釈隆弘の世界一周記―あとがき

11月某日。函館にも初雪が降り、紅葉を終えくすんだ色の葉をまとっていた木々たちも今や裸で冬の寒さに耐えている。

思えばこの世界一周記を書き始めたのは今年の3月16日。ようやく春の陽気が少しずつ顔を出し始めたくらいの時期であった。

あれからもう8か月の時間が過ぎたのだ。

海外という非日常の時間を過ごしたあの日々が今でははるか昔の出来事のように感じられる。

タンザニア オルドバイ峡谷

タンザニア―オルドバイ渓谷。

ぼくの旅はここから始まった。

人類発祥の地を見てみたい。人間のルーツとは一体何なのか。

そして宗教はいつ、どのように生まれてきたのか。いや、そもそもなぜ宗教は存在するのだろうか。

それを自分自身に問うためにこの旅はスタートしたのだ。

アフリカのタンザニアからトルコ、イスラエル、ポーランド、チェコ、オーストリア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、イタリア・バチカン、スペイン、アメリカ、キューバとおよそ80日をかけて13カ国を巡ったぼくの旅。

トルコではアヤソフィアの圧倒的な迫力と美しさに度肝を抜かれ、イスラエルではユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地であるエルサレムに滞在することができた。

安息日の夜、嘆きの壁で体感したユダヤ教徒の祈りは生涯忘れえない衝撃をぼくに残すことになった。

ここでは信仰が生きている。

宗教は現代においても強烈な力を持って存在しているのだということを全身で感じた瞬間だった。

そして次の国のポーランドではアウシュヴィッツを訪れ、ホロコーストの現場を目にすることになった。その直前までイスラエルでユダヤ人の方を身近に目にしていただけに、感じたショックはより大きなものだった。

本や映像で見ていたものとはまるで違う。

そこでは血肉を具えた生身の人間としてのユダヤ教徒の姿がぼくの目の前に浮かんでくる。

イスラエルに行った後にアウシュヴィッツに行くというのはそれだけ大きな意味があったのだ。

ポーランドの次のチェコではプラハのあまりの美しさに恋をしてしまうほどで・・・

・・・あぁ!このまますべての国についての印象を書き連ねていくには紙面がいくらあっても足りないであろう!

この旅を一言で簡単に述べていくことはぼくにはあまりに荷が重いとしか言いようがない。

これから先はそれぞれの国については語らないことにしよう。

ぼくがこれまで書き記してきた世界一周記にそれらはすべて述べてきたつもりだ。

それよりも、この世界一周記の最後にどうしてもひとつ明らかにしなければならないことが残されている。

ここまで読んで下さった皆さんの中にはこのような疑問を抱いた方がおられるのではないだろうか。

「お坊さんのブログなのに全然仏教が出てこないではないか。「僧侶釈隆弘の目線で」と言っていた割には仏教の話じゃなくてキリスト教や他の宗教や文化の話ばかりではないか。」と。

そう。まさしくその通りなのだ。

ぼくはこの旅において仏教のお話はほとんどしてこなかった。

ぼくは意識的にそれを避けていたのだ。

一体なぜ?

答えは「ぼくの世界観や知識を、他の世界に簡単には当てはめないようにしたかったから」だ。

例えばこういうことだ。

先程述べたエルサレムの嘆きの壁で、ぼくはユダヤ教の祈りを間近で体感することになった。

これを仏教の儀式と結びつけ、「仏教の教えではこうだからユダヤ教でも~な点があるだろう」とか、「ユダヤ教ではこう祈るが仏教では~・・・」と語ることは不可能ではない。

だが、これをしてしまうとせっかく体感したユダヤ教の祈りが、ぼくの仏教の話の単なる材料と化してしまうのではないかという疑問がぼくの中に生まれたのであった。

それではぼくの求める旅とはどんどんかけ離れていってしまう。

ぼくは今ある自分の考えを強化し、それを周りに当てはめるために旅をしたかったのではない。むしろ、今まで学んできたものが現地で実際に体感することによってどう感じられるのか、どう変化していくのか、それを知りたかったのだ。

