イスラム教

愛すべき遍歴の騎士ドン・キホーテ

(2)スペイン異端審問の政治的思惑と真の目的とは

異端審問というと宗教的な不寛容が原因で起こったとイメージされがちですが、このスペイン異端審問においては政治的なものがその主な理由でした。

国内に充満する暴力の空気にいかに対処するのかというのがいつの世も為政者の悩みの種です。

攻撃性が高まった社会において、その攻撃性を反らすことができなければ統治は不可能になる。だからスケープゴートが必要になる。悪者探しを盛んに宣伝し、彼らに責任を負わすことで為政者に不満が向かないようにする。これはいつの時代でも行われてきたことです。このことは以前スターリンの記事でもお話ししました。私達も気を付けなければなりません。

愛すべき遍歴の騎士ドン・キホーテ

マリア・ロサ・メノカル『寛容の文化』~ムスリム、ユダヤ人、キリスト教徒が共存した中世スペインについて知るのにおすすめ

セルバンテスによって『ドン・キホーテ』が発表されたのは1605年のこと。

1492年にグラナダが陥落し、カトリック勢力がスペイン全土を統一してからおよそ100年少し。この間に異端審問は全盛を極め、ユダヤ人やイスラム教徒は迫害を受けました。

この迫害に対しセルバンデスは作中で驚くほど巧みにそれを風刺し、皮肉っています。これは普通に読んでいたらまず気付かないレベルです。当時の歴史を知り、さらに解説を受けなければまず通り過ぎてしまうでしょう。

私自身、この本を読んで改めて『ドン・キホーテ』がいかにすごいかを再発見しました。

この本の最大の見どころは本の終盤に書かれたこの『ドン・キホーテ』とスペインの歴史とのつながりと言っても過言ではないくらい私には驚きの事実でした。

愛すべき遍歴の騎士ドン・キホーテ

(1)スペイン異端審問はなぜ始まったのか~多宗教の共存とその終焉

異端審問が導入された当初、町の人々がそれを拒んだというのは驚きでした。人々は国から送られてきた役人、つまり異端審問官が町の文化や社会を壊してしまうことを察知していたのです。

この記事内にありますように、「コンベルソ」という改宗キリスト教徒と「モリスコ」という改宗イスラム教徒がこの街に居て、彼らはキリスト教徒とともに生活し、互いに様々な文化が入り混じった社会を形成していました。

これがこれから見ていくスペイン異端審問における重要な背景です。共存しながら生活していた人々が恐怖や憎しみ、嫉妬、相互不信によって引き裂かれていく過程がこの本では語られていきます。

錦識寺キューバ編

僧侶上田隆弘の世界一周記―あとがき

ここまで読んで下さった皆さんの中には次のような疑問を抱いた方がおられるのではないでしょうか。

「お坊さんのブログなのに全然仏教が出てこないではないか。「僧侶上田隆弘の目線で」と言っていた割には仏教の話じゃなくてキリスト教や他の宗教や文化の話ばかりではないか。」と。

そう。まさしくその通りです。

私はこの旅において仏教のお話はほとんどしてきませんでした。

私は意識的にそれを避けていたのです。

それは一体なぜなのか。

世界一周記のあとがきということでこの記事はそのことについてお話ししていきます。

セビリアスペイン編

世界遺産セビリア大聖堂とコロンブスのお墓~『カラマーゾフの兄弟』とのつながりも スペイン編30

セビリアはアンダルシアの州都でこの地方最大の都市。

16世紀から17世紀にはスペイン最大の都市となり、現在でもスペインで4番目の街です。

私の目的地セビリア大聖堂は1402年から建築が始まり1519年に完成した大聖堂。

「後世の人が正気の沙汰とは思えないと言うほどのカテドラルを建てよう」という言葉を合言葉に建築された巨大な大聖堂です。

そしてあまり知られていませんが、ここセビリアはドストエフスキーの代表作『カラマーゾフの兄弟』のハイライトと言える「大審問官の章」の舞台となっています。この記事ではそんなセビリアとドストエフスキーについてもお話ししていきます。

スペイン編

世界遺産コルドバのメスキータとその歴史~モスクの中に教会が!? スペイン編29

コルドバと言えばメスキータ。アルハンブラ宮殿と並ぶイスラーム建築の最高峰とされる巨大なモスクです。

内部には円柱の森と呼ばれる特徴的なアーチ型の柱がびっしり。

メスキータ自体は785年に建設が始まり、その後何度も増改築がされて現在の姿になっています。

この建物が興味深いのは13世紀にレコンキスタによってコルドバがキリスト教徒に占領された際、建物がそっくりキリスト教の教会へと転用されてしまったところにあります。

そして16世紀には大規模な改装があり、モスクの中に巨大なカテドラルが作られるという異例の事態となったのでした。