資料としては重要なものになるのではないかと私は思います。

以上、レオニード・グロスマン『ドストエフスキイ』でした。

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2 件のコメント

  • 私は46歳です。家のお墓がお寺にあるので、父親は仏教の何かの宗派に属しているのかもしれませんが、日々の生活に信仰の様子はうかがえませんし、私は仏教に係らず信仰している宗教はありません。
    人がなぜ生きているのかを説明することは難しいですが、死にたくない(苦痛を味わいたくない)という理由は、多くの人に共通しているような気がします。「悪霊」に「大きな石が自分の上にあることを想像する」みたいなくだりがあったと思います。ヒトはそういう境遇を避けたいから生きたいのだという側面は否めないのだと思います。死にたくないから生きるというのは消極的な生き方だと思います。死をいとわなくなった時点で、世界は自殺者で満ちてしまいます。
    キリスト教でも仏教でもその他の宗教でも、死後の世界についての説明がいくつもあります。例えば仏教については、四十九日の法要の際にその法要の意味を説明いただいた経験があります。そういった「考え方」「とらえ方」には、死の恐怖を和らげる効能があるような気もします。
    私の個人的な感覚では、神や仏に類する何者か、あるいはそれにまつわる信仰に関する人々の気持ち、こういったものの総体は私個人の良心なのではないかと感じています。いろんな宗教にいろんな理論があり、人々に納得や得心を与えようとしているように感じます。望む人がいるので、与える人がいるのだと思います。それでよいのだと思います。でも私は望まない人々のうちのひとりなので、ドストエフスキーやトルストイやプルーストを読みます。本が人に見えるような経験はありませんが、自分の意識の底にいろんなモノガタリがたまっているような気がします。
    サラリーマンをしていますが、社会で生きる基準は効率性(あるいは生産性)と遵法性です。家族で出かける際に、車の移動と公共交通機関の移動を選択する基準は、第1に、かかるお金です。ガソリン代VS電車代です。家族の生活の中にも効率性は浸透しています。
    でも、ヒトはパンのみで生きるにあらず、「気持ちの源泉」が原動力のようにも感じますし、その源泉の底は意識の底と通じていて、ラスコーリニコフやリョーヴィンやプルーストのモノガタリが、ないまぜになってたまっているように感じます。
    私はある時期から考えることをやめてしまったようです。親鸞やドストエフスキーが自問自答の末、内奥へ降りて行った代わりに、私は多くの人のモノガタリを私の底にため込むことで、私の良心が良心であり続けることを期待しているようです。
    私には神や仏のように信じるものがなく、よって探求には向かわなかったようですが、上田様はまだお若く、文章の中で自問自答をする意欲があるようです。少しうらやましく、私も文章を書くことで、自己の確認作業をさせていただきました。こういうことをすると自分を定めてしまいそうで不安なのですが、弁証法的に何かが生ずることもあるかもしれないので、そこはおあいこということで目をつむりました。
    日々の雑多なこと、無駄のように思えること、でもじっと見つめると意味がありそうに思えること。その一つ一つに意味を付与していると、ヒトが生きるには時間が足りなく思います。でもその意味をすっ飛ばして、気持ちの中に(意識の中に)染み入らせることも、ヒトの能力のように感じます。そのために私はモノガタリを必要としていて、良心と名付けたあいまいな判断基準を自分の心棒に据えているような気がします。
    上田様は、僧侶という職業柄、そういったあいまいな何かを言葉にして、多くの人に説明する立場なのでしょうから、こういったブログも重要な役割を担っているのだと思います。これからも楽しみにしております。

    • さとみまどかさん、はじめまして。錦識寺の上田隆弘です。
      コメントありがとうございます。そう言って頂けましてとても嬉しいです。
      これからも初心を忘れず頑張りますのでよろしくお願いします。

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    上田 隆弘 真宗木辺派錦識寺僧侶
    真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/1990年生まれ/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/現在は親鸞とドストエフスキー、世界文学をテーマにブログを毎日更新中/読書と珈琲が大好き/ お寺に関する素朴な問いから、宗教とは何なのかという問いまで宗教学を学んだ僧侶の視点から記事をお届けしています。