ぼくが世界を巡ろうと思ったのは宗教とは何かを問うためだ。自分の生きる道である仏教をもっと知りたいと願ったからだ。

世界一周記の最初にもお話ししたが、自分というこちら側を知るには、他者というあちら側の存在が必要だ。

だからこそぼくは他の宗教のことを知りたいと思ったし、他の世界を実際に見てみたいと考えた。

もちろん、その結果仏教のことが思い浮かんだ時にはそのことを記事にした。タンザニアのオルドバイ峡谷はその典型だ。

というわけで、ぼくはできるだけ他の世界、他の文化に対して自分の上書きになるようなことを避けようとしてきたのだ。

だが仏教のことを語らなくとも、その世界を見て、感じているのは「僧侶」であり「日本人」であり、また「一個人」たる釈隆弘そのものだ。

どんなに他の文化を調べ、現地で学んだとしてもすべてを知ることはできない。ましてや数日間の滞在ではわかりようもない。

日本で暮らしていたって他者の人生や他人が何を考えているのかなどわかりやしないのだ。いや、そもそも自分自身のことすらわからないことばかりではないか。

だからぼくがこれまでここで語ってきたことはすべてぼくの主観を通して紡がれてきたものに過ぎない。

僧侶として、日本人として、そしてこれまでの人生で形成されてきた世界観、価値観というフィルターを通してしか世界は見れないのだ。

どんなに公平を期そうと、どんなに上書きを避けようともそれはぼくの主観を離れて存在するものではない。

つまり、仏教のことをなるべく語らないということそのものが「僧侶釈隆弘」という視点そのものなのだ。

仏教のことを直接語らずとも、ぼくが語ってきたものすべてが僧侶釈隆弘の仏教と結びついている。

このことを世界一周記の最後にお伝えしたかったのだ。

謝辞

最後にここまで私の世界一周記を読んでくださった皆様に心より感謝申し上げます。

皆様が読んでくれたからこそ、そしてお声をかけて下さったからこそここまで書き通すことが出来ました。深く感謝申し上げます。

そしてこの世界一周記の執筆を後押ししてくださった尊敬する僧侶、朝日秀行さんにも心よりお礼を申し上げます。

実はこの世界一周の旅にあたり、出発の数か月前までは世界一周記を書くということを私は全く考えておらず、その経験をすべて自分の中に大切にしまっておこうと考えていました。

ですがそんなとき、当時私が勤めていたお寺の先輩の僧侶である朝日さんは「それではだめだ。君は絶対に書いた方がいい!君の体験を聞きたいと思ってくれる人は必ずいるはずだよ。」と話して下さりました。

その言葉があったからこそ私はこうして世界一周記を書くことが出来たのです。もし朝日さんの言葉がなければこの世界一周記も日の目を見ることはなかっただろうと思います。

改めて感謝申し上げます。

そして私は本当にたくさんの人に支えられ、助けられてこの旅を無事に終えることが出来ました。

タンザニアでお世話になった「みんなのサファリ」の斎藤 裕美さん、エマニュエルさん、ラマさん。みなさんのおかげでアフリカという全くの別世界で安全に、そして様々な濃い体験をすることが出来ました。

ボスニアのBEMI TOURのミルザさん、松井さんは旅のサポートだけでなく、帰国後もこの世界一周記の完成に協力して下さりました。紛争の現実を知り、そして私自身強盗に遭い、落ち込んだ私の心を支えて下さったのもお二人です。本当に感謝してもしきれません。

ニューヨークでゴスペルツアーを案内して頂いた松尾公子さん。黒人教会とゴスペルという普段まったく接することのなかった世界を垣間見れてとても刺激になりました。

キューバの現状を語ってくれたダニエルさん。社会主義国家であるキューバの抱える問題を学ぶことが出来ました。それはキューバだけの問題ではなく日本も他人事ではないということを強く感じました。

他にもすべての方のお名前は挙げることは出来ませんが、たくさんの人の助けを得て私の旅を無事に終えることが出来ました。

この場を借りて心より感謝申し上げたいと思います。

そして最後に、旅の最中、最も心配をかけてしまったであろう家族、特に両親に感謝申し上げたい。

体も弱く、ヨーロッパにも行ったことがないような私に急に世界一周に行きたいと告げられた時、両親は一体どんな気持ちになったのだろうか。

出発当日、私を見送る母は涙を流していた。

本当に心配をかけてしまった。でもこんな旅を許してくれたことを本当に感謝しています。おかげで一生の宝が出来たと感じています。

これから自分が進んで行く道の中で、どんな形にせよ出会った人に恩返しが出来るようこれからも精進して参りたいと思っています。

これからも釈隆弘をどうかよろしくお願いします。

皆さま、本当にありがとうございました!

